8. 異国の花
古都から王都までは、馬車で一日だという。
古都では、多くの時間をロベルト王子と過ごした。
離宮公園を散歩し、最古の神殿のステンドグラスを見に行ったり、屋台で名物料理を頬張ったりした。
「護衛はなくてよいのですか?」
あまりにも気軽に出かけるロベルト王子に心配になる。
「ああ、ご心配なく。私とユルゲンがいれば、姫を危険に晒すようなことにはなりません」
いえ、私の心配をしているわけじゃないのよ? 一国の王子が、そんな風にプラプラ歩いてていいわけ?
……いいみたい、ね。
どこへ行っても、人々はロベルト王子に声をかけて手を振るが、驚いた様子は全くない。
「ここは街の警備自体がしっかりしているので、大がかりな警護は必用ないのです」
「掏摸、ひったくりなどは、いませんの?」
エルクラウスの市街地には多い。
「もちろん、いますよ。ただ、この図体ですからね。怖がって寄っても来ません」
「怖がってだなんて……あの……殿下は、頼りがいがあって素敵だと思います」
うん。ここは頬を染めて、潤んだ目でうっとりと見上げる。でも――
ロベルト王子は顔色ひとつ変えず、『ありがとうございます』と、ごく真面目に答えただけだった。
「私、頑張ったわ。近年まれに見るくらい頑張ったわよ」
私は王都に向かう馬車の中で、アリッサに愚痴った。エルフィーネ嬢はロデリック王子の馬車に乗ったので、ここにはいない。
「でも、ダメ。てんで歯が立たない」
ロベルト王子は、少しも私に靡いてくれない。
「仲睦まじげに見えましたけどねぇ」
「仲がいいくらいで、運河の補修金が手に入ると思ってるの?」
私の声は、地を這うように低く不機嫌だった。
「姫様ったら。そんなにイライラしなくてもよろしいではありませんか。まだマクシミリアン王のプロポーズは有効なのでしょう?」
マクシミリアン王……そうだった。
父親くらい年が離れていて、包容力のありそうな方。
もしも私が落ち込んだなら、抱きしめて慰めてくれるかしら?――想像つかない。むしろ、『しっかりしなさい』と、叱られそう。でも、ロベルト王子なら、きっと……
「うわぁぁぁぁぁっ! なに考えてるの私っ!」
「姫様?」
私は勢いよく頭を横に振った。
「何でもない。何でもないったら何でもないのよっ!」
「はあ……」
ダメだ。完璧にペースを乱されている。
いい? 私が望むのは好条件の政略結婚よ。
「好条件、支援金、好条件、支援金……呪文として唱えていれば、きっと叶うわ」
「姫様、コワイです」
「放っておいて」
「もう諦めて、ハイデルに嫁いではいかがです?」
「諦める? 冗談じゃないわ」
「いつもの姫様なら、見込みがない方はさっさと見切りをつけるではありませんか」
そうだっけ?
「姫様、もしマクシミリアン王と結婚したくないなら、そうおっしゃって下さい」
「彼と結婚したくないわけじゃないわよ? 嫌いじゃないし」
アリッサは複雑な表情で私を見た。
「アリッサ?」
「いえ、つまらぬことを申しました。姫様がこれから先どこへ行こうとも、アリッサはずっとお側にいますからね」
「え? ええ、ありがとう……急にどうしたの?」
「深い意味はございません。知っておいていただきたかっただけです――ああ、ほら姫様、王宮が見えて来ましたよ」
何かごまかされた気がするが、アリッサの言葉に私は居住まいを正した。
離宮の規模から予想はしていたけれど、ホーエンバッハの王宮は広大だった。外観だけ見ても、どこが端っこにあたるのか分からない。エルフィーネ嬢が、『慣れないうちはよく迷っていた』と言っていたが、さもありなん。
入り口にずらりと並ぶ出迎えの人々の中に、見知った顔を見つけて、私は微笑んだ。早く言葉を交わしたい。
たが、宮廷には決まりがある。
私はロベルト王子にエスコートされて、まずホーエンバッハの王太子と妃に挨拶をした。
ロベルト王子と兄である王太子は、顔立ちこそよく似ていたが、纏った雰囲気がまるで違う。この人は、瞬時に三つの事柄を決められるタイプだ。しかも情け容赦なく。
(ロベルト王子なら、瞬時に三つの事柄をまとめてぶった斬るだろう。しかも迷いなく)
鋭い剣の刃先のような王太子に対し、妃の方はおおらかな、少女っぽさの残る美人だった。
その後、大臣級のおじさん達に愛想を振り撒き、やっと彼女の前に立った。
「セレナ・ベルグ伯爵夫人」
「ロザーリエ王女様、お久しぶりでございます。まあ、ますます母上様に似てらして」
亡き母の年若い親友は、少し瞳を潤ませてそう言った。
「此度は世話になります」
「ええ、お任せ下さい」
セレナ様はニッコリと笑うと、
「姫様をこの宮廷の花にしてみせますわ」
と、小さな声で告げたのだった。