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名探偵・オブ・ザ・デッド  作者: Roxie
死霊のお引越し
2/18

大脱走・オブ・ザ・デッド(後編)

 老いも季節もない地獄にとって、年月という概念は実にむなしい。

 特に囚人にとって時間というものはなんの意味も持たない。過去も現在も未来も、画一的な苦痛が延々と続いているだけなのだから。

 ──あれから長い年月が流れたが、何も変わってはいなかった。

 いや、今日がまさに変化の日となるのだ。

 本部の定期監査を受けた翌日、鬼の総大将と数名の上級幹部は最下層の懲罰房が並ぶエリアをツカツカと突き進んでいた。

「総大将。本当にやつらを懲罰房から出してしまうのですか? このままの方が平穏で良いような気も」

 と、側近の青鬼が進言すると、もう一人の側近である赤鬼が眉を吊り上げた。

「監査は終わったんだ。何をためらう必要がある」

「しかし……」

 と、青鬼が渋る。

「心配するな。これ以上、奴らの好き勝手にはさせんよう、閻魔様が特別のはからいをしてくださった。これじゃ」

 総大将は腰にぶら下げていた、鉄のホラ貝を配下に見せた。

「これを吹けば、閻魔様がすぐさま直々に駆けつけてくれる。いくら奴らでも、まず勝ち目はあるまい」

 と言うと、急に声をひそめて

「もちろん、戻すというのはここだけの話だ。手はずは、分かっているだろうな」

「勿論でございます」

 赤鬼の対応には一片の戸惑いもなかった。

 ──特別懲罰房は、普通の地獄が楽園に思えるほど非常に過酷な環境を作り出す施設であるが、莫大な稼働費がかかる欠点があった。

 だが、今の総大将はこれを逆手にとり、私腹を肥やすことを思いついたのだ。

 カラクリそのものは古典的で、地獄の四屍人を他の大衆と同じところへ置いておきながら、経理には奴らのために特別懲罰房を稼働させているとウソの報告をするのである。

 稼働費として支給される金は、そのままそっくり鬼たちの懐に入ると言うわけだ。

 閻魔は極めて多忙なので、定期監査を除けば地獄の運営は各階層の大将に任せきり。監査さえ乗りきれば、不正が表に出ることはまずあり得ない。

 だからこそ、定期監査を終えた今、特別懲罰房を本当に稼働させたままにするのは、鬼たちからすれば実にバカげた選択肢だったのである。

「総大将、つきましたぞ。こちらです」

 同行していた物頭の黄鬼が、声を上ずらせながら言った。

 何せ地獄の四屍人を監禁している場所だ。鬼の方がすっかり恐れをなしている。

「恐れるな。扉を開けい!」

 総大将のかけ声とともに、重厚な扉が音を立てながらゆっくりと動き出した。

「各々、武器をかまえよ。連中が急に襲ってくるかもしれんぞ」

 その指示に、鬼らは手にしていた斧や槍を構える。総大将自身、ホラ貝を吹く構えをした。

 すると──

「申しわけありませんでした! 今までのご無礼、お許しください!」

 剣山地獄の扉が開ききった途端、鬼らの目に映ったのは額を床につけて謝罪の言葉を唱えるホーネットだった。

 だがこれは驚いたのはそれだけでなく、他の3つの扉を開けてみれば、シズメ、ドラ=イミーラ、ゾフィアも同様に深々と土下座をしていた。

 てっきり長らく監禁されていた恨みを晴らしに襲ってくると思っていたので、鬼らはとたんに拍子抜け。どうして良いものか分からない。

「おい、これはどういうことじゃ」

 総大将が声を張ると、ホーネットが顔を上げ

「このたび私たちは、これまでの愚行を大いに反省し、おかしてきた罪の数々を償えるよう心を入れ替え、懺悔に励もうと思います」

「数え切れぬ蛮行が、この程度の謝罪で許されるとでも思うのか?」

 弱いものいじめが大好きな赤鬼が、ここぞとばかりに恫喝する。

「無論、存じております。これからもこの心を忘れず、日々の懺悔から鬼の皆さまへのご奉仕まで、できることは何でもさせていただく所存です」

 鬼らはいっせいに顔を見合わせた。長き星霜にわたり鬼の頭を悩ませ続けた問題児どもが、見る影もない。

「総大将、いかがいたしましょう。なんだか、話ができすぎている気もしますが」

 心配性の青鬼が総大将にそっと耳打ちをした。

「いきなり難航するよりはずっと良い。それに忘れるな、切り札はまだわしらの手の内にある」

 とホラ貝を見せると、周囲はなるほどとうなずいた。

「4人よ。今の言葉の真偽を確かめる。懺悔には明日から励むことにして、まずは今晩、わしらのうたげの供をするのじゃ」

「はっ」

 威勢のよい4人の返事が同時に鬼らの耳へ届いた。

 ──その晩。

「おーい、酒はまだか。こんなんでは全く足りんぞ」

「はいはい、ただいま」

 とゾフィアが、酒のはいったヒョウタンを抱えて、声を上げた鬼の席までかけつけた。

 かわいた杯に酒を注ぎながら、そっと総大将のお席につきっきりのホーネットをにらむ。

「他にやり方はなかったのか」

「仕方ないでしょ。少しくらい我慢しなさいよ」

 これは長年の友情が編み出した、2人の目の会話である。

 今日はこの地獄にいる鬼の上級幹部がいっせいに集まる月例の宴会で、さっそく4人はこき使われているのだ。

「なんだ、その手つきは。作法も知らねえのか」

「おいノロマ、早く働け。俺をどれだけ待たせりゃ気がすむんだ」

 今までゾフィアに手を焼かされ続けてきた鬼たちは、ここぞとばかりに彼女をいじめ抜くつもりのようだ。

 罵声を浴びせながら、殴ったり足蹴にしたり。普段のゾフィアならすぐに反抗しただろうが、今日は唇を噛みしめてひたすら耐えている。

 そう、今だけは耐えてちょうだい。ホーネットが祈るようにゾフィアを見つめていると、

「おい、どこを見ている」

 総大将がホーネットのアゴをつかみ、乱暴に自分の方を向かせた。

 ホーネットは、体は骨でも顔だけは美人なので、鬼の総大将が自分の横にずっと座らせ酒のお供をさせている。

 酒を温めて熱燗を作るのは、火を噴けるイミーラの仕事。それを運ぶのがゾフィア。シズメはと言えば、

「それでは成瀬川シズメ、これまでの反省をこめながら、一曲舞わせていただきます!」

 と、酒の席の芸として舞踊を披露しはじめた。

 この辺の鬼はみな、日本とかいう極東の島国の文化が大好きなので、その国出身のシズメはこれ以上ない適役なのだ。

 まあ、本人がお祭り大好きのお気楽っ子というのもあるが。

 本来の役割を忘れてないといいけど。その無垢で楽しそうな顔を見ているうちに、ホーネットの内に少しだけ心配な気持ちが芽生えた。

「へたくそ!」

「おととい来やがれ!」

 と、鬼たちはこちらにもいじめの矛先を向けだす。ただ、シズメはかなり図太いので、なじられながらもにこやかに躍り続けていた。

「おい」

 総大将に呼ばれ、ホーネットは振り返った。

「ああ、失礼しました」

「わしがどれほどこの日を待ったか、分かっているのか。くる日もくる日も、わしらの手をわずらわせおって」

「ええ。私たちも、もっと早く素直に頭を下げるべきだったと今では深く悔やんでおります」

 と答えながら、空いた杯に酒を注ぐ。

 総大将も、ほかの幹部も、酒が入ってすっかり緊張が途切れてしまっている。誰も4人を警戒している素振りさえ見せない。

「これ、酒を注ぐときはちゃんと両手を使わんか。言われんとそんなこともできんのか」

「失礼しました。しかし……」

 とホーネットが左腕の袖をまくる。骨しかないのはいつものことだが、今日は左手首から先がごっそりなくなっていた。

「先日、剣山地獄でついに砕けてしまいましたの。そしたら急に、私がいかに思いあがっていたか、後悔の念がふつふつと……」

「そうか、そういうことだったのか。もっと早く気づくべきじゃったな」

「本当にそう思っております」

 ホーネットは深々と頭を下げた。


   ※


 ──その頃、その砕けたはずの左手は、宴会場とは離れた場所にある事務室の中を、這いながら前へ進んでいた。

 砕けたというのは真っ赤なウソだ。ホーネットの体は、本体から離れていても自由自在に動かせるのである。

 もちろん、手に目や耳があるわけないので、文字通りの“手探り”で進むしかないのだが、今回は優秀なパートナーがいた。

「それにしても、ホネちゃんの体はすごいなぁ」

 とドロロは感心していた。

 この辺りの間取りは、この数十年に何度も潜入したドロロがよく分かっている。そして、ホーネットには何度もそれを説明していた。

 なので今日、ただの手にすぎないホーネットの手は道を1度も間違えることもなく廊下を突き進んでいるのだった。

 辺りに鬼はいなかった。事務員を任されている小鬼は、夜になると呑みに出てしまうのである。

「ホネちゃん、次の部屋だからね。間違えないでね」

 言ったって聞こえるはずはないのだが、それでもドロロは言わずにいられなかった。

 やがてその部屋の前まで来ると、ホーネットの手は壁を這いあがり、通気口を経由して部屋へ侵入。ずいぶんとスムーズだ。相当、練習したにちがいない。

 ドロロも壁をすり抜け、その後を追った。

 ここは様々な本が置かれた物置であり、様々なマニュアルや過去の帳簿などもここに保管されている。

 ドロロは実体がないので、1人で盗みに入ることはできない。そこでホーネットの手の出番なのである。

「あったよ、ホネちゃん。きっとこれだ」

 と指さささしたが、ホーネットの手はそれとはまったく関係のない、春画集をつかんでいた。手には目がないので、本の区別がつかないのだ。

「違う、ちがうよホネちゃん! それじゃないから、それは良い子が読んだらいけない本だから!」

 もちろん、手には耳もないので、ここで言っても伝わるはずがない。

 ドロロは壁をすり抜け、すぐに宴会場の裏側に駆けつけた。

「シズちゃん、聞こえる? ホネちゃんに、それの4つ右となりの本だと伝えて」

 宴会場はすでにどんちゃん騒ぎの真っ最中だったので、その声は壁のすぐ裏にいたシズメにしか聞こえなかっただろう。

 シズメは返事もなくうなずくと、あらかじめの打ち合わせ通りのジェスチャーを舞踊の中にそっと混ぜこんだ。

 そしてそれを、ホーネットが逃さずキャッチ。綿密な計算と長年の友情が織りなす、高度な連携プレーである。

 ドロロが物置に戻ったときには、既にホーネットの手は目的の物をつかんでいた。


   ※


 期は熟した。ホーネットはゾフィアらに目配せをしながら、

「ねえ、総大将様。1つ、大切なお願いがあるのですが」

 と猫なで声でささやいた。

「なんじゃ」

「実はこのたび、私たち、ハネムーンへ行こうと思っておりまして」

「誰とじゃ。わしか」

 総大将もだいぶ酒がまわっているらしい。これでよく鬼の大将がつとまるものだ、と内心笑いながらも

「いえいえ、私たち5人だけで、ちょっと現世まで」

「ち、ちなみに、私も数えられています」

 ドロロが壁を抜けてひょっこり顔を出した。

 一方、ゾフィアは急にムスッとした顔になり、

「なにがハネムーンだ。私はただ、現世へ脱獄したいと言っただけだぞ」

 と口をとがらせた。その言葉に、

「……今、なんと言った」

 その場の空気が一変する。

「貴様ら、自分等が何を口走っているか、わきまえておるのか? 今の言動だけでも、厳罰に値するのだぞ」

「それなら止めてみてよ。ボク、受けてたつよ」

 シズメが腕まくりをした。

「上等だ。いつぞやの恨み、ここで晴らさで──」

 と、酒で気が大きくなっていた黄鬼は手に大斧を握って立ち上がる。

 他の幹部級の鬼らも携えていた武器な持ち、我先にと戦う構えをとった。

 しかし、それも束の間。1人、また1人と、糸の切れたマリオネットのようにバタバタ倒れていく。

「バカめ」

 ゾフィアがせせら笑った。

「しばらく毒沼漬けにされてきた私が供した酒を、無警戒に呑むからそうなる。まあ、3日は起きんだろうな」

 と言っているうちに、総大将と側近の赤鬼と青鬼を残して、後の鬼はそろって夢の中。

「小癪な! そんな小細工に俺たちがやられると思ったか!」

「何か企んでいるとは思っていたが、こんな猿知恵だったとはな」

 と、側近の2赤鬼と青鬼が酒に盛られた毒をもろともせず立ち上がったが、

「君たちに用はないから、寝てていいよ」

 シズメが両手で2人の首根っこをつかむと、頭を勢いよくぶつけ合わせた。2人は目から火花を散らしながら、夢の中へ沈んでいった。

「おのれ、はかったな! 死人の分際で」

 総大将が鉄のホラ貝を手に取ったが、その途端、ホラ貝はものすごい力で総大将の手を離れ、ドラ=イミーラの手へ吸いついた。

「このイミーラさんを敵に回すなら、切り札は磁石にくっつかない素材で作るべきデスよ」

 と、ドラ=イミーラが冷笑を浮かべる。

「き、貴様ら。こ、こ、こんなことをしてただで済むと思うのか? 例えこの場では手も足もでなくても、こちらにはいくらでも報復の仕方がある」

 切り札を奪われた総大将が、滝のように汗をかきながらうなったが、

「そんなことも考えていない私たちではありませんわ、総大将様」

 とホーネットは複数の冊子を突き出した。ドロロと共に、物置から盗み出したものだ。

「そ、それは……」

「ええ。ここ数年の帳簿ですわ。それも、経理部へ提出された偽物とは違う“本物”です。これが閻魔様の手に渡れば、あなたの不正は暴かれ、あなたの地位も終わりでしょうね」

「貴様、鬼を脅すのか? 死者の分際で」

「ボクが悪いんじゃないよ」

 シズメが割って入った。

「脅されるようないけないことをしてきた方が悪いのさ」

「そういうことですわ。私の要求は2つです。現世への扉を開けること。今後の報告書に、私たちは慎ましやかに懺悔の日々を過ごしていると書き続けること。飲めないのなら、これを公にします」

「ぐっ」

 総大将の言葉が詰まる。

「も、もし公にしたら貴様らだってただでは済まんぞ。それ相応の厳罰が閻魔様より直接くだされるじゃろう」

「あいにく、私たちはおまえほど閻魔を恐れていないんでな」

 ゾフィアはあくまで涼しげだ。

「今の私たちの境遇は最悪だ。命もない、自由もない。もう失うものは何もない。むしろおまえを道連れにできたなら、それはそれでやった甲斐があるというものだ」

「狂っとる! バカな真似はよせ。おとなしく返せば、今日のことはなかったことにしてやる。それでどうだ?」

 ……総大将が似合わない猫なで声を出したので、ゾフィアは笑ってしまった。

「バカか、おまえは。私たちが聞きたい返事はイエスかノーかの二択だ。第3の選択肢などない」

「つ、強がるな。厳罰に処されると知りながら、閻魔様を呼べる愚か者がどこにいる!?」

「はったりだとでも言いたいのか? ふん、舐められたものだな」

 見た目は小娘でも、数々の罪で地獄の最下層へ落とされた大悪党なのだ。

 ゾフィアの顔は、人の顔とは思えないほど恐ろしい笑みで満ちていた。

「イミーラ。どうやら交渉決裂のようだ。この老いぼれのために、そのホラ貝で閻魔を呼んでやれ」

「言われなくても、そうしようとしていたところなのデスがね」

 とドラ=イミーラは、奪った鉄のホラ貝を吹く構えに入った。

「よ、よしてくれ!」

 総大将が泡を食いながら叫んだ。

「分かった、わしの負けじゃ。この通り、何でもするから、もういじめんでくれ」

 と、5人の前にひざまずく。

 その白旗宣言に、地獄の四屍人が思い思いの歓声をあげた。

 そして、

「いえいえ。こちらこそ、長らくお世話になりました」

 ドロロがぺこりと頭を下げた。

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