ボラを刺身で食べる時に、薬味にワサビを使うか唐辛子を使うかで、味が全然変わっちゃうって知ってました?
生肉をネタとする握り寿司が注目されたのは、高度成長期を迎えた反動として海洋汚染が問題視されて以降の事ではないだろうか。
映画では『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)、書籍だと有吉佐和子の『複合汚染』の連載が始まったころ(1974年~1975年)という推察だ。
以前、70年代か80年代の新聞か雑誌のバックナンバーを拾い読みしていた時に、「海の汚染に戦々恐々。人気を集める生肉の握り。」みたいな煽りの記事を見た記憶がある。
ふと気になって色々検索してみたが、該当記事らしいものを見つける事は出来なかった。
日本人は食に対するチャレンジ精神は旺盛だから、もしかしたら生肉寿司自体は文明開化の掛け声とともに肉食を始めた頃から存在していたのかもしれない。
握り寿司以外の『すし』としては、食品保存の方法として『なれずし』が室町時代からの伝統を誇っているので存在はしたかもしれないが、『なれずし』にした時点で生肉とは言えないだろう。
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…………と、前置きが長くなってしまったけれど、ここで書きたいのは生肉寿司の話ではない。
ボラという美味しい魚に対する評価が、世間的に余りにも低過ぎると言う事が書きたいのだ。
何と言うか、「ボラは不味い。」とか「ボラは臭い。」とか、散々な言われ様だ。
フザケルナ コンチクショウメ! と叫びたい。
ボラが臭くなってしまったのは、河川や内湾が汚染されたためであって、ボラが元々臭いわけではない。
高度経済成長期ごろに初版が書かれた釣りの入門書にすら「外洋に面した磯で釣れたものは臭みが無い。」と明記してある。
今の河川や内湾は、その頃とは比較にならないほど、水質が改善されている。
例えば、駿河湾は『ゴジラ対ヘドラ』では生物の死滅した死の海として描かれ、世間に警鐘を鳴らした。 映画の出来た71年当時は、確かに港湾部分の海は白泡立ち、ミゼラブルな状態だった。
しかし、三保の松原が世界遺産の一角に登録された今日、「駿河湾は死の海です。」なんて言ったら、逆に笑われるだろう。
同じく、北九州市の洞海湾は、船舶がそこに入港すると同時に船腹に付着した貝類が死滅して落ちてしまうとか、船のスクリューが溶けるとか揶揄された場所だったが、現在ではクロダイ釣りの好ポイントとして名が通るほど復活した海となった。
『複合汚染』がもてはやされた時代は、日本全否定・経済成長全否定の論調が、識者と呼ばれる意識高い系の人々の間で幅を利かせていた時代だから、日本の魚、中でも身近に泳いでいるのをよく見かけるボラが汚染の象徴魚として槍玉にあがったのは想像に難くない。
もっとも、環境保全活動が活発になったおかげで水が綺麗になったわけだから、作品の意義や環境運動を否定する心算は全く無い。
ただ、ボラという魚が、環境汚染の呪縛から未だ解き放たれず、臭い魚だという認識のままに取り残されてにいるというのが、悔しいだけだ。
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もう一つ、ボラが臭いとされる理由には、各家庭で丸ごと一匹の魚をさばく機会が減った事が挙げられるだろう。
魚屋さん以外の人や、魚釣りを趣味としていない人に訊いてみたい。
ここ一ヶ月の間で、何種類の魚を丸ごと一匹料理しましたか?
あるいは、何回魚を丸のまま料理しましたか? と。
スーパーで、すでに切り身にまで加工された魚が売っているし、鮮魚店で魚を購入する場合でも下ごしらえまではしてもらうのが当たり前の時代だから、サンマやイワシなど腸も出さずにそのまま調理して食べる魚を除けば、該当する魚や調理回数は、それほど多くないと思われる。
魚を下ろすのは手間がかかるし、テクニックが必要だ。毎日忙しい中で、一食のためにそんなに時間が掛けられないと言う人は多いだろう。
また、丸のままの魚を調理すれば、魚のアラや頭など、生ゴミの量も増える。
生ゴミの収集日が指定されている家庭がほとんどだから、腐りやすい内臓は収集日まで冷凍室にでも入れておかねばならず、やっかいだ。昔の様に庭の隅に埋めて堆肥にするという家は少ない。
丸ごと一匹の魚を調理する機会が減ってしまったために、魚の流通に携わる人以外では、魚の鮮度保持や下ごしらえに気を遣える人はレアケースだ。
魚釣りをしている人の中にさえ、釣った魚を水の入ったバケツに入れたまま、死なせている人がいる。
厳寒期を除けば、バケツで死んだ魚は既に不味くなっている。
温い水の中に放置された魚の死骸は、腐敗が進行しつつある状態だ。
「釣りたて」なんて言いながら、漁師が氷締めした市販品より鮮度の落ちた魚を持ち帰るわけだ。
こんな物が美味かろう筈がない。
例えば、キスという魚は天ぷらのタネとして有名だが、極端に鮮度の落ちやすい所謂「足の速い」魚だ。
天ぷら屋でキス天を食すと、口から鼻に独特の匂いを感じて、キスを食っているという実感が湧く。
あなたが仮にキス釣りに行って、持って帰ったキスを自宅で天ぷらにし、天ぷら屋で食ったのと同様の匂いを感じたら、それは『鮮度保持に失敗した』という証拠だ。
生きているキスを天ぷらにすると、あの独特の臭いは無い。
あるのは豊潤だが淡麗な旨味のみ。
江戸前の天ぷらで、ギンポやハゼがキスより上とされるのは、漁獲・流通量が少ないこともあるが、キスより鮮度が落ちにくいからだ。
ギンポやハゼは生命力が強くて、家まで持ち帰ったクーラーボックスの中で、まだ生きている事すらある。
キスを鮮度良く持ち帰ろうと思えば、クーラーボックスの中に海水と氷を入れた「潮氷」を作り、釣った傍から放り込んで〆てしまう他ない。
潮氷は持ち運びに不便だから無理だというのなら、せめて大きめのクーラーボックスにたっぷりの氷を詰め、釣ったキスを入れたビニール袋を氷の中に埋めるようにする。
決して温い水バケツの中で死なせてはならない。
同じように鮮度が問題という例には、京都の夏の名物「鱧料理」を挙げる事が出来る。
こちらの方は単純明快。
海から遠く、くそ暑い京都の夏には、生で流通出来る海魚はハモしか無かったというだけの話だ。
魯山人の随筆に、京都の子供に夏の美味い物を尋ねたら声を揃えてハモと言う、みたいな文章が有ったが、現在なら平気で「サーモン!」とかいう声が返ってくるかもしれない。
ボラは鮮度が落ちやすい魚ではない。
むしろ、多少いい加減に扱っても大丈夫な魚だ。
その代り、「血抜き」と内臓処理が重要になってくる。
ボラを釣り上げたら、生きたまま鰓の部分にナイフを差し込み、動脈を切断する。
次に尾鰭の付け根にナイフを刺す。
この作業が難しかったら、喉の筋肉を切断してから力技で頸椎を圧し折っても良い。
動脈を切断するか頸椎を折ったボラは、海水を汲んだバケツに入れる。
5分ほど待てば、「血抜き」の完了だ。
血抜きを終えたボラは、ナイフか鱗落としを用いて、丁寧にウロコを落とす。
こうしておけば、家の台所でウロコが飛び散ったり、散ったウロコがシンクに張り付いてしまったりするのを防ぐことが出来る。
ウロコ落としが終わったら、いよいよ腹をナイフで切って内臓を取り出す作業に入る。
喉の部分から刃を入れて、肛門まできっちり切り開く。
指で内臓と鰓をかき出したら、バケツに汲んだ海水でボラを洗う。
表面に付着した血液はもちろん、腹腔内に付いている黒い膜を指で擦り落とす。
この、血抜きから内臓処理までの一連の作業は、ボラに限らず刺身が取れるようなサイズの生きた魚を処理するのには、共通の作業だから未経験なら一度チャレンジしておくと良い。
血抜きが可能なのは、心臓が動いている個体だけだ。
内臓処理まで終わったら、ボラをビニール袋に入れて、クーラーボックスの氷に入れる。
ボラの頭は大きい割には身が無いから、鯛や鱸と違って、かぶと煮には向かない。
だから切り落として海に捨ててしまってもよいのだが、クロダイ釣りをする人の中には、「ボラの頭を捨てると、クロダイが寄り付かなくなる。」と嫌う人がいる。
私の経験的には、たぶん迷信だと思うのだが、妙な軋轢は抱えない方が良いから、近くにクロダイ釣りをしている人が居れば、離れた所まで移動してからコッソリ捨てた方が良い。
プラスチックごみとは違って、物質循環の中で消費されてくれるはずだ。
頭を捨てるのが惜しければ、持ち帰って味噌汁の出汁を取れば、美味しい出汁が出る。
ただし、大きなボラだと、刺身を取った後には中骨などの大量のアラが出るから、あまり頭にこだわる必要は無く思える。
ボラの内臓処理をする時に、かき出した内臓の中に、胃袋と小腸を結ぶ幽門部分が有るのを忘れてはならない。
俗に「ボラのへそ」や「ボラのウス」「ソロバン玉」と呼ばれる部分で、ニワトリの砂ズリを少し優しくしたような独特の食感が楽しい。
「ボラのへそ」の食べ方としては、味噌汁に入れるのが手軽だけれど、焼き鳥のように塩やタレで串焼きにしても良いし、スライスしてオリーブオイルで炒めて塩胡椒でもよい。
ただ、一匹のボラから採れる「へそ」は一個だけだから、どうやって食べるか悩みどころでもある。
「へそ」の下処理の方法は、へそから胃と腸を切り離したら、ナイフで二つ割りにした後、中に詰まっているものを、海水の中で指を使って綺麗に擦り落とす。
中を掃除してしまってからクーラーボックスに入れるのが肝要だ。
「ボラのへそ」と同じように、独特の食感があって捨てるのに惜しい内臓部分としては、スズキの胃袋がある。
スズキの胃袋も「ボラのへそ」同様、中身をきれいにしてから調理するが、しゃきしゃきとした食感が楽しめる。
漁師さんはスキ焼きにしたりするようだが、素人がスキ焼きが作れるほどの胃袋を集めるのは困難だから、湯引きにした後そのまま醤油で食べても良いが、刺身と一緒にカルパッチョにすると味わい深い。
さてこの様に、ボラは生きている内に下処理をしなくてはならない魚なのだ、という事はお分かりいただけただろうか。
本当はボラに限らず、魚というものは皆そうで、活け〆をしたものは自然死してしまった個体より、はるかに美味しい。
肝の美味さに定評のあるカワハギでも、鮮度の落ちた肝は食用にすら適さなくなってしまう。
その中でもボラとアイゴは特に、生きている内にキッチリと血抜きを行わない限り、美味しさの真髄を発揮できない魚だ。
だから、一匹一匹〆るのが手間だと思えば、釣りを止める直前までスカリや磯魚籠と呼ばれる生かし網の中で泳がせておく。
血抜きや内臓処理を行った後は、血やウロコに鰓や内臓が残っている。
放っておいても、トンビやフナムシがきれいに掃除してくれるけれども、海水で流し清めておくことがマナーである。
ちゃんとさばく事が出来れば、ボラは抜群に美味しい。
臭く感じたら、それは「さばくのに失敗した」証拠だ。
人間側の責任であって、ボラが悪いのではない。
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さて、「ボラは臭くないのだ」という事を述べさせていただいた以上、ボラが臭い魚だと認識(あるいは誤認)される以前にはどの様に扱われていたのかを書いてみる。
ボラは昔は身近で美味しい食用魚として評価されていたから、様々に工夫された漁法がある。
有名なところだと「ボラ待ち櫓」を使う待ち受け漁だろうか。
石川県には、海岸に櫓を建てボラの群れが回遊してくるのを監視する漁が有った。
今ある櫓は復刻された物だが、魚どころの石川県でも昔はボラの群れが回って来るのを心待ちにしていたことが窺われる。
千葉県の内水面では、はえ縄で獲った。
ボラは水面近くを移動することが多いから、はえ縄にはウキを付けたり、帆掛け船と呼ばれるフロートを付けたりと、考えられた仕掛けになっている。
釣り人は冬場の脂の乗った「寒ボラ」を仕留めるために、ボラ掛けなる独特の釣法を編み出した。
ボラという魚は、冬場には脂瞼と呼ばれる膜が目を覆う。
脂瞼が出来ると当然目が見え難くなるために、餌釣りでは釣り難くなる。
そこで「ボラは赤色が大好き!」という習性を利用して、赤色の布やゴムのヒラヒラで装飾した引っ掛け用の釣り針で、色に誘われて寄って来たボラを強引に引っ掛けてしまう釣り方だ。
今では冷凍アミエビや配合寄せ餌が簡単に手に入るから、ボラを寄せ餌で集めてしまえば、引っ掛け釣りでなくとも餌釣りで釣り上げる事は難しくない。
しかし、ボラが不人気魚になってしまったから、クロダイ釣りやサヨリ釣りの外道として、可哀想な扱いを受ける事になってしまったのは、皮肉な話だ。
引っ掛け釣りについて、少し補足をしておくと、引っ掛け釣りはギャング釣りとも呼ばれ、釣り上げられなかった魚にも大ダメージを与えがちだから、近頃は良しとされない釣法になった。
アユ釣りにも「コロガシ釣り」という引っ掛け釣りの伝統釣法があったが、現在「コロガシ禁止」のアユ釣り場は多い。
他にも、クラゲを餌にしたウマヅラハギの引っ掛け釣りや、貝の剥き身を餌にしたショウサイフグのカットウ釣りなどがあるが、ジャンル的にはカットウ釣り以外は廃れた釣法になったと言って良いかもしれない。
カットウ釣りだけは、シーズンには乗り合い船が盛んに出船する、人気のある釣りとして残っている。
またボラという魚は、成長によって名前が変化する、いわゆる「出世魚」としても知られている。
地域によって様々なバリエーションがあるけれど、その内の一つの例として関東地方のものを挙げると
『おぼこ→いな→ぼら→とど』
の様に変化する。
ボラの稚魚を「オボコ」と呼ぶが、「おぼこ」の本来の意味は「幼い未通女・娘」で、まあ幼女の事だ。
幼くて群れて泳いでいるのを見かけるから、幼女扱いされたわけだ。
粋で威勢のいい様子を「いなせ」と言うけれど、「いなせ」の語源は、日本橋魚河岸の若者がボラの若魚であるイナの背中に似た髷を結っていたのが事の起こりだ。
そのせいか、若魚時代のボラをイナと呼ぶ地域は多いけれど、「いなせ」という単語は、あまり他の地域では聞かないようだ。
大阪だと「いなせ」が形容する様子も、「シュッとしている」に含まれてしまうのかも知れない。
ボラが成長しきって、もうこれ以上大きくならないという最大サイズの物を「トド」と言う。
「結局のところ」「最終的には」という意味で使う「とどのつまり」という言葉は、トドがそれ以上大きくならない事から出来た言葉だ。
この様にボラは出世魚であるばかりでなく、各サイズの名前がそれぞれ一般的な生活に紐づけ出来る単語になっている事からも、身近でイメージの想像しやすい魚であった事が窺われる。
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さて長々と書き綴ってきたが、ボラが「臭くて不味い」魚ではないというイメージを、お持ちいただく事は出来ただろうか。
へなちょこ作家としては、そうあって頂きたいとは思うのだけれど、違っていても私の力不足だから、誰にも文句を持って行く訳にはいかないだろう。
「今まで敬遠していたけれど、一度くらい試してみても良いかも。」と思っていただけた方が居れば幸いではあるのだが。
それでは、ここから表題の薬味による味の違いについて述べてみたい。
持ち帰ったボラは三枚におろしてから皮を剥ぐ。
三枚おろしにするタイミングは、関東では早くとも死後硬直が始まるまで待ってからだが、西の地方では死後硬直が始まる前に調理を始める。
これは、食感や身の味の味わい方に対する伝統的な文化の違いによるから、どちらでも自分に合った方を選択すればよい。
でもボラ一匹からは、大皿たっぷりの刺身を取る事が出来るから、三枚おろしにした片身は死後硬直が起こる前の、いわゆる「活かった」状態の刺身で食し、残った片身をラップに包んでチルドルームに保存し、一日経ってから普通の刺身にして味の比較をすることも可能だ。
刺身はハマチやマグロのように短冊に切ってもよいけれど、鯉の洗いのように削ぎ切りにするとオツな味わいが増す。
夏場の脂の少ないボラは、透き通った白身で淡麗な味がするし、寒ボラは白く脂が乗って甘味の強い濃厚な味になる。
活かった状態のボラであれば、氷水に入れて手早くかき回し、水気を切ったら身がチリチリとはぜて、「ボラの洗い」になる。
ボラの刺身や洗いを食べる時には、醤油がいい。
鯉の洗いを食す時には、酢味噌で食べる事が多いけれど、ボラに酢味噌を使うと繊細な旨味が分からなくなって、せっかく念入りに下ごしらえをしたのが勿体無い。
極論すると、非常に歯触り歯ごたえがいい刺身コンニャクを食べているようなものだ。
刺身コンニャクを食べるのであれば、市販で美味しい製品があるのだから、ボラを使わなくてもよいわけだ。
同様に、薬味に初めから柚子胡椒を使うのも勿体無い。
柚子胡椒は非常に優れた薬味だが、それ自身が持っている香りの個性が強烈だ。
だから柚子胡椒を使う場合には、まず素材の味を存分に味わい、しかる後にバリエーションとして加えてみるという段取りを踏みたい。
余談になるけれど、川魚に対して海水魚よりも一段低い評価を下していた江戸っ子も、鯉の洗いに関しては上等品扱いをしている。
古典落語の『青菜』(『弁慶』などのネーミングの場合もある)をご参照いただきたい。
また時代劇で、痩せ浪人が竹竿一本抱えてふらりと出かけるのは、大体においてマブナ釣りだが、上方ではマブナは美味い物とされていた。
これは琵琶湖水系には、ゲンゴロウブナやニゴロブナという食に適したフナがいて、珍重されていた事もあるが、フナの刺身のみを『刺身』と呼び、他魚の刺身は『御造り』と区別していた事からも、フナの価値が正当に評価されていた事が分かる。
現在でも、産卵前のフナの卵巣を茹でて解し、フナの刺身に振り掛けた『こまぶり』という料理が、京都市内の川魚専門の魚屋で売られているのを見かける事がある。
これは、淡水魚はジストマという寄生虫を持っている事があるから、生で食べる時には注意しろという事から来ているのかもしれない。
「滅茶苦茶に美味しいけれど、ジストマ持っている事があるから注意してね!」と言っても、美味しいのなら食べてみたくなる。
煮たり焼いたり、魚体に熱を通す場合でも、包丁や俎板などの調理器具の始末がお粗末だったら、そこから感染するリスクが残る。(使用後は熱湯消毒+日光消毒しておくのが基本。)
だから公衆衛生の立場からすれば、「不味くて食えたものではない。」としておけば、食材として使用する人の絶対数が減るというのを狙ったのではあるまいか、と裏の事情を勘ぐってみたくなる。
フナや鯉とは違うのだが、裏の事情から「不味い魚」という認識が普及された魚にブラックバスがいる。
ブラックバスは、フライやバター焼き、ホイル焼きなどの料理法で滅法美味しい魚だ。
それだけに、バス釣りを普及させたい人達にとっては「放っておけば、増えるより食われてしまうスピードの方が速い。」という危機感があり、食材として用いられないように「不味くて食えない。」という情報を口コミで流した。
そしてまんまと「ブラックバスは釣るのは面白いが、食べられない魚」という一般認識を、固定するのに成功した。
これは今やルアー釣り界の大御所になってしまった人が、昔のバス釣りのガイドブックの中でぶっちゃけていた話だから、嘘ではないだろう。
ブラックバス釣りは普及したが、ブラックバス自体は悪質な外来生物とされ、ニジマスやブラウントラウトのような商用魚と区別されてしまう破目になったのは、皮肉な話だ。
以上、長くなってしまったが、余談終了。
さて、ボラを刺身で食べる時に用いる薬味についての話題に復帰する。
刺身にワサビは定番だから、ボラをワサビ醤油で食べるのは、別に変な話ではない。
ワサビ醤油で食べても、充分美味しい。
ただ、ワサビにはワサビ自身が持っている甘味が有るせいか、ボラの身の甘味を楽しむのには、ワサビの甘味が少しばかり邪魔に感じられる。
実際、ボラ刺しを食べる時には、ワサビ醤油よりも生醤油の方が旨味が分かる。
それならば、生醤油で食べればよい話なのだが、ピリッとした刺激を追加すると食味が増すから、何らかの辛味を追加したくなる。
それとワサビ醤油を使う時には、ワサビの揮発成分が鼻に抜ける時に、若干、魚の匂いを強調する。
これはボラに限った話ではなく、アジやイワシ、キビナゴの刺身にはショウガが添えられる事が多いし、ウナギの白焼きにはワサビ以外に七味やニンニクが添えられる。
カツオにもニンニクスライスかショウガを添えるのは定番だ。
ワサビ・七味・一味・ショウガ・ニンニク・ミョウガ・辛味大根・胡椒・山椒の薬味を試してみた結果、
ボラの身の甘味・旨味と喧嘩せず、より強調出来るのは一味唐辛子だと感じられた。
一味を使うと、その刺激のせいでボラの優しい美味さが強調され、ワサビを使った時の余分な匂いは消える。
まあ、これは個人的な感想に過ぎず、唐辛子自体が苦手という方もおられるだろうから、一つの参考意見として受け取って欲しいのだが、ボラ刺しを食べるチャンスが来たら、一味かタカノツメを試していただけたら幸いだ。
さて最後に、ボラのアラと皮の部分だが、これは味噌を濃い目の味噌汁にすると美味い。
「鯉こく」ならぬ「ボラこく」だが、魚の脂の濃厚な旨味を感じられる椀物として楽しめる。
せっかくの獲物なら、美味い部分は余す所無く味わい尽くしたいものだ。