オヨバズ
病院少し出てきます。
「うわあ、素敵」
「いい部屋だね」
俺とつゆりは温泉街へと旅行に来ていた。そしてつゆりに任された宿選びで、俺は高級宿を選んだ。ずいぶんと歴史のある温泉宿に設けられた離れの2部屋がVIP室扱いだ。
「ね、ねえ、上梨」
「ん?」
「この部屋、すっごく高いんじゃない?」
「うん、高いね」
「大丈夫なの?お金」
「つゆりは心配しなくていいの。俺が誘ったんだし」
「でもさあ」
俺は荷物を置いてつゆりの手を取った。
「ここさ、部屋に温泉がついてるんだ」
「うー」
「入らないともったいないぞ」
「入るよっ。でもあまり見ないでよねっ」
そうは言っても見えてしまうに違う無い。俺はさっさと裸になって小さな露天風呂に入った。
少し遅れてつゆりが入ってくる。かけ湯をしてから、俺の横に入って来た。
「あ、ちょうどいい」
「だよね。ほら、空が見える」
「あー、もう少し夜に入ると星空が見えるかもね」
「夜にも入ろうか」
「温泉は三回入らないとね」
「何それ」
「温泉マークの湯気が3本でしょ。来て入って、夜入って、朝入って3回」
「それで3本なの?諸説あります?」
「えー、知らない。諸説あるのかなあ」
つゆりがあんなこと言ってたくせに横に近づいて来た。湯船の中に見える足が艶めかしく揺れている。
「夜にも入るとすると、ここは早めに上がって温泉街でも見に行く?」
「うん。浴衣着て行きたい」
「そうしようか」
そう言って俺達は早々に露天風呂から出た。早く出ないと、俺は男性として健全な反応を示してしまいそうだ。
◇
「ん?何?変?」
「いや、全然」
浴衣姿で、髪を上げて見えるうなじの破壊力はすごいと思う。ついつい視線がそこへ向かってしまう。
「ひょっとして、上梨君、酒々井つゆりさんの浴衣姿にメロメロなのかなあ?」
覗き込んでくればそれはそれで胸元の隙間が気になってしまう。
「うん、メロメロ」
「ひゃあ」
自分で言っておいて照れないでほしい。
「ね、温泉まんじゅう食べたい」
「この後、晩御飯だよ」
「うー」
お土産で買いましょうね。
「ねー、温泉卵もあるよ」
「この後、晩御飯だって」
「ううー。お腹すいたー」
そんな感じで、つゆりをなだめながらお土産屋さんを巡っているときだった。
「何も話すことは無いって言ってるだろう」
店員の男性が怒った口調で男女を店から追い出している場面に出くわした。
客商売なのにあんな言い方をして大丈夫なのだろうか、と思うと同時に話すことは無いという言葉にひっかかっていた。
男女はやれやれという表情を見せて、別の店へ入って行った。
売られているパワーストーンに全然パワーを感じないねなんて言うつゆりの声のトーンを落とさせつつ店を出ると、さきほどの男女がまた同じように店を追い出されていた。
何をしているのだろう?
「何だろうね、あの人たち」
つゆりも気になっているようだ。
「せっかくまったりしに来ているのに、ああいう雰囲気は止めてほしいよな」
「うん」
また別の店に入っていく。
「ね、付いて行こう」
「つゆり」
あきれつつつゆりに引っ張られて同じ店に入る。男女は店主に話しかけていた。何気なく近づいて会話に聞き耳を立てた。
「山道をずっと登った先に一軒家がありますよね」
「あん?なんだ、お前たち?」
切り出した男女に、店主の愛想笑いが一瞬で消えた。
「あそこにはどんな人が住んでいるのかなと思いまして」
「どこでそんな話を聞いたんだ?」
「いえ、衛星写真で見つけましてね。今度テレビで取材に訪れようかと思いまして」
「ふざけるな。何も知らねえ。出ていけ」
「そう言わずに教えてくださいよ。みなさん、同じような反応で気になるんですよね」
「話すことなんてねえ。出ていけ」
押し出すように男女が店の外に出される。
「ロケハンだね、あれ」
「ロケハン?」
「ロケーションハンティング。番組ロケの下見だよ」
「へえ、そうなんだ」
「あれじゃない?辺鄙なところにある建物を取材に行くっていう番組」
「ふーん。それ面白いの?」
「さあ」
つゆりの言葉が確かなら、あれはその番組関係者ということになる。それにしても店主の反応は過剰だ。あんな言い方をしたら余計に興味が湧いてしまうと思うんだが。
「どこのことなんだろうな?」
俺はスマホで地図を呼び出して調べてみた。山道の入り口らしい表示は出るが、すぐに途切れている表示だ。
「衛星写真は?」
つゆりの言葉に、地図から衛星写真に切り替えてみた。すると先ほど途切れた山道のさらに奥に建物らしきものが見つかった。よくこんな建物を探し出したものだ。地図上には表記が無いし。
「地図にない家かあ。そりゃ番組としては面白そうだよねえ」
「案外、昔の住居とかそんなところじゃないのか?」
「でもあのおじさんの言い方は」
「それもそうか」
確かに訳アリ感がすごい。
「ちょっと見に行ってみない?」
「何を?山道を?」
「うん、入り口だけ」
俺は嘆息しつつつゆりに乗った。ため息をつきつつも、自分も興味が湧いていたのは確かだった。
「あ、あの二人」
土産物店の並ぶ一帯を抜けて、宿泊施設も無くなり住宅街になったその奥の道を歩く俺たちの、だいぶ前を歩いていたのは例の二人だった。
そして山道の入り口には警察官とおじさんが立っていた。まるで見張りだ。案の定その二人に男女が見とがめられて何やら大声で言いあっている。
やめとこうかとつゆりに言いかけた時に、急に話しかけられた。
「なんだ、お前ら」
びっくりして振り返るとおじさんが立っていた。目には疑うような色。
「あ、いえ。こっちにも何かあるのかなあと思って。ほら、あの二人が行くから」
「こっちには何もねえ。宿に帰りな」
怒ったような口調でおじさんは言い争いをしているところへ向かった。
俺はつゆりと顔を見合わせつつ、取り合えず宿に帰ることにした。
◇
「おいしー」
つゆりは品数の多さに感動し、そしてその美味しさに感動していた。確かに和食フルコースみたいな料理は豪華で、そして美味しかった。
「これ、何かな?」
「ああ、クコの実だね」
「初めて食べたかも」
いや、前に杏仁豆腐に乗せて出したぞ、つゆり。もちろんそれをここで指摘するほど愚かではない。
「でもさあ、あの山道の先の建物ってなんなんだろうね?」
夕食を全て平らげて満足げなつゆりの浴衣が少し乱れ気味だ。
「ネットにも何もそういう話は載ってなかったな」
都市伝説や怪談みたいな話でもあるかもと検索してみたが、温泉街としての話題しか載っていなかった。
「この後のお風呂はどうする?大浴場に行ってみる?」
「せっかくの露天風呂だもん。お部屋のに入ろうよ」
「まあ、それもそうだな」
こんな高価な宿なんてめったに来られるものじゃない。満喫するに限るか。
俺達は食事が片付けられ布団の用意がされるのを待って、部屋付きの露天風呂に入ることにした。
「わあ、ほら、星空だよ」
「ああ、よく見えるなあ。ちょっと待って、あっちの照明消してくる」
照明を消すとより星が鮮明に見えるようになった。都会と違う星の数に思わず見とれる。
「きれいだねえ」
「そうだな。これは大当たりだな」
「ねえ、上梨」
「ん?」
「お金、本当に平気なの?」
そろそろ話してもいいか。あまり心配させてもよくないだろう。
「俺が二十歳になった時に、実家に呼ばれたの覚えてる?」
「うん、なんか渡すものがあるってやつでしょ。祖父の遺品の形見分けだっけ?」
「それ。俺が成人したら渡せって遺言にあったんだって」
「見せてもらったけど。懐中時計とか」
「うん、実は生前贈与って形でいろいろ俺に残されていたんだけどさ」
「ふーん」
「毎年、100万円贈与されてたんだ」
「え?ええーっ?」
つゆりが驚いて湯船のお湯が揺れた。声も抑えて、抑えて。離れはもう一部屋あるんだから。
「は、二十歳でってことは、合計2000万円っ?」
「いやいや、もっと早く亡くなってるから」
「あ、そうか」
「でも、まあ、結構な額が俺の手元にある。あと、普通に遺産も分配されてて、二十歳になったのを機に管理も俺に移されたんだ」
「ど、どのくらい?」
「さあ?どれくらいで売れるのか分からないし。売れば税金もかかるし」
「はあー」
「でもね、つゆり」
俺はつゆりに向き直った。お湯の中に乳房が揺れているのが見えて、思わず再び前に向き直した。
「一応、俺はバイトとかしたいし、仕事にも就きたいと思ってる」
「うん」
「祖父がどんなつもりで俺にそんなに遺してくれたのかは分からないけど、本当に困ったときだけにしたいと思ってる」
「ちゃんと自分で働いてお金を稼がないと、ろくなものにならないっておばあちゃんが言ってた」
「はは、その通りだな」
つゆりが肌を寄せて来た。
「ところで、この元気なのは何かなー」
悪戯っぽく俺を見上げているに違いないが、顔を向けられない。
「これは男性としての当然の反応です」
「じゃあ、ここで、する?」
「ダメ、つゆり声が出ちゃうから」
「な」
俺はつゆりを見つめた。
「だから、部屋に戻ろう」
「ん。分かった」
また俺もつゆりも浴衣を着たが、すぐに脱ぐことになった。健全な男女なら当然だ。
◇
「ねえ、上梨―」
「ん?」
いつになくつゆりの寝起きが悪い。乱れた髪が色っぽいが、さすがに昨晩やるべきことをガッツリやったので、朝から挑みはしない。
「変な夢見たー」
「変な夢?」
「うん、ちっちゃな子が出て来て、えーっとね、何だっけな。何か言ってたんだよな。あー、思い出せない」
「はは、夢ってそういうことあるよね」
「うー、なんか気持ち悪い。すごく大事だと思ったんだけどなあ」
「まあ、何かのきっかけて思い出すかもしれないじゃん」
「分かった。お風呂行こう」
朝は男女別の大浴場へ行くことにしていた。
お風呂はヒノキのお風呂でとても気持ちがよかった。早起きだったのか、俺以外は一人しか入っていなかった。
大浴場の外で待ち合わせたつゆりと合流して部屋に戻った。食事の準備までまだ少しある。
「思い出した?」
「だめー。お風呂につかりながら考えたけど、思い出せない」
「ふーん。でも珍しいね、夢の話につゆりがそんなにこだわるなんて」
「うん、そうだよねえ。でもなんか気になるんだよなあ。大事な言葉だった気がするんだけどなあ」
「あまり、思い詰めるなよ」
「うー」
じれったそうなつゆりに笑ってしまった。
ローカルのテレビ番組を見ていたらすぐに朝食の時間になった。
「美味しいねえ」
「そうだな」
朝食も豪勢で食べきれないかと思ったら、どんどん腹に収まってっしまった。
仲居さんがおひつが空になったのを見て、嬉しそうに聞いてきた。
「あら、ごはんの追加、お持ちしましょうか?」
さすがにそこまでは入らない。
「いえ、それには及びません」
「あ」
つゆりが顔を上げて俺を見つめている。なんだ?ごはんいるのか?
「それだ」
「どれだ?」
「オヨバズ」
がしゃ
仲居さんがお盆を取り落とした。顔を見ると顔面蒼白だった。
何だ?
どうした?
「そ、それをどこで?」
仲居さんはつゆりを見つめている。まるで怯えているような顔だ。
「え?どれ?」
「オヨバズ」
俺がつゆりの言葉を繰り返すと、仲居さんは俺を見つめた。
「どんな意味なんですか?」
「し、知りません。し、失礼します」
仲居さんは逃げるように部屋を出て行ってしまった。
「夢に出てきた言葉?」
「うん、小さな子が「オヨバズ」って悲しそうに呟いてた。思い出した。山の中。あ、子供の後ろにたくさんの子がいた。そう、みんな悲しそうな顔してた」
「うーん。何か感じたのかな」
「後は寝てる間に何か来てたのかもしれない」
ああ、そういう可能性もあるか。それにしても何だろう、「オヨバズ」って。
スマホで検索しても「オヨバズ」ではそれらしいものが無かった。
食事の片づけには別の仲居さんが来た。
◇
「じゃあ、お土産買いに行こう」
「うん」
チェックアウトを終えて、つゆりと土産物屋へ向かった。昨晩は星空が綺麗に見えたのに、今日は曇天だった。
お土産物屋でつゆりのおばあさん用の温泉まんじゅうを買ったところで話しかけられた。
「あんたら、ちっといいかい?」
見れば昨日山道の前で話しかけて来たおじさんだった。その後ろには食事の時に狼狽えた、あの仲居さんが立っていた。
「何ですか?」
「ちっと話が聞きたい」
「それが人にものを頼む態度ですか?」
あまりに上から目線につい口調が厳しくなる。
「ん。それもそうだな。すまんかった。どうか話を聞かせてくれ。この通りだ」
おじさんはあっさりと自分の非を認めて頭を下げた。仲居さんまで頭を下げている。
俺がつゆりを見るとつゆりは頷いた。
「分かりました。どこへ行けばいいですか?」
「ありがとう。こっちだ」
おじさんが俺達を先導する。仲居さんは挟むように背後に付いてきた。やっぱりなんか、嫌な感じだ。
案内されたのは集会所のような場所だった。パイプ椅子に座らされる。どうやらお茶は出ないようだ。
「あんたらが、こいつに言った言葉。それをどこで知ったのか知りたいんだ」
おじさんが座るなり切り出した。
どうも「オヨバズ」という言葉を言うのを避けている節がある。
「ではどこで知ったのか教えます。しかしその代わり、その言葉の意味を教えてください」
「むう」
即答してもらえない。
「すまない。それはわしだけで決められない。ちっとだけ待っとくれ」
誰かにおじさんが電話してすぐに来いと言っていた。
しばらくするとまたおじさんが入って来た。入ってくるなり、おじさん同士でひそひそと会話をしている。
仲居さんが気を利かせて、ペットボトルのお茶を買ってきてくれた。
「すまん、お待たせした。こちら村長だ」
なんと呼ばれたおじさんは村長だった。
「どこで聞いたか教えるかわりに、言葉の意味を教えてくれということだね。まずは確認させてくれ。君たちはテレビなどマスコミの人間じゃないよな?」
「全く無関係です。学生ですよ」
「そうか、よかった。ここで聞いたことは他言無用。約束できるかね?」
俺とつゆりは顔を見合わせた。頷くしかあるまい。
「分かりました。ただし、犯罪にかかわるようなことだった場合は、反故にさせてもらいます」
「ああ、かまわない」
村長さんがぐっと身を乗り出した。
「私達がその言葉を知ったのは、彼女の夢です」
「夢?」
「はい。彼女の夢に子供が出て来て呟いていました」
「子供が」
何か村長にも思い当たる節があるという反応だ。
「信じなくてもいいですが、実は彼女はいわゆる霊感があります。普通の人が「見えない」ものも「見える」んです。お祓いなどもしたことがあります」
「そうか。なるほど」
あっさり信じてくれた。あまり、自らこうしたことを明かさないが、これは珍しい反応なのではなかろうか。
「若い君たちは「人減らし」という言葉を知っているかい?」
「リストラですか?」
「違うな。では「口減らし」ならどうだい?」
「ああ、姥捨て山ですか」
村長が頷いた。
「人頭税という仕組みがあってね。記録上は沖縄くらいにしか残っていないんだが、実はここを収めていた領主が導入したんだ」
「人頭税と言うと、田畑の大きさや、豊作不作に関係なく、一人につきこれくらいと税を決めるやり方ですよね。それが重くて払えない家は、家族の誰かを捨てる。それが「人減らし」とか「口減らし」と呼ばれている行為ですよね」
つゆりを置いて行かないように解説を加える。
「それであってるよ。で、この村のご先祖様は、山道を登った先にある沼に人を沈めたらしい」
歴史の闇だな。
「それがどうして、あの言葉に?」
「最初に「人減らし」の対象になったのはろくに働けなくなった老人だった。老人たちは書置きを残した。『探すに及ばず』とね」
「それであの言葉に?」
村長は首を振った。
「話はこれで終わらない。やがてそれでも税を払えない家では幼い子供が「人減らし」の対象になった」
「そんな」
つゆりが思わず声を漏らした。
「老人たちは進んで沼に入ってくれたらしいがね。子供達はそうはいかなかった。泣き叫んで、助けを請う子供たちを棒で突き放して沼に沈めたそうだよ」
「ひどい」
つゆりが俺の手をそっとテーブルの下で握って来た。
「するとね、いつしか出るようになった。子供の霊がね。山道を入るとね、いつの間にか子供が後ろにいるんた。そして聞いて来るんだ。「サガスニオヨバズ?」と。いつしかあの山道はこの村にとって禁忌の場所となった」
急に室内の温度が下がったような気がした。
「山道を登ったところにある建物は何ですか?」
「ああ、あそこは最後の食事を食べさせる小屋だよ。沼に沈める前に最後のご馳走を食べさせるんだ。もうだいぶ朽ちているはずなんだが」
突然おじさんのスマホが鳴って驚いた。
電話に出たおじさんの顔色が変わる。村長にひそひそと耳打ちする。村長の表情も険しくなる。
「君たちは「見える」と言ったな。すまんが話を聞いた流れで、一緒に来てくれたまえ」
「どうしたんですか?」
「勝手に山に入った者がいたんだ。女だけ降りて来た。様子がおかしいらしい」
つゆりの手が俺の手をさらにぎゅっと握った。
◇
村の小さな病院の一室にその女性は寝ていた。例のロケハンの女性だ。
頬には枝にでも傷つけられたのか、無数の傷がついている。手足の様子は布団が掛けられていて見えない。
「ああ」
つゆりが病室の入り口で思わず後ずさった。
「つゆり、「見える」のか?」
村長たちもつゆりに注視している。
つゆりがゆっくりと頷いた。
「ベッドの周りに、子供が、10人以上います」
村長達が思わずベッドから離れる。
ベッドサイドに立っていた医師と看護師も顔に恐怖を張り付かせてベッドから離れた。
「どうしよう、上梨。石、持ってきてない」
「祓えるか、試そうか?」
俺の言葉につゆりは首を振った。
「無理。中途半端に祓ったらダメなやつ」
村長が怖い顔をして、俺達の前に立った。
「無理なんだな?」
つゆりが頷いた。俺の手をぎゅうっと握りながら。
「そうか。実は、村でもお祓いを頼んだことはあるんだ。何人かは祓えましたと無責任なことを言って、何人かは祓えませんと帰って行った」
「これは、強すぎます」
つゆりに声がわずかに震えていた。
「おいっ」
おじさんが急に叫んだ。驚いてみれば、さっきまで寝ていた女性が上半身を起こしていた。布団に隠れていた腕には包帯が巻かれていた。やはり傷がたくさんあったようだ。
ゆっくりと女性が窓の外を見る。
つゆりがぐいっと俺の手を引いて、さらに入り口から離れた。
「上梨」
かすれたようなつゆりの声。
女性がゆっくりとこちらを向いた。
そして女性のひび割れた唇が動いた。
「オヨバズ?」
思わずつゆりを抱きしめた。
「サガスニ、オヨバズ?」
全員が病室から出てドアを村長が閉めた。
「他言無用。分かってるな?」
「それは、もちろん」
俺は自分の声がつゆりと同様にかすれていることに気付いた。
「ここでも、君達は何も見なかった。聞かなかった。いいね」
「はい」
またひそひそと村長達は会話を始めた。しかし動揺しているのか、ボリュームが大きくて端々が聞こえて来る。
会話の中に「オヨバズ様」とか「山に戻す」とか、聞こえて来た。
仲居さんが俺たちの方へ来る。
「どうもありがとうございました。あとは村で処置しますので、これでお帰りください。くれぐれも他言無用で」
そう話す仲居さんの声もかすれていた。
俺はつゆりを抱えるように病院を出た。
「上梨、ごめん。私には無理」
「いいんだよ。これはたぶん、この村の問題だ。警告されたのに山に入った連中も自業自得だ」
「うん、うん」
俺達は集会所に戻って荷物を持ってバス停へと向かった。
バスの時間まですぐだった。しばらく待つとバスが来て、俺達は最後部の座席に並んで座った。座るとすぐにつゆりが俺の手を握って来た。
バスが発車してすぐ、つゆりがぎゅっと手を握った。
車窓から外を見れば、村長とおじさん、それに医師が女性を抱えて歩いていた。女性には帽子とマスクがされて人相が分からないようになっている。
「並んでる」
「並んでる?」
「彼女の後ろにずらーっと子供が並んでる」
おそらくあの女性は山に戻されるのだろう。
◇
家に帰る前に、お土産を酒々井家に持って行った。家族用と、おばあさん用。
おばあさんはお土産の包装を見て、眉間に皺を寄せた。
「ずいぶんなところへ行ったね」
「何か知ってるの?」
「知ってるも何も、一度祓いに行ったことがあるよ」
なんと。おばあさんもあの温泉に行ったことがあったとは。
「わ、私にはとても祓えなかった」
「当たり前だよ。私だって尻尾を巻いて逃げ出したんだから」
「じゃあ、祓えませんって帰った一人なのね」
「ああ、「オヨバズ」だろう?あんなのは個人でどうこう出来る類のものじゃないよ。集団で地鎮をしても祓えるかどうか」
そんなことを言いつつ、さっさと包装を開いて、おまんじゅうをぱくっとおばあさんは食べた。
「うまいね」
その仕草があまりに普通で、俺とつゆりは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
◇
「確かにおまんじゅうは美味しいね」
「そうだな」
帰宅した俺達は、自分たち用のお土産を食べた。あんなことのあった場所のお土産だが、温泉まんじゅうは普通に美味しかった。
「沖縄でも人頭税がって話してたろ」
「うん」
「沖縄でも結構悲惨だったみたいだ。妊婦に岩場の割れ目を飛び越えさせて、成功した妊婦だけが子供を産めたとか、集合の合図をして間に合わなかった男を殺したとか」
「うー、もういいよ。その話は。おまんじゅうの味がしなくなるー」
「そうだな。ごめん」
せっかく気分転換をしに行ったのに、とんでもない展開になってしまった。
「なんだか温泉行くの、怖くなっちゃうね」
「おばあさんに聞いてから選ぶか?」
「うーん。でも今回も婚前旅行はいいけど、避妊はしっかりとか言われたし」
「はは、そうだったね」
おそらくあの男女はあの温泉に来ていないことになるのだろう。テレビ局からの問い合わせにも、来ていないと突っぱねるに違いない。
「あ、そう言えばその避妊具切らしてたんだった」
「え、そうなの?」
「買ってこようか?」
「うー」
つゆりが寄りかかって首筋にキスをしてくる。
「外に出して」
「出来るかなあ?」
「え?なんで?」
「だってつゆりが最後にぎゅってしてくるから」
「うー、いじわるー」
ぐりぐりと頭を押し付けて来る。その頭を撫でてやる。
「分かった、外ね」
「うんっ」
俺はいつものように部屋の明かりを消して、つゆりとベッドに倒れこんだ。
これで「振り」も回収が終わったと思います。これにて本編完結とします。
嬉しいことに月間ランキングにも顔を出しているうえに、夏ホラーの総合ポイントでも高評価を頂いています。おまけの話を付け足せるようなら付け足そうかな、と思っています。
評価、ブクマしてくださった方々に感謝します。ありがとうございました。