one day12
目を閉じて、願う。
そんな事で叶うほど陳腐な願いならとっくの昔に捨てた。
体を丸め、嗚咽をこらえて泣き腫らした目を開く。
そうでもしなきゃ見逃してしまいそうなちっぽけな願いを、自分は追い続けている。
暗闇に溶ける濃紺の後姿に向かって「力」を放った。
心臓から、大動脈。鎖骨を上って上腕へ。 前腕、指先、徐々に熱をめぐらす感覚が自分の内に血液や酸素じゃない「何か」が息づいている事を伝えてくる。まっすぐ前へと伸ばした両腕の先、手掌からぶわりと立ち上がる青い光をいくつかに分散させ、前に撃つ。
「隠者の水葬 ウンディーネ」
呟けば目にも留まらぬ速さで標的に向かうって寸法だ。
空を切り違わず標的を捉えるはずのそれは、背中から身を落とし横に転がる華麗な身のこなしで全て避けられてしまう。くるりと軽やかに体勢を整えこちらに顔を向けた「彼」から伝わる濃厚な殺気に思わず身が震える。
陽炎のようにゆれる魔力が彼から立ち上るのを捉えながら右手を口元に寄せる。硬質な赤い石がはめ込まれた指輪から鈍く光が漏れてあたしを包むのと同時に彼の放つ術が目前に迫り、ジュワーとかブシュアなんて溶解音が立ち上る。
腕を一振りして防御膜を取り払えば、開けた視界に呆れたような、諦めたような表情で立ち尽くす彼が見えた。
「こんばんわ、キリ」
笑みを形作った顔を向けると「なんて物騒な挨拶だよ。お前はアサシンか」と言ってキリは苦笑して見せた。
こんな夜中に外へ出かけようという彼を問い詰めると「眠れないから、息抜き」と大して面白みの無い答えが返ってきた。
ふうん。あたしは寝すぎて目が冴えたよ と言おうとしてさすがにそれは不謹慎かな、と口をつぐんだ。
「だから暇だったんだって」
そっちこそなんでこんな時間に攻撃仕掛けてくるんだ、と聞いてきた彼に答える。
「お前は暇になると人に向けて攻撃呪文を唱えるのか」
さも吃驚した、と言う風に目を見開いて見せている。
「や、それはキリだから。」
理由になってないし・・・といってうなだれる彼にむけてふふん、と笑ってみせる。
「君がそこにいる、それが理由だ」
「もう誰かこのガキに常識を叩き込んでやってくれ・・・」
「常識、かぁ」
ついさっきまでの悶々とした思考が思い返される。常識。それを言うなら自分こそが非常識なんじゃないかなんて今更な考え。
キリはどことなく真剣さを混ぜて低い声で気遣うように言う。
「どうした?・・なんか様子変だけど」
敏い。だが真っ直ぐな気遣いがやはり年相応な幼さを見せている。
「変にもなるわ!・・ってね」
夜に満ちる清涼な冷たい湿気を含む空気をいっぱいに吸い込む。うん、と手を伸ばして、釣られる様に上げた視界には星が瞬いている。どうしても届く事がないそれを握り締めるように強くこぶしを閉じた。
進む道が閉ざされたように闇に覆われていて、はっきりと色ずくのは隣を歩くこの少年だけなんじゃないか、なんて思う。切れ長の瞳もバイオレットの色彩も、それを更にトーンダウンしたような濃紺の髪も「昔」のあたしの周りには存在し得なかった色で
黒やら茶色やら頑張って染めたか抜いたかした金色だとかうっとおしいぐらいに飾り立てようとする人全てが面倒で仕方が無かった。
黙り込んだあたしを気にするような空気を出しながらも目線は真っ直ぐ前を見つめている。
やっぱり、あたしは彼が羨ましい。揺ぎ無さだとか真っ直ぐな一途さが幼さ故のものだとしても自分はこんなもの、一度だって持てなかった。
進めていた歩みを止めて、彼を見つめる。吐き出す息が白く滲んだ。
「あのね。こうやってここに居れるだけで多分幸せなんだけど」
彼も同じように歩みを止め、特に感情を示さない表情のまま言葉の続きを待っている。
「自分の力で得たものじゃないからだとか卑怯だからとかね、そういうことは思わない。得たチャンスを、逃す気はない。罪悪感も無い。ただ・・」
たまに怖くなるんだ。真っ直ぐに前だけを見つめるひと、何かとても重い荷物を背負っているのに絶対に膝をつかない人、揺るがない強さを一身に求める人、見えない未来に悩んでも決して逃げない人。そんなすごい人が沢山いるってことをこの世界で初めて知ったんだよ。
でもそれは違うなってこともわかっている。
「怖い」って言ったら彼が失望するんじゃないか、ってそんなこと。
くだらない。ばかばかしい。と言って切り捨ててしまえない。それはじぶんの圧倒的な弱さだ。
「人が、きらいだ。思い通りにいかないもの。」
あぁそもそもなんでこんな脈絡のない事を話しているのか。
こんなこと他人に言ったところでどうなると言うの。
なんてね、とか青少年の悩みーとか適当に誤魔化して笑おうとした。キリの表情を見るまでは。思わず、固まる。思考も動作も。
「なんで笑うの」
声は洩らさずに目じりを下げて口角を緩めて柔らかくキリが笑んでいる。
「笑うとこじゃないんだけど」
「サリジェでもそういう風に考えて、止まるんだな」
笑みを納めて、でもまだ柔らかい表情で言葉を紡ぐ。
「俺より年下なんだったな、そういえば。部分部分では思い出すけど改めて考えた事なかったかも」
「年がどうとかそんな話してないよ。ふざけてんの?」
「ふざけてない。」
不機嫌さが滲んでしまった声に一言、断ち切るように返されて怯みそうになる。
それでも視線は逸らさないように目に力をこめて強く彼を見返す。
「人が嫌いなら、俺が傍にいる。人が怖いなら、俺が盾になる。ただ隣にいるだけが友達じゃないだろ?それと、サリジェはサリジェだ。自分で得ていないものなんて無い。ここにいる事もこうやって話してる事も選んだのはお前だろ?」
キリが手を伸ばして、くしゃりとあたしの頭を撫ぜる。
「なぁサリ。俺はお前が強いと思うし、一緒にいると楽しいよ。だからこうやって話せる。」
おどけた様に両腕を広げてみせる。「お前といるの好きだけど・・」と言ってにこりと笑った。
止めていた歩みを進め、前を行く彼の背中を見ながらポカリと口を開く。そこから感嘆の息まで洩れた。
(なんとまぁ。恥ずかしい事を。プロポーズかと。)
呆気に取られて、彼の言葉を咀嚼し直して、ゆっくり息を吐き出す。
彼の言う事は正しい。友人を慰める言葉としては100点満点だと思う。
でもね。
だんだん遠くなる背中を見送っているとふいにキリが立ち止まって手招きする。それにゆるく笑みを向けてあたしは彼の隣へと向かった。
でもね、違うんだ。私は一人で立てるようになりたい。誰かに縋る事でしか立てないような見っとも無い人間でありたくは無いの。
あなたの優しさに甘えて、縋っている。こんなあたしも、いつかは消し去ろう。
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