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名探偵・オブ・ザ・デッド  作者: Roxie
死霊のお引越し
6/18

現世旅行

「わっ、すごい!」

 翌日、安定堂まで再びやってきた悠梨は感嘆の声をあげた。

 春の陽気な日差しを浴びて墓地に芽吹いた雑草が、1つ残らず抜き取られていたのだ。

 曾祖父の死後、こんな山奥の古寺の管理をしているのは、こうしてたまにくる悠梨くらいしかいない。

 その悠梨も、決して掃除は好きな方ではないので、細かいことはついつい見落としてしまうのである。

 墓地の草むしりだって、こんな丁寧にはやらなかっただろう。

 安定堂の中まで移動してみると、さらにびっくり。まるで曾祖父が生きていたころと同じくらい、きれいになっていた。

 クモの巣なんかは言うまでもなく、チリもホコリも見当たらない。誰がやったのだろうか。思いあたる節はひとつしかなく──

「あ、ユリィさん」

 悠梨の来訪に気づいたドロロがひょいと顔を出した。

「やっぱりここにいたのね」

「結局、身寄りもない私たちが暮らせそうなところはここしか見つからなくて……」

「じゃあ、ここの掃除もあんたたちが?」

「はい」

 へえ、と悠梨は感心した。ただの我儘グループだと思っていたが、なかなかマメなところもあるらしい。

「もう少し、ここにいさせてもらっても良いですか?」

 とドロロがおずおずしながら尋ねた。

「そうね」

 悠梨は、中まですっかりピカピカになった安定堂を見渡した。

 ここでも好き勝手やっているようだったら即座に追い出すつもりでここへ来たのだが、こうも見違えるようにきれいだと話も変わってくる。

「これだけきれいに使ってもらえるならね。ただ、あまり周りの人のこと困らせないでよ」

 それを聞いたとたん、ドロロの顔がパッと明るくなった。

「あんた以外の4人もいるの?」

 と悠梨がきいたそのとき、奥の方からホーネットが出てきた。

「あら、来てくれたのね」

「ホネちゃん、ユリィさんがもう少しここにいても良いって!」

 ドロロはまだ興奮が冷めない様子。

「こんな私でも無宿者から居候に転身できた! 生きてて良かった!」

「あんた、地獄から来たんじゃなかったの?」

 悠梨が何気なく聞くと、ドロロの顔からいっぺんに笑顔が消え、膝から崩れ落ちた。

「そうだった……。私、もう死んでるんだった……。もうおしまいだ……」

「ひとりで勝手に落ちこまないでよ」

「大丈夫よ。繊細なように見えて、意外とタフな子だから。そうでもないと、地獄暮らしはつとまらないわ」

 ホーネットが口をはさんだ。

「それより、今、昼食を作っていたところなのよ。人間の口にあうか分からないけど、良かったら食べていく?」

「いいの? なら少し、ごちそうになろうかしら」

 と悠梨は言った。すると、ゾフィアが顔を出し、

「勝手に決めるな。これは私のランチだぞ。何から何まで私のものだ」

「さもしいことを言わないの。どうせ飲まず食わずでも死にはしないじゃない」

「何とでも言え。だがな、私のおなかがぺこりんぼなことは変わらんぞ」

 ゾフィアはツンとした態度を貫いている。

「そんなことばかり口にしているから、育ちのほどが知れてしまうのデスよ」

 奥からドラ=イミーラの嫌みがとんできた。ゾフィアがキッと目を吊り上げて振り返る。

「小競り合いは後よ。ドロロ、シズメを呼んできて」

「うん」

 ドロロは、半ばケンカの中心地から逃げるような足取りで、表の井戸まで駆けていった。

「シズちゃん、ユリィさんが来たよ」

 と、井戸をのぞき込みながら声をかけている。

 すると次の瞬間、水族館のイルカショー並みの水しぶきをあげ、井戸の中からシズメが飛び出してきた。

 その派手な登場に悠梨は唖然としてしまったが、当のシズメは涼しい顔で

「やあ、ユーリくん、来てくれたんだね」

「あんた、なんでそんなところから出てくるのよ」

「んー? ボク、水の中が1番落ち着くんだ。昼寝するにしても、1番ぐっすり永眠できるし」

「そんな気軽に永眠しないでよ」

 ケロリとしているシズメに、悠梨はそう言ってやった。

「シズちゃんはすごいなぁ。私なら寝冷えして風邪でもひいちゃいそう」

 ドロロも、変なところで感心している。

 ──そんなこんなで、6人が安定堂の居間にそろった。

「さて、食べるぞ!」

 とゾフィアが、その辺の木片で作った簡素なフォークを手に、雄たけびをあげた。

「ランチって、これのこと?」

 悠梨が首をかしげたのも無理はなく、器に盛られているのは墓地に生えていた雑草のおひたし。

 到底、少し分け前をもらおうという気にはなれない。

「本当に食べる気なの?」

「当たり前だ。供養の伴わない殺生は大罪だからな。私が残さず食べてやるのだ」

「そう。……私は遠慮しとくわ」

「遠慮も何も、分けてやるとは一言も言ってないぞ」

 ゾフィアは誰にも手を出させないほどの勢いでモリモリ食べながら

「うん、良く言えば素材の味そのままだが、もう少し塩気があっても良いな」

 などと批評している。

 思い返せば、昨日の冷蔵庫あさり事件のときも、ゾフィアが手をつけたのは野菜ばかりで、生肉やハムにはノータッチだった。

 ゾンビが人間には目もくれず菜食主義に走るようでは、ホラー映画業界はゾンビ物から手を引かざるを得ないだろう。

「それより、1つ相談があるのよ」

 ホーネットが悠梨の方を見ながら言った。

「私に?」

「ええ。実は私たち、着の身着のまま地獄を抜け出してきたから、今着ている服しか持っていないのよ。だから、新しい服を作るのに、織物が売っている市場の場所を教えてほしいの。知ってる?」

「織物?」

 悠梨は眉をひそめた。

「ええ。私、こう見えて紡績や裁縫は得意なのよ。この5人の服はみんな、私が地獄でかき集めた糸くずから作ったの」

 とホーネット、ちょっと得意げ。

「服がほしいなら、服を買えば良いんじゃないの?」

「既製品? 高くつかないかしら」

 と、ホーネット、少しずれた心配をしている。

 悠梨は生きた時代の違いというものを痛感した。こいつらは、江戸の御上とやらがいた時代の人間なのだ。

「今はそういう時代よ。布を手に入れる方が難しいの。完成した服を売っているお店なら知ってるけど、それでいい?」

「このイミーラさんのセンスにあう物があれば良いデスけどね」

 ケガもしていないのに手足も頭も包帯グルグル巻きのドラ=イミーラが割って入った。

 悠梨に言わせれば、これほど変なセンスの持ち主など、現世にはそういない。

「それより、それを買えるだけのお金、私たちにあるの?」

 ドロロの心配はなかなか現実的だった。

「金などいらん。ほしい物は力で奪い取る。それが私のやり方だ」

 いつの間にか完食していたゾフィアが、フォークを置きながら言った。

 悠梨は顔をしかめて

「やめてよ、強盗なんて」

「良いから場所を教えろ。私の毒牙に噛まれた人間がノーと言えなくなるのは、おまえも知っているだろう。早く答えた方が、噛まれずに済むぞ?」

 ゾフィアは白い犬歯をむき出しにすごんだが、その歯と歯の間に草がはさまっているのでは迫力に欠ける。

「仲間同士のケンカはご法度だと、最初に決めたはずよ」

 ホーネットがたしなめると、ゾフィアは渋い顔になり、

「それはこの5人の話だろう」

「もう6人に拡張しても良いじゃないの」

「ねえ、ゾフィアくん」

 シズメが気さくに笑いながら口をはさんだ。

「もし仲間同士のケンカがありなら、ボクが真っ先に君の相手になるよ」

 その言いぶりは悠梨への助け船というよりは、純粋にケンカそのものを期待しているようだ。するとゾフィアは苦々しげにぷいと横を向き、

「もういい。おまえたちの好きにしろ」

 と吐き捨てた。

「現世に迷惑をかける気はないわ」

 ホーネットが悠梨にささやく。

「金策も、独力で何とかするわ。ただ、右も左も知らない私たちが人間社会で穏便にやっていけるよう、少し知恵を貸してほしいだけなの」

「それならいいけど」

 悠梨も一安心した。

 ホーネットは礼節をわきまえているし、シズメは問題児を抑え込む力を持っている。ゾフィアさえ何とかできれば、この5人は現世でも何とかやっていけるかもしれない。

「あと、私にあう服があるかも、ちょっと心配なのよね」

 ホーネットは、春先だというのに首から下を完全にコートや長ズボンで覆い尽くしている。

「いろんな服があるから大丈夫だとは思うけど、何が不安なの?」

「ほら、私、こういう体をしてるじゃない?」

 言うやいなや、脅威の早脱ぎでホーネットはコートの前面をがばっと開けた。

 その中はシャツや下着どころか皮膚も血肉もなく、空洞の中に背骨と肋骨だけがおさまっている。

 簡単に頭部がとれる奴だとは来訪初日に教えられていたが、まさか首から下がこんなガイコツ人間だったとは。

 こんな怪物が本当に人間社会でやっていけるのだろうか、と悠梨は再び不安になってきた。


   ※


「しかし、どこを向いても人間まみれだな」

 あたりを見回しながらゾフィアがつぶやく。

 悠梨の案内のもと、繁華街まで出てきた死者5人。そろって一昔前の人間なので、現代の街中の様子には興味津々のようだった。

「勝手に噛みつかないでよ」

 ツアーガイドを任された悠梨としても、案内だけならいいが、白昼堂々ゾンビパニックを引き起こされるのはごめんである。

「バカか、おまえは。私はきちんと時と場をわきまえる、古き良き悪党だ」

「どうだかね。あんたが一番、騒ぎを起こしそうで怖いのよ」

「こいつらの本性を知らないから、そんなことが言えるんだ」

 ゾフィアはあくまで強気だ。

「あんたに比べれば誰だってマシに見えるわよ」

 と言ってから、悠梨は死者ご一行様の顔ぶれを見て、1人足りないことに気づいた。

 少し後方で、ドラ=イミーラがガソリンスタンドを見つめながら立ち止まっている。

「どうかしたの?」

「あの機械から石油のにおいがしマス」

「そりゃ、ガソリンスタンドだもの」

「呼称はともかく、石油があるならちょうど良いデス。少しばかり、いただいていきマス」

「いただくも何も、お金、ないでしょ」

 そもそも石油などもらって何になるのか。安定堂には石油ストーブすらないというのに。

 悠梨がたしなめても、ドラ=イミーラは気に留めることなくニヤッと笑い、

「この王族の一員であるイミーラさんに献上できるというのに、なぜお金が必要なのデス? これ以上、名誉なこともないのデスのに」

「生前はどのくらい偉かったのか知らないけど、今はただの一般人でしょ。無茶言わないでよ」

「じゃあイミーラさんに我慢しろと言うのデスか? ゾフィアはあんなに美味しい思いをしたのに、イミーラさんにだけ我慢させる気デスか?」

 とドラ=イミーラはまくしたてると、悠梨をふりきってスタンドへ行こうとしたが、シズメが素早く抱えあげた。

「郷に入ったら郷に従うのが筋ってものだと、ボク思うよ」

「そ、そんな! なんでイミーラさんばかり損な役回りなのデス!? これは王家への侮辱デス! 重罪デス! 極刑も辞さないデス!」

 脇に抱えられながら、ドラ=イミーラは大声で泣き喚いた。

 ガソリンスタンドの従業員が目を丸くしてこちらを見ている。

「おまえには恥という物はないのか」

 ゾフィアはすっかりあきれ返ると、真っ赤に目を腫らしたドラ=イミーラが振り返って、

「人の家の食糧庫を勝手にあさった、あなたにだけは言われたくないデス!」

 なるほど、どちらも正論ではある。

 このままでは口論の泥沼化は避けられまい。

 まとめ役! 出番だ! ──悠梨は即座に隣を見たが、さっきまでそこにいたはずのホーネットがこつぜんと姿を消していた。


「そういえば、ホネちゃんは?」

 悠梨と同じことを考えたのだろう、ドロロもあたりをキョロキョロしている。

 あいつが最も常識的なのだから、こういうときはしっかりまとめてもらわないと困るのだが。

 ──ホーネットは、少し離れた前方にいた。何かの建物の柵と茂みの奥の様子をうかがっている。

「どうかしたの? ──なに、ここ。結婚式場じゃない」

「そうなの。ほら、見て」

 ホーネットが興奮しながら中を指さす。ちょうど、どこぞの新郎新婦が式場より出てきたところだった。

 当然、周りはお祝いのムード一色。場を盛り上げる音楽が、こちらにまで届いていた。

「そうよね、やっぱり愛よね。愛してくれる人が隣にいてこそ、人生は輝くのよ」

 ホーネットはすっかり、うっとりしている。

「はあ」

「ね、ユーリには決まったお相手って、いるの?」

 そこはつい先日失恋した悠梨にとって、あまり触れてほしくない点である。やや渋りながら

「まあ、これからよ」

「へえ、そうなの。……ねえ、私とかどう? 愛してくれる人にはとことん尽くすタイプよ」

 熱っぽい目で悠梨を見つめていた。冗談みたいな提案だか、本人はどう見ても本気のようである。

「悪いけど、結婚相手は男にすると決めているの」

「あら、愛には年齢も性別も生死も人数も大した問題じゃないわ」

 ──常識人だと信じた私がバカだった! 悠梨は大いに嘆いた。

「ハレンチめ。現世に来てから妙におとなしいと思っていたが、ついに本性を現したな」

 ゾフィアが苦虫でも噛み潰したような顔でにらみつけていた。

 その一歩後ろでは、あれほど喚いていたドラ=イミーラもシズメと一緒に、唖然としている。

 そんなこともおかまいなしに、ホーネットは素早くゾフィアの手をとった。

「行くわよ、ゾフィア。私たちの愛のゴールはすぐそこよ!」

「気安く触るな、ハレンチがうつる」

「今だけは甘えさせて。私、今、すごく人肌が恋しいの」

 唐突に路上メロドラマに付き合わされ、ゾフィアはこれでもかとばかりに不快感を露にしながら、

「……おい、ドロロ。おまえ、この痴女の友達だろ、何とかしろ」

「そんな殺生な!」

 ドロロはこの世の終わりにでも直面したかのように震え上がった。

 もう悠梨もうんざりしてきて、

「いい加減にしてよ。変な騒ぎを起こしたら、うちから追い出すからね」

 と、いきり立った。──まったく、死人向けのツアーガイドなんて引き受けるんじゃなかった!

「こっちから行くわよ」

 はぐれた奴がいないか確かめながら、悠梨は大通りから閑散とした小道へと曲がった。

 この道なら大したものもないし、通行人も少ない。この死人たちが騒ぎを起こしても、人々の目につく可能性は低くなるはずだ。

「それにしても、現世の奴らはやたら高い建物が好きなんだな」

 ゾフィアはすぐ隣にそびえたつ高層マンションや商業ビルを見上げながらつぶやいた。

「この辺、そんなに偉い人がたくさん住んでるの?」

 どうもシズメの中では、高い建物に住んでいる人は偉いという認識らしい。

 確かに江戸の世ならそれも通ったかもしれないが、現代、特に生まれも育ちも都会の悠梨にはピンとこない。

「今時の都会はどこもこんな感じよ」

「あんな高いところ、私は住めそうもないなぁ。落ちたら痛そうだもの」

 ドロロの発想は何かとネガティブである。

「確かに、あんな高いところまで上り下りをするのは面倒そうだ」

 ゾフィアがうなずきながら、

「やはり邸宅というものは、縦より横に広い方が私好みだ。──そう、ああいうのが良い」

 と指さす方には、体育館くらいの大きさの、しかしなかなかモダンな造りをした建物があった。

 外観からして、何かのホールだろう。ちょうどその裏口がこの細道に面している。

「へえ、こんな所にこんな建物あったのね」

 悠梨はおどろいた。

 こんなバイクでは入りにくい細道へはなかなか来ないので、今までこの建物の存在を知らなかったのだ。

 何をしているところなのだろうか。市民ホールにも似た作りなので、中に大勢の人を入れられそうな気もするのだが。

 それにしては交通の便の悪いところに建てたわね、と悠梨が考えていると、ちょうどその建物の裏口の扉が開いた。

「きっとイミーラさんの到着を察して、招き入れてくれているのデスよ」

「バカか、おまえは。現世におまえを知っている奴など誰がいる」

 ゾフィアがせせら笑った、ちょうどそのとき。

「──少しだけでもいいんです。お願いですから、話を──」

「しつけえなぁ。何も話すことなんかねえって言ってんだろうがよ。何度言わせりゃ分かる」

「でも──」

「四の五のゴネるんじゃねえ! また来たら、ただじゃ済まさねえからな」

 という口論が漏れてきた後、あっ、と短い悲鳴という悲鳴と共に女が外へ放り出された。

 あっ、と悠梨は目を見張った。その転ばされた女、昨日家に来た飯倉聡子だったのである。

「聡子さん!」

 悠梨は即座に、地面に押し倒された聡子のもとへ駆け寄った。

「なんだ、てめえは。そのババアの付き添いか?」

 と、聡子を突き飛ばした男が悠梨を睨みつけた。

 頭髪を剃り上げたイカつい顔の大男で、どう見てもまともな職の人間ではない。

「悠梨さん……?」

「ちょっと、そこのおっさん! あんたね、身重の女に手ぇあげて、恥ってものを知らないの!?」

 大体、頭に血が上ると後先考える前に啖呵を切ってしまう気質なのである。

「おいクソガキ、もういっぺん言ってみろ。口のきき方って物を教えてやらぁ」

 男の頭がゆでタコのように赤くなる。

 まさに怒髪天──というには頭髪がないが──怒りに満ちた顔で男が2人のもとへ歩み寄ってきた。

 悠梨は、まったく怖くなかったと言えばウソになるが、聡子を見捨てて逃げられるような小者ではない。キッと男をにらみ返した。

 すると、

「おっと。そのケンカ、ボクが買うよ」

 と、シズメが悠梨と男の間に立ちはだかった。

「今度はなんだ、次から次に。そろってブッ飛ばされてえのか?」

「威勢がいいね。君、良いよ。乱暴者は大好きだ!」

 怒り心頭の男とは対照的に、シズメは至って上機嫌。オモチャを得た子どものように活き活きとしている。

「イカれてんのか? ……俺はな、昔、空手をやっていたんだ。おまえみたいなモヤシじゃあ、逆立ちしても敵いっこないぜ」

「前口上はいらないから、かかってきなよ」

 と挑発したシズメに、間髪いれず男が殴りかかった。

 鈍い音がして、男のパンチがシズメの頬に直撃する。

 が、そこまで。殴られたはずのシズメは、電柱のように直立不動を貫いた。

「その程度? 手加減はいらないよ。ボクをがっかりさせないで」

「この野郎、ふざけやがって!」

 すっかり怒り狂った男は、その怒りに身を任せ、ひたすら殴る蹴るを繰り返した。

 しかしシズメは反撃も防御も、痛がるそぶりもせず、ただただ平然とした顔のまま攻撃を浴びせられている。

 トラックにひかれても平気だった死人なので、この程度で痛がるはずもないのだ。

 むしろ殴る側だった男の方が、もう息があがってしまった。

「どうしたの? ボクじゃあ、逆立ちをしても敵いっこないんじゃなかったの?」

 シズメはきょとんとしながら、息を切らす男を見つめた。

「おまえがあいつを逆立ちさせてやればいいんだ」

 ゾフィアがコメントすると、

「なるほどー!」

 シズメは即座にかがみこみ、男の足首をつかむと、そのまま高々と持ち上げてしまった。

「わーっ!」

 男が悲鳴をあげるも、シズメはおかまいなし。

 まるでドレッシングのビンのように上下へ素早くシェイクした。

 5往復くらいした後には、もう男は泡を吹いて気絶していたのだった。

「なんだ、もうのびちゃったの? つまんないなぁ」

 シズメは萎えながら、男を道端に放り投げてしまった。

「あの」

 聡子はまだ、半ば夢でも見ているのではないかという顔だったが、

「危ないところ、ありがとうございました」

「なに、これくらいお安い御用デス」

 ただ横で見ていただけのドラ=イミーラが、ここにきてグッと胸を張った。

「おまえが何をしたというんだ」

 ゾフィアがにらみつける。

 そして、一番体を張ったシズメはと言えば、

「お礼はいいから、この辺で一番腕っ節が強い人を教えてよ。こんな弱っちい相手ばかりじゃ、ボク、いつまでも浮かばれないよぉ」

 と浮かない顔。

 悠梨は、ごまかすようにわざとらしい咳払いをすると、

「とりあえず、場所を変えません?」

 と聡子に言った。


   ※


「ここに書いてある中から好きなもの選んで」

 と、悠梨は死人たちにメニューを渡した。

 あの建物から最寄りの喫茶店に移動した悠梨と聡子と死者5人組。

「先程は、本当に、なんとお礼を言って良いか……」

 聡子は改めて頭を下げたが、まともに聞いているのは悠梨だけで、死人どもは初めて見る“喫茶店のメニュー”に首ったけ。

「先週、日本に来たばかりの留学生なんです。もう見るもの全部にすごい、すごいって」

 悠梨がそっとささやいた。地獄から来た奴らを“留学生”と呼べるのかは知らないが。

 そこへ、ウェイトレスがやってきて、

「ご注文は、何になさいますか?

「石油はないんデス?」

 ドラ=イミーラは、まだ根に持っている様子。

「よく分かんないから、ひとまず、ここに書いてあるの全部ちょうだい」

 シズメがさらっと言った。

 死人には喫茶店も早すぎたのか、と悠梨は内心で嘆きながら、

「すみません、コーヒー人数分だけください!」

「は、はあ。では、コーヒー6つでよろしいですね?」

 ウェイトレスが困惑気味に確認する。

「6つ? わ、わわ、私が数えられてない!」

 ドロロの嘆きは誰からも無視された。

 どうも、この霊が見えるのは本当に悠梨と他の死者たちだけらしい(窓ガラスにもうつってない!)。

「それより聡子さん、さっきは大丈夫でした?」

 と悠梨は訊いた。

「ええ、私は大丈夫です。それより、そちらのかたが、あんなに乱暴されて」

「ボク? アハハ、あんなヘナチョコ張り手にのされるほどヤワじゃないよ」

 シズメは豪快に笑い飛ばした。

「それはそうと、さっきはいったい何があったんですの?」

 ホーネットが尋ねた。

 聡子は、目を伏せながら、

「実は、夫の死の真相を知りたかったんです。ニュースでは、あの人が何か変なクスリを服用したせいで事故を起こしたという流れになっていますけど、私にはまだ信じられないんです」

 その言葉に、悠梨は真面目な顔になって身をのりだした。 

「元はあの人、ヘビースモーカーだったんですけど、子どもができたと知って、赤ん坊に煙を吸わせるわけにはいかないってピタリとやめてくれて。そんな人が、私に隠れてそんな危ない物をしていたなんて……」

 ぐすんとすすり泣く声が、妙な方向から聞こえた。

 見れば、感化されたドロロがすすりあげている。──当事者がまだ泣いてないのに、もらい泣きには早すぎる!

「それに……」

 と聡子が言おうとした、ちょうどそのとき。

「お待たせしました。コーヒーです」

 ウェイトレスがやってきて、コーヒーを6杯、置いていった。

 真っ先に手を伸ばしたのはゾフィアで、一口すすると、

「おおお、こ、これだ。これこそ故郷の味だ。……現世は何もかも変わってしまったが、おまえだけは変わらず私を待っていてくれたんだな」

 と、柄にもなくしみじみとした声を出しながら目を細めた。

 そして急にドラ=イミーラの方を向くと、

「おい、イミーラ。おまえ、水っぽい物は嫌いだっただろう。おまえのコーヒーは、私が美味しく味わってやる。よこせ」

「あなたにあげるくらいなら、シズメに譲りマス」

「私がほしいと言っているのだぞ? それが親友のやることか」

「ふん、あなたばかりに美味しい思いをさせるのは癪なのデス。ま、石油と交換なら考えないでもないデスよ?」

 バチバチと2人の間で火花が散る。

「私のあげるから、ちょっと静かにしててよ」

 ホーネットは自分のコーヒーをゾフィアにゆずると、

「すみません、騒がしくて。話の続きの方、いいですか?」

 と聡子を促した。

 ゾフィアや、ドラ=イミーラとは違って、話に興味がある様子。

「はい。もう1つ、気になることがあるんです。実はあの日、夫はあの仕事を辞めることになっていたんです。理由はくわしく聞いていないんですけど、産まれてくる子のために、もっと良い職業を探したいと言っていて」

「じゃあ、もしかして、その辞めることになっていた仕事って──」

 悠梨はコーヒーにミルクと砂糖を入れながら(ブラックなんて飲めない!)訊いた。

「ええ、さっきの建物で行われていたセミナーのスタッフなんです。時にはトラックで、機材を運ぶこともあると言っていました」

 なるほど、だからあの事故当時もトラックを運転していたのか。

「その仕事中に事故で亡くなったと最初は思っていたのですが、あそこの人たちは警察に、夫はずっと前に仕事を辞めていたと説明していたみたいなんです」

「え!?」

 悠梨は驚いた。むちゃくちゃな話である。

「それで、その辺りの真相を確かめにあそこへ行ったというわけですね」

 と、ホーネットほとの方がいくらか冷静に話を聞いている。

「はい。でも、行ったら裏口へ連れていかれ、誰にも会わせてもらえないまま、追い出されて。ちょうどそのとき、皆さんに助けてもらったんです」

「じゃあ、結局、何の説明もしてもらえなかったんですか」

 悠梨は腹が立ってきた。昔から単細胞なのである。

「何か隠してるわね」

 かっかしている悠梨とは対照的に、ホーネットは静かに考え込んでいた。

「よほど、探られたくないことがあるんじゃないかしら」

「やっぱり……」

 そう言いかけて、聡子はふいに手で口元を押さえた。

「聡子さん?」

「すみません、ちょっと、気分が……」

「大丈夫ですか? 病院、呼びます?」

「いえ、いつものことなので……。ただ、少し、失礼します」

 そう低い声で言い残して、店の奥の手洗いへ行ってしまった。

 お腹に子がいるのだから、体調だって不安定で当たり前である。そんな時に──。

「気の毒な話ね。これからという時だというのに」

 ホーネットも同じことを考えていたらしい。すると、シズメも深くうなずいた。

「ねえ。あんたたち、死後の世界から来たんでしょ? どうにかならないの?」

 悠梨がそう言うと、ゾフィアは急に不機嫌そうな顔になった。

「ずいぶん容易く言うじゃないか。死んだこともないくせに」 

「ユーリ、気持ちは分かるけど、そればかりは無理な相談よ」

 ホーネットもそこに加わる。

「まず私たちは最悪の悪党が集う地獄の最下層の住民。その人がそれ以外の場所へ送られたとしたら、その時点で手詰まりよ。仮にそこをクリアしても、地獄に落ちた者は生前の名を名乗れないことになっているの。これだと探す手がかりもないわ。そして何より、1度脱獄に成功している私たちが戻れば徹底的に監視されるだろうから、あなたたちが生きているうちに現世へ戻ってくることは、まずできないわね」

 と説明が終わると、またシズメがうなずく。──それにしては何も言わないし、様子が変だ。

 見ればなんと、これだけ重苦しい話の中で堂々と居眠りをしているだけだった。

「シズちゃん、起きて! 今、リラックスして良い雰囲気じゃなさそうだよ!」

 ドロロが声をかけるものの、シズメは全く動じずコクリコクリと舟をこぎ続けている。

「悪かったわね、変なこと聞いて。今の話、忘れて」

 そうは言ったものの、やはり悠梨の中では気持ちの整理がつかない。

 一度、頭に血が昇ると、そう簡単には冷めてくれないのである。

「でも、やっぱりこのまま引き下がるなんて嫌よ。お願い、手を貸して」

「別にいいけど……」

 ホーネットは、少し困惑気味な顔で

「用がすんだら返してね。予備はないから、なくなると困るのよ」

 と自分の右腕から手首より先を取り外して、悠梨に差し出した。

「そういう意味じゃない! ──この一件、聡子さんに代わって私が調べようと思うの。だから、手伝ってほしいのよ」

「あら、そういうことだったのね。それなら、よろこんで協力するわ」

 と二つ返事。それを聞いて、ドラ=イミーラが眉をひそめた。

「ホーネット、本気デスか?」

「当然じゃない。愛し合う夫婦を引き裂いた悪党を野放しにはできないわ。愛の敵は私の敵よ」

「イミーラさんにとっては、ただの他人デス」

 すると、それを聞いていたゾフィアが、急に身を乗り出して、

「どうしてもと言うなら、助力してやらんこともない。だが、タダ働きはせんぞ」

 と尊大な口ぶりで言い出す。

「まず着手料としてコーヒー2杯。それとは別に成功報酬が5杯だ。値切り交渉には一切つきあわん」

「態度がでかい割に、要求は大したことないのね。別に、それくらいなら良いわよ」

 と悠梨が快諾すると、

「いや、ちょっと待ってほしいデス。またイミーラさんだけ差し置いて話を進める気デスか?」

 とドラ=イミーラがブレーキをかけた。

「それならはっきり自分の意見を言ってよ。何も言われないと私、相手の考えを都合よく解釈するわよ」

 と悠梨、割りと乱暴な意見をさらりと述べた。

「じゃあ言わせてもらいマス。ユーリ、石油1ガロンくれるのなら働いても良いデスよ」

「なんていやしい奴なんだ。親友の頼みに、いちいち対価を要求するのか」

 間髪いれず、ゾフィアがせせら笑った。

「あなた、さっき自分が何て言ったか、もう忘れてしまったのデスか!?」

 とドラ=イミーラは大声を出した。

 何事かと、周りの客がいっせいにこちらを見る。

 それに気づいたドラ=イミーラ、顔を赤く染めながらうつむき、

「またゾフィアのせいで、いらぬ恥をかいたデス……」

「バカか、おまえは。自業自得だ」

 と、ゾフィアは涼しい顔でコーヒーをすする。その隣で、

「……ボク、もう沈めないよ」

 シズメが妙な寝言を唱えていた。


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