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名探偵・オブ・ザ・デッド  作者: Roxie
死霊のお引越し
16/18

おまえの仕業だったのか

「ユリィさん」

 墓石の影からドロロがぴょこんと顔を出した。

 やっぱり、悠梨が安定堂へ来ると、最初に気付くのはこの子なのである。

 MUセミナーセンター壊滅、および真琴が地獄からの訪問者の真相を知ってしまってから一夜が明けた。

 午前中の講義はサボらせていただくことにして、今日はどうしてもここへ来なければいけなかったのである。

「ドロロ、おはよう。みんな、いる?」

「はい。ゾフィってば、今日の朝ごはんは贅沢なご馳走にするって張り切ってます」

「ご馳走ねぇ」

 そんな材料がどこで手に入るというのか。悠梨は不思議に思ってしまった。

 しかし、この5人の中で食事へのこだわりが最も強いのがゾフィアである。

 ドラ=イミーラは自分の体の機械化のために、胃腸を切除してしまったという。ホーネットも骨しかないので、何も食べられない点は同じだ。

 ドロロは一見、体のパーツが全部そろっているように見えるのだが、そもそも実体がないのでどうしようもない。

 シズメは食事こそ可能なものの、お店に連れて行ってあげても

「全部」

 これしか言わない。

 その点、ゾフィアは意外にもこだわる気質。もしかしたら、本当にご馳走でも作ろうとしているのかもしれない。

 安定堂の庭先まで来てみると、

「なんだ、ユーリか。さては匂いを嗅ぎつけて来たな?」

 ゾフィアが火おこしをしていた。その隣には、竹かごに山盛りになった山菜やキノコ類。

「本来なら全部私のものだが、私は気前が良いからな。特別に、半分の半分の、そのまた半分の中から、一割くらいくれてやっても良いぞ」

「ちっとも気前が良くないじゃない」

 悠梨は眉をひそめたが、それは決して、分け前の問題ではなかった。

 贅沢なご馳走とか言いながら、実際はただの肉抜きバーベキューじゃないか、とも思ったが、それも些細な問題だ。

 本当に深刻なのは、竹かごの中に入っていたキノコが、

「俺を喰う気かい、姉ちゃん。今夜はあんたのお通夜やで」

 と挑発しているかのような毒々しい色をしていたことだった。

 いくら悠梨に派手好きの気があるとは言え、こんなけばけばしいキノコなど食べられたものではない。

「これ、どう見ても毒キノコじゃないの」

「当たり前だ」

 ゾフィアは意外にも頷いた。

「キノコだけじゃないぞ。これらの葉物も、全て毒草だ」

「分かってて食べる気?」

「昨日、あれだけ毒を使ったんだぞ? もう体内の毒が枯渇しかかっている。こういうときは、パンチのある物を食べて精をつけないといかんのだ」

「どういう理屈よ」

 悠梨は早くも呆れのため息をついた。死人の理屈にはついていけない。

「何とでも言え。まだ死んでもいないおまえなんかに、分かるものか」

 ゾフィアは一向に気にすることもなく、熱心に原始的な道具で火おこしに励んでいる。

「イミーラに火を噴いてもらえば?」

「嫌だ」

 と、ゾフィアは反射的に答えた。

「イミーラさんだって、見返りのない燃料の浪費はお断りデス」

 安定堂の中から声が飛んでくる。聞こえていたらしい。

「あんな奴の力を借りなくても、ほら見ろ、あと一息だ」

 とゾフィアが言う通り、もう枯れ葉の山が煙を上げている。

「まあ、火事にだけはしないでよ」

 もう悠梨としては、心配なのはそれだけだった。

 ここ数日、雨も降っていないので、木造建築の安定堂はだいぶ乾燥しているのだ。

 万が一、火が燃え移ってしまうと、消防隊が駆けつける前にここは消し炭である。

「ついた!」

 ゾフィアが歓喜の声をあげた。枯れ葉の山が火を噴き上げたのだ。

 すぐに乾いた小枝を寄せ集めると、小さな火はたちまち、焚き火くらいの大きさになった。

 さて、いざバーベキュー、とゾフィアが鼻歌を歌いながら具材を火にかけようとした、そのとき。

「火事だ!」

 古井戸からシズメが、目を輝かせながら飛び出した。

「火事だ、火事だ!」

 と大声を張り上げながら、こちらを向いて、力士が相撲前に塩をまくのに似た動作をする。

 ただ、その手先から撒かれたのは塩ではなく、どこにそんな水があったのかというくらいの高圧放水。

 ゾフィアも焚き火も食材も、まとめて吹っ飛ばされた。


   ※


「バカか、おまえは!」

 ゾフィアが噛みつきそうな顔で叫んだ。

「どう見たってバーベキューだっただろうが! 何が火事だ、おまえの目は節穴か! バカめ!」

「ゾフィアくん、火事になってからじゃあ、遅いんだよ」

 シズメは寸分も反省していないようで、むしろ熱く意気込みながら、

「君は見たことないと思うけど、江戸の火消しは本当に格好良かったんだ。駆けつけること春風の如く、火を鎮めること時雨の如し!」

「そんなことは訊いていない! このバカ! バカ! バカぁっ!」

 血の気の足りないゾフィアにしては、珍しく顔に血が昇っている。

「どう収集つけるの、あれ」

 ちょっと離れたところに避難していた悠梨が尋ねた。

 騒ぎを聞きつけたホーネットが、堂内から出てきて、

「普段なら腕っぷしで叩き伏せるんでしょうけど、相手がシズメなら、ゾフィアも分が悪いわね」

「へえ。やっぱり、シズメの方が強いの?」

「そうなの。ゾフィアって、ああ見えて、勝ち目のない戦いは避けるのよ」

 とホーネットが語っていると、シズメがゾフィアに対し

「よし、分かった。ボクも元は士族だ」

 とうなずいてみせた。

「どちらの言い分がもっともか、ケンカで白黒はっきりさせよう。いざ尋常に、勝負!」

「さてはおまえ、微塵も反省していないな!? 誰がおまえなんかとケンカしてやるか、バカめ!」

 すっかりゾフィアはご立腹だったが、それでもホーネットの言うように、手を上げることもなく不貞腐れてしまう。

「見ていられないわ」

 悠梨が、ゾフィアに背を向けるような形で2人の間に割って入った。

「ちょっと、シズメ。最初から見ていたけどね、この一件、悪いのはあんたの方よ。ケンカする暇があるなら、火おこしでも手伝ってあげなさいよ」

「ボク? そうかなぁ……」

 と、怒ってはいないものの、どこか釈然としない様子。

「そうよ。ゾフィアは単に、朝ごはんのために火を起こしていただけなんだから」

「朝ごはん? なぁんだ。それなら、厨房なり囲炉裏なり、適した場所があるのに」

「バーベキューだと言っただろうが。バカか、おまえは」

 ゾフィアが悠梨の背後から顔を出す。

「あんたもあんたよ」

 と、悠梨がゾフィアをたしなめた。

「シズメが横文字に弱いの、あんたならよく知ってるはずでしょ。バカめバカめと感情的に騒いでないで、少しは分かるよう説明してあげなさいよ」

「おまえ、どっちの味方だ」

「自分で正しいと思ったことを言っているだけよ」

 胸を張って堂々と言った悠梨を、ゾフィアはジロリと面白くなさそうな目で見ていたが、

「ふん。まあ、いい。もうお腹がぺこりんぼで、怒るのもバカらしくなってきた」

 と、いくらかトーンダウンしたようである。

「シズメ、ひとまず乾いた薪を持ってくるぞ。ここのは、おまえが濡らしたせいで、使い物にならん。持ってきたら火おこしだ」

「うーん、火はつけるより鎮める方が得意なんだけど……。まあ、ボクにも落ち度があるみたいだし、頑張るよ」

 とシズメはゾフィアに連れられて、物置の薪置き場へのんびりと歩いて行った。

「やるじゃない。名仲裁だったわよ」

 ホーネットが悠梨の肩に手を置いた。

「あのゾフィアが素直に引き下がるなんて、そうはないわよ」

「でしょうね。なんとなく、分かってきた気がするわ」

 と、悠梨は答えたが、今日は雑談しに来たわけではないのだ。

 あまり脱線はしていられない。

「それより、報告したいことがあるのよ。中で話すから、集まって」

 ──というわけで、悠梨と死者たちは、そろって居間へ集合した。

 この春先に火鉢を使うのは何かおかしい気もするが、ゾフィアはこれでバーベキューをやると言い張って聞かなかった。

「見て、これ。MUセミナーセンターのことがニュースになってるの」

 と、悠梨は今日の朝刊を皆が見える位置に広げた。

「例の毒草を違法に保管していた容疑で、幹部職員数名が逮捕。組織にも営業停止処分が下されたんですって」

 この一報は、朝のワイドショーでも大々的に取り扱われていた。

 捜査本部は既に、組織的な詐欺事件としても捜査を進めているようで、全容解明に向けて取り調べが始まっているらしい。

「それで、最大の功労者たるイミーラさんを称える声は、どこに書いてあるんデス?」

「安心して良いわよ。私たちのことは1文字たりとも書いてないから」

「なんデスって?」

 ドラ=イミーラが目をひんむいて、

「王家の血をひくこのイミーラさんが、ここまで助力してあげたのデスよ? それを、無視デスって?」

「良いじゃない。正義の味方は表舞台に出ないものよ」

「正義の味方? イミーラさんは正義そのものデス。一挙一動すべてが正義と言っても過言ではないのデスよ」

「おまえに名乗られるようでは、いよいよ正義も大安売りだな」

 ゾフィアが火鉢を見つめながら毒づいた。

「私は安心したわ。あまり悪目立ちすると、後が面倒になりそうだもの」

 ホーネットは、昨晩、真琴に正体がバレて肝を冷やしただけに、危機感が違うようだ。

「悪目立ちでも良いから、1回くらい目立ってみたい!」

 まったく目立たないドロロらしい主張である。

「それは大した問題じゃないの。それより、この一文よ。“事件に関与していたとみられる浦部代表取締役は通報直後に失踪しており、警察で行方を追っている”ですって。建物に保管されていた現金も、いつの間にかなくなっていたみたいよ」

「やっぱり」

 と、ホーネットがうなずいた。

「何か知ってるの?」

「昨日の夜ね、それらしい人を見かけたのよ。顔を隠していたから確信が持てなかったんだけど」

「それなら骨の1本くらいへし折ってくれば良かっただろう」

 ゾフィアが毒キノコを串にさしながら、冷やかにホーネットの方へ目をやる。

「まさか逃走中とは思わなかったの。シズメが懲らしめてくれただろうから、きっとお縄になったものだと」

「ボク? ちゃんと釘を刺してきたよ。次に悪さをしたときが年貢の納め時だって」

「それで見逃したのか? 情けないぞ」

 ゾフィアの責めるような目つきがホーネットからシズメに移った。

「そんなこと言われたって困るよ。向こうは無抵抗だったんだ。そんな相手に、ボクから手をあげるわけにはいかないさ」

「地獄に落ちた悪党の分際で、今更、綺麗事を吐くな」

「どれほど堕ちようと、ボクにだって誇りってものがあるんだよ」

「それで仕留め損なっていたら、世話がないだろう。バカめ」

「今更ここでケンカしたって、何にもならないでしょ」

 また悠梨が割って入る。

「それに、指名手配されているんだから、逃げられっこないわ。これ以上の悪事なんて、夢のまた夢ね」

「つまりこれで終わりというわけか。つまらん小悪党の寄せ集めだったが、末路までぱっとしなかったな」

 と、ゾフィアはよくあぶった毒キノコを口に放り込み、

「それに比べ、このキノコはなかなかイケるぞ」

「比較になってないわよ」

 悠梨は笑いながら

「でも、これで一件落着ね。それを、力を貸してくれた皆に報告しに来たの」

「その話、電話ではダメだったんデスか?」

 ドラ=イミーラは、せっかく手に入れた携帯電話を使う機会に飢えているのである。

「そんなの、味気ないじゃない」

 と、悠梨は笑いながら答える。

「うん、確かに塩気が足りないな。次までに岩塩を用意しよう」

 ゾフィアは、もうバーベキューのことしか考えられないようだった。

 するとホーネットが、

「わざわざ教えに来てくれたのね。ありがとう。でもユーリ、あなたの都合は大丈夫?」

「うん、まあ、さすがに学校に行かないとね。今週、けっこうすっぽかしちゃったから」

「私たちのことなら心配いらないわ。だいぶ、現世の勝手も分かってきたし」

「そう? それなら、私も安心して行けるわ。じゃあ、終わったらまた、顔を出すわね」

 ──墓地の端のけもの道から、悠梨が山を降り始めると、

「ユリィさん」

 珍しいことに、いつもは必ず誰かと一緒にいるドロロが、たった1人でついてきた。

「どうかしたの?」

「あの、その……、ユリィさんが今から行くところに、私のこと、連れていってもらっても良いですか?」

 予想だにしていなかった言葉に、悠梨が目をぱちくりさせて、

「今からって、私、ただ学校に行くだけよ?」

「その“学校”ってところに行ってみたいんです」

 ドロロにしては珍しく、意思がはっきりしている。

「こんな何の取り柄もないネガティブな私ですけど、ホネちゃんの足元に及べるくらい賢くなれたら、少しはポジティブになれるかなって思って」

「連れていくのは、別に良いけど……」

 と、悠梨は答えた。

「でも、まずはもっと自分に自信を持ったら?」


   ※


「はわわわわわわわ、死ぬぅ!」

 またか、と悠梨はため息をついた。

 ここまでに何度、このセリフを聞かされただろうか。

 悠梨は今、一緒に学校へ行くと言ったドロロを、バイクの後方シートに乗せて通学中なのだ。

 しかし、ゾフィアが悪酔いし、ホーネットが転げ落ちたバイクの二人乗り。そしてドロロは、停止・発進のたびに「死ぬぅ」「死ぬぅ!」。

「あんたねぇ、もう既に死んだんでしょ? 今さら、死ぬ死ぬって怖がらないでよ」

「それとこれとは別問題で──、わーっ、い、い、命だけはお助けをーっ」

 まるで死者としての自覚が足りていない。

 もし悠梨が国語辞典の編集に携われる立場だったら、本気で“死人に口なし”という文句を削除していたに違いない。

「ともかく、もう少しで着くんだから、辛抱してよ」

「が、頑張ってみます。私はポジティブ、私はポジティブ! 日向ドロロ、強く正しくたくましく生きま──やっぱり無理です死ぬぅ!」

 ──駐輪場へ着いたときには、もうドロロは頬が痩せこけているようにすら見えた。

「ユリィさん……、現世って、危険でいっぱいなんですね……」

「慣れれば、たいしたことじゃないわよ」

 実に率直な心境であった。

「それにしても、ここが学校ですか。ずいぶん、大きいんですね」

 と、ドロロはすっかり呑まれている。

「まあね。好きに見てきてもいいわよ。私にくっついてきても、場合によっては対応できないかもしれないし」

 どうもドロロは普通の人間には感知できないらしい。

 なので、周囲に人の目がある場所で会話すると、悠梨は、自分が独り言の大きな人間と思われてしまうのではないかと心配だったのだ。

「でも、道に迷うと大変なので、ユリィさんにくっついていかせてください。いない子扱いされても、かまいません」

「わかった。それじゃ──」

 と悠梨がうなずきかけた、ちょうどそのとき。

「悠梨、はよちゃん」

「ニュース見た? マジ、ヤバくない?」

 と背後から悠梨の両肩に、いきなり双子が手を回してきた。

「え、ええ、おはよう。ニュース? ああ、あれね」

 と悠梨、なるべく平静を保ちながら双子の手を払う。

「学校ってすごい! 同じ顔が2人いる!」

 まったく見当違いの感動を抱いているドロロを無視して、

「MUセミナーセンターが、詐欺組織だったって話でしょ? どこのチャンネルでもそれだったものね」

「あんなの、どうだって良いっしょ!」

 双子が異口同音に抗議の声をあげた。

「それよりさぁ、ほら、やってたじゃん。陸上王子、ついに結婚!」

「マジかー、独身やめちゃうのかーって、悠梨も思ったでしょ?」

 悠梨はずっこけた。

 陸上王子と言うのは、本名は忘れたが、最近調子の良いハンサムな陸上選手につけられた愛称である。

 悠梨としては、手の届かないところにいる男なんぞに興味はないのだが、このミーハーな双子がそろって熱を上げていたのだ。

「そっちの方が、よっぽど、どうだって良いわよ」

 と、冷ややかに切り捨てると、

「ちっとも良くない!」

「こういうとき、彼氏のいない女は危機感を持たないといけないの!」

 と、双子が怒り出す。

「しかもさ、聞いた? 悠梨がこの前、盛大にフッた二股先輩、もう新しい女の子を捕まえたんだとさ」

「さすがにあれは極端だと思うけど、悠梨もあれの半分くらいはガっついていかないと、イイ男が枯渇するぞ」

「あんな奴を参考にする気はないわ」

 と、悠梨は顔をしかめた。

 すると双子の片方が、もう片方へ流し目で視線を送りながら、

「いや待て、兄弟。よく考えたらさ、ほら、悠梨には、いるじゃん」

「ああ、そう言えば、いたねえ。成瀬川くん」

 悠梨の知り合いに成瀬川という苗字の人物はシズメしかいない。

「やっぱ、付き合ってるんしょ?」

「だよねえ。この前、変だと思ったんだ。どんだけアプローチかけても、まるで脈がなかったし」

 そりゃあ、そうだろう。シズメも一応は女なのだし。

 悠梨はなんだか、相手にするのもバカらしくなってきた。今朝のひと悶着をさえ見せられれば、この二人もきっとげんなりして他の男を探し出すに違いない。

 が、ひどいことに

「ユリィさん、シズちゃんとそういう関係だったんですか!?」

 すっかり真に受けてしまったドロロが、赤くなりながらあたふたしている。

「あ、か、か、過呼吸なっちゃいました! 苦しい、助けて! 死ぬぅ!」

 もし泣けば許されるのなら、悠梨は喜んで泣いただろう。それくらい、嫌になってきていた。

「ふーん、おちょくってるの? それ、後先考えてやってる?」

 と、挑みかかってみせる。

「望むところじゃん。な、兄弟」

「おうよ。絶対、寝とってやる」

 と、双子も退く気がない様子。勝負のベクトルはかなりずれているが。

 ここまでくると、悠梨は一周して心配になり始めた。──こいつら、シズメが女だと知ったら、並んで寝込むんじゃないかしら。

 すると、ちょうど話に割り込むように、悠梨の携帯電話が鳴りだした。

「待って、電話来たから」

 と、悠梨が確認してみると、なんと相手は講師の二階堂。

 そう言えば、役立てられなかったとは言え、協力してもらったのは事実だし、まだお礼は言ってない。

 ついでに礼を言いに行くアポでも取るか、と思いながら電話に出る。

「はい、尼ヶ崎です」

「二階堂だ。実はね、君が持ってきてくれた植物のことだが、とても重要なことが分かったんだ。事態は僕らが想像していたより、はるかに深刻かもしれない」

 平静を保っているように聞こえるが、それでも言葉の端々に焦りの色がわずかに見えた。

 釣られて、悠梨の顔も固くなる。

「先生、それ、どういうことですか?」

「電話だと少し話しにくい。君に見てもらいたい物もあるからね。できる限り早急に、僕の部屋へ来てくれないか?」

「分かりました。それなら、今すぐでも良いですか?」

「その方が助かる。すぐ来てくれ」

 電話はそこで切れた。

「悪いけど、急用が入っちゃったの。また後でね」

 と、悠梨は双子の返事も待たずに、その場を後にした。

 ──カフェの横を抜けて、多くの研究室が入っている建物に入ると、エレベータはちょうど1階にあった。

「これが、エレベータ、ですか?」

 上に登っている間、ついてきたドロロが問いかけた。

 他に誰も乗っていないので、悠梨は気兼ねなく、

「ええ。やっと乗れたわね」

「なんだか、天に召されている最中みたいな気分です」

 というドロロの感想に、悠梨は、返す言葉をついに思いつけなかった……。

 二階堂の部屋の前にたどり着くと、

「ここに、その先生がいるんですか?」

 とドロロがまじまじと扉を見つめている。

「ええ。ちょっと話、してくるわ。どうも大切な話があるみたい」

 そう言って、悠梨がドアをノックし、中に入る。

「やあ、尼ヶ崎くん。待っていたよ」

 二階堂は、ちょうどコーヒーを淹れているところだった。

「先生、何か重大な話があると聞いて、来たのですが」

「そうなんだ。しかしどうも、浮足立っていけない。気を落ち着かせるために、コーヒーを淹れていたところでね。君のぶんも淹れよう」

「ありがとうございます」

 悠梨は、そばの丸椅子に腰かけた。その隣にドロロが座る。

 室内はこの前に来訪したときから、あまり変わってはいなかったが、以前はなかった大きな台車と空の段ボール箱が目についた。

「さあ、どうぞ。砂糖とミルクも使うかい?」

「お願いします」

「わかった」

 と、二階堂が悠梨の前にコーヒーを置く。

 何の対応もしてもらえなかったドロロが、

「あの、やっぱり私は数えられてないのですか?」

 と、上目づかい。そして、それも当然のように無視された。

「それで、先生。話というのは?」

 悠梨が促すと、二階堂はえらく真剣な顔つきになった。

「実は。今日の朝刊を見たのだが、あのMUセミナーセンターというところで何やら大規模な捜索が入ったらしい。なんでも、麻薬が大量に見つかったのだとか」

「私も見ました」

 と、悠梨はコーヒーを一口飲んで、

「実は一昨日、見てもらったのも、そこから持ち出した草だったんです」

「やっぱりね。そういうことなのだろうと思っていたよ」

 と、二階堂は言った。

「だとすれば、おおよその出所も見当がつく」

「本当ですか?」

「ああ。それは──」

 そのときだろうか。ふと、悠梨の中で不快な違和感が鎌首をもたげた。

 前にも、どこかで覚えたことのある感覚だ。どこだっただろうか。

 ふいに悠梨の足元から床の感覚が消え、無重力の悪酔いが頭を揺さぶった。

 そうだ、初めてMUセミナーセンターへ行ったときだ! 講演が始まって、空調が毒草の煙を吐き出したときに──。

 でもそれが、いったいなぜ、今になって──?

「ユリィさん? ユリィさん、しっかり!」

 ドロロが呼ぶ声も次第に遠のいていき、ついに悠梨は机に突っ伏して、あのときのように意識を失った。

「ユリィさん! ……あの、この辺にお医者様っていませんか!?」

 ドロロは、どうせ相手にされないことは分かっていながら、それでも二階堂に尋ねた。

 しかし、その二階堂は、目の前で来客が1人倒れたというのに、顔色1つ変えていなかった。さも全てが予定調和だと捉えているかにすら見えた。

 何食わぬ顔で自分のコーヒーを飲み干すと、二階堂は立ち上がった。

 気を失っている悠梨を抱えて、部屋のすみに置いてあった大きな段ボール箱の中に入れると、そのふたをテープで閉じてしまう。

「あの、何を……?」

 ドロロが声をかけたのにも気づかず、二階堂はその箱を台車に乗せて、携帯電話を取り出し、

「僕だ。礼の小娘を確保した。今からそちらへ向かう」

 と電話している。

 さっとドロロは青ざめた。

 今、目の前で起きていることを看過したら、とんでもないことになる。そんな不穏な流れを、その臆病な心で感じ取ったのだ。

 だからと言って、ドロロは誰にも感知されない、何にも触れられない、とかことん無力な浮遊霊。この一件は、とても手に負えるものではない!

「誰か、助けて!」

 ドロロは走り出した。扉をすり抜け、校舎の壁もすり抜けた。

 ここは1階ではないので、当然ながら地面に叩きつけられたが、そこは地獄あがり。これで参るほどヤワではない。

 すぐに立ち上がり、群衆も建物もすり抜けて、ドロロは安定堂のある山の方へ走り続けた。

 大した取り柄のないドロロも、逃げ足だけは超音速。重さのない体なので、本気で走れば恐ろしく速いのである。

「助けて、ゾフィ! 緊急事態!」

 車や自転車など、普段なら脅威を抱くだろうあらゆる物を振り切って、ドロロは安定堂へ走った──。


   ※


「何か足りないと思ったのよ」

 ホーネットが独り言をつぶやいた。

「まだ、返してもらっていないんだった」

 と、小指の骨が欠けた自分の左手をまじまじと見つめている。

 ──今日は、今までさんざん暴れてきたこともあり、休養(骨休め、とも言う)をとることにしたのだ。

 ゾフィアはすぐ横で、シズメは井戸の底で、それぞれ昼寝中。ドラ=イミーラは機械いじりに夢中だ。

 ドロロは、悠梨の学校へ行ってしまったが、上手くやれているだろうか。

 まあ、ドロロの場合、どんなヘマをやらかそうと全然目立たないので、大きな問題に直結しないだろうが。

「それに、ユーリも一緒なら大丈夫よね」

 と、自分に言い聞かせていると、

「助けてーッ、エスオーエス! 一大事なの!」

 噂をすれば影、そのドロロが泡を喰いながら転がりこんできた。

「やかましいぞ。ねむねむしてるのが見て分からんのか」

 と、ゾフィアがうわ言のように吐き捨てた。

「あなたにとっての一大事なんて、どうせ大した話ではないデス」

 ドラ=イミーラも、目もくれようとしない。

「ゾフィもイミィも、呑気なこと言ってる場合じゃないよ! ユリィさんが危ないの!」

「ユーリが?」

 いち早く反応したのはホーネットだった。

「ドロロ、詳しく聞かせて」

「うん。さっき、学校の先生がユリィさんにコーヒーを出して、それを呑んだらユリィさんが気絶しちゃって──」

 ドロロはあまりに早く舌を動かしたので、ちょっと詰まってしまったが、一息おいて、

「それで、その先生がユリィさんをどこかへ連れ去ろうとしてるの!」

「なんですって?」

 ホーネットが驚きの声をあげた。ドラ=イミーラは眉を寄せ、

「それで、あなたは何もせずにここへ来たんデスか?」

「だって私じゃ何も……」

「そうよ。ドロロなら、私たちへすぐ知らせに来るのが正解よ」

 ホーネットが擁護にまわる。

「後は私たちが引き受けるわ。……ゾフィア、起きなさい!」

「そうかそうか……。葬儀は立派に出してやれ……」

 まだ寝ぼけているのだ。

 ホーネットはゾフィアの頭をつかむと、頭蓋骨にエネルギーを注ぎ込んだ。

 一瞬とは言え、骨格をゆがめるほどの強い力である。

「ギャッ、な、何の真似だ!」

 さすがのゾフィアも飛び起きた。

「ユーリが危ないらしいの。助けに行くわよ」

「何、ユーリが!? ──なぜ、そう言わなかった!」

「いの一番に言ったよ!」

 ドロロが叫ぶ。

「油を売ってる場合じゃないわ。急ぐわよ」

 ホーネットが率先して外へ出た。

 ドロロは、シズメの寝床と化した古井戸を覗きこみ、

「シズちゃん、起きて! ユリィさんが危ないの! 助けに行かなきゃ!」

「むにゃぁ……、ボク、もう沈めないよ……」

 こちらも寝ぼけていた。

「シズちゃん、寝ぼけてる場合じゃないよ!」

「来ないなら置いていきマスよ。ただでさえ一刻を争うのデスから」

 ドラ=イミーラが、ドライに切り捨てる。

「イミィ、でも」

「置いていかれる奴が悪いのデス」

 それでもドロロは少しためらっていたが、とにかくシズメが起きる気配はないし、叩き起こすにも井戸の底では手が出ない。

「ドロロ、早く道案内しろ!」

 と、ゾフィアに怒鳴られ、

「分かった、ついてきて!」

 と、走り出した。

 全力で走ると最も速いのがドロロだが、体の軽さを活かしたホーネットの俊敏性も決して侮れない。

 ゾフィアは体内で自在に任意の毒を作れるので、興奮性の毒を自らの筋肉にドーピングし、短時間なら超人的な力を発揮できる。

 ただ、悲惨なのが、埋めこんだ機械の分だけ体が重く、それをカバーできるだけの力もなく、ついでに脚も短いドラ=イミーラだ。

 みるみる、前方を行く3人に距離を離される。

「イミィ」

 とドロロが足を止めかけたが

「止まるな。置いていかれる奴が悪い」

 ゾフィアが、皮肉にもドラ=イミーラがついさっき放ったセリフを繰り返す。

 ドロロは、ちらりと後方を申し訳なさそうな目で見たが、

「ごめんね、イミィ。先、行くね」

 と、明らかにドラ=イミーラでは追いつけない速さで走り出してしまう。

「そ、そんな──」

 絶望に暮れたドラ=イミーラの脚に草がまとわりついて、ぺたんと腹ばいに転んでしまった。

 顔を上げたときには、もう3人の姿はどこにもなかった。

「ひ、ひどいデス。いつもいつも、イミーラさんばかりに損な役を押しつけて……、こんなの無礼デス! 侮辱デス! 王家への冒涜デスぅ!」

 しばらくドラ=イミーラは、その場で起き上がりもせず手足をじたばたさせながら、ひとり駄々をこね続けたのであった……。

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