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名探偵・オブ・ザ・デッド  作者: Roxie
死霊のお引越し
7/18

尼と地獄の探偵団

「聞いたよ、悠梨」

「二股彼氏をワンパンKOしたんだって?」

 翌朝、大学へやってきた悠梨は、さっそく同じ服装で同じ顔をした女子大生2人組にからまれた。

 この2人、見ての通りの双子であり、Q大学に通う悠梨の同期でもある。

 知り合ったのは大学入学後のことだが、物の好みが悠梨とよく合うことから、自然と気の置けない仲になったのだ。

 それに双子そろって合コンの企画が好きなので、よく悠梨も彼氏探しの一環でお世話になっている。

「ん、ああ、まあね」

 と悠梨はそっけなく言った。

 実のところ、週末は生き返った死体や謎の組織をめぐる怪事件があったので、そんな男のことなどケロリと忘れていたのである。

「なんで私らに言ってくれなかったのさ」

 と双子の片方が言った。

「そうだよ。教えてくれたら、祝勝会くらい即日でプランしたのに」

 これは、もう片方のセリフ。

 面白いくらい良く似た双子なので区別をつけるのは至難の業だが、いつも2人一緒にいるので、“双子”とひとくくりに扱えば何の問題もない。

「ま、いいや。じゃあ今日、祝勝会ね。予定、空いてるっしょ?」

「嫌な男のことなんか、ぱーっと飲んで忘れちゃお。ね?」

「悪いけど、今日は予定があるの」

 何気なく悠梨がそういうと、双子はそろって唖然とした。

「どったの? 悠梨が酒を断るなんて。熱でもある?」

「いやいや、兄弟。まさか悠梨、もう新しい男を見つけたんじゃない?」

「むしろ、乗換先を見極めた上で、二股男をぶん殴ったってのもあるかもよ?」

「かーっ、悠梨がまさかそんな抜け目ない女だったなんて。世も末だ」

「オーケー兄弟、今夜は私らだけで呑もう。彼氏持ちを邪魔しちゃあいけない」

「いやあ、寂しいなー。悠梨がどんどん遠ざかっていくよ、寂しいなー」

「話を勝手に進めないで」

 と悠梨が割って入る。どっちが、どんどん遠ざかっていくんだか!

「別に今日の用事は男絡みじゃないの。第一、私が乗換先を準備しておくなんて、そんな計画性のある女に見える?」

「確かに」

 双子がぴったり口をそろえて言ったので、おかしくなって悠梨は笑ってしまった。

 ──まあ、計画性がまるでないのは悠梨自身も認めざるを得なかった。

 今日の講義が終わったら、ゾフィアたちと合流し、あの事故で亡くなった飯倉というドライバーの職場を訪問してみることになっている。

 だがそこから先の具体的な計画は白紙。実際に行ってみてから考える、という有様だった。

 それに場所や施設名こそ分かってはいるものの、そこがどんな実態なのかもさっぱり分かっていない。

 聡子から聞き出した話によれば、“MUセミナーセンター”という名前らしいのだが……。

「そうだ」

 そのとき、悠梨の中で名案が(迷案かもしれないが)ひらめいた。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ。MUセミナーセンターって聞いたことある?」

 と、双子に尋ねてみる。

 この双子、頻繁に合コンを開いているだけあって、人脈も情報網も侮れないほど広いのだ。

 先日、悠梨が元カレの二股交際を突き止めた際も、この双子たちの情報ネットワークには世話になったものだ。信用性は侮れない。

「ああ、うん、知ってるよ?」

「もしや、悠梨ってばあそこの会員だったの? マジ?」

 と双子が答える。

「会員? 会員制なの?」

 悠梨は聞き返した。 

「ぽいよ。私らは行ったことないんだけどさ」

「もう常連になった友達ちゃんから、話だけは聞いたことあるんだよね」

 さすがは双子の情報網、何か知っているらしい。

「ねえ、どういうところなのか、教えてくれない?」

「いいよ。ワッフルおごってね」

「期間限定のメイプルいちご味で良いよ」

 こういうところは抜け目がないのである。

 悠梨としても、気を使わなくて済むというのは楽で良いが。

 ……というわけで、話の場所は大学内の小さなカフェに変わった。

「いやー、やっぱり悠梨のおごりで食べるおやつが1番おいしいわー」

「あ、この味、良いじゃん。期間限定じゃなくて通常メニューになってくれないかなぁ」

 双子はすっかりご満悦。

 まったく同じものを頼んだ悠梨は、セットのコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり(ブラックは飲めない)入れながら

「まあ、それは良いとして。で、話の続き、いい?」

 ワッフルを2人前おごった以上、元は取らねばいけない。

「まあまあ、慌てる小鹿は貰いが少ないって言うじゃん」

「乞食だ、兄弟。──それで、MUセミナーセンターの話だっけ」

「最近、セレブの間でけっこう人気あるらしいよ。会員の数も増えてきているんだってさ」

「でもさ、でもさ、人の話を聞くだけだよ? 聞くだけだよ? 聞くだけで1回10万円って高くね?」

「そんなにするの?」

 悠梨は身を乗り出してしまった。

 それだけでも結構な出費だが、ゾフィアたちを連れていくと合わせて6人。そんな大金、持ってない!

「そうだよ。1人5万円だから、双子価格だと10万円」

「双子割引とか、あっても良いと思うんだけどなー」

 二人分の価格か! 悠梨は内心で突っ込んだが、高いことには変わりない。

「あ、それグッドアイディアじゃん。2人目は半額とか、これゼッタイ流行るよ」

「すごい! テイクアウトのピザみたい!」

「そんなことはどうでも良いのよ」

 と悠梨、

「それで? セミナーセンターって言うけど、何の話をする場所なのよ」

「さあ?」

「それは私らも聞いてない」

 肝心なところで、双子がそろって首をかしげる。

 肩すかしをくらった悠梨は顔をしかめて、

「1番知りたいのはそこなんだけど。割り勘にするわよ?」

「そこで双子を恨むのは筋違いだよ。ね、兄弟?」

「まったくだ。そも、その常連ちゃんが話の中身を覚えてないんだもの。私らはどうしようもないじゃん?」

「常連のくせに話の中身を覚えてないの?」

 と悠梨が訊くと、双子はそろってうなずき、

「ほら、つまんない人の話って右耳から入っても左耳から抜けてくじゃん?」

「それな。校長先生の話っていつも長かったけど、もう中身なんて何1つ覚えてないもん」

 と笑い出した。

 気持ちは分かるけどさ、と悠梨は内心でつぶやきながら

「でも、そんなつまんない話にお金を払い続けるっておかしくない?」

 と、思った通りの疑問をぶつけた。

 双子はしばらく、小難しい顔で考え込んでいたが

「よし、この話はもうやめよう。双子的には、今このワッフルが美味しければ、それでいいのである」

「さすが兄弟、たまには良いこと言うじゃん」

 と言って、何事もなかったかのようにワッフルを味わいはじめる。

 しかし妙な話だ、と悠梨は思った。

 中身もまともに覚えられないほどつまらない話を聞くために、何度も高いお金を払おうとは考えられない。

 深まる謎に、悠梨はじっと考え込んでいると、

「あ、店員さーん。ワッフル、もう1つくださーい」

「私も、お願いしまーす」

「ちょっと!」

 思わず悠梨は眉を吊り上げた。

「追加分は自分たちで払ってよ!」

「じゃあ、これと交換ね」

 と双子の片方が、財布から名刺のようなカードを取り出し、悠梨へわたした。

「何よ、これ。……紹介カード?」

「そ。さっき言った、常連ちゃんが私らにくれたの。最初の1回は特別体験価格だから来いって」

「新しく会員になってくれる人を紹介すると、良いことあるんだとさ」

「なんか気が乗らなくて、結局行ってないけど。行きたいなら悠梨にあげるよ」

「その代わり、ワッフル、ごっつぁんです」

 たいして成績も良くない癖に、こういう駆け引きだけは上手いのがこの双子である。

 しかし会員制というからには、現会員からの紹介はかなり強い武器になるはずだ。

 悠梨はそれを受け取ることにして、同時に潜入への熱意を新たにした。

 ──ワッフル4枚分の初期投資、無駄にはできない!


   ※


「ここね」

 講義後、MUセミナーセンター前へ悠梨はやってきた。

 昨日も思ったことだが、とにかく交通の便が悪い。そのくせ敷地内には駐車場も駐輪場もない。

 バイクでは来られないと思い、今日は市営バスを利用しての移動となった。

 見たところ、ゾフィアたちはまだ来ていないようだ。ここで待ち合わせをして、合流した後に中へ入ることになっている。

「遅かったじゃないか」

 という声と共に、肩を叩かれた。

 見れば、それはゾフィアの手だった。その後ろには他の4人もいる。

「怖気づいて逃げ出したのかと思ったぞ」

「まさか。大学生だもの、忙しいのよ」

「ダイガクセー? 知らん言葉だな。まあ、いい」

 ゾフィアはそう言いながら、MUセミナーセンターのドーム状の屋根を見上げた。

「ここにいる奴らを全員、けちょんぱんにすれば良いのだな? ふふん、造作もないことだ」

「それは最終段階よ」

 ホーネットが割って入る。

 今まで分かっていることだけでは、ここの全員が悪党なのか一部だけなのか、まだ判断がつかない。

「今日は探りを入れるだけ。昨日、そう決めていたじゃないの」

「まどろっこしいのは嫌いなんだが」

 ゾフィアは不服そうだ。

「ひとまず中に入るわよ。相手がどんな奴らか知らないと、話にならないじゃない」

 と悠梨がリーダーシップをとって、死者たちを引き連れ建物の入口へと向かった。

 いざ敷地内に入ってみると、MUセミナーセンターが3階建て程度の建物であることが見てとれる。

 入口はごく普通のモダンな自動ドア。

 決して多くの人が殺到しているわけではないが、ぽつり、またぽつりと人が建物の中へはいっていく。

「すごい! ふすまが勝手に動いてる!」

 とシズメが初めて見る自動ドアに、いささか見当外れのコメントをしている。

 昨日出くわしたヤクザのような用心棒は、ここにはいなかった。

「さ、こっち。あまり目立たないように行くわよ」

 そう言いながら悠梨が建物の中へ入ろうとした、そのとき。

 ちょうど、1人の男が建物から出てきたところだった。

 だいたい四十歳前後だろうか。どこかニヒルな風貌で、いかにも金のかかっていそうなブランド物のツイードジャケットを着ている。

 しかし、あまりセンスはなさそうで、金さえかければ見栄えがすると思い込んでいる感じすらあった。

 まあ、どのみち赤の他人なのだし、こんなところでファッション講義をしてやる余裕も義理もない。

 悠梨がその横を通り抜けようとすると、

「お嬢さんよ」

 ふいに男が、不気味な笑みを浮かべながら悠梨の方を見た。

「……私、ですか?」

「そうだ。おまえさん、この中に何か用かい?」

 馴れ馴れしい口調の奥に、何か探りを入れようとしている魂胆を感じた悠梨は、その質問には答えず

「どちら様ですか?」

「……見ての通り、しがないオッサンだ」

 いやに気安い。何度か会った相手ならまだしも、悠梨としては覚えがまるでないのだが。

「それで? 俺のクエスチョンに対する答えは?」

「用があるから、来たんですが」

「おいおい、お嬢さん」

 と、男はわざとらしく笑った。

「何か勘違いしてるようだが、ここはカラオケ屋でもボウリング場でもないんだぜ? ガキンチョの来る場所じゃねえ」

 確かに、言われてみれば建物の中へ入る人の大半は中高年の男女。この目前の男ですら、来場者の中では若い方に見えた。

 とは言え、そんな口調で言われるとむしろカッカして引き下がれなくなるのが悠梨の性分。

「余計なお世話です。用はそれだけですか?」

「ツレねえな。……どうだ、一緒に茶の一杯でも。後ろのお友達の分も含めて、おごってやるよ」

「言ったな?」

 ゾフィアの目が急に輝きだす。

 大方、またコーヒーにありつけると思っているのだろう。

「結構です!」

 悠梨は腹の底から声を出してやった。

 するとそのとき、ちょうど悠梨の後ろから

「あらまあ、黒沼先生じゃないですか」

 と、しわがれた声がした。

 振り返ると、そこにいたのは杖をついたごくごく普通の老婦人。

「おや、こんなところで会うとは、まったく奇遇ですね」

 黒沼と呼ばれた男は、急に愛想がよくなって、老婦人と世間話。

 その隙に悠梨は、

「行くわよ」

「コーヒー」

「いいから」

 と、5人を連れて建物の中に入った。

「ユーリくんの知り合い?」

 シズメが訊くと、悠梨はいらだちを隠しもせずに、

「そんなわけないでしょ、あんな奴。向こうが馴れ馴れしいだけよ」

 と答えた。

「先生だか金星だか知らないけど、私は、ああいう外面だけ良いゲスな胡散臭い成金スケベ野郎が一番嫌いなのよ」

 と、まだ怒りがおさまらない様子。

「今度会ったら、ガムテープで髪の毛をぶっこ抜いてやるわ」

「ユリィさん怖い」

 ドロロはゾフィアの影で震えていた。


   ※


「はい、確かに。それでは中へどうぞ」

 と、フロントのでスタッフは頭を下げた。

 双子にもらった紹介カードにより、最初の関門をスムーズに突破できた悠梨と仲間たち。

 新会員として、氏名と住所と連絡先の記入を求められたが、大半は素性を知られてはいけない死者たちなので

「ここは私が適当に済ますから、任せて」

 と、悠梨がドロロ以外の全員分のカードを記入したのであった。

「私が数えられてない!」

 ドロロはそう声を上げたが、やはりというか、スタッフには姿も声も感知されていない様子。

 むしろその方がありがたい。入館料を1人分、ちょろまかせるのだから。

 初回体験として特別の8割引きとは言え、5人分ともなると悠梨の財布には重い金額である。しかし、今さら退けない。

 昨日、ひと悶着を起こしていたので警戒されるかと悠梨は思っていたが、怖いほどスムーズに受付を終えることができた。

「講演会場は3階の大ホールになります。右手にございますエレベータでお向かいください」

 ──そのエレベータは、まあ、フロントに言われた通り、すぐそばにあった。

「今、こういう話をして良いのか分からないけど」

 とホーネットがつぶやく。

「本当に現世は、不思議な物であふれているわね。来てから数日たつけど、全然慣れる気がしないわ」

「なに、機械のことならイミーラさんにお任せデスよ」

 とドラ=イミーラが不敵に笑う。

「良い時代になったものデス。産まれる時代を間違えたかもしれないデスね」

「おまえが間違えたのは、脚の長さだろう」

 ゾフィアが冷やかしたそのとき、ちょうどエレベータがやってきた。

「さ、乗るわよ。……ま、上の階まで行く機械の乗り物と思えばいいわ」

「この狭苦しい小部屋が?」

 ドロロは信じられない様子だ。

「そう。これごと、上に行ったり下に行ったりするの」 

「浮かんだり沈んだりするの!?」

 なぜか、シズメが興奮しはじめる。

「まあ、とにかく乗るわよ」

 率先するように悠梨が乗ると、そこへゾフィア、ドラ=イミーラ、ホーネット、ドロロとつづく。

 最後にシズメが乗ろうとした途端、片足を踏み入れただけで重量オーバーのブザーが鳴った。

「何の音だ? ──イミーラ、おまえの腹か?」

「違いマス。イミーラさんは消音設計デス」

 とドラ=イミーラはゾフィアをにらんだ。

「重量オーバーの音よ。……でも、変ね。6人乗っただけなのに。故障かしら」

 悠梨がそう言うと、シズメ以外の死者4人の視線がそろってシズメの方へ集まる。

「シズメ、あなたが重すぎるのよ」

 ホーネットがじっとシズメの顔を見つめた。

「ボクが? そんなことないよ」

「でも、このまえの身体測定であなた、体重が3トンもあったじゃない」

「さんとん? それ、なあに? 水より重いの?」

 エレベータの重量制限は1トンという表記が、階層ボタンのすぐ上に書いてある。

「仕方ないわね。降りて階段でいくわよ」

「イミーラさんはこれを試してみたいデス」

 と、ドラ=イミーラがわがままを言い出し、

「浮かばれたかったなぁ」

 と、シズメはひどく口惜しそう。

 悠梨は、こんな超重量級が踏んでも壊れなかった安定堂の床の強度に、感心したのであった。

 ──階段で3階まで登ると、すぐ大ホールの入り口があった。というより、3階の大部分がホールなのだ。

 中の作りはコンサートホールのようなもので、管弦楽のクラシックコンサートにも使えそうなほどシャレている。

 屋根は外観通りのドーム状。客席はもう半分以上が埋まっており、なかなかの盛況ぶりがうかがえる。

 しかし、黒沼という男も言っていたが、悠梨たちくらいの年齢の人はほとんど見つからない。

 大半が裕福そうな主婦や高い地位についていそうな会社員などだろうか。多少、場違いなところへ迷い込んでしまった気がしたが、今さら帰るわけにもいかない。

「とりあえず、この辺に座りましょ。どのくらいつまんない話か、聞いてやろうじゃないの」

 と、悠梨は近くに腰かけた。他の5人も、隣に座る(シズメが座った時だけ、明確にきしむ音がした!)。

「ところでユーリ、ここで何が始まるんだ?」

 ゾフィアが訊いた。何度か説明しているはずなのなが。

「誰かが話をしてくれるそうよ。ここは、それを聞くためだけの施設みたい。……ひとまず、向こうがどんな組織か知りたいじゃないの」

「なんだ。せっかく地獄から脱獄してきたのに、また説教されるのか」

「前払いのコーヒー、おごってあげたでしょ? だったら、このくらいつきあってよ」

 まるで面白くなさそうな顔のゾフィアを傍目に、悠梨は言ってやった。

 その横では、

「シズちゃん、起きて! まだ何も始ってないよ、寝るの早すぎるよ!」

「ふみゃあぁ……、浮かばれないなぁ……」

 ドロロが、早くも居眠りを始め寝言まで唱えているシズメの耳元で、一生懸命にささやいていた……。

 幸い、講演の始まりまでは、そう長く待たなくても良かった。

「みなさま、本日はご来場いただき、ありがとうございます」

 女性のやわらかいアナウンスがホールに響き渡る。

 同時に照明が落ち、ドッと空調が強まる音がした。

 そして、ホールの奥にある講演台に、スーツ姿の中年女性が姿を現した。

 彼女こそがこのMUセミナーセンターの代表である。フロントで受け取ったパンフレットに、顔写真と簡単な紹介文が載っていた。

 名前を浦部美佐子という、この道一筋のベテランらしい。もっとも、こんなのは自己申告なので、何とでも言えそうなものだが。

「本日は大変お日柄もよく、このような日にわざわざこちらへ足をお運びいただけたことに、大変感謝しております」

 さすがはプロというべきか、浦部の話し方はテンポが良く、なかなか聞きやすい。

「今回のセミナーでは、この浦部が、人生をポジティブに生きる7つの方法について、この場でご紹介させていただきたいと思います」

 天井に備え付けられたプロジェクタが、パッとスクリーンに何やら文字を映す。

「人生をポジティブに生きる? わ、私を弟子にしてください!」

 ドロロが深々と頭を下げたが、大声を出した割に、誰も見向きもしなかった。

 ──そのとき悠梨は、すぐ足元がぐらりと大きく傾いたような気がした。

 そんなはずはないと思ったときには、今度は悠梨の感覚そのものが大きく反対側に傾く。

 バランスを崩し、隣のホーネットにしがみついた。まるで建物そのものが傾いているかのような気すらした。

「ユーリ、どうかした?」

 ホーネットはいたって平気そうな顔をしている。

 その間にも悠梨が感じた違和感はどんどん増していった。もう、まともに姿勢を保ち続けることができない。

 合コンで飲みすぎた日の帰り道から、酔いの心地良さだけを抜き取ったような、最悪の気分だ。吐き気すらこみあげてくる。

 自分の体に異変が起きていることは認めざるをえなかったが、こんなこと初めてなので、どうして良いか分からない!

「ユーリ、どうしちゃったの? 顔、真っ青よ?」

 ホーネットが声をかけてくれたが、まともに返事をすることすらできないのだ。

 直後、一挙に押し寄せた悪酔いの荒波に頭をガツンと揺さぶられ、何がどうなっているかも分からないまま、悠梨は気を失った──。


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