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名探偵・オブ・ザ・デッド  作者: Roxie
死霊のお引越し
1/18

大脱走・オブ・ザ・デッド(前編)

「じっちゃん、これは何のためにあるの?」

 それは、今やすっかり色あせてしまったなつかしい記憶の1ページ。

 とあるさびれた山寺で、まだ幼い日の少女は庭に建てられた石碑を指差した。

「うん、これか」

 老僧は目を細めながら、悠久の時をこの地で経てきたその石碑を眺めた。

「覚えておくのだぞ。これは、我らのご先祖様がはるか昔に、この地の安定を守るために立てた物だ」

「安定? どゆこと?」

 老僧のひ孫である少女が首をかしげる。

「この碑は、地獄とこの世をつなぐ道を塞ぐために立てられたのだ。これが倒れた時、この世に大いなる災害が降り注ぐだろう」

「ふーん」

 分かっているのかどうか、ぱっとしない相槌であった。

「ゆえに、この碑を守ることはこの世を守ることであり、我ら尼ヶ崎一族に課せられた使命なのだ」

「私も?」

「そうだ。まだ小さいおまえには解せぬかもしれんが、いずれ分かる日が来るだろう」

 8代目当主にあたる老僧は重々しい口調で語ったが、少女は、そんなことより今日のおやつは何かの方が気になって仕方なかったのだった……。


 ※


 人の世とは隔離された死後の世界。

 各々の死者がどこに住めるかは生前の行いの善し悪しにより定められ、悪しき者ほど凄惨な地へ送られることになる。

 その最たる存在こそ、現世でも有名な地獄であり、ここへ落ちた者に安息という物が訪れることはない。

 自由や尊厳はもちろん、生きていた頃の名前すら奪われ、与えられるのは想像を絶する苦痛の日々のみである。

 しかも地獄における時の流れは現世よりはるかに緩やかで、永遠とも思える時の中、罪人はただただ罰を浴びせられ続けるのだ。

「喜べ、おまえたち! 今日は特別に、風呂を用意してやった!」

 地獄の獄卒である鬼の1人が大声を張り上げた。その奥には、千人も入れそうな巨大さを誇る鋼鉄の釜が、灼熱の業火にかけられている。

 大半の罪人は一様に震えあがる。鬼の日課は地獄に落ちた罪人をいじめること。彼らが罪人に情けをかけるなどありえないのだ。

 なので、風呂とは真っ赤な嘘で、その釜の中は燃え盛る油であることは誰もが知っていた。別に、今回が初めてというわけでもない。

「さあ、ぼんやりしてないで、さっさと入れ!」

 そう言うやいなや、鬼はもよりの罪人をひっつかむと、四の五の言わせず釜の中に放り投げた。

 すぐさま、耳をふさぎたくなるほどけたたましい悲鳴が地獄にこだまする。

 恐れをなして逃げ出した罪人たちも、仲間の鬼たちに取り囲まれ、これまた釜の中へ投げこまれる。

 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。四方に泣き叫ぶ声が鳴り響いた。

「許してくれ! 俺が悪かった!」

「もう2度と悪さなんかしねえよ!」

 中には地に額をつけて懺悔を始める罪人もいたが、鬼たちはおかまいなしだ。

「やかましい! 地獄に落ちた分際で、拒否権なんてあると思うな!」

 と、この小隊の物頭をつとめる大柄な黄鬼は高らかに断言すると、その罪人らをまとめて釜の中へ蹴りいれた。

 そのとき、腕が隣にいたのっぽな罪人にぶつかった。

「おい、そこの木偶の坊。何をぼさっと突っ立ってやがる。貴様もさっさと中に入れ!」

「木偶の坊じゃないよ。ボクには成瀬川って名前があるんだ」

 と、そのすらりとした長躯は怖れなど欠片もない様子で答える。

「うるせえ! 罪人の分際で一丁前に名乗りやがって」

 物頭の黄鬼はすっかり真っ赤になって、そいつの首根っこをつかむと釜の中に放りこもうとした。

 だが、動かなかった。大勢の部下を率いる物頭ともなれば罪人くらい片手で持ち上げられて当たり前だが、こののっぽ、見た目以上に重いのである。

「おい、おまえたち。こいつを釜に放りこめ!」

 と、手の空いている部下をかき集め、7人がかりで腕なり足なりをつかみ担ぎあげようとするも、結果は同じ。

「くそ、なんて重てえ野郎だ」

「野郎じゃないよ、ボクは成瀬川だよ」

「そんなことは聞いてねえ!」

 怒りと踏ん張りで、湯気がでるほど熱くなった物頭が怒鳴った。

 それでも事態が好転することはなく、ついに

「もう。ここらの鬼はみんなよわっちいなぁ。もういいよ、ボク、1人で入るから」

 と、成瀬川と名乗ったその罪人は鬼らを軽々と払いのけると、大あくびを浮かべながら釜の中へ入った。

 その近くの淵では、罪人の女が2人、燃え盛る油の中に半身を沈めながらも平然と話し合っている。

「今日の火責めは大して熱くないわね」

「燃料代をケチっているに違いないデス」

「きっと、罰に使うべき経費の一部をちょろまかして、宴会の酒代に充てているのよ」

「鬼が不正に手を出すようじゃあ、地獄もいよいよ終わりデスね」

 と、声をひそめることもなく世間話。罪人の中にはごく稀に、罰せられることに慣れてしまい、このように不遜な態度をとる者もいるのだ。

 物頭の怒りは完全に頂点に達した。罪人が罰の最中に世間話をしていることも十分に腹立たしいが、何より、このところ酒代を稼ぐのに火攻めの経費をちょろまかし始めたのは事実だったのである。

「貴様ら、無駄口をたたくな! 罪人のくせに生意気だぞ!」

 と、その2人を足蹴にして、燃え盛る油の中にたたき落とした。

「まったく、最近の罪人どもは。手前の身分って奴を理解してやいねえ」

「あ、あの!」

 鈴を転がすような声が物頭を呼び止めた。

 見れば1人の気弱そうな少女が、足をプルプルと震わせながらも、じっと物頭を見つめていた。

「い、い、今の、私の友達なんです。あんまり、いじめないであげてください」

「何だと? 貴様、罪人の癖に俺たちへ意見する気か?」

 キッと物頭がにらみをきかすと、その少女の足がより一層震えだした。

「そんなに友達が大事なら、仲良く釜に入っていろ!」

 と物頭は力いっぱい、その少女を蹴り飛ばした────はずだった。

 確かに少女の体の中心をとらえたはずの足は、すかっと何の手ごたえもなくすり抜けて、バランスを崩した物頭はひっくり返ってしまった。

「あの、大丈夫です?」

 と優しく少女に声をかけられたことが、かえって獄卒としてのプライドを傷つけた。

 もう癇癪は留まるところを知らず。彼の頭の中に火山があったなら、もう噴火直前の地鳴りが始まっていただろう。

「浮遊霊の分際で、この俺に声なんかかけてくるな! 貴様みたいな奴は黙って釜に飛びこめばいいんだ!」

「は、はい!」

 罵声を浴びたその浮遊霊は、バネのように跳びあがると、あわてて釜の淵に立った。

「こういう時こそ、ポジティブ思考、ポジティブ思考……。ひゅ、日向ドロロ、おいしい天ぷらになりまーす!」

 と言い残して、浮遊霊の姿が釜のふちから消える。

 やっと面倒なのがいなくなったと物頭が一息ついたその瞬間、

「おい、デカブツ」

 と、文面だけ見れば猛々しい、しかし音色はどこか舌足らずな声が物頭を振り向かせた。

 見れば、土気色の肌をした、まだ10代の半分も終えていないような小娘が仁王立ちしている。

「先ほどから、私の友人をずいぶんいじめてくれたようじゃないか」

 と、そのちっぽけな死人の小娘は、苛立たしさを隠しもせずに物頭を睨みつけた。

「あいつらをいじめて良いのは私の特権だ。おまえなんぞに許した覚えはない」

「なんだと? 貴様、誰に口をきいてるか分かってるのか?」

 鬼の物頭は気迫のこもった目で小娘を睨みつけた。

 並みの死人なら、これだけで震えあがるところだが、その小娘は微動だにしなかった。

 そのことがかえって物頭を動揺させたが、死人にそれを見抜かれては恥である。

「貴様のような世間知らずは、釜でじっくりと反省していろ!」

「馬鹿め。それはこっちのセリフだ」

 そう言うと、小娘はその華奢な腕で物頭の巨体をひょいと担ぎあげた。

 周囲が一様に唖然とする中、物頭が四の五の言う前に釜へ投げ入れてしまった。

 ドボンと大きな水柱が──正しくは“油柱”と言うべきだろうが──立つと同時に、物頭の悲鳴がとどろいた。

「わーっ、こ、こりゃあたまらん!」

 地獄に落ちた死人をいじめることが日課の鬼だが、いじめられることにはそう慣れていないのである。

 燃え盛る油のど真ん中に落ちた物頭は、周囲の目もはばからずに釜から出ようとした。

 だが、その肩を4本の腕がつかむ。

「あらあら、物頭の黄鬼さまじゃない。そんなに急いでどちらへ?」

「もう少しゆっくりしていくと良いのデス」

 それは先ほど、釜のふちから叩き落とした2人組だった。

「ええい、は、離せ!」

 と物頭はふりほどこうとしたが、1対2では分が悪い。

「いやね、照れちゃって。私たち、あんなに深く愛しあった仲じゃない」

「王家の血をひくこのイミーラさんの誘いを断るのデスか? 無礼の罪で裁判にかけマスよ」

「よせ! 貴様ら、死人の分際で逆らう気か?」

 必死にわめく鬼の物頭だったが、今度は誰かに足首をつかまれた。この二人組をはるかに上回る、すさまじい怪力だった。

 見れば、あの成瀬川とか言う、先に釜の中へ沈んでいた長身の死人が、物頭の足をつかんでいるではないか。

「おいでよ、大将。誰もが浮かばれない、絶望のドン底へ。ボクも一緒に沈んであげるからさ」

 成瀬川はそう笑って、物頭をぐいぐいと釜の底へ引きずりこもうとする。

 鬼の数人がかりでも敵わなかった怪力だ。物頭1人で太刀打ちできるはずもない。

「バカ、離さんか! おい、誰か、手を貸してくれ! 早く!」

 物頭は仲間を呼ぶため釜のふちの方に目を向けた。だが、そんな彼の目に飛びこんできたのは、次々と釜へ投げこまれる部下の姿。

 こうなると、もはや絶望するしかない。

 抵抗むなしく煮えたぎる油の底へ引きずりこまれたのは、その直後のことだった。


 ※


「亥班は全滅。鎮圧に当たった戌班と酉班も半壊しました」

 側近の報告を受け、最下層へ落ちた死者の懲罰にあたる鬼の総大将は頭を抱えた。

 しわがれた目には、怒りというより困惑の色がにじみわたっている。

 そして、その視線の先には鋼の鎖でぐるぐる巻きにされた4人の死者が、そろってにこやかな顔をしていた。

 現世にいた頃にさんざん悪行を重ね、地獄ですら鬼たちへ歯向かうことで有名な常習犯で、その人数からついた通名が──

「また、貴様らか。“地獄の四屍人”め」

「その通り。また私たちだ」

 にやりと笑ったのは、数々の鬼どもを釜へ投げ入れた、あの土気色の肌をした巻き毛の小娘であった。

 名をゾフィア・T・ブレインリッカーと言うが、これは死語に自分で勝手につけたもので、むしろ鬼たちの間では【地獄の無法者】という通称がよく使われていた。

 とにかく煮ても焼いても喰えない問題児で、外観同様に精神年齢も幼く、少しのことですぐに癇癪を起こす。そのくせ見た目から想像もできない力を持つので手に負えない。

「ちなみに」

 と、ゾフィアの横にいた、褐色肌の小さな娘が癖のある日本語で割って入った。

「今回の一件、責任の8割はゾフィアにあるということだけは忘れないでほしいデス」

「おまえは友達に罪を着せる気か?」

「事実は事実デス」

 ゾフィアがキッと睨むと、ドラ=イミーラ13世はツンとそっぽをむいた。

 通称【地獄の発明王】。

 褐色の肌とゾフィア以上に小さい体が特徴で、元王族を自称しては鬼にすらも横柄な態度でそっくり返っていた。

 小柄な割に、1度暴れだすと誰にも止められないという点もゾフィアと同様だ。

「何が事実だ。だいたい、おまえだって十二分に暴れまわっていたじゃないか。むしろ、責任の8割はおまえにあると言っても過言ではあるまい」

「あなたは友達に罪を着せる気デスか?」

「貴様らの内輪もめにつきあう気はない!」

 鬼の総大将が、地をとどろかすほどの大声で怒鳴った。

 並みの死者どもなら恐れをなして謝りだすところだが、

「ふあぁ……、眠くなってきたから、ボク、寝るね。お説教が終わったら起こしてね」

 大あくびを隠そうともせず、そのまま成瀬川シズメはこっくりこっくり、立ちながら居眠りを始めた。

 その中性的な外観と口調からは分かりにくいが、これでも一応は女である。といっても、大の男が束になってもかなわない体重と腕力の持ち主。

 ゾフィアに比べればまだ温厚ではあるが、スポーツ感覚で鬼に反逆するので、たちが悪いことに変わりはなく、【地獄の大横綱】として警戒されていた。

「おい。話があるなら、さっさとしてくれないか。私たちだって、おまえのつまらん顔を長々と見ていたいわけじゃあないんだ」

 ゾフィアが仏頂面で口をとがらせた。

「あと、説教する気ならその前に歯を磨いてこい。何年サボればそこまで臭くなれるんだ、バカめ」

 総大将の額に青筋が浮かぶ。

「そろそろ手加減してあげたら? 可哀想よ」

 と仲間たちの行動に苦笑を浮かべたのは、ホーネット・スケルティーン。

 頭より先に体が動いてしまう前述の3人と違い、いつも知性と余裕の雰囲気を悠然と漂わせるブロンドの美女だ。

 彼女自身はそう屈強ではないが、【地獄の知恵袋】と謳われる通り、その頭脳でゾフィアらを巧みに指揮するので、要注意人物と扱われている。

「それに、いちいち食いつくと、かえって面倒よ。あちらの好きにさせてあげましょ」

「それは癪だ」

 ゾフィアはぶんむくれた。

「好き勝手わめきおって」

 と、鬼の総大将はいきりたつ。

「少しは地獄に落ちた身としての自覚を持ち、懺悔に励んだらどうだ」

「それが人にものを頼む態度か」

「まずはそちらが『反省してください、お願いします』と頭を下げるべきだと思いマスがね」

 ゾフィアとドラ=イミーラが、そろって好き勝手に言い分をぶちまける。

 その隣ではすでに、シズメが鼻ちょうちんをぶらさげていた。

 好き勝手、ここに極まり、である。

「小童が。この抵抗できない状況で、よくそんな口を利けたものだな。後悔するぞ!」

 と総大将が、4人を縛る地獄の鎖を見つめながら怒鳴った。

「あなたなどに後悔させられるイミーラさんではないデスよ」

 ドラ=イミーラは対抗するように笑みを浮かべると、途端、その口から灼熱の炎を噴き出した。

「ギャーっ」

「た、大将!」

 火だるまになった総大将のもとへ、すぐに部下らが駆け寄り、鎮火にあたる。

 座布団で叩いたり、冷や水をぶっかけたり、割りと乱暴なやり方だった。

「こ、こやつら4人を別々の懲罰房へぶちこめ!」

 すっかり自慢のアゴひげが焦げてしまった総大将が叫ぶように命じた。

「4人? また私が数えられてない」

 と浮遊霊、日向ドロロはうなだれた。

 その場にいるのではない。隣の部屋から壁越しに、連れて行かれた親友の処分を盗み聞きしていたのだ。

 実害のなさゆえに鬼たちからはマークされていなかったが、地獄へ落ちた時期は“地獄の四屍人”と同じ。精神年齢も近かったので、その頃からいつも5人組でいる親友同士なのである。

 ただしドロロは一般的な死人とは異なり、弱い部類に入る浮遊霊。実体がなく、相手に対して物理的に接触することができないほど弱い存在なのだ。

 まあ、言い換えれば壁も床も自在にすり抜けることができるという利点もあり、このように無断で隣の部屋に侵入できたのもその恩恵なのだが。

「ぐずぐずするな、こっちへ来い!」

「地獄の奥底で思う存分、後悔するんだな」

 壁越しに聞こえた声がドロロに冷や汗を浮かべさせた。──4人が懲罰房に連行されるのだ!

 もっとも、あの4人なら懲罰房における過酷な責めにもケロリとしているだろう。これが何度目の懲罰房かも分からないので、その点は心配ない。

 本当に問題なのは、あの4人が解放されるまでドロロはずっと1人ぼっちになってしまう点だ。ほかに友達がいないのである。

「さびしくなって死んじゃったらどうしよう。ただでさえ美人薄命って言うのに」

 これでも、本人はいたって真剣である。

「こういう時こそ、ポジティブ思考、ポジティブ思考……。そうだ!」

 ぽん、とドロロはひざを打った。

「お見舞いに行こう!」


 ※


 懲罰房は地獄の最深部の一角に位置している。

 もちろん、死者が勝手に出入りして良い場所ではなく、普段は厳重に封鎖されているが、壁抜けのできるドロロなら出入りに苦はない。

「お、おじゃましまーす……、歩くポジティブ、ドロロでーす……」

 と、抜き足差し足、そろそろ歩き。

 懲罰房が並ぶフロアには、基本的に鬼は在中していない。本来なら収監された死者を監視する業務があるはずなのだが、皆がそろって上空調完備の憩室で酒を飲んだり春画本を見たり。

 ここの扉は特別頑丈にできているで大丈夫と踏んでいるのだろうか。まあ、こういう職務怠慢な鬼ばかりだとドロロとしては楽で良い。

 しかし、どうも嫌な予感がした、そのとき。

「やっぱり、こうしておくべきだったんだ」

「よせよ、冗談じゃねえ」

 そんな話し声が廊下の角の向こうから近づいてくる。どうしよう! ドロロは飛び上がった。

 まず、鬼と考えて間違いはなかろう。もし見つかったら、どんなイジメが待っているか分からない。

 もしかしたら、この顔に傷をつけられるかもしれない!

 あわてて壁をすり抜け、隣の部屋へ逃げ込む。

「こんぐらいで怖じ気づくなよ。あの黄鬼は、物頭の地位を袖の下で買ったチンピラだ。そんなバカがバカを見た、それだけだ」

 と笑い飛ばしているのは、総大将の側近である赤鬼。ガサツな単細胞だと、ドラ=イミーラはよく見下している。

「今回はあいつだけで済んだから良かったんだ。あの四人は永遠に閉じこめておいた方が良い。何かあってからじゃあ遅いぜ」

 こちらも側近である青鬼。慎重で用心深く、鬼の癖に度胸がないとゾフィアはよくバカにしている。

「要は、バカを見るのが俺たちでなきゃ問題ねえ。そうだろ? それに、このカラクリは大将の肝いりだ。やらなきゃ降格だぜ」

「分かっちゃいるけどよ……」

 と、壁の向こうにいたドロロには気づかず、その場を通りすぎた。

 これで一安心。ドロロは再び廊下へ戻るとひたすら先へ進み、ついに見つけた目的の扉をすり抜けた。

 侵入したのは懲罰房の1つ、毒沼と瘴気に満たされた毒沼地獄という小部屋だった。人の肉も骨も腐らせてしまう猛毒が漂う中、

「お、ドロロか。よく来たな、待ってたぞ」

 毒沼のまんなかで、ゾフィアがあぐらをかいていた。

「ゾフィって、よくこんな、よどみきった部屋にいて平気だね……。私、3日でまいっちゃいそう」

「慣れればどうということはない。娯楽がないのはいただけんが」

 けたけたとゾフィアは笑ったが、次の瞬間、急にその目を鋭くさせた。

「それより、重要な話がある。鬼らには聞かせたくない話でな、今回、わざと派手に暴れたのもそのせいだ」

「えっ、わざとだったの?」

「まあな。それで、だ。聞いて驚くなよ」

 とゾフィアは、もったいぶるようにコホンと咳払いをし、

「もう地獄暮らしはうんざりだ。現世へ脱獄するぞ」

「えーっ!?」

 ドロロはひっくり返った。

「バカめ。驚くなと言っただろう」

「そ、そ、そんなの、驚くなっていう方が無理だよ!」

 まだドロロは目を白黒させている。

「それに、いくらゾフィが強いからって、そんなことしたら閻魔様が黙ってないよ」

「知ってる。忌々しい話だが、私もあれと真っ向から戦って勝てるとは思っていない」

 閻魔というのは地獄の全てを束ねる王で、いかに地獄の四屍人と言えど閻魔にだけは手も足も出ない。

「じゃあ、どうするの?」

 そう尋ねられると、ゾフィアは待ってましたとばかりに目を輝かせた。

「そこでおまえの出番だ。今からホーネットのいる懲罰房に忍びこんで、あいつに一部始終を考えさせろ」

「ずいぶん自信たっぷりに言ったわりには、けっこう人任せなんだね」

「四の五の言うな。あいつは筋金入りのハレンチだが、知恵だけは私も認めるところだ。きっと良い策を練ってくれるだろう」

 他力本願ながら、ゾフィアは自信たっぷりに言った。

「そういうわけだ。頼むぞ、伝書バト」

「え、あ、うん……。でも、そんな上手くいくかなぁ」

「すぐ弱音を吐くな。そんなだから、おまえはいつまで経ってもネガティブなんだぞ」

 その言葉がドロロの背筋をぴんと伸ばさせた。

「そ、そうだね。うん、頑張ってみる! 私、ポジティブになる!」

 ぐっと意気ごんで、ドロロは懲罰房を抜け出した。

 ほかの3人がどの懲罰房にいるかは、おおよそ分かっている。いつも同じ場所だからだ。

 ゾフィアは毒沼地獄、ドラ=イミーラは焦土地獄、シズメは深海地獄、ホーネットは剣山地獄。これはずっと変わっていない。

 そして彼女らが他の死人に比べひと際強い力を持つのは、この懲罰房の過酷な環境に鍛えられたから、というのが主な理由である。

 死者を戒めるために作られた施設が、かえって強い死者を生み出したのだから、皮肉なものだ。雑草と除草剤の関係にも近い。

「怖くない、怖くないぞ。私はポジティブ、私はポジティブ。めげない、泣かない、めげない、逃げない……」

 ドロロは己を鼓舞する呪文を唱えながら、剣山地獄へとつながる扉の前に立ち、そっと壁をすり抜けた。

「……ホネちゃん、いる?」

「あら、ドロロ。愛する私のためにわざわざ会いに来てくれたのね。うれしい、私も愛してるわ」

「めげそう!」

 剣山地獄。いくつもの剣や針が床や天井から出入りを繰り返し、囚人は幾度となく串刺しにされるのである。

 ホーネットはすでに、その胴体を太い剣に貫かれていたが、その割には平然とにこやかにドロロを出迎えた。

 そしてその直後、床から飛び出した鋭い串が、ホーネットの胸部を貫いた。

「わーっ、ほ、ホネちゃん、大丈夫?」

「ええ。痛みを感じる部分なんて、もう残っていないもの」

 とホーネットはほほ笑んだ。

 幾度とない剣山地獄の拷問の末、彼女の首から下にはもう骨以外の体が残っていないのだ。

 もっとも、その骨が鋼にも負けない硬さを誇るので、いまさら剣や針で突かれても砕けるどころか傷1つもつかない。

「それに、愛するハニーが来てくれたんだもの、今の私は無敵よ」

「あの、一応私たち、女同士だし、そういうディープはちょっと……」

「愛の前には、性別も年齢も身分も人数も生死も、些細な問題よ」

「そんな殺生な!」

 ドロロは青ざめた。ホーネットは好人物だが、この恋に恋している部分だけはどうしても受け入れられない。

「って、そんなこと言ってる場合じゃなかったんだ。ゾフィがまた、とんでもないこと言い出したの。ここを脱獄して現世へ行くって」

「脱獄?」

 ホーネットは眉をひそめた。

 ドロロが、ゾフィアから授かってきた伝言をすべて伝えると、

「なるほどね」

 と、ホーネットはゆっくりと何度もうなずいた。

「でも、脱獄って言葉は物騒でいただけないわね。ハネムーンにしましょ」

「そんなことより、どうする? うまくやらないと、私たち、閻魔様からいじめられちゃうよ」

「ゾフィアもそれを分かってて、私に頼ってきたわけね。なるほど、ただの威張りんぼに見えて、なかなか可愛いところあるじゃない」

 と笑いながら、ホーネットは考えこみはじめた。

「そうねぇ。…………うん。勝てない相手なら、そもそも戦わなければ良いのよ」

「なるほど! でも、そしたら私たちはどうやって地獄から抜け出すの?」

「私に良い考えがあるわ。でも、これは私たち5人が息をそろえないと絶対にできない。ドロロ。伝言役、任されてもらえる?」

「ぜ、善処はする!」

 ドロロはめいいっぱいうなずくと、ホーネットはそっと、その“作戦”を語りだした。


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