3. 王女の気まぐれ
あり得ない。なぜ? どうして?
「腕が鈍ったのかしら……絶対にあざとカワイイ系がツボだと思ったのに。清純な子ウサギ系で攻めるべき?」
「姫様、独り言はおやめ下さい」
「やはり、時代はツンデレ?」
「姫様!」
私は、膨れっ面で目の前に座るアリッサを見た。
「何よ」
アリッサは盛大なため息をついた。
「馬車の中とはいえ、不用意な発言はお控え下さい」
「分かった」
アリッサの言うことは尤もだ。それは理解している。でも、心が追い付かないのだ。
エルクラウスの王宮を旅立って三日目。
毎日顔を合わせているというのに、ロベルト王子との距離は全く縮まらない。
嫌われてはいないと思う。
物腰は丁寧だし、こちらを気遣う優しい言葉をかけてくれる。ただ、何と言えばよいのだろう。常に無表情、もしくはしかめっ面なのだ。
「全然口説いてこないって、何? こっちはガードを下げてるっていうのに。内気で有名だった貴公子でも、もう少し迫ってきてたわ」
「単純に、姫様が好みのタイプではないのでは?」
うーん。ひょっとして年上好み――いや、まさかのロリコンとか? それとも顔立ちかなぁ。
腕を組んで『う~ん』と唸る。
「速度が落ちましたわ」
アリッサは窓から外を見ながら言った。
「そろそろ休憩でしょう。お願いですから、膨れっ面はやめて下さいね」
しないわよ。外面がいいのが取り柄なんだから。
ほどなく馬車が止まり、扉がノックされた。
「姫君」
ロベルト王子の声だ。
「休憩を取ります。外にお出になりますか?」
私が『はい』と答えると、扉が開いた。
「こちらへ」
ロベルト王子の手を取ると、反対側の腕で腰を抱かれ、軽々と馬車から下ろされた。
当然、体が密着する。
普通はこういう時、少し思わせ振りな雰囲気を醸し出すというのに、ロベルト王子は徹頭徹尾真面目で清廉だ。
全く下心のない人が相手だと、かえって気恥ずかしくなるものらしい。初めて知った。
「ここはどの辺ですの?」
私は熱くなる顔をごまかすように周りを見た。
緑の深い山間部のようだ。
「お国の国境近くですね。ほら、あの河を越えれば我が国です」
緩やかな下り坂の向こうに森が広がり、その向こうにキラキラ光る水面が見える。
ああ、なんて美しいの!
「国境の河ね。あれは王都まで続いているのよ。木を切り出して筏にして、都まで運ぶの。城の塔から筏が見えて、それで――」
しまった。はしゃぎすぎた。
「それで?」
「それだけです」
「本当に?」
私は、ロベルト王子を見上げた。青い瞳が問いかけるように私を見ていた。
「ええと、その……塔の見張り台に上がるのは梯子なの。登るのはいいのだけれど……降りられなくなって、いつも兄に……」
「見かけによらず、お転婆姫なのですね」
ロベルト王子はふふっと笑った。目尻にシワができて、いつもの厳しい表情が和らいだ。
おおっ! なんてレアな――って、私の方がツボにはまってどうするのよ。
コホンと小さな咳をひとつ。気持ちを切り替えなくては。
「少し歩いて来ていいかしら?」
少し歩くとは、言葉通り散歩して座りっぱなしの脚を伸ばす意味合いもあるのだけれど、ほら、生理現象の解消もしなければならないわけで。
「侍女をお連れ下さい。遠くには行かれませんように」
「ええ」
こういうところも洗練されているな、この王子。
時々、『私もご一緒します』とかぬかす気の利かないお坊っちゃまもいるのよ。
私とアリッサは、『あちらに花が』なーんて言いながら、人目につかなぬ草むらに分け入った。
「こんな高地に来るのも久しぶりですわね」
アリッサの言葉に、私は空を見上げながら『そうね』と、答えた。どこからともなく、甘い香りがした。
「アリッサ、見て」
「まあ! アメットですね」
アメットは、木苺に似た山の果実だ。母はアメットのジャムが好きで、よく食卓に上っていた。
「ここは、アメットの群生地らしいわね。少し採って行かない? 食べたいわ」
「小さな篭でもあればよいのですが」
「そうね……騎士たちに言ってみましょう。他国の王女の気まぐれを、あの人たちがどう対処するのか興味があるわ」
「承知いたしました」
アリッサは近くに咲いていた野の花を手折ると、少し離れた場所にいる騎士達に見えるように軽く振った。
合図に気付いたのか、騎士が二人、こちらに来た。
「何かございましたか?」
この場合、私はただ微笑むだけ。話すのはアリッサの仕事である。
「篭のようなものはありませんか? 姫様は、この木苺をご所望です」
アリッサの言葉に、二人の騎士は顔を見合わせた。
「畏れながら、野生の実生には毒ある物もございます。おやめになった方が……」
「どうした?」
低く威圧感たっぷりの声がした。
騎士たちはピシッと背筋を伸ばし、ロベルト王子に事の次第を説明する。
ロベルト王子は、アメットの実を一つ摘み取って指で潰すと、匂いを嗅いでから舌の上に乗せた。
「毒はないな」
「当たり前です」
アリッサはピシャリと言った。
「我が国ではありふれた実です。見誤ることはございません」
アリッサ? おーい。相手は王子だからね?
「なるほど――フランツ」
「はっ」
「十人ぐらい呼んで来い。篭と鍋もな」
「鍋……ですか?」
「どうせなら、たくさん採った方がよかろう?」
「ねえ、アリッサ。鍋なんてあったのね」
「旅に出る時は非常事態に備えて、夜営が可能な装備をするものらしいですわ」
「へえ」
鍋ごと渡されたらどうしようと思ったが、馬車に乗ってから届けられたのは、小ぶりの篭に盛られたものだった。きれいに洗われているようだ。
「美味しい」
懐かしい香りが口の中に広がった。