4. 上には上が
国境の河にかかる橋を渡り、ホーエンバッハの領土に入った。
エルクラウス国内では、街道沿いの宿屋を借りきって泊まっていたのだが、ここから先は、王家に近しい貴族の館に泊まると聞いていた。
日が暮れた頃に着いた伯爵領は、ど田舎だった。
弱小国の私が言うのもどうかと思うが、ホントにど田舎だからしょうがない。屋敷の前庭で馬車を降りると、どこからともなく蛙の大合唱が聞こえたくらいだ。
私たちを出迎えたのは、バルド伯爵夫妻と四人の令嬢だった。
バルド伯爵は、筋骨隆々としたいかにも武人といった風情の人で、対する奥方は小柄で可愛らしい。
一番年上の令嬢は私と同じ年頃のようだった。
どちらかというと平凡な顔立ちだが、手入れの行き届いた栗色の髪と上品な物腰が印象的だった。
「エルフィーネと申します」
令嬢は軽く膝を曲げて、宮廷風のきれいな礼をした。
「お疲れでございましょう。先にお部屋にご案内いたしますね」
「ああ、ちょっと待て、エルフィーネ。頼みがある」
ロベルト王子が、エルフィーネ嬢に声をかけた。
「何でございますか? ロベルト殿下がおっしゃると、嫌な予感しかしないのは私の偏見でしょうか?」
「間違いなく偏見だ。厨房を借りたい。それと、砂糖も」
「それ、どんな鍛練です?」
ロベルト王子のすぐ後ろに立っていた側近の騎士が、グッと喉を詰まらせたような音をたてた。
「ジャムを作るだけだ」
「ジャムとは、新しい火薬の名前ですか?」
「違う」
冗談で言っているのだろうかと思ったが、二人の顔は大真面目だ。
私の隣でもアリッサが、プッ、クッと息を詰まらせた。騎士に至っては口元に手をやり、肩を震わせている。
「ユルゲン、何を笑っている?」
ロベルト王子が不機嫌そうに言った。
「いえ……何でもありません――エルフィーネ様、殿下がおっしゃっているのは、普通のジャムです。食べる」
『ああ、そうか』と手を打つエルフィーネ嬢。むしろなぜ通じないのかと、私は首を傾げた。
ロベルト王子は、アメットの入った鍋を騎士に持って来させた。
「木苺の一種だそうだ。ロザーリエ姫が食べたいと言うのでな、少し採って来た」
鍋は二つあった。エルフィーネ嬢が蓋を取って中を確認する。
「殿下、『少し』の基準を一般人に合わせて下さいよ」
エルフィーネ嬢は、呆れたように言った。
「多いか?」
「多いですね」
「煮たら、半分になるはずだ」
「なりますよ。それでも保存瓶が二十くらい必要でしょうね」
「瓶か。それは失念していた。作るまでしかやったことがないからな」
「えっ? まさかの、ロベルト殿下がジャムづくり?」
「子供の頃、リックの静養先に大きな苺畑があったのだ。暇だったから、厨房の手伝いをしてよく作ったものだ。しかし、そんなに瓶が必要なら、これを全部を処理するのは無理ということだな」
すると、エルフィーネ嬢は、不敵な笑みを浮かべた。
「殿下、王宮女官を舐めないで下さいませ。きっちり用意させていただきます」
いったい、この伯爵令嬢は何者なのだろうか?
アリッサも疑問に思っていたのだろう。
泊まる部屋に案内されるやいなや、アリッサはエルフィーネ嬢を引き止めた。
「バルド伯爵家は王家に縁の深い家柄ですの?」
「バルド家自体は、ただの地方貴族なのですが……ロベルト殿下は何も説明していないのですか?」
えっ? 何を? まさか、側室だとか言わないわよね。
「王家の忠臣だとしか、伺っていませんが」
アリッサがそう言ってから、私の方を見る。私はにこやかにうなずいて、エルフィーネ嬢の返事を促した。
「わたくし、普段は王宮にて第三王子であるロデリック殿下にお仕えしております。この度、王女様をお迎えするにあたって、宿下がりの許可を特別にいただきました。ここから王都まで王女様に同行して、おもてなしせよと王妃様から命じられております」
私は首を傾げた。
いくらエルクラウスが弱小国であるにしても、一介の女官の任務にしては大きすぎないだろうか?
「エルフィーネ様は女官でいらっしゃるの?」
私の問いに、エルフィーネ嬢は困ったような表情をした。
「半年ほど前までは女官でございました。今は『部屋付き』と申しまして、王子妃に準じる地位にいます」
あれ? そういえば、宰相は『第三王子は婚約中』と言っていなかった?
「間違えていたら許して下さい。第三王子は結婚が決まったと聞いています。貴女がお相手なのかしら?」
「左様でございます」
うわぁ―――――っ! 何なの、それ! 玉の輿もいいところじゃない。
『それはおめでとうございます』なーんて口にしながら、私は敗北感に打ちのめされていた。
だって、女官よ? 出自はど田舎の伯爵家よ? (失礼でごめんなさいだけれど)ルックスは平凡よ? どんな手管を使えばそうなるの?
井の中の蛙大海を知らずとは、この事ね。上には上がいるのだわ。
「では、王都までご一緒できるのですね。楽しみですわ。色々お話ししましょうね」
そして私に、王子を落としたその超高度な技を伝授して下さい、師匠!
私の妙な熱気を感じたのか、エルフィーネ嬢は少し引きぎみになりながら、
「わたくしも楽しみでございます」
と、うなずいた。