第6話 B面その3 (トワの視点)
翌朝。
昨日の夜は断続的な小雨だったが、朝になってまた降り出して、どうも寝起きから気分は良くなかった。
体調、ではない。本当に気分の問題だ。例えるなら夢見が悪かったという状態。熱は無く、具合も悪くはない。休むわけにもいかず、登校はした。
教室へはいると、友人の浦辺が「よ。おはよーさん、穂高」と手を上げてきた。
「おう、オハヨ、浦辺」
カバンを机に降ろし、中身を取り出す。
「今日1限なんだっけ?」
「一ツ橋要次郎先生の物理だよ。次、穂高当たってなかったっけ?」
「いや、前の席の真中だった」
「あぁ、そいつは運悪ぃな。真中、休みだってよ」
「なに?」
それは困る。前の席が休みなら、宿題は俺に当たる。宿題やってねーし。
「それマジ情報か?」
「あぁ、央野とからへんが言ってたからな」
央野といえば、真中の入っている女子仲良しグループのリーダーだ。同じ学年で女子のグループは4つか5つくらいあるが、その中でも央野グループは地味な感じの女子の集まっているグループ。そのグループ自身からの情報なら確かだろう。
「……やべー」
一ツ橋先生はそう厳しい方でもないが、甘くもない。担任だから目をつけられても困るし……。
「しゃーない、サワリだけやっとこ。後は分からなかったことにしとけばいいや」
大急ぎで物理の教材を出し、流し読みを始めた。
1限目終了のチャイムが鳴り、一ツ橋先生は退室して行った。
「穂高、助かったな」
「ああ、危ないところだった」
サワリだけでも途中までしかできなかったのだが、
「一ツ橋先生のやつ、なんか上の空だったな。前やったところを半分くらいダブってたし。おかげで丁度やったトコまでしか行かなかったけど。年か?」
「あの先生、まだ30前半とかだろ? ボケるにしたって早すぎだろ。なんか悩みでもあるんじゃね?」
「にしても真中、なんでよりによって今日休むかなあ。おかげでこっちはヒヤヒヤもんだよ」
「そーいや最近あいつ様子変だったよなー」
「変って?」
「けっこー真面目な方なのに、ここんとこ、授業中居眠りしてたり、ダルそーな顔してると思ったらニヤニヤしたり。と思ったら急にどこか行っちゃったり。言ってることも最近はよくわからんし」
「なんだそりゃ、酔っ払いか何かか」
「聞いた話だよ。俺、真中と仲いいわけじゃないし。尾ひれだろ。だけどまあ、実際なんか変だよ。あながち外れているわけじゃない」
「なんかの病気?」
「俺が知るかよ。話したこともないっての。気になるんだったら、穂高が自分で聞けばいいだろ。グループのやつらにでもさ」
「グループったって」
教室を見まわして、ふと気が付いた。
「そいや、今日はそのグループの数少ないな」
「うん? そいやそうだな。真中に、央野…はいるか。小堀と……あぁ、二人休んでるな」
「集団感染か?」
「たった二人で集団かよ……」
浦辺が呆れた顔で突っ込みを入れた。
そのタイミングでチャイムが鳴り、浦辺は急いで自分の席に戻っていった。
4限目は2クラス合同体育。校庭でサッカーだ。体操着に着替えて皇帝のグランドへ。
「今日は男女別でクラス対抗のサッカーの予定だったが、女子の人数が足りないので、男女混合のチームを作る。集合ー」
体育教師の声。
グランドに散っていた生徒がばらばらと体育教師のもとに集まる。
「――女子が足りないって?」
俺は隣に立っている兼山に声をかける。兼山はクラスは違うが、友人の一人だ。兼山は俺を見て、
「1組は女子4人欠席で二人見学だってさ。女子残り8人だよ」
「そーいや、2組も見学3人に、欠席二人だ。多いなあ。どうしたんだ、風邪でも流行ってるのか」
「女子だけに?」
「え? ……あ、ほんとだ。見学みんな女子じゃん」
央野と垣谷、それに越崎。あ、央野グループ、全滅だ。
……おかしい。これは。
――違和感?
一瞬、新荷の言葉が頭の中で反響した。
『周囲に気をつけていてください』
『違和感と、秘密。このふたつにアンテナ張っておいてくださいね』
俺は兼山に聞いてみた。
「もしかして、1組(お前の組)の見学や欠席って同じグループか?」
「うん? ああ、そういや、そうだな? なんでだろ」
兼山は見学の女子をざっと見て、首をかしげつつ肯定した。
「休んでるやつも同じグループ?」
「うん、そうだった。変な話だな」
肯定しながら不思議そうに眉を寄せる兼山。俺はなるべく軽い感じで肩をすくめ。
「道理で。いつもうるさい2組の女子グループがやけに静かだと思ったよ。いないんじゃ、騒げないわな、さすがに」
「言えてる」
兼山は俺の冗談に小さく吹き出した。
1組2組、二つのクラスの仲良しグループがそろって欠席、見学で全滅。
違和感といえばおおいに違和感だ。しかし、それが何を意味するのかはわからない。
昼休み。
例のごとくさっさと昼飯を終えた俺は、そぞろ歩き――ではなく、職員室へと足を向けた。
職員室にいいイメージはない。教師ばかりの場所の利点と言えば、冷暖房完備、と言いたいところだが、無駄に金持ちなこの学校、教室も冷暖房完備だったりするので、ありがたみはない。
とはいえ、集団欠席と集団見学が気になるので、担任にでも事情を聞いてみようと思ったのだ。
「失礼します」
職員室の中は、意外にも人影はまばらだった。昼休みとはいえ早すぎて、生徒はまだ昼飯中、先生も食堂にでも行ってしまっているということだろうか。
一ツ橋先生は食堂派か弁当派かは知らないのでとりあえず探してみる。
いた。
「一ツ橋先生」
「ん? おお、穂高か。珍しいな、こんな所へお前が来るなんて。どうした?」
一ツ橋先生は広げていた書類から顔を上げ、椅子ごとこちらに向き直った。
「や。まあ、特に用事ってホドでもないんスけど。先生、昼はもう食べたんですか」
「4限目が空いてるから、その時済ませたよ。昼休みは食堂が混むからな」
「なるほど。……そういや、先生、1限目、どうしてたんですか? なんか、前のと範囲かぶってましたよ」
「あー、あれか」
一ツ橋先生は気まずそうに頭をかく。
「いや、ちょっと、気にかかることがあってなあ、ボケてたよ。スマンな。 だけど、気付いてたんなら言ってくれよ」
「いやぁ、何か意図があるかと思って」
こっちにも都合良かったし。
「それより、気にかかることって何ですか?」
「欠席のことだ」
ため息交じりに小さく肩をすくめる一ツ橋先生。
「真中ですか? 最近なんか具合が悪そうだったって聞きましたけど。病気ですか?」
「いや、病気、と言うわけじゃ」
困ったように言葉を濁し、
「っと、これ以上はプライバシーだ。穂高、級友を心配するのは良いが、詮索はほどほどにな」
「詮索って、そんなつもりは……」
「分かってる分かってる」
一ツ橋先生、苦笑しながら答え、
「一ツ橋センセー!」
遠くから女生徒の声が響いた。
「っと、お呼びだ」
一ツ橋先生はそそくさと立ち上がる。渡りに船、と言わんばかりの態度だ。
「ちょ、先生……」
俺は立ち去ろうとする先生を呼びとめようとするが、
「あぁ、そうだ、穂高、ついでに」
俺の言葉をさえぎって、先生は思い出したように言った。
「そこの、資料2冊、図書室に返しておいてくれるか? 返却し忘れていてな。今日中に返さないといけないんだ」
と机の上の難しそうな2冊の本を指差した。
「へ? これっすか?」
「そうそう。頼むよ」
「えー」
抗議の声を上げるも、
「一ツ橋せんせー、質問いいですかー」
とさっきの女生徒がやってきて一ツ橋先生を捕まえてしまった。
しょうがない、話は途中だったんだが。
俺は仕方なく、2冊を抱えて、職員室を後にした。
「にしても、4限目食堂行ったのならそのときついでに返しとけばいいのに。隣じゃん、食堂と図書館」
俺は本2冊抱えてぶつくさ言いながら会館に入った。
図書室のある会館は、校舎とは別になっていて、レンガ造りの洋館風の建物だ。できた当初はさぞ鮮やかだったであろうレンガの赤色は、二十年かそれぐらい経って、かなり古びている。まあ、これはこれで味はあるが。
校舎からは独立していて、中にあるのは図書室、多目的ホール、そして茶道部室、という俺にはとんとかかわりのない施設ばかりで、したがって俺はこの会館にはほとんど入ったことがない。
久しぶりに入ってみれば、改めてその内装は、学校の施設とは思えないと思う。
赤いじゅうたんにステンドグラス。どこの教会だ。
図書室の扉を開け、中に入る。
利用客は、1、2名。昼休みとはいえまだ早い今の時間なら、こんなものなのだろう。
見回して、受付を見つける。事務服っぽいものをきた女の人が座っている。
あれ? 図書部員じゃないのか。
「すみません」
俺は受付に行き、その女の人に声をかける。
「はい、返却ですか?」
「はい。一ツ橋先生のを、かわりに」
かわりに、を強調してみる。女の人はくす、と笑い、
「一ツ橋先生はいつもそうですね。借りられるときは、ご自分でいらっしゃいますけど、返却はたいてい生徒さんがしています。君も、頼まれたのね」
「その通りです」
ううむ、ヨージロめ、常習犯だったのか。
「借りる時も、そわそわなさって。図書室が苦手なのかしら」
言いながら本を受け取り、手続きをして、
「はい、確かに。御苦労さま」
女性は手続きを終えると、俺に向かってにこりと笑う。
「先生、司書なんですか?」
「え? ええ、そうよ」
「いつも先生が一人で受付をしているんですか?」
「ええ」
うなずく司書さん。
「図書部ってのがあるって聞いたんですけど。てっきりその部の人が受付をしているのかと思ってました。先生がしてたんですね」
「図書部?」
司書さん、首を傾げ、
「私はけっこう長くこの学校に居ますけど、図書部って、聞いたことはないわねえ。文芸部のことかしら」
それなら、あそこに冊子を保管しているわよ、と受付の奥の棚を示してくれる。
見れば、明らかに手製の感じの冊子の背表紙が、十数冊見えた。
……?
新荷は、『図書部の人間だったものだから、本のコトになると我を忘れてしまう』とか行っていたが。
言い間違いか? しかし、所属している本人が言い間違えるものだろうか。
「どうしたの?」
司書の先生が心配そうに声をかけてきて、俺は我に返る。
「あ。いや。どうも、それじゃ」
俺はそそくさとその場を後にした。
午後の授業は予告どおり、英語のテストがある。「テストは実力」派の俺にとっては、かえって気楽だ。大きく構えていると、
「余裕だな、穂高」
浦辺が英単語帳片手にからかってきた。
「今更することねーし。実力、実力」
俺は軽く返す。しかし浦辺まで勉強とは……。見回せば、周りは全員単語帳片手にぶつぶつやっている。
あ、今ちょい不安になってきた。
よく見れば皆真剣な顔で、垣谷なんか、目が血走っている。
……やっぱり、ちょっとくらいやっておこう。
テスト開始。
静まり返る教室。カリカリとシャーペンの音。こういう時、なんだかんだ言ってもこの学校、進学校だと感じる。聞こえるのは、机のカタカタ揺れる音と、誰かのうめき声。
ん? うめき声?
う~…、という、小さな、しかし確実なうめき声。
だんだんと大きくなっている。
周りも次第にその声に気がついて、少しずつざわめく教室。声はどんどん大きくなる。
誰もがきょろきょろとその声の元を探し始め、もはやテストどころではない。
この中でもテストに取りかかっているのは越崎くらいなものだ。周囲の音など気にならないほど集中している。目も血走っていそうなくらいの集中力だ。
「うぅ~~~……! ああ!」
叫び声とともに立ち上がったのは――垣谷?!
ぎょっと固まるクラス。
全員の注目の中、垣谷は血走った眼でぐるりと教室を見回す。
「か…垣谷……?」
女生徒の1人が戸惑いの声を上げ、
その声を引き金に、垣谷はガタン! と音を立てて机といすを引き倒し、そのまま教室を飛び出して行った。
「………」
茫然となる一同。
「……カッキィ、まさか……」
ざわつく教室の中、央野のそんなつぶやきが、かろうじて聞こえた。
そしてそこへ慌てたように教師が飛び込んでくる。
「なんだお前ら、テスト中だぞ!」
騒ぎを聞きつけたらしい川中先生の遅い登場。
川中は、生徒総立ち、教室の机は乱れ、テスト用紙も散らばったという惨状を目にして、しばし絶句。
混乱の顔で教室を見回し、手近な生徒を捕まえる。
「おい、何があったんだ?!」
それはこっちが聞きたいよ。問われた生徒はそんな表情で隣と顔を見合わせ、
「えと。垣谷さんが、急に叫んで。…それで、皆、びびってたら、出て行っちゃったんです。走って」
と何とか“説明”する。
川中は顔をしかめ――ひとまずこの場をまとめるのが先と判断したのだろう、
「いいから、お前らはテストに戻れ。こら、席に着け。騒ぐなよ」
と声を張り上げた。
生徒はのろのろとそれに従う。
川中は全員が席に座るのを見届けると、足早に教室を出て行った。
途端。
「あれ、なんだったんだ」「垣谷、だよな?」「寝ボケたのか」「気分が悪かったのかな」「さっきの声も垣谷さん、だよね?」「テストがそんなに嫌だったのか」「いや違うだろ」
ざわざわざわと囁き声が教室中にあふれ出した。
「……おい、穂高」
と浦辺が声をかけてくる。
「……んー?」
俺は視線は固定したままで返事をする。
「なんだったんだろうな、垣谷」
「……知るか」
そっけなく返し、心中で付け加える。
(あいつは、何か知っているみたいだけどな……)
俺の視線の先では、顔面蒼白の越崎が、厳しい表情の央野に何か話しかけている。
央野は、明らかに、『怒っている』。
違和感。
そして、秘密。
……これのことなのか? 新荷……!
結局。垣谷は戻ってこなかった。
入れ替わり立ち替わり教師が来るので形だけは無事に6限目まで終了。
HRでは「早く帰るように」とだけ念を押され、生徒は何もわからないまま帰宅させられることになった。
俺は――このまま帰る気にはなれなかった。
『人気のないところ』――そこに新荷はいるはずだ。
中学校校舎二階端、誰もいない教室。
「……やっぱりな」
新荷は例によって例のごとく、机に突っ伏して熟睡していた。
俺は近づき、
「おい」
と声をかけた。
むくり、と顔を上げ、俺を見る新荷。
「ん~? あぁ、トワ君、昨日ぶりだねぇ」
「聞きたいことがある」
新荷はにやにや笑い、頬づえをつく。
「なんだい? 答えられることには答えよう」
「昨日の言葉、『助言』だっけ? あれの意味だよ。あれは、どういう意味で、どういう意図で言ったんだ?」
「おや。もうなにか、気付くことでもあったのかい? 昨日の今日だというのに。意外と観察力があったんだね」
「昨日の今日だから、だけどな。そうじゃなきゃ思い出さなかったよ。 今日、うちのクラスのやつなんだが、女生徒が一人、脱走したって話は、知ってるか?」
新荷の今日のリボンの色は同学年だが。実際は何年だかわからない。
「あは、乙女のプライバシーがそんなに気になるかい? オンナノコには、英語のテストなんか全部投げ出して、走りたくなる時もあるんだよ。乙女の秘密ってやつ」
クックッとからかうように笑いながら、そんな風に言う新荷。
しかし、『英語のテスト』と明言している以上、事件のことはだいたい知っているようだ。
「新荷、一体、何を知っているんだ?」
「何をって?」
「しらばっくれるな。今日のコト、何か知っているんだろ? じゃなくちゃあんなセリフは出てこない。央野と、垣谷と、越崎。この三人が、お前が言ってた、『秘密』ってやつを持ってるんだろ?」
「Secret makes woman woman. ってね。言ったでしょう、乙女の秘密だって。まあ、すべての秘密は暴かれるためにある、と言っても過言ではないけど。トワ君、暴くつもりかい?」
俺は新荷のセリフよりも、口調よりも、その表情に、ドキリとする。
「暴くなんて、そんなつもりは……」
「つもりがなくとも、結局はそうなる。たぶんね。この秘密は少々大きすぎるし、トワ君が下手にひっかいたら、まずいことになってしまうかもしれない。ここは、君じゃなくて他の人に任せた方がいいと思うな、私は。専門家とまでは言わなくてもね」
「……なんだ、それは」
新荷はニヤリと笑い、ぴ! と指を俺――の背後に向けた。
「後ろ」
「後ろ?」
振り返る。
ガラッ
「おい、いつまで残ってるんだ、穂高。下校しろってHRで言っただろう」
「な、なんだ、一ツ橋先生かよ」
あーびびって損した。新荷の変に大仰な仕草は、こういうときは妙にハマるからつい引き込まれちまった。
「なんだとはなんだ、担任を捕まえて。おまえ、こんな時間までこんな所で何をやってんだ」
一ツ橋先生は不機嫌そうに眉根を寄せて言う。
温厚なヨージロ先生らしくもない表情。虫の居所が悪そうだ。無理もないか、垣谷の担任でもあるわけだから。
俺は火の粉がかからぬうちに、と素早くカバンを手に取って、下校の準備を見せながら、軽く言う。
「ちょっとだべっていただけです。すぐ帰ります」
一ツ橋先生は不審げな表情になった。
「だべってた? 誰と?」
「へ? ……こいつですけど」
俺は新荷を指差す。
途端、一ツ橋要次郎の表情が一変した。
まるで、俺のすぐ前に立っていた新荷に、今初めて気づいたような態度だ。そして、茫然とした様子のまま、呟いた。
「な……『センパイ』」
は? センパイ?
先生のセリフにきょとんとなる俺。
対して新荷は、
「やぁ、ひさしぶりだね」
とにやりと笑う。
まるで、そう。後輩に出会った尊大な先輩のような態度だった。
俺はわけがわからず、ぽかんと二人の様子を眺めるしかなかった。
と言うわけで、A面とB面の邂逅です。
次話、種明かしの予定です。