11. 急転直下
「まあ、こんな感じかな」
そう言ったのはロデリック王子だ。
会議テーブルの上にはエルクラウスの地図と、複数の工事の見積書類が並んでいた。
「ハイデルが提示した金額より、少なくなってしまったけれどね」
「いや」
アルディーン王太子が腕を組んで渋い顔をする。
「元々ハイデルの提示した金額が破格すぎたのだ」
「ロザーリエ姫、僕の予想を聞きたい?」
ロデリック王子の問いに私はうなずいた。
「結婚が決まって、工事が始まる。ハイデルの王は工事に口出しをしてくるだろう。なんてったって出資者だからね。結果、業者はハイデルの者になるだろう。資材もハイデルから運ばれて来るだろう。エルクラウスに金は落ちない。その上、運河の使用権も要求されるに違いない。マクシミリアン王は、ただ同然で若く美しい花嫁を手に入れる。エルクラウスの王位継承権も」
「でも、わたくしには兄が……」
「兄上はまだ独身でしょう? 次の王位継承者はロザーリエ姫になる。もし、兄上に子供が生まれなかったら? もし、姫君の子供が一人しかいなかったら? 次の世代にはエルクラウスはハイデルに併合されるかもね」
「そんな……」
「まあ、あくまでも予想ですよ。そうだと決まったわけではない。僕の予想も含めて、国王陛下や兄上に検討してもらうと――何だ?」
ロデリック王子が扉の方を見た。
何だろう? なんだか外が騒がしいような……
「見て参ります」
「いや、待って、エルフィーネ。ロベルトだよ」
ロデリック王子の言葉に、アルディーン王太子もしばし耳を澄ませてうなずいた。
「そのようだな。今、近付くのは危険だ」
「でも、このままでは扉が壊れます。用心しますので」
エルフィーネ嬢は立ち上がると、スタスタと入り口に向かって歩いて行った。
そして少し手前で何事か考え込んでから扉に近付き、ドアノブを回しすぐに斜め後ろに飛び退いた。
扉が勢いよく開き、四人の男がなだれ込んできた。
会議室の前にいた衛兵が二人、ユルゲン、そしてロベルト王子だ。
「何の騒ぎだ? 会議中だぞ」
アルディーン王太子が厳しい声で窘めた。
「すみません! お止めしたのですが」
ユルゲンがロベルト王子の腰にしがみつきながら謝った。
「会議? 会議だと?」
ユルゲンを引きずりながら、ロベルト王子が鬼気迫る勢いでゆらゆらと近付いてきた。
「私の結婚話だと聞いたぞ。なぜ当の本人抜きで話し合っている?」
「なぜ? 姫にとって、お前は花婿候補の一人にしか過ぎないからだ。今は、エルクラウス側に提示する条件を決めている段階だ」
王太子がピシャリと答える。
「候補……まだ候補なのか」
ロベルト王子はユルゲンを振り払い、私の足元に跪いた。
「ロザーリエ姫」
「は……はい!」
「私と結婚してくれ。大切にする」
ドキリとして、一気に顔が赤くなった。
「わたくし……あの……」
「私をお厭いか?」
「いえ、そのようなことは……」
「お前は馬鹿か!」
アルディーン王太子が丸めた書類で、思いっきりロベルト王子の頭を叩いた。
「条件を提示中だと言っただろう。本国の許可がないうちに答えられるはずがない。姫君を困らせるな」
「だったら早く許可を取ってくれ。このままでは姫はハイデルに嫁入りするしかないと聞いたぞ」
「お前にしては耳が早いな。誰から聞いた?」
「ロザーリエ姫の侍女だ」
アリッサ?
「ハイデルは遠いし、王は中年オヤジだし、王妃ともなれば軽々しくエルクラウスに帰るわけにはいかないと、毎晩枕を濡らしていると聞いた。かわいそうに」
アリッサ、何を言った?
「お前がその気なら話は早いな。面倒な手間が省ける。姫、この馬鹿を夫にしてもよいと思われるなら議事録に署名を」
アルディーン王太子がペンを差し出す。
私はペンに目をやり、それからロベルト王子を見た。海のように真っ青な瞳が私の答えを待っていた。
「わたくしでよろしいの?」
声が震える。
「もちろんです。周りの者が選んだ方だ。よき伴侶になって下さると信じております」
数々の貴公子に囁かれてきたような甘い言葉はなかった。美の女神と讃えられることも、情熱的な愛の言葉も。
なのに、私の手はペンを握っていた。
何を迷うことがあるの? エルクラウスのためなら何でもすると決めていたでしょう?
ただ署名するだけよ。
ハイデルか、ホーエンバッハか――決めるのは祖父と兄なのだから。
私が署名すると、アルディーン王太子はインクも乾かないうちに書類を取り上げた。
「父上に報告してくる。会議は以上だ」
呆然とアルディーン王太子の後姿を見送る私の頬に、暖かいものが触れた。
「大丈夫。姫に不利になるようなことはありません。兄はベルグ伯爵夫人にたくさん借りがあるのです」
ロベルト王子はそう言って、私の頬の涙を拭った。
「泣かないで。姫が好きな時にエルクラウスに帰れるようにしますから。約束します」
それは同情? 同情なの?
私は両手で顔を覆った。
ずっと心に蓋をしてきた感情が溢れ出す。
同情なんていらない。
私は貴方が好きなのに。




