第9話 A面その5
いきなりになるけれど、今回の語り部は僕、こと一ツ橋要次郎、ではない。
なぜなら僕はこのシーンに立ち会うことはなかったし、そのあと当事者からこのシーンに関する説明も受けていないからだ。僕はこのシーンのことを知らなかったし、これからも知らない。
そんなわけで、今回は語り部は不在で、視点は、三人称――いわゆる神になる。
そこの点を了承していただいて、続きをどうぞ。
※ ※
早竜寺蛍は病院の廊下を歩いていた。
彼女は思案している。
これから会う人物のコト、これまであったコト、これから話すコト、そういったものに思考をめぐらせ、思案し、検討し、再考している。
彼女がこれから説明すべきことは実に単純で、そしてこれ以上なく複雑だった。彼女自身まだ把握していないことの方が多いデキゴトの報告。
しかし彼女はそれについてはそこまで深く悩んでいるわけではなかった。
そんなことよりも、今は早く会いたい、という思考が頭のほとんどを占めていたからだ。
彼女は口に出さず、想い人の名前を呼ぶ。
――修子ちゃん。
蛍は目的の病室のドアの前で一旦足を止め、深呼吸をした。
病室は個室で、しかもベッド料金の高い病室だった。
そっと腕を上げ、ドアをノックしようとして、蛍は腕を止めた。
病室の中で軽快な足音がしたからだ。
足音はまっすぐドアに向かい、そして、ドアは勢いよく開けられた。
「ケイさんっ!」
声とともに蛍は小沼修子に全身で抱きつかれた。
「ケイさん」
修子はもう一度、蛍の名前を呼ぶ。蛍は修子の頭を撫でる。
「修子ちゃん」
蛍が優しく修子の名前を呼ぶと、修子は顔を上げ、蛍を心配そうな顔で見上げた。遠慮がちな、怯えているような表情を浮かべ、
「ケイさん、……無事だった?」
言いにくそうな様子でそう蛍に問いかけた。
蛍はそれで全てを察した。
だから蛍は、曖昧な修子の言葉に、疑問符も確認も抜きの、ただ一言で返した。
「似鳥素直は、学校を辞めたわ」
修子はそれを聞いた途端、蛍に抱きついたまま、大きな声を上げて泣き出した。
猛獣に追われていた子供が、やっと安全な場所に逃げ込んだことを知って泣きだすのに似た、それは強い安堵の泣き声だった。
蛍は何もいわず、ただ泣き続ける修子を抱きしめ続けた。
その後、修子は蛍に対し、自分の身に起きたことを、涙の合間にポツリポツリと話した。
似鳥は修子が小学校六年生の時の担任であったこと。
担任である似鳥は在学中に執拗に修子に迫っていたこと。
怯えた修子は、親に無理を言って、卒業と同時に遠く離れた地へ引っ越し、似鳥から逃げたこと。
二年生の今になって似鳥が司書として同じ学校に現れ、また迫ってきたこと。
のみならず、恋人である蛍の存在を突き止め、「公言したり、拒否するならば、蛍に危害を加える」と脅し関係を迫ったこと。
さらに今回は怪しげな薬をちらつかせて、その服用も強要したこと。
なんとか必死に拒否していたが、そのうちに新荷先輩が事故で死んでしまったこと。
似鳥はその事故を、自分が拒否したための「見せしめだ」と言ったこと。
そうして、蛍を盾に取られて、拒否することも受け入れることもできず、追い詰められて、自らの身を傷つけるに至ったこと。
蛍はその全てを聞いて、修子を優しく抱きしめたまま、『報告』した。
「大丈夫よ、似鳥素直の悪事は、私たちが全て暴いたわ。それから、似鳥の悪事は全部『私のおじいさん』に教えておいた。次の日にはもう除籍されていたわ。
修子ちゃん、もう、全部大丈夫なのよ」
――ちなみにH学園現理事長の名前は『早竜寺栄爾』。早竜寺蛍の祖父である。
というわけで、小沼さんと部長さんのいちゃいちゃシーンでA面完結です。
あれ、完結編なのに主人公の影がうすい……。