9. 王宮の思惑
案内された部屋は、『西宮』と呼ばれる場所にあった。
エルクラウスの私の部屋が四つくらい入りそうな居間に、寝室が三つついている。セレナ様によると、西宮は国賓の宿泊場所だという。
「今回はわたくしが後見人ですから、何でもおっしゃって下さいませね」
セレナ様はそう言って、二人の少女を引き合わせた。
「エッダとジル――二人ともベルグ伯爵家の使用人です。アリッサ殿のご指導の下、身の回りのお世話をお命じ下さい」
セレナ様が嫁いだベルグ伯爵は裕福な貴族で、年齢こそ四十も離れていたが、恋愛結婚だった。十年余りの幸せな結婚生活の後、セレナ様は未亡人となった。
まだ三十五歳。黒髪の艶やかな美人であるセレナ様に求愛する者は後を絶たないが、再婚する気はないらしい。
一時期は、同じく結婚する気のない王太子と、お互いの縁談避けに恋人同士のふりをしていたという。
「後程、王宮側からもお側付きの女官が派遣されて来ると思います――で、お疲れのところ申し訳ございませんが、お着替えいただいて国王、王妃両陛下にご挨拶をお願いいたします」
アリッサが心得たとばかりに、仕度を始める。どんな時も『疲れた』などと言えないのが、王族のつらいところだ。
「ロベルト殿下はいかがでした?」
髪を結い直してもらう私の横でセレナ様が訊いた。
「少し生真面目ですけれど、優しい方ね」
「そんな当たり障りのない感想ですの? 姫君の迎えに、わざわざ王子を派遣した王妃様が、がっかりなさいましてよ?」
「私なりに秋波を送ってはみましたのよ。全く効果がありませんでした。きっと好みではないのね」
苦笑混じりに言うと、セレナ様は『まあ、なんて贅沢な!』と可愛らしく怒った。
「ロザーリエ様のお気持ちとしてはどうです? 結婚してもいいと思われます?」
「ええ。でも、決めるのは祖父と兄ですから」
「ロザーリエ様、このセレナは騙せませんよ。あのお二方が姫君の意に染まない結婚を勧めるとは思えません」
「まあ、そう、たぶんそうね。私としては嫁ぎ先は条件で決めたいと思っているの」
「そういうことでしたら――」
セレナ様によると、現在の王太子妃は国内の有力貴族の令嬢なのだそうだ。第三王子の婚約者はあのエルフィーネ嬢で、こちらは王宮職員から絶大な支持を受けている。二人の妃に不満はないが、ホーエンバッハ王家としては、そろそろ他国の王族と婚姻関係を結んでおきたいと思っているらしい。
しかし、第二王子の妃に大国の王女を迎えれば王太子妃との間に軋轢が生じかねない。そこで、血統はいいが国力のないエルクラウスの王女である私に白羽の矢が立ったのだという。
なんだ。ホーエンバッハにも利点のある縁談なのね。
「実は、ハイデルのマクシミリアン王との縁談もありますの。運河補修の援助金を出してくれるそうです」
「ハイデルの国王? ずいぶん年上ではありませんか!」
「セレナ様は年の差があってもお幸せだったでしょう?」
「恋愛結婚とは訳が違います。援助金とはいかほどですの?」
私は、ハイデルが提示した金額を口にした。
「分かりました。王妃様に報告しておきます。そうですわね。それ以上の価値を提示していただかなくては。姫様はエルクラウスの宝なのですから」
セレナ様は俄然やる気を出したようだった。
表向きはあくまでも親善訪問である。
私は祖父の名代として、ホーエンバッハの国王と王妃に挨拶をした。
滞在予定は一ヶ月。
その間に交渉をまとめなくてはならない。
ロベルト王子を落とせない以上、後は王家全体との交渉になる。それがまとまれば、国王陛下からロベルト王子に結婚の命令が下るだろう。王子には気の毒だが。
渦中のロベルト王子は、私の部屋から謁見室までエスコートしてくれた。
彼の態度はいつも通りで、王妃様が『噂に違わぬ美しい姫君だこと。ねえ、ロベルト?』と、水を向けた時も、『はい。誠に』と真顔で返した。
王子、これお見合いよ? 分かってないんだろうなきっと。
「不肖の息子を含めて、姫君には、滞在される間にこの国のことをよく知っていただきたい」
国王陛下が苦笑混じりで、私に言った。
「余としては、交渉が上手くまとまることを願っている」
「ありがとうございます。わたくしも、両国にとって良好な関係を築ければと思っております」
条件次第だけれど。
ロベルト王子が『はて?』と、いうように首を傾げた。
「親善訪問と聞いていたのですが」
「ロベルト、そなたは少し裏の意味を悟りなさい」
王妃様が呆れたように言った。
「はあ。戦術の裏を読むのは得意なのですが」
「戦事に理論があるように、交渉事にも理論があるのです。アルディーンやロデリックに任せておけばよいというものではありませんよ」
「面目ございません」
ロベルト王子は、困ったように頭をガシガシと掻いた。
「で? 何の交渉なのですか、姫君?」
ロベルト王子の問いに、私は思わせぶりに微笑んだ。
「最初から手の内を明かさない――これが交渉の初歩ですわ」
交渉条件の一部であるロベルト王子は、何も知らずに『なるほど』とうなずいた。