鬼退治 【お神酒は口移しで】
前半上梨君、後半つゆりちゃんです。タイトルネタバレしています。
「では、こんな感じで」
「うん、ありがとう」
依頼人である亜世さんの部屋にビニールシートを敷いて採って来た笹を積んだ。部屋に笹の匂いが満ちる。
「効きますかね?」
「効いてほしいね」
須賀原さんが薄く笑った。
「体調、大丈夫ですか?」
明らかに以前より痩せた須賀原さんに声を掛ける。
「ああ、心配かけて済まないね。ちょっと厳しいけれど、ご飯は食べられているし、弱音も吐けないよ」
「そうですか。無理をなさらずに」
そう声を掛けるが、もう十分無理をしているのだろう。喉から血が出たとも聞いている。
「ん?つゆり?」
「どうしよう、上梨」
つゆりに袖を引っ張られた。
「何が?」
「亜世さん、「見たい」って」
「え?」
まだ依頼人の亜世さんは下のリビングにいる。そこで彼女を安心させるためにいろいろとつゆりが話をしていたのだが。
「ついうちの上梨は「見えない」けれど、私が石で「見える」ようにするんだって言っちゃって」
「元カレを見たいと?」
「うん」
つゆりが乗り気じゃないのは、元カレはすでに亡くなっていて、見たところで何が出来るでもないことである。そして元カレを「見える」ようにすると言うことは、その後に出現する鬼も「見える」ようになるということだ。
「圧に耐えかねて失神したこともあったと聞いたよ」
「そうなんだよねえ。だからあまり見せない方がいいと思うんだけど」
「元カレにそんなに未練が?」
「うーん。事情を知っちゃったから、かなあ」
「ああ、彼女を守るためにの行動から鬼に殺されたかもしれないってことか」
「そうなんだけど」
他に何かあったか?
「どうも「あよ」って言ってるらしいじゃない?」
「うん」
そう頷いてピンときた。彼女は元カレに「あよ」と言われたいのだ。
「彼女の名前を同じだから」
「もう一度名前を呼んで欲しいのか」
なんとも言えない表情に自分はなっていることだろう。
「でも声は聞こえていないって」
「うん、でももしかしたら「開眼」したら、聞こえるようになるかも。亜世さん向けに言っているとすれば」
「なるほど。その可能性もあるか」
しかしその言葉を聞いて、亜世さんは何を思うのだろうか。何を思おうとも、もう彼が戻ることはない。
「どうしよう、上梨ぃ」
「俺が話して来てもいい?」
「うん」
「須賀原さん、ここ、取り敢えずいいですよね?」
「ああ、後はこっちでやるよ」
「じゃあ少し下へ行ってきます」
「うん。頼むよ」
もちろん須賀原さんにも今の話は聞こえている。須賀原さんの真剣な表情にも、ことの重大さが分かった。
「亜世さん」
「ああ、えっと」
「上梨です」
「どうも」
「座っても?」
「もちろん、どうぞ」
亜世さんの斜め前に座った。ここは家族で食事をするテーブルなのだろう。
「つゆりから聞きました。「見たい」そうですね」
「はい」
「なぜです?」
「彼の姿を、もう一度見てみたいんです」
「なぜ見たいんです?」
「今日聞いた話が本当ならば、彼は私を守るために命を落としたことになります。その彼が私に会いに来てくれているのなら、一目見たいと思うのはいけませんか?」
「いえ、いけなくはありません」
「彼は私に呼びかけてくれているんですよ」
「そのようですね」
彼女の目にうっすらと涙が溜まっている。
「その彼の言葉を、もう一度聞いてみたいんです」
「あなたの名前を呼んでいるのではないと思いますよ」
「それでもいいんです。彼の唇がもう一度私の名前の形に動いてくれるのを見られるなら」
「見たらどうなります?」
「え?」
彼女の顔に戸惑いの表情が浮かぶ。
「彼の姿を見て、そしてどうなりますか?」
「えっと。どうって?」
「あなたはそれで満足できるのですか?」
「満足?」
「それできっぱりと彼を忘れて、日常を、新しい、彼のいない日常を生きていけますか?」
「そ、それは」
彼女が目を伏せた。
「あんな話を聞いた後なので、思いが乱れていることは承知しています。ですが冷静に考えてください。彼の姿を見る必要はありますか?この後の人生のために、必要なことですか?」
「この後の人生、ですか」
「そうです」
彼女は顔を上げてきっとこちらを見た。
「必要です」
決意は固いようだ。これ以上は説得も無駄だろう。つゆりが石のことを漏らし、実際に俺に使うことになる以上、彼女だけに「見せない」わけにはいかないだろう。
「鬼と思われる相手の圧は相当なものだと思います。それは無理に見ないでくださいね」
俺の言葉にしっかりと亜世さんは頷いた。
彼女を置いて再び彼女の部屋に戻った。
「あ、上梨。どうだった?」
須賀原さんを手伝っていたつゆりが聞いてきた。
「決意は固いみたいだよ」
「そうかあ。仕方ないか」
「依頼人からの信頼を失うことは避けたいからねえ」
須賀原さんも仕方がないといった風に言った。
「上梨にだけ「開眼」してもいいけど、彼女の信頼は失うでしょうね」
「上梨にしか出来ないって言えば良かった」
「次に似たような機会があったらそうしような」
「うん、ごめんね。煩わせて」
「大丈夫」
落ち込むつゆりの頭をポンポンした。
「遅れました」
そこへ桐野未散ちゃんがやって来た。
「どうだい?文太さんの様子は?」
「ええ、ずっと私の練習を見てくださって。終わったところで疲れたので寝るとおっしゃっていました」
「そうか。で、未散ちゃんは?」
「やれることはやってきました。昨日の私よりも「青龍」を上手に使えます」
「うん、頼りにしているよ」
須賀原さんの言葉に未散ちゃんが頷いた。少し表情が硬いのは決意の表れだろうか。
「では最後にもう一度段取りを確認しようか」
「はい、お願いします」
すっかり準備が整った部屋でどう対応していくかの確認をした。
いよいよ、鬼と呼ばれるものとのご対面だ。
◇
そろそろ想定した時間となった。
須賀原さんと武田さんが無言で線香に火を点けて回った。
笹の匂いが充満していた部屋に線香の香りが混じる。
「二人も一舐めしてもらえるかな?」
須賀原さんが小さな盃を差し出して来た。透明な液体はいわゆるお神酒だ。
「はい」
「日本酒かあ」
上梨はあっさりとそれを受け取ったが、私は実はあまり日本酒が得意ではない。
「これ本当に一舐めくらいでいいんですよね?」
「ああ、構わないたくさん飲むのがいいわけではないからね。身体に神聖なものを入れたという事実が大事なんだ」
「だってさ、つゆり」
そう言われても日本酒独特の匂いが苦手なんだよなあ。申し訳ないけど臭いと感じてしまうのだ。
中には果実酒みたいな飲みやすい日本酒があることも分かっていて、あれは大丈夫なのだが、これは盃から日本酒独特の匂いがしっかり漂って来ている。
「ふむ。つゆりちょっと」
「え?」
上梨が手を引いて部屋から出てしまった。ドアは中の線香の煙が出ないように素早く開閉した。
「貸して」
「え?うん」
私の分の盃を上梨が手に取った。
「あ」
くいっと上梨がそれを飲んでしまった。ダメじゃん、上梨。それ、私のだよ。
そう思ったらぐいっと首を引かれて唇を奪われた。そして口に舌と液体が入って来た。
「こらー」
入って来た液体を味わう間もなく嚥下して、私は上梨を睨んだ。
「飲めたでしょ。ちょびっとだから」
「まあ、飲めたけど」
「もっと?」
「うー」
余裕の表情の上梨が憎たらしい。でもここで時間をかけるわけもいかない。
「ほら、戻るよ」
せめて自分から言って部屋に入った。
この二人を見たら、鬼もあきれて通り過ぎるのではないか。




