one day10
こうであるべきだ、と決め付けられる。こうであって欲しいと言う期待すらただの見栄だと気がついた。
何を見ているの。どこを見ているの。ずっと傍に居たのに、なぜわからないの。
あなたにとって私の苦しみなどどうでもいいことなの?それを選べばきっと私は苦痛に嘆く。
私の頭を占めるのは幼い私を、冷たい沈黙から拾い上げたあなたと過ごした日々。きっと一生捨てられない記憶。
だからこそなのか、わからないけれど。この日々の先に待つのが私を殺すであろう痛みのみだとしても
それでもあなたの期待に応えたいと、私は愚かしく高みに手を伸ばす。
あーでもないこーでもないと彼女が語る学説をうん・・うん・・とあたしが聞き流し、時にはどう考えてもこれあたしに聞くべきことじゃないのでは?と思うようなことでも真剣な顔で説きはじめる。悪気のなさそうな様子なものだから更に始末が悪い。
知らん。わからん。を通せば何が楽しいのかにまりと笑みを浮かべてこちらに質問のアローをかましてくる。だから身を乗り出すな。よって来るな!といえば素直に従うのだが、考えの読めない相手は本当に扱いにくい、と彼女には思い知らされるのだ。
「だーかーらー魔法は広義で言えば魔術の一種何じゃないの。いいんじゃないのそれで。というかあたしはまだ2学年ですよー?お忘れかもしれないけど実技授業自体が少ないの。わからなくても仕方が無くないですか。5学年になったらまた考えるよ。うん・・・そうだね。はいはい。・・・」
シェニが部屋に来てから1時間半。ずっと一方的な語りを聞かされ耳だこ状態である。正直嫌気が差している。
目線はレポート用紙に釘付けのまま。しかしあまりの雑音に集中しきれず手元が幾分疎かで、空白の目立つ用紙がどこか寒々しい。
机に向かっていた所為で血液が脳に大集合しているためか、鈍く響くような頭痛がする。
グリグリとこめかみを押さえつけて誤魔化し、うつ伏せの体勢からよっこらしょ、と起き上がると1時間前と変わらぬ姿勢で窓辺に寄り添うシェニがいる。辛くないのだろうかと多少気になるのも仕方が無いことだ。
「しかしね、本当にそうだろうか。君の言い方からすると狭義では別の意味を持つ、と捉えているのだろう?教科書的な内容になってしまうが、『魔法とは個人の才能如何で判断すべき事象ではない。この世界上に存在する生体の全てが持ちうる可能性として考えることが最も適切であろう。力の原動力が人の生体能力、強いては生まれ持った容量、核であるとされる魔術とは本質的に異なるものだ、と私はここに定義する』とかの高名なミシエル・ポートマンも述べている。確立されている実論が不足していることは確かだがそれでも私が考えるに・・・」
なんたらこうたら・・・・まだまだ続いている。彼女の語りは止まらない。
まさに、エンドレス。・・・息継ぎは?句読点は?どこかに家出してしまったのだろうか。戻ってきておくれよ!と脳内でバーチャル人情劇が繰り広げられている。
はい、バカみたいだからやめようねー。
あぁこれうるさいわ、と思う。残念なことに、興味の無い分野の話題でもある。
というか、多分あぁうるさいなぁ と自分の口から音を発したような気がする。
第一 。誰だ、ミシエルって。あぁミシエルデショ!なんて言えない。
呆れを集約したようなため息を吐き出したところでそれを気に留めることなく彼女はうんうんとなにやら考え込んでいる。
それを視界に納めたまま、ぐるりと肩を回す。どうにも疲れることばかりだ。
学科授業が主である初級学年、つまり1、2学年は大雑把な言い方をすれば基礎科目の基礎!という内容ばかりを学ぶのである。誰々さんが述べた何とかという学説がどうこうで・・・・・・・なんて言い出すのはせいぜい中級学年以上の生徒なのだ。
それこそ2年生がすらすらと語りだしたら、それはそれでかなり怖いものがある。
しかしそんな他人の事情には興味が無いのか、それともただ語りたいだけなのか こうしてあたしを訪ねては学者のごとく語りだすのは珍しくない。
その度に思う。まるで、自分の世界に鍵を掛けているようだなぁと。
外の状況など気にしなくて済むように。研究者のように、深く狭い自分だけの部屋が心の中にあってそこに閉じこもっている。
とは言ってもそれをどうするつもりも自分には無い。自分は彼女のように一つの物事にのめり込むタイプではないが、周囲を気にせず好き勝手やるタイプの気はあるような気がする。その身勝手さは多分共通している。
幾分大きめな声で呼びかければどこかうつろだった瞳に光が戻る。すっきりしないような表情だが、まだこちらに意識を向けてくれるだけましだろう。
「シェニ。 毎回思うのだけど。そんな小難しい話あたしに振っても望むような答えは返せないよ?ほら・・それこそ、いっつも君の周りに居る人たちに聞かせてやればいいんじゃない?多分バックに花飛ばす勢いで乗ってくれると思うけど。」
すると、どこか困ったような苦笑を返される。
「・・それはさすがに、ね。私にも好みというものがある。理を解さぬ、興味や損得ばかりで近寄る動物は嫌いなんだ。」
動物って。もはやすでに人間じゃない認識ですか。
「贅沢だねぇ・・上級家庭の子息や息女と関係作っておいて損は無いと思うけど。」
お家柄、というものがある。お金持ち、権力者、人脈がある、能力が優れている。そういったものを基準に人間を格付けしてしまうらしい。
人権尊重や男女平等、そんなものが当たり前だと思っていた。
自分の中にある常識や価値観がそのまま通用するこの世界でそれが覆されるなんて思いもしなかった。根拠なんてまったく無いけれど何故か、それが絶対だと思い込んでさえいた。
シェニはどこか含みのある笑みを口元に浮かべている。
「サリジェの打算的な物言いはどうしてか、好ましく思えるのだけれどね。
1から10まで計算、打算で近寄る人間ほど信用できないものはないさ。いずれ駒として良いように利用されるのが目に見えている。・・嘆かわしいことだ」
どこか演技がかった物言いだが、まぁわからなくは無い。実体験に基づくのであろうその言葉にあいまいな笑みを返した。
才能のある、実力のある彼女と友好を結べば自分たちに有利なことがあるのではないか。そういう類の打算。そこらへんを見ればゴロゴロ転がっている・・・とは大げさかもしれないが、決して遠い世界の話ではない。振り返れば、目を凝らせば案外すぐ傍にあるものだ。
そういったものを嫌悪する。自分を道具のように利用しようとたくらむ人々を疎ましく思う。
当然だと思う。でもそれと同じ位、仕方ないことなんじゃないか、と達観に近い諦めを抱いている自分が居る。
自分だって、有利になるもの不利になるものを選んでいる。自分に不利なものは近づけずまた近寄ろうとしないし、有利なものは傍に置き必要になれば使おうとするだろう。何をいまさら、そんな理由で他人を疎むことが出来るだろうか。
自分はそんな汚いことはしないと他人を蔑むことが出来るだろうか。
・・・・わからない。けれど自分が同じ立場にあればきっと不快なそれを遠ざけようとするだろうな、と予測できる。
突然、パチリとひらめくものがある。決して揺るぐことの無いバイオレットの瞳。
彼ならどういうだろうか。何かと接点の多い、おそらく親友とでも呼ぶのが自分たちの関係を表すのに最もふさわしだろう彼ならば。そんな思いがふと頭をよぎる。
きっとこんな中途半端なことは言わないのだろう。ばっさり切って捨てるか、自分はこうだと迷いの無い言葉で話を終わらせることも彼なら出来るのだろうか?
その強さが羨ましいとずっと思っていた。自分が持ち得ない強さを持つ彼がやたらと眩しくて、嫉妬のような暗い感情を抱くこともあった。それでも、だからこそ傍にいたいと、意識せずに共にいることを望んでいたのかもしれない。
思考の海に沈みながらも、この場にいない人を想うなんてまるで恋でもしているみたいだな、と可笑しくなる。
思わず緩んだあたしの表情を偶然見たらしいシェニが、まるであたしが何を考えていたのか知っているかの様に柔らかく微笑んだ。