表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名探偵・オブ・ザ・デッド  作者: Roxie
死霊のお引越し
9/18

望まぬ再会

「大学生だもの」

 悠梨は言った。

「学校に行かなくちゃ」

「ユーリくんって、意外と忙しいんだね」

 と、全身ずぶぬれのシズメがつぶやいた。本当に、井戸の底に沈みながら寝ているらしい。

「意外と、の部分が余計よ。終わったらまた来るわ」

 と山を降りようとする。

 ──潜入捜査から一夜あけ、朝が来ていた。安定堂から大学までは距離がある上に、愛車のバイクは学校の駐輪場。そろそろ出発しないと間に合わない。

 事件の捜査を忘れたわけではないが、学生である以上、そう易々と講義をサボるわけにもいかないのだ。

「おい、ユーリ。何か、私に対して忘れていないか?」

 ゾフィアが呼び止める。

 悠梨も、思い当たる節はあった。どうせ、昨晩の“情報料”のことだろう。

「覚えてるわよ。でも、これから学校なの。夕方まで待ってよ」

「むやみに引き延ばすと利子が増えるぞ」

「金貸しじゃあるまいし」

 悠梨は顔をしかめた。

「まさか、踏み倒す気じゃあるまいな。そしたらユーリ、私は怒るぞ。ぷんすかぷんぷくりんだ」

「分かった分かった。とにかく、後のことは学校が終わったらきちんとやるから。じゃ、行ってくる!」

 山を降りるだけでもけっこうな時間がかかるのである。悠梨はスタートダッシュを決めた。

 自慢じゃないが、高校時代は陸上部のエースランナーだったのだ。足の速さには自信がある。

 もっとも、それ以上に得意なのはバイクの運転だが、残念ながらそのバイクは大学の駐輪場。今日は我慢して、バスか地下鉄でも使わないといけない。

 ちょうど山を降り、太い道路まで出たところで、携帯電話が鳴りだす。見れば、真琴からの着信だった。

「おはよう、お母さん」

「ええ、おはよう」

 母の声色はやや不機そうで、いきなり悠梨を戸惑わせた、

 別に外泊したくらいで機嫌を損ねることはない。原因は他にあるのだろう。

「昨晩は楽しかった?」

「ん? まあ、盛り上がったわ」

「そう」

 と、どことなく冷ややかな声。

「それで、何をして盛り上がったの?」

 これはあまり良くないパターンだな、と悠梨は察していた。

 この質問は、単なる興味ではない。何かの疑念に基づいたクエスチョンだ、と彼女の勘が告げていた。

 まさか、男の家で一晩過ごしたとでも思われているのだろうか。──とんでもない! そんな男がほしいわよ!

「んー、まあ、いつもみたいなトークが中心だったかな」

「それなら良いけど」

 真琴は渋い声で、

「あまり変な火遊びを覚えるものじゃないわよ。学生の本分は勉強することなんだから」

「分かってるって」

 まさか、殺人事件の捜査をはじめました、とは言えない。

 悠梨は余裕のない笑いを浮かべながら、

「お母さんってば、急にどうしたのよ」

「別に。ただ、女の勘よ」

「大丈夫よ。じゃ、学校、行ってくるわ」

 悠梨は電話を切った。

 まあ、母の心配は分からないでもない。

 悠梨は父の顔を知らない。真琴は決まって何も言わなかったが、親戚の話を立ち聞きした限りでは、真琴が懐妊した途端に逃げてしまったらしい。

 そんなわけで、遠方の親せきを除けば、悠梨には曾祖父と真琴しか家族がいない。

 幼少のころ、悠梨は家庭の時間の大半を曾祖父と2人で過ごしたが、それは真琴がまともに帰宅もできないほどハードに働いていたからである。

 さびしい思いをしたときもあったし、拗ねたときもあった。初めて曾祖父にこっぴどく怒られたのは、「お母さんは私なんかより仕事の方が大事なんでしょ」と言ってしまったときのことだ。これは生涯、忘れないだろう。

 今、悠梨は20歳だが真琴は38歳。真琴が母になったときの年齢を考えてみれば、そりゃあ楽な道ではなかっただろうと想像がつく。

 真琴は今、きっと、娘には同じ道を歩ませまいと心配しているのかもしれない。少なくとも、そう考えれば悪い気はしないというものである。

 ──学校へ着くと

「はよちゃん、悠梨」

「結局、昨日、行ったの?」

 さっそく双子が絡んできた。

 道中のコンビニで買ってきたサンドイッチ2つほどを、空き教室で食べながら

「ええ。あの紹介カードのおかげで、ずいぶん楽に入れたわ」

「ね? ワッフルおごって正解だったでしょ?」

「また何かあったらいつでも言ってね。私ら、おやつは時と場によらず大歓迎だよ」

 双子は昨日のでだいぶ味をしめた様子。

 だがこの、相手に気を使わせないふわっとした態度が、この双子の良いところなのだ。

「実はさ、本当は私らも悠梨にくっついて行ってみようと思ったんだよね。せっかくだし」

 と双子の片方が述べた。

 来なくて正解よ、と言おうとした悠梨の発言権を押し退け

「でもほら、今日ってば二階堂ちゃんのレポ締め切りじゃん? 昨日はずっと、それにつきっきりで」

 もう片方も不満を漏らす。

「やっぱ、過去レポが通用しない講義はつらいわ。双子なんだからレポートもコピーで済ませたいのに」

「それな。何のために同じDNA持って産まれてきたんだって話だよ」

「何かあったっけ」

 悠梨がきょとんとした顔で言うと、双子が口をそろえて

「ゼミ」

「…………ああ!? 忘れてた!」

 3人がとっているゼミで、今日までにレポートを出せと言われていたのだ!


   ※


「先生、ギリギリですみません」

 誰もが眠くなる昼のひと時、寝る間もなく悠梨は、息を切らしながらレポートを提出していた。

「セーフですか?」

「はは、ご苦労さん。そんなに急いで、どうしたんだい?」

 とゼミの講師、二階堂克也はさわやかに笑っている。

 影で双子にちゃん付けで呼ばれるのも無理はなく、二階堂はQ大学の教員の中でもなかなか若い方であるが、外観はそれ以上にフレッシュだった。

 知的な人柄ではあるが堅物というわけでもなく、それなりにユーモアもある。それでいて、お偉いさんのように価値観を押し付けてくることもない。

 好感を抱く学生も多いというのも、悠梨は分かる気がした。

「レポートの存在を、今日まで忘れていまして」

「なるほど。それで、突貫工事というわけか」

 柔和に微笑みながら、二階堂は指でメガネの位置をただした。

「あまり褒められたことではないが、気持ちは分かるよ。ここだけの話、僕も学生時代は少し抜けていてね」

「次から気をつけます」

 と悠梨は言った。

「そうしてもらえると助かるね。まあ、それはそうと、たった今、コーヒーをいれたところなんだ。1杯、どうだい?」

「いいんですか?」

 これを持って帰れると、ゾフィアへの報酬に充てられるのだが、まさかカップに蓋をつけて持ち帰るわけにもいくまい。

「ああ。昼ごはん、食べてないんだろう?」

「どうして分かったんですか?」

「学生時代の僕がそうだったからね」

 と、二階堂はコーヒーをいれながら笑う。

 頭が良いってのはこういう人のことを言うのね、と悠梨は感心した。

 二階堂の部屋は、1人で使っているようで、配下の学生などは誰もいなかった。

 部屋の一面には本棚が置かれ、多くの英語で書かれた本が置いてある。また別の棚の中には植物の標本が数々、かざられていた。

 二階堂の専攻が植物学だということは、そのゼミを受講しているので、悠梨もよく知っている。

「今日は、あの双子ちゃんは一緒じゃないのかい?」

 と、二階堂が尋ねた。

 どうも、3人で1セットだと思われているらしい。──靴下の大安売りじゃあるまいし。

「ええ。私もどうせなら3人で駆けこみたかったんですけど、抜け駆けされまして」

「そうか。しかし、あれほど良く似ている2人組に会ったのは初めてだ。入れ替わっても、誰も分からないんじゃないかな」

「たぶん私も分からないと思います」

 悠梨はきっぱり言い切った。

「でも、問題ありません。あいつら、いつも2人1組で動いているので」

 実際に、困ったことは1度もないのだ。

 そこから少し、大学のことで話に小さな花を咲かせた後、

「コーヒー、ごちそうさまでした」

「次からはしっかりね」

「はい」

 と、悠梨は二階堂の部屋を出た。

 しかし悠梨も“喰い盛り”の20歳、ランチがコーヒー1杯ではお腹もぺこりんぼ(ゾフィア語)である。

 そもそも昨日の晩から、しっかりした食事をとっていないのだ。

 ここは安定堂へもどる前に、双子でも呼び出しておいしい昼食をしっかり食べておきたい。

 ひとまず悠梨は携帯電話で双子に連絡をとることにした。片方に連絡すれば、もう片方にもすぐ話が伝わるので、楽で良い。

「もしぃ。悠梨? どったん?」

「もうお昼、食べちゃった? 私、これからだから、いっしょにどうかなって思ったんだけど」

「とっくに食べちゃったよ。だってさ、もう3時なんだけど」

「でもおやつなら大丈夫だよ?」

 双子の片方が、もう片方を押しのけて電話に参入してきた。

「兄弟、それ私の電話なんすけど」

「双子なんだからどっちがしゃべっても大差ないっつの。そっちの子の面倒でも見ててよ」

 などと内輪もめしている。

「誰かいるの?」

 悠梨は尋ねた。

「んー、まあ。なんか、ちょいとレポート提出の打ち上げにカラオケでも行こうかと思ったんだけどさ、途中で珍妙な子を見つけてさ」

「珍妙な子?」

「いや、これがすごいんだって。中学生くらいの外国人っぽい女の子でさ、元気なんだけど、おまえはゾンビかってくらい顔色が悪いの」

 その言葉に、悠梨は目を丸くした。危うく電話を落としそうになる。

「威勢は良いから、ヤバい状態じゃないとは思うんだけどさ。熱もないし。つか、なさすぎね? 生きてる? だいじょぶ?」

「あのさ、その子、たぶん私の知り合いだわ」

 悠梨は必死に平静を装いながら、電話を握りしめている。

「ちょっと迎えに行くから、現在地、教えてくれない?」

「今? 市立病院だよ。……ところでチビすけ、保険証、持ってる?」

「誰がチビすけだ」

 受話器がわずかに拾った声は、どう聞いても不機嫌丸出しなゾフィアのものだ!

「すぐ行くから、そこで何もしないで待ってて!」

 元陸上部のエースランナー、悠梨は久々に鮮やかなスタートダッシュを決めた。


   ※


「おまえが私をないがしろにするのが悪いんだ」

 ゾフィアは少しも悪びれることなく、堂々と悠梨をにらんだ。

「むしろ、おまえを探しにわざわざ街へ1人で出向いてやったのだ。感謝くらいしたらどうだ」

「それで迷子になっていたら話にならないじゃない」

 悠梨もまたにらみ返す。

 ここは市立病院の中に併設されたカフェで、悠梨とゾフィア、それに双子の合わせて4人で1つのテーブルを囲っていた。

 なぜ病院の中のカフェなのか。悠梨が来た途端、ゾフィアが今すぐコーヒーをよこせと喚きに喚いて、交渉の余地がなかったからである。

 そんなゾフィアもコーヒーを、延滞賃を含めて2杯もせしめ、少しは傾いた機嫌ももどりつつあった。

 その様子を眺めながら、双子は

「悠梨ってば、どういう経緯でこんな友達できたの?」

「彼氏には恵まれないけど、ぶっ飛んだ友達は多いよね、悠梨って」

 その“ぶっ飛んだ友達”の筆頭格が言うのだからおかしい。

「にしても、ゾフィアちゃんだっけ? 外国人にしては日本語、うまいじゃん」

「ちな、どこから来たの?」

 双子はゾフィアに興味津々。

「つい数日前だが、地獄から来た」

 ゾフィアの答えに、悠梨はカフェラテを噴き出しかけた。──少しは正体を隠す努力をしてよ!

「へえ、ジゴクかぁ。ずいぶん不吉な地名だね」

「悪いけど、聞いたことないわ。アフリカとか南米とか、その辺?」

 双子の見解は明後日の方にぶっ飛んでおり、悠梨はとりあえず一安心。いい友達である。

 ホットサンドとカフェラテのセットに、デザートのアップルパイまで平らげて、悠梨もようやく腹6分目くらい。

「この後、どこか行く?」

 店を出るや否や、双子がいつもの調子で悠梨に尋ねてきた。

「私たち、ちょっと用事があるから、今日はパスするわ」

 と、悠梨はゾフィアのそばに寄りながら答える。

「そう? そんじゃ、また明日ね」

「今度はゾフィアちゃんに、お勧めの喫茶店、教えたげるわ」

 と双子は、二人三脚で廊下の角を左に曲がろうとしている。

「ちょっと、そっちは出口じゃないわよ」

 悠梨の言葉は雑踏にかき消され、双子の姿が死角に消えた。

 ──ほんの数秒もしないうちに

「なんで産婦人科なんぞに行こうとしたのさ」

「いやいや、先導切ってたのは兄弟の方だから」

「あ、ちなみに痔のかたはあちらッス」

「ヒップに問題抱えてないんで、結構ッス」

 と戻ってきた双子が、今度こそ出口の方へ歩いて行く。

「面白い奴らだな。あいつらなら地獄に落ちても、上手くやっていくだろう」

 ゾフィアが妙な太鼓判を押している。

「地獄の方が、来るなっていうんじゃない? あいつら、いつも騒がしいわよ」

「なに、受け入れ拒否なんて暴挙に出たら他の部署から特別予算を認めてもらえなくなる。金のためなら、地獄は誰だって受け入れるさ」

「死後の世界って、案外きな臭いのね」

 悠梨は、今までとは少し違う意味で、死にたくなくなった。

「……おい、ユーリ。私も面白いものを見つけたぞ」

 ゾフィアが急に話題を換えた。

「何よ」

「そっと左を見てみろ。少し先の方だ」

 言われて見てみると、廊下の隅の方で男性医師が女性看護師と何か話しあっている。

 その程度か、と悠梨は肩をすくめた。

「あんなの、病院じゃよくある光景よ」

「バカか、おまえは。よく見てみろ」

 カチンときた悠梨だったが、一応は見てみる。

「あっ」

 目を凝らしてはじめて分かった。その男性医師は、昨日MUセミナーセンターで会った、黒沼とかいう男だったのである。

 昨日のような趣味の悪いスーツではなく、少しくたびれた白衣姿。だが、その格好は不思議と、昨日の何倍もしっくりくるものだった。

「あいつ、医者だったのね。そう言えば、先生なんて呼ばれてたっけ」

「蹴っ飛ばしてこなくて良いのか?」

「……今はやめとくわ。仕事中の医者に突っかかったら、病院全体に迷惑だもの。さ、安定堂に帰るわよ」

「変に遠慮することもないと思うがな」

 ゾフィアは期待外れだと言わんばかりに、面白くなさそうだった。

 駐輪所へ出た悠梨は、自分のバイクのところでヘルメットを被ると、予備をゾフィアに渡した。

「それ、かぶって。後ろに乗せてあげるから」

「なんだ、これは。ずいぶん風変りなヘルムだな」

「いつの時代の人間なのか知らないけど、あんたに現代ってものを教えてやるわ」

「ふうん」

 とゾフィア、気のない返事。

 さて、こうして悠梨は生まれて初めて自分のバイクに死体を乗せたわけだが、ここからがさあ大変。

 死体のくせに加速すれば叫び、ブレーキをかければ叫び、曲がれば叫び、ただ走っているだけでも叫び。

 何が“死人に口なし”だ、嘘つきめ。悠梨は他に非難できる人がいないので、仕方なく国語辞書をなじった。

 ただ、街中を抜けて山道まで来ると、ゾフィアもいよいよ死体らしく静かになっていた。

「ほら、着いたわよ」

「ひ、ひどい目にあった……」

 バイクから降りた(転げ落ちた、の方が正しいか)途端、ゾフィアは道路で大の字になった。

 ほかに車も通らない寂れた山道なので、誰かの邪魔になっていることもないが。

「さてはおまえ、私を殺す気だったな?」

 最悪の車酔いデビューを果たしたゾフィアは、ただでさえ青白い顔をよりいっそう蒼白にさせていた。

「そんなわけないでしょ。私が産まれる前から死んでるくせに」

「おまえ、絶対地獄に落ちるぞ」

 よほど怒りがおさまらないのか、ま毒を吐き続けている。

「続きはもどってから聞いてあげるから、いつまでもそんなとこで寝てないでよ」

 悠梨はゾフィアを起こすと、山道をかきわけて安定堂へ向かった。

「今更だけど、なんで今日はあんた1人だったの?」

「言っただろう。おまえを探しに街へ出たんだと。あいつらは煮え切らないから、置いてきてやった」

「それって、あんたが勝手に動いただけじゃないの?」

 悠梨、ため息。

「他のみんなが、心配して待ってるかもしれないわよ」

 と言ったが、いざ山道を歩きぬいて安定堂へたどりつくと、墓地で彼女らを待っていたのは仲間ではなく、

「なんだ、あれは」

 と、ゾフィアが口にした通り、なぜか古ぼけた冷蔵庫だった。

「斬新な墓標だな。中に野菜でも入っていないかな」

「どこにあったのかしら。ここ、電気が来てないから、冷蔵庫なんかないのに」

「察しはつく。あれが電気で動く機械というなら、犯人はイミーラしかいない」

 ゾフィアが自信たっぷりに言った途端、

「あ、帰ってきてたのデスね?」

 その言葉通り、冷蔵庫の影からドラ=イミーラがひょっこり顔を出した。

「何やってるの? そもそも、これ、どこから拾ってきたのよ」

 悠梨が問いただすと、

「山中で見つけたのデスよ。最初に見つけたのはこのイミーラさんデスから、これはユーリにも譲らないデス」

「いらないわよ、そんなもの」

 まあ、稀にあることなのだ。こういうのは、法外な安さで不要家電の処理を承っては、ただ山中に捨てていく悪徳業者の仕業である。曾祖父も憤っていたものだ。

「現世の機械文明がよく進んでいるのは認めるところデスが、イミーラさんほどの天才にもなれば、少し調べただけで仕組みが分かってしまうのデスよ。自分の才能が怖いデス」

「バカの自画自賛ほど聞くに堪えないものはないな」

 まだご機嫌ななめなゾフィアが毒づいた。もちろん、ドラ=イミーラもムッとする。

 もう何度目かも分からないピリピリとした雰囲気を

「あ、ユリィさん、お帰りなさい」

 寺の方から駆けてきたドロロが、まったく知らずのうちに、2人の対立に水をさした。

「ナイスタイミング」

「え? 何がです?」

「いや、こっちの話よ。それより、たった今、戻ったところなの。ホーネットやシズメもいる?」

「一緒じゃなかったんですか?」

 ドロロはポカンとしている。

「1人で飛び出していったゾフィを探しに、街へ出て行ったはずなのですが……」

「なんだ、行き違いか。ドジな奴らだ」

 と鼻で笑ったゾフィアに、悠梨は思わずムッとして

「元を正せば、あんたが勝手に抜け出したのが悪いんでしょ」

「探しにきてくれと頼んだ覚えはない」

「それなら私だって、あんたについてこいと言った覚えはないわ」

 短気な女同士、視線で火花を散らす。

 そのとき、不意にドロロがハッと顔をあげた。

「待って! ユリィさんも、ゾフィも、いったんストップ!」

「どうかしたんデス?」

「今、人がこっちに来る気配がしたの。……ユリィさん、この辺って、ユリィさん以外の人間も来ることあります?」

「今はもう滅多にないわね。でも、そんな気配、する? 誰もいないけど」

 悠梨があたりをキョロキョロ見渡す。人影など、どこにも見あたらない。

「第六感ってやつだ。浮遊霊は繊細な存在だから、人間には気づかないものも感じ取れる。特にドロロの勘の鋭さは馬鹿にできん」

 とゾフィアが、めずらしく他人をプラスに評価した。

 思い起こすと確かに、悠梨がここへ来ると、ドロロは不思議なほど早くそれを察して出迎えてくれている。本当にそういう能力があるのかもしれない。

「まあ、それ以外に取り柄はないがな」

 そしてこの烙印である。

「ひどいよ、ゾフィ」

「おまえにかまっている暇はない」

 涙目になったドロロを見下しながら、ゾフィアはそよ風に鼻をひくつかせた。

「が、なるほど。確かにタバコの匂いがする。しかも、こっちに近づいてくるな」

「タバコということは、シズメやホーネットというわけでもなさそうデスね」

 とドラ=イミーラがつぶやいた、そのとき。

「おい、本当にこんなところであってるのか?」

「でも兄貴、カシラは確かに、この山の中だって」

 と、草を踏み分ける音と共に野太い男の声。

 よほど苛立っているのだろう。ここまで声が届くということは、結構な大声である。

「くそっ、舗装くらいしてくれたって良いだろうによ」

「まったくだ」

 とブツブツ言いながら、茂みより2人のチンピラみたいな男が姿を現した。

「あっ」

 片方の顔に、悠梨は見覚えがあった。

 先日、MUセミナーセンターの裏口で聡子を足蹴にした、あの用心棒くずれである。

 もう片方は、だいぶ脚の短い小男で、服装も顔つきも「まっとうな商売はしていません」という感じ。

「あんたは、確か──」

「て、てめえはこの前の!」

 と大男の方も、悠梨のことを覚えていたらしい。

「兄貴、こいつだ。こいつらがこの前、うちに来た」

「なんだ、おまえ。こんなガキにひっくり返されたのか」

 と兄貴と呼ばれた小男の方が大男をにらむ。もっとも、脚が短く貫禄もない、兄貴と呼ばれている割にはパッとしない。

「いや。あんときは、もっと大柄の馬鹿力もいたんだが」

「そんなこた、どうだっていい。──おい、ガキども、ここはうちのカシラの私有地なんだ。勝手にうろつくんじゃねえ」

 その恫喝に、悠梨がカチンと来ないはずがない。

 安定堂は悠梨たち尼ヶ崎一族が、代々守り抜いてきた由緒正しき山寺なのだ。

 それが、チンピラの私有地? 誇り高き尼ヶ崎一族の末裔として、ここで退くわけにはいかない。

「おっさん。何と勘違いしてるか知らないけど、ここはうちの寺よ。用がないなら出ていって」

「生意気なガキだな」

 と小男、懐からナイフを取り出す。

「バカな奴だぜ。こんなところで助け呼んだって、誰もこねえってのによ」

「おう、この前はよくもやってくれたじゃねえか。ぶっ殺して、ここをおまえの墓場にしてくれらあ!」

 大男がズンと踏み込む。

「まあ、待てよ。生意気なガキだが、顔は悪くねえ。素直になるよう、可愛がってやろうぜ」

 と、兄貴分の小男が悪趣味な笑みに顔を歪めた。悠梨の表情が自然とこわばる。

 そのとき

「三下どもめ。他に謳うことはないのか」

 ゾフィアが悠梨の前に立ちはだかった。

「ちょうど良い。ムシャクシャして、誰かをぶん殴らんと肝が落ち着かないところだったんだ。おまえたちをいじめてやろう」

「あ? チビッ子は引っ込んでろ。大人相手に、正義の味方ごっこなんてやるもんじゃないぜ」

 と、小男はナイフをちらつかせるが、その程度で臆するゾフィアではない。

「私が正義の味方だと? ふん、片腹痛いぞ。それを言うなら、正義が私の味方なのだ」

 よくもそんな恥ずかしいセリフを堂々と言えるな、と悠梨は非常時ながらに感心してしまった。

「クソガキが。ナメてんのか?」

「お望みなら、舐めてやろう」

 その瞬間、ムチのような何かが空を切って、小男の持っていたナイフを叩き落とした。

 前触れもない一瞬の早業に悠梨は驚いてしまったが、さらに驚くことに、それはムチではなくゾフィアの口から何メートルも伸びた、長い長い舌だったのである。

 舌はナイフの柄に巻きつくと、呆気にとられている小男に向かって器用に刃を振りかざした。

 ベルトが切り裂かれ、ズボンが地に落ちる。情けない悲鳴が男の口からこぼれた。

「あなたばかりに、良い格好はさせないデスよ」

 とドラ=イミーラが言うと、大男に向かって口からまばゆい炎を噴き出した。

「ぎゃーっ!」

 あまりのできごとに大男は尻もちをついてしまったが、すでにズボンに火が燃えうつっている。

「逃げろ、化け物だ!」

 あわてて火のついたズボンを脱ぎ棄てると、パンツ丸出しで来た道を逃げ帰っていく。

 兄貴の方も、

「おい、俺を置いていくな!」

 と、ゾフィアに切り裂かれたズボンを回収することも忘れ、これまた安そうなパンツ丸出しで弟分の後を追い消えた。

「やれやれ、情けない。悪党の風上にも置けないやつらだ」

 長い舌を口の中に戻しきると、ゾフィアは何事もなかったようにいつもの冷笑を浮かべた。

「ちょっと忘れかけていたけど、やっぱりあんたたち、人間じゃないのね」

 チンピラの撤退を見届けると、悠梨は肺の中の空気すべてを吐き出した。それだけ、緊張で息がつまっていたのだ。

「当然だ。私たちは地獄の最下層に落とされた往年の大悪党だぞ。間違っても、あんな半端なコワッパと一緒にするなよ」

 ゾフィアが胸を張る。だが、見た目も声色も十代前半なので、まるで説得力がない。

 そのとき、逃げた男のズボンからピピピとブザーが鳴りだした。きっと、携帯電話の着信音だろう。

 すぐにドラ=イミーラがその携帯電話を、男のズボンのポケットから取り出した。

「ユーリ、これは何の機械なんデス? 音が鳴ってマスが」

「ケータイよ。電話。それで遠くの人と話ができるの」

「これがあの、電話というデスか。てっきり、おとぎ話の中だけの存在だと思っていたデス」

 と言いながら、あれこれいじっている。すると、たまたま通話ボタンを押してしまったのだろう。

「おい、どこにいるんだ!」

 とスピーカーが怒鳴った。ドラ=イミーラは電話に面を向かって、

「イミーラさんはここにいマス」

「……誰だ、おまえは」

「王族の血をひく、気高きイミーラさんデス」

「なんだっていい。とにかく、このケータイの持ち主に、早く山の屋敷へ来いと伝えろ!」

 そこでぶつっと電話は切れてしまった。

「なんと無礼な。相手がこのイミーラさんと知っての態度デスか?」

「もう相手には聞こえてないわよ。電話がもう切れてるわ」

 悠梨が指摘すると、ドラ=イミーラは少し残念そうな顔で

「……電話というのは、もっとロマンチックなものだと思っていたのデスがね」

「相手が悪かったのよ」

 と笑ったものの、悠梨の中には何か釈然としないものがあった。

 今の電話もそうだし、それに、突然やってきたチンピラたち。しかも片方はあのMUセミナーセンターで会った用心棒くずれである。

 もしかしたら、今の襲来も、あの組織と何か関わりがあるのだろうか……。

「あ、ホネちゃんとシズちゃんが帰ってきたみたい」

 気配に敏感なドロロが述べた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ