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名探偵・オブ・ザ・デッド  作者: Roxie
死霊のお引越し
18/18

大団円・オブ・ザ・デッド

「どうだい、最近は。何か、変わったこと、ありました?」

「そうね。いつも以上に、目まぐるしい日々だったわ」

 気さくなバーテンダーの問いかけに、真琴はそう答えた。

 ──二階堂の逮捕とそれによる事件の終息から数日。

 仕事帰りの真琴は、行きつけのバーへ立ち寄っていた。

 ここのマスターとの付き合いは長く、真琴が駆け出し社会人になった頃から、懇意にしてもらっている。

「良いじゃあないですか。店に閑古鳥が鳴くよりはね」

 とマスターが苦笑いする。

 失礼な話だが、この店で“自分たち”以外の客を見る機会は、そう多くない。

 確かに、立地には恵まれていないわね、と真琴は内心で呟いた。エレベーターもない雑居ビルの六階なのである。

「お金になる話なら私もそう思えたけど、家庭騒動じゃあね」

「ああ、そっちですか。……娘さん、いくつでしたっけ?」

「もう二十歳よ。そろそろ孫の顔でも見せてくれれば良いのに、色沙汰そっちのけで遊んでるわ」

 と愚痴をこぼして、お気に入りであるピスコのストレートを口にする。

「先生、なかなか来ませんね」

「仕方ないわよ。忙しい上に、私を焦らすのが好きな人だもの」

 と談笑していると、噂をすれば何とやら、入り口のカウベルがカラカラと鳴って

「すまん、すっかり遅れちまった」

 と、黒沼誠が入ってきた。

「本当よ。駆けつけ三杯、ストレートで呑んでもらおうかしら」

「あいにく俺は、旨い酒はロックで呑むと決めてるんだ。──マスター、適当に何か作ってくれ」

「かしこまりました」

 マスターがお通しの準備を始める。

 そもそも最初にこの店を見つけたのは黒沼の方で、以来よく真琴と落ち合うのに利用している。

 今は市立病院の医師なので時間を見つけるのも一苦労だが、ここで真琴と過ごす時間こそが、彼にとって最も心安らぐひと時なのだ。

 これを楽しみにしているのは真琴も同じであり、多忙な黒沼に合わせて時間を作れるように努力している。

 黒沼は真琴の隣に座りながら、

「まずは業務連絡だ。今日、飯倉聡子の意識が回復した」

「……ありがとう。その一報を聞きたかったの」

 真琴は安堵の微笑みを浮かべた。

「よく頑張ったと思うぜ。お腹の子までしっかり守り通したんだからよ。事件の全容は明らかになったって伝えたら、尼ちゃんとガキんちょ探偵に礼の言葉を伝えてくれって頼まれたよ」

「礼って言われてもね。むしろ、大変なのはここからよ。お母さんデビューが待っているんだから」

 と言って、口元でグラスを傾ける。

「同じ道を歩いた先輩として、手助けできるところはしてあげるつもりよ。昔はさんざん、世話になったからね」

「そういや、そうだったな」

 黒沼が笑うと、そこへマスターが酒とお通しを携えてもどってくる。

「何か、面白い話でもありましたか?」

「面白いと言っちゃ失礼な話だが、最近、大規模な詐欺組織が壊滅したってニュースがあっただろう」

 黒沼が答えた。

「ありましたね。最初はどこの話なんだろうってテレビ見ていたら、本当にすぐそこでびっくりしましたよ。なんでも、講演とウソをついて、来客に変なクスリを吸わせていたとか」

「おかげでうちの病院なんか、てんてこ舞いだ。何も知らず通っていた客から、どうしたら良いかって相談が絶えない」

 ──その通り、事件は終息した。

 首謀者の一人である浦部は死亡し、もう一人の二階堂も逮捕された。浦部の死を知った仲間たちは、恐れをなして大人しく捜査に応じているという。

 全ての始まりは、二階堂が企んだことだった。研究者としての地位を悪用し、規制の緩い海外から毒草の種を入手したのだ。

 これを、インチキ商法で細々と小銭を稼いでいた浦部に流し、手を汚さずにマージンを得る。それが二階堂の描いた絵図だった。

 このビジネスは浦部の悪知恵もあって容易く軌道に乗り、組織には莫大な金が入り込んでくるようになった。

 だがそんなある日、古参の部下だった飯倉伸介が組織を抜けると言い出した。飯倉はビジネスの全容を知る人間の一人であり、野放しにはできなかった。

 そこで彼の乗るトラックに細工をし、事故に見せかけて口封じを謀ったのだ。組織の秘密を守るために犯した殺人が、悠梨たちの介入を招き、壊滅に繋がったのだから皮肉なものである。

 洋館で焼き捨てられるはずだった数々の証拠は、シズメの迅速な消火活動により、ほとんどが焼却を逃れた。当然ながら駆けつけた警察に押収され、事件の全容解剖における決定打となったのだった。

 ただ、ひとつだけ──

「しかし、あの二階堂って先生も、自業自得とは言え哀れなもんだな」

「と言うと?」

 黒沼の言葉に、マスターが首をかしげる。

「証拠を焼くために放火したのに、自分が持ちこんだ毒草の煙にやられちまった。今はうちの特別病室にいるが、鎮痛剤も効かないほどの頭痛に苦しんでるよ」

 と、黒沼が説明した。

 真琴は口をつぐんだままだった。真実を知る“人間”は、悠梨と真琴だけである。

「マスター、何か適当にツマめる盛り合わせ、頼む。レーズンさえ入っていれば、俺は満足だ」

「かしこまりました。真琴さんは、どうします?」

「あればサラミをいただきたいわ。ないなら、何でも良いけど」

「もちろん、ありますよ」

 2人の好みは、マスターも良く分かっているのである。

 その準備にマスターが店の奥へ消えると、

「さっきから気になっていることなんだけど」

 真琴が黒沼の方を向いた。

「どうかしたか?」

「タバコの銘柄、変えた?」

「お、良く分かったな」

「どこの高級品か知らないけど、ずいぶん癖が強そうね」

 それを聞くと、黒沼は懐から自慢げにカートリッジを取り出した。

「どうだ? 久々に、吸ってみるか?」

「私? 遠慮させてもらうわ。もうやめたんだから」

「そうかい。しかし、成人して吸い始める奴は多いが、成人を機に止めた奴は君ぐらいだろうな」

 と苦笑する黒沼に、真琴はすまし顔で

「もうちょっと早かったわよ」

「それもそれでおかしな話だと思うが、まあ、いいか」

 正確には、悠梨を身ごもったと分かった頃の話である。

 あの頃の真琴は、まだ学生だった頃になるが、とにかく荒れに荒れていたのだ。

 それは享楽的とかならず者とか言うレベルではなく、もはや自暴自棄という形容が最も似合う有様だった。

 旧家のお嬢様だった真琴が、そんな転落をたどる発端となったのは──

「そう言や、その手、どうだ? まだ痛むか?」

 と黒沼が指摘したのは、包帯の巻かれた真琴の手だった。悠梨を助けだす際、割れたガラスで切ったのだ。

「もう平気よ。今日もジムでトレーニングしてきたけど、全然痛まなかったわ」

「呆れたな。医者からしばらく、激しい運動はよせと言われなかったのか?」

「全然」

「そうか。なら、俺がこの場で言ってやる」

 と、黒沼は心底呆れた様子でため息をつくと、

「でも、私は運が良かったのよ。これくらいで済んだのだもの」

 真琴はおもむろに語りだした。

「話したこと、あったわよね。私の両親と兄は、私が小さい頃にみんな火事で亡くなったわ。特に母は、一端は外へ逃げられたのに、逃げ遅れた私を助けるために戻って、それが原因で命を落とした。昔は分からなかったわ。あのとき、なんでそんな危険を冒してまで私を助けにもどったのかって。いっそ、あのとき私が死んでいたら、私は一人にならなくて済んだのにって」

 真琴はしばし、ピスコの水面を見つめながら口をつぐんだ。黒沼も、沈黙を守った。

「──でも、娘を持って分かったわ」

 先に沈黙を破ったのは真琴だった。

「悠梨が危ないって聞いて、いてもたってもいられなくなった。例え無事には帰れないと分かっても、あの子を助けられるなら、命なんて惜しくなかったわ。きっとあのとき、母も同じ気持ちだったのね」

 真琴はまぶたを閉じ、亡き母の面影を思い出しながら、しみじみと呟いた。

「良い母親を持ったわ」

「そいつはつまり、君も“良い母親”になったってことだ」

 黒沼が自然と頷く。

「……ありがとう」

 真琴は目を開けて、そっと柔らかい笑みをこぼした。

 ──チェイサーを口にする。ペース配分を間違えたのだろうか。顔が火照っていけない。

「そう言えば、話は変わるが」

 と黒沼が、新しい話題に換えてくれた。

「事件も無事収束したが、ひとつ、気になってることがあるんだ」

「なに?」

「あのダイエットやりすぎガール、どうなった? 霊安室に戻ったって話はまだ聞こえてこないが」

「ああ、あの子ね」

 真琴は真顔になって、

「先日、うちの養女にしてくれと頼まれたわ」

「……はあ?」

 マスターが盛り合わせを作り戻ってくるまで、黒沼はずっと開いた口がふさがらなかった……。


   ※


「ゆーうーりーちゃーん」

「ひーさしーぶりー」

「何よ、気味悪いわね」

 ゾフィアの荒療治による筋肉痛からようやく解放された悠梨。

 二階堂講師の逮捕を受けて一時はざわめきに満たされた大学も、もう悠梨と同様にもとの姿を取り戻していた。

 待ち受けていたのは、やはりと言うか、いつもの双子たちだ。

「いやー、心配しちゃったよ。突然、何日も休むんだもの」

「そうそう。もう、駆け落ちでもしたんじゃないかって」

「なんでそうなるのよ」

 悠梨は苦笑した。しばらく寝込んでいたので、何気ない日常すら新鮮に思えた。

「ちゃんと、その日ごとに連絡入れたでしょ。結構ひどかったんだから」

「そんなのメールでなら何とでも言えるじゃん」

「で、彼氏くんに看病してもらえたの?」

 からかっているのか本気で言っているのか、悠梨はだんだん分からなくなってきた。

「まあまあ、そこら辺は今度、じっくり聞かせてもらうよ」

「近いうち女子会で事情聴取やるから、ちゃんと予定を開けておくように」

 と、双子が目をギラつかせる。

 とても黙秘権の行使は許されそうもないわね、と悠梨は軽い頭痛を抱いたのだった。

 ──その日の授業を全て終えると、道草も食わず、悠梨は大学を後にした。向かうは、久々の安定堂だ。

 一応は病み上がりなので、今日は珍しくバイクはおやすみ。ひとまず、地下鉄の駅に向かって歩き出す。

 ちょうど交差点の角を曲がったとき

「あら、ユーリじゃない」

 と、ホーネットにばったりでくわした。

「ホーネット?」

「今、デート中なの。あ、そうだ、ユーリにも紹介するわ」

 と、にこやかに相手と思われる青年の手をとるが、

「あっ」

 悠梨と青年が同時に驚きの声をあげた。何せこの青年、数日前に悠梨がビンタした、あの浮気者の元カレだったのである。

「初めて会ったときから、ずいぶん優しくしてもらったのよ」

 とホーネットははにかんでいるが、青年の方はすっかり青ざめていた。

「あんた、まさかまた、何人もの女に手を出してるわけじゃないわよね」

 と悠梨が睨みを効かすと、

「あ、いや……、ゴメン、ちょっと今日は急用が!」

 と言い残して、泡を食いながら、スタこらさっさと逃げてしまった。

 よほど悠梨のことが恐ろしいと見えるが、反論もせず逃げたのでは潔白とは考えにくい。

「あら……」

 何も知らないホーネットが、ポカンとしながら彼の背中を眺めている。

「どうしちゃったのかしら」

「何か、やましいことでもあったんでしょ」

 悠梨は涼しげな顔で答えた。それでも心の内では、次にまた悪評が聞こえてきたら、今度は股間でも蹴りあげてやろうかと考えている。

 ──尼ヶ崎一族は代々、名だたる尼僧を輩出してきた。それは、尼ヶ崎の血をひく女は跳ねっ返りが強すぎて嫁ぎ先に恵まれず、仏門に入れるしかなかったからという説もあるようだが、悠梨がそれを知るのはもう少し先の話である。


   ※


「あ、ユリィさん。お体、よくなりました?」

 あのまま、ホーネットと共に安定堂までやってきた悠梨。

 毎度のことだが、ここへ来ると真っ先に顔を出すのはドロロである。

 実を言えば、筋肉痛で寝込んでいるとき、ちょくちょく自宅まで見舞金に来てくれたので、ドロロと会うのは久々でもなかった。

「おかげさまでね。みんな、いる?」

「はい。今日はみんなでガーデニングをする予定だったので」

「へえ、粋なことするじゃない。私も手伝うわ」

 と悠梨は腕をならした。

 そこに、

「お、ユーリくんも手伝ってくれるの?」

 とシズメがやってきた。

「ええ。何を植えるの? パンジー? チューリップ?」

「やだなあ、もちろん彼岸花だよ」

 なんとも死人しいチョイスである。

「そんなに人手はいらないデスよ」

 と、シズメの背後からドラ=イミーラが顔を出した。

「このイミーラさんが作った、全自動種まき機でいちころデス」

「それ、あのガラクタのこと? 種が詰まって壊れちゃったじゃないか」

「そんなの3日もあれば直りマス」

「皆で手作業した方がはるかに早そうね」

 と、悠梨は言った。

 しかし、まずはその前に、やらねばならないことがある。

「悪いけど、先に始めてて。ゾフィアにお礼くらい言いたいの」

 と言って、居間へ向かう。

 ドロロが言った通り、ゾフィアは古い座布団を枕に、すやすやと眠っていた。毛布も布団もかけず、お腹丸出しである。

 寝息もたてず静かに眠るその姿は死体そのものだが、両目を覆うように巻いたガーゼを見ると、悠梨の心が痛んだ。

 すると、

「ユーリか?」

 と、急にゾフィアがつぶやいた。

「なんだ、起きてたの?」

「人間の匂いがしたから、起きたところだ」

「人をニオイの元みたいに言わないでよ」

 と、悠梨が眉根を寄せたが、ゾフィアはそれを無視して

「どうだ、体の調子は。毒は抜けたか」

「やっとね。思いのほか、長引いたわ。……その目、どう? 痛まない?」

「バカ言え!」

 ゾフィアはいきり立つと、そのままガーゼを外してしまった。

 潰された両目は、もう外観では完全に元通りとなっていた。

「な、治ったの!?」

「見ての通りだ。ピントは多少ぼやけるが、今夜頃にはそれも治るだろう」

「……本当に、すごい体してるのね」

「地獄あがりを舐めるなよ?」

 驚くやら呆れるやらの悠梨に、ゾフィアは不敵に微笑んで見せた。

「そう言えば、ニュースで見たけど、あいつ、かなりひどい目にあっているみたいね」

「あいつ? ああ、おまえをさらった男か」

「ええ」

 と、悠梨がうなずく。

 二階堂がとんでもなく激しい頭痛で、取り調べすらままならない状況だと言うニュースを見たとき、すぐ悠梨はピンときていた。

 ゾフィアにさんざん噛みつかれたという話は、周りから聞いていた。

「当然だ。八つ裂きにするのは容易かったが、殺生は私たちにとっても面白くない。だから奴には、死すら許さん。自ら死を望むほどの苦痛を味わいながら、生かされる刑を処してやった」

 と、ゾフィアはけたけた笑った。

「もっとも、本物の地獄で浴びせられる苦痛に比べれば、子供だましにもならんがな」

「物騒ね。つくづく、あんたたちが味方側で良かったと思うわ」

「ふふん、そうだろう。ほれ、遠慮するな。思う存分、感謝すると良い」

「そう言われると、ありがたみもグッと減るわね」

 ここぞとばかりに胸を張るゾフィアを見て、なんだか悠梨はため息をつきたくなったが、ここはこらえて、

「でも、ま、あんたたちがいなかったら、私、何もできていなかったわね。感謝してるわ」

 と、本当は今日ここへ来て、一番言いたかった言葉を口にした。

 ……一陣の春風が安定堂の中を駆け抜ける。

 白い蝶が無邪気な翼をはためかせ、ゾフィアの癖っ毛にふわりととまった。

「ねえ、ひとつ訊いて良い? 答えにくいことかもしれないけど」

 と、いつになく悠梨は慎重な尋ね方をした。

「なんだ、おまえらしくないな。言いたいことがあるなら、ズバッと言ったらどうだ」

「そうね。じゃあ、言わせてもらうわ」

 なぜか言い出した側であるはずなのに固唾を呑んで、悠梨はゾフィアの目をした。

「あんた、何をして地獄に落ちたの?」

 その問いに、ゾフィアは少しも動じなかった。

 ──なんだ、そんなことか。そう言いたげな表情ですらあった。

「他の4人も同じよ。あんたたち、立派に“正義の味方”してたじゃない。正直、そんな悪い奴とは思えないのよ」

「片腹痛いぞ。言ったはずだ。私が正義の味方なんじゃない、正義が私の味方なんだと」

 ゾフィアは冷ややかに笑いながら、髪にとまっていた蝶を追い払った。

「第一、正義とか言う物は信用ならん。あれはいつも、勝った奴の味方だ。どんなに長年連れ添おうと、負けた途端に一瞬で逃げていく。とんだ尻馬乗りだ。……今回は私が勝った。だから正義が私の味方なのだ」

「そんな小難しい話じゃないと思うわよ」

 それだけは譲れないと言わんばかりに、悠梨が即答する。

「悪事を働いている奴がいた。それで困っている人がいた。だから悪い奴をこらしめて、困っている人を助けた。それだけで十分だと思うけど」

「そんなことを言えるのは、おまえが勝った側の陣営だからだ。負けていたら、何も言えまい」

「だとしても、向こうだって勝ち続けることはないはずよ。言うでしょ、驕れる者久しからずって」

「そんな小難しい日本語はシズメに言え。私は知らん」

 仏頂面になったゾフィアを見て悠梨は、そう言えばこいつ外国人だったな、と今更ながら思い出し。

「おまえこそ、そんなごちゃごちゃしたことを言っていないで、心を入れ替え悪党になったらどうだ」

 ゾフィアの目が輝いている。

「悪党は良いぞ。つまらんことには縛られん。欲と力があれば何でもできる。たった1度の人生、好きにやらなくてどうするんだ。ギラギラと欲望のままに輝き、最期は虫けらのように死ぬ。ユーリも、そういう生き方に切り替えてみないか?」

 どこか誇らしげに言葉を並べるゾフィア。悠梨はいったん、その全てを語らせるだけ語らせた。

 そして、言葉が終わった途端に、ゾフィアの目をじっと見据えながら、

「ねえ、もう1つ訊いていい?」

「何だ」

「もしかしてその言葉、あんたのお父さんの受け売り?」

 ──それが、悠梨が初めてゾフィアに目を泳がせた瞬間だった。

 燃え盛る洋館の中でゾフィアがふとこぼしたあの言葉、

「ギラギラと欲望のままに輝き、最期は虫けらのように死ぬ。それが悪党のあるべき姿なのだ。……私や、父上が、そうだったようにな」

 それを悠梨は聞き逃していなかったのである。

 もちろん、ゾフィアの父がどんな人物かは知るわけもないが、それでも悠梨の中には単なる勘とは言え、それなりの確信があった。

「そんな気がしたのよ。こんなチビのガキんちょの意見にしては、やけに筋が通っているんだもの。あんたはただ、自分が憧れた人の生き方を追っているだけなんでしょ?」

「そ、そんなことはないぞ」

 声が上ずっている。悠梨はくすりと笑って、

「良いのよ、格好つけなくて。むしろ親近感が湧いたわ。私も、似たようなものだから」

 と、言った。

「昔ね、私、ここにじっちゃんと住んでたのよ。お母さん、いつも夜中まで仕事してたから。じっちゃんはもう天寿を全うしちゃったけど、今でもあの日のことははっきりと思い出せるの。厳しい人でね、曲がったことは許さなかったわ」

 もう今となっては昔のことだ。幼かった頃は、縁側に連れられて、曾祖父の膝に座りながら色々な話を聞かされたものだった。

 尼ヶ崎一族に関する伝承も、正しく生きるために必要な心がけも。母の帰りが遅いことへの不満を述べ、諭されたこともあった。

「さっき私が言ったのも、なんだかんだ言って、じっちゃんの教えよ。だから、良いんじゃない? あんたの価値観は正直好きになれないところもあるけど、その自分なりに筋を通しているところは好きよ」

「おい、ユーリ。あんまりおちょくると、また噛みついてやるぞ」

 ゾフィアは肩をいからせた。心なしか、ゾフィアにしては血色が良い。

「バカになんかしてないわよ。ただ、そう思っただけ」

 悠梨は動じない。むしろそわそわしていたのはゾフィアの方だったが、しばらく悠梨をキッと睨み続けた後、

「もういい! 負けた!」

 と、大の字に体を投げ出してしまった。

「……ここまで踏み込まれたのは初めてだ。まったく、調子が狂う」

 と、仏頂面をしてみせると、それから天井を見上げ、おもむろに語り出した。

「前々から思っていたが、ユーリ、おまえって奴はとことん、生かしておくには惜しい奴だな」

「また妙なことを言い出したわね」

「黙って聞け。おまえばかり言いたい放題というのは癪だ」

「はいはい」

 悠梨は、なんだか、妹でも持ったような気分になってきた。まあ、満更でもないが。

「地獄にいた頃の話だが、私は色々な毒に満ちた牢によく入れられてきた。まあ、その環境に体を慣らしていった結果、鬼どもをけちょんぱんにできる力を得たのだから、奴らにしたら皮肉なものだろうな。……だが、私にも敵わなかった毒がひとつだけあった」

 いつになく、ゾフィアは自嘲げな笑みをこぼしている。

「……孤独だよ、ユーリ。人の心を蝕む、この私ですら敵わなかった最強最悪の毒だ」

 いつものさばっていたゾフィアが、今はなんだか小さく見える。

 でも、こんな大きさだったのかもしれない、と悠梨には思えた。このところ超人的な活躍の連続だったゾフィアだったが、今の姿はただの小さな女の子のものだった。

「地獄の獄吏は、囚人が団結しないように、とことん疑心暗鬼にさせるんだ。そうして孤独に蝕まれた奴は早かれ遅かれ、人としての心が壊れてしまう。そしたらいよいよ、与えられた罰に苦しむだけの廃人のできあがりだ」

 ゾフィアの言い方は淡々としていたが、それがかえって、達観に至るほど重ねてきた苦労を物語っているようにも見えた。

「私も最初は一人で耐えようとしたが──笑うなよ? いいな?

──やっぱり一人は寂しかった! だから、同じ頃に地獄へ落ちた奴らと徒党を組んだのだ。短足にハレンチにネガティブにザル頭と、まともなのは私しかいないが、一人よりはマシだった」

「あんたも十分、ぶっとんでるわよ」

 危うく笑いそうになった悠梨をゾフィアが睨む。

「話をそらすな。……そういうわけだ。ユーリ、おまえも私たちの仲間になれ。おまえほど気のおけない奴と、このまま別れるのは惜しい。もちろん、今すぐ死ねとは言わん。生きたままで良いぞ」

「私は、もうとっくに、仲間扱いしてもらえてると思ってたけど?」

 と悠梨が答えると、ゾフィアは体を起こしながら

「一回くらい改めるのも悪くはあるまい。困ったことがあったら、いつでも来い。親友のよしみとして、特別の特別に、話くらいならタダで聞いてやる」

「親友のよしみにしては、やけに居丈高ね」

「この方が私らしくて良かろう」

「それ、自分で言うセリフ?」

 と、悠梨は豪快に笑い飛ばした。

 草葉の陰から曾祖父が見ていたら、嫁入り前の身なのにはしたない真似をしおって、と嘆いたかもしれない。

 そこへ、

「わーっ、ゾフィ、助けてー! 蜂に刺された! 死ぬぅ!」

 と、聞きなれた情けない悲鳴が庭の方から飛んできた。

「情けない奴め」

 やれやれとかぶりを振りながら、ゾフィアが立ち上がる。

「行くぞ、ユーリ。あいつを鼻で笑いとばしてやる」

 と言いつつ、庭へ一目散。

 居間に一人となった悠梨は、なんだか急に可笑しさがこみあげてきて、ついに笑ってしまった。

 ──ホラー映画ではよく、“ゾンビの仲間入り”なんて言葉が出てくるけど、まさか私がそれを遂げちゃうとはね!

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