第1話 A面その1 (ダイガクの視点)
始まりの物語。
この学校で図書部について語れるものはそう多くない。
たいていが、「図書館の仕事をする部?」と「?」をつけて語られる。
いわく、
「本を読む部・・・かな?」
いわく、
「図書の貸し出しをする部だろ?」
いわく、
「司書代わりの便利屋として学校に使われている部ってとこじゃない?」
全員に○をあげよう。
全て正解である。
本の整理、推薦文の作成、貸し出して続き、その他もろもろ雑用等も図書部の仕事。裏方というやつだ。
そんなわけで。
図書部に所属する中学二年生のこの僕は、今日も今日とて雑用に狩り出されてヒィコラと重労働に従事しているのだった。(ちなみに言っておくとこの学校は中高一貫校なので僕はまだまだ下っ端だ。)
……それにしても、本って重い。
うそだと思うなら、文庫でもいいから一ダースほど抱えて階段を登ってみてほしい。下手な運動部の部員より、体力がつくこと受けあいだから。
やっとの思いで図書館に到着する。
この図書館、つい一,二年前に出来た建物で、校舎とは独立している。外見は西欧風の洒落たレンガ造りの一階建て。中には図書室のほかにホールと和室がある。生徒は図書館とか会館とか呼んでいるが、正式名称は別にあるらしい。僕は知らないけど。こんな立派な建物が出来る以前は教室の一室が図書室代わりだった。
玄関を入るところで横手から声がかけられた。
「やあ、大変そうだねダイガク君。それは何?」
聞きなれた声。女性のわりには少し低めの声で、よく通る。なにより僕のことを「ダイガク君」なんて奇妙なあだ名で呼ぶ人は一人しかいない。振り向くと果たして。
「……新荷先輩……」
くるくると巻き毛を背中まで伸ばした、非常に目つきの悪い女生徒が軽く腰に手を当てた格好で立っていた。
名前は、「新荷 冬芽 (アラタニ トウメ)」先輩。僕と同じで図書部に所属している。年齢不詳(この学校はリボンの色で学年をあらわすのだけれど、先輩は全色持っていて、日替わりで変えてくる。意味がわからない。少なくとも先輩であるということはわかっている。僕が中学一年で図書部に入ったときに先輩はすでに部の主のようなものだったから。)、正体不明。非常な面白がりの癖に怠惰。彼女を知るものはこう語る。
「すごいおしゃべり。話をすると面白い。けど、会話に花は咲いても実にはならないって言うのかな? 役に立つとかためになるとかそういう話は全くしないんだよね。あと、『観客は干渉しない』だっけかな? 『傍観』だったかも。とにかくそういうことを言って、何かをしようとは全然しない。あー、それと、よく居眠りしてるみたいね」
つまるところ、何がなんだか謎な人、ということなのだけれど。
「本ですよ、本。新しく入ったんです。さっき放送があったじゃないですか、図書部員は取りに来るようにって。聞いてなかったんですか?」
ちなみに新荷先輩、てぶらである。
「聞いていたとも」
自信満々な態度でうなずく先輩。
この先輩、意味なく大仰だから……。
「じゃあ取りに行ってくださいよ。それか半分持ってください」
と僕は抱えた本(一ダースと三冊。もうかなり腕が痛い。)を示した。
「なんだって? か弱い女性に向かって『半分持てよ』だなんて、何事よ。男がなってないぞ、ヤツバシ君。君には甲斐性ってものはないのかい?」
やれやれ、とばかりに首を振り、新荷先輩は歩き出す。
「まあせいぜい頑張るように。私は先に入っとくよ」
背を向けたまま、ひらひらと片手を振り、軽やかな足取りで―――逃げた。
「ちょっと、せんぱい!ちょっとくらい手伝ってくださいよー!」
僕の抗議はむなしく虚空に消え……
「あら、どうしたの、イチ君」
否、聞いていた人がいた。
僕を『イチ』と呼ぶ、この声は……
「部長、いたんですか?」
「いえ、今ここに来たところ。イチ君が何か叫んでいるようだったから声をかけたんだけど。何事?」
早竜寺 蛍先輩。高校二年生。我らが図書部の部長である。落ち着いた物腰、整った顔立ち、腰まで届きそうなつややかなストレートの黒髪。部長を見て、高級な日本人形を連想する人は多いが(かくいう僕も最初は同じものを連想した。)、その実体を知る人はそう多くないだろう。
部長は、両手に本を抱えたまま、軽く首をかしげている。きょとん、とした表情。この、時折見せるあどけなさに、僕は中学一年のときに気づき、どうしようもなく惹かれたのだ。幸い、体つきにも体力的にもあまり恵まれなかった僕は運動部からの勧誘はなく、迷うことなくこの人が部長をしている図書部に入ったのだった。そして……すぐに後悔することになった。外見で人を判断してはいけない。という教訓を身にしみて理解した(させられた)あの事件のことは、触れたくもないが、とにかくそういう『実体』の持ち主である。
「いえ、なんでもありません」
僕は即答し、そそくさとその場を後にして、図書部の部室、図書準備室へと急いだ。
図書準備室。一般生徒はまず立ち入る機会のないその部屋にはひとつの大きな謎がある。
畳敷きなのだ。
部屋に入るたび立ち昇る、真新しい(といってもさすがに二年もたった今はそんなに真新しくもないが)イグサの香り。着物に正座にお抹茶でもいただきたくなる。
畳敷きの謎を新荷先輩に聞いたところ、「隣の部屋の和室の畳が余ったから」と答えた。しかしそれにしてはちゃんとタタキはある。真相は闇の中だ。
閑話休題。
本を抱えたまま何とか靴を脱いでタタキに上がり、(不作法ながら)足でふすまを開ける。
「あっ、カナメ君。ごくろーさま」
部室の広さは一二畳で入口から見て横に広い。中には古びたちゃぶ台(ただし四角い)と左右両壁を占める本棚。それからせんべいまで秒読みを開始しかけのクッキー座布団があちこちに散っている。
先に入っていた新荷先輩は向かって右側の本棚に背を預けて足を投げ出した格好で本を読んでいる。
それからもう一人、今僕のことをカナメ君と呼んだのは。
「小沼さん、何してるの?」
僕は持っていた本をちゃぶ台の脇、小沼さんが運んできておいたと思われる本の横に並べて置きながら、尋ねた。
小沼修子、僕と同じ中学二年。今はちゃぶ台に向かって座っているのでその全身は見えていないが、僕の知り合いの男子生徒に言わせれば、
「中坊にしては(注:言っている彼も中坊でしかも同学年だが)なかなかのプロポーション」で「かわいいし、狙ってるヤツもけっこう多い」
らしい。
噂では、高校三年のサッカー部員に告られたとか、小学校の時には教師に本気で迫られたとか、そこまでくると眉唾ものだが、確かにとてもかわいい。と思う。運動神経もけっこう良いらしいし、性格もいい。ここまでならばパーフェクトな感じ。だけど。
「新入り本のチェックしてたの。 ねぇ、カナメ君、蛍さんは?」
「部長なら、すぐ来ると思うよ。さっきそこで会ったから」
「そう。……あっ、蛍さんの足音!」
嬉しそうに返事したと思うと、突然一声あげて耳を澄ます仕草をした。
僕もつられて押し黙り、耳を澄ました。……が、足音のようなものは全く聞こえない。
数秒間、新荷先輩の、ページをめくる音だけが室内に響いて、
パタン、とドアの開く音と、タタキで靴を脱いでいるらしい音。
小沼さんはさっと立ちあがってふすまを開けに行く。
カラリ、と小沼さんがふすまを開けるとそこには。
「あら、修子ちゃん。ありがと」
本を抱えた部長が立っていた。
「蛍さん、それ持ちましょうか」
「いえ、いいわ。ありがと、修子ちゃん」
「いいえー」
「ここに降ろしたらいいのかしら」
「ハイッそうです」
忠実な子犬みたいな、小沼さん。ものすごくうれしそうな表情。一見するとほほえましい感じ。だけど、応じる部長も幸せそうで。しかも二人の嬉しそう/幸せそうは、よくよく見るとなんだか違う感じでつまりその。
恋人同士、みたいな。
そう。
そうなのだ。
いまだに持ってイマイチ僕は慣れないけれど(だから今もさりげに引いてしまっている。)、部長と小沼さんは同性を恋愛対象に見てしまう同性愛者で、もっと正確に言うならば部長の方は同性愛者にしてロリータコンプレックスにして正太郎コンプレックスでおまけに小動物好き。その守備範囲はかなり広く、かわいければ見境無しのなんだかもう遠い世界のヒトで。
非常にかわいい小沼さんは、部長のストライクゾーンのド真ん中。
女の子でも全然ОKな部長は、小沼さんの求めていた女性。
新荷先輩に言わせると「需要と供給の問題じゃないの」と一言だった。
僕はそれについてはノーコメント。ただ言えることは、部長に熱い思いを抱える先輩男性諸君と、小沼さんに好意の視線を送る男子諸君に『お気の毒さま』の一言だ。合掌。
愛する二人にとっては、本来聞こえるはずのない遠い場所からの相手の足音を聞いてしまうことくらい簡単というわけだ。
……なんだかな。
「ところでダイガク君」
部長と小沼さんのやり取りを完ぺきにスルーして、新荷先輩が(いつのまにか読んでいた本を棚にしまっている。)こちらにやってきた。
「都筑仙人君は今日は来ないの? 木曜日だから来ると思ったんだけど」
「都筑なら、行けないって言ってました。何か剣道部の方で会場準備の手伝いに駆り出されたとかで」
都筑仙人、中学一年生。図書部員だが同時に剣道部にも所属している。基本的には剣道部をメインに活動するので図書部員としては剣道部の活動のない木曜日にしか活動しない。といっても図書部をないがしろにしているわけではなく、家が道場だとかいう話で、剣道部所属は避けられなかったらしい。小柄な体に義理と人情を詰め込んだ、かなり真面目な後輩である。ちなみにメガネ着用。
「そうか、残念。借りた本を返そうと思ったのだけどな。にしても、準備ねぇ? 何かイベントでもあったかな?」
と首をかしげる新荷先輩。
「歓迎がどうとかいってましたけど。他校と交流試合でもするんじゃないですかね」
「ふぅん? まぁいい。とにかく、都筑君は来れないわけだ。じゃあ、ダイガク君、今日の受付係は任せたよ」
にやりと笑い(いや、もしかしたら普通に笑っているつもりなのかもしれない。僕はこの笑い方以外の新荷先輩の笑顔を見たことがないから)、僕にビシッ! と敬礼の真似事をして見せる。
「えっ?」
「何を驚いてるのかな、ダイガク君。まさか君、」
と不意に顔をぐいと寄せ(って、先輩、近い!)、小声で、
「あの、二人のお邪魔虫になりたいというのかい? 昔から言うだろ。『人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえ』ってね」
と、目線で部長と小沼さんの方を示す。
……あ、完全に二人だけ空間に突入してる。いつもながら、飛び交うハートが目に見えそうなくらいの濃厚さだし……。
なるほど、木曜の受付係の担当は都筑のはずだが、彼がいない今は誰かが代打に出るしかない。そして部長も小沼さんもあの状態となると、少なくとも僕は彼女らに声をかける勇気はないし、新荷先輩もこの調子だと声をかけるつもりはないようだ。残る選択肢は限られている。
僕はあきらめてため息をつく。
「……分かりました、行ってきます」
「おう、素直でよろしい。行って来い!」
ぐ、と握りこぶしで力強く見送る新荷先輩。
「……ってなに力強く送りだしてるんですか。先輩は行かないんですか」
「私には大事な仕事があるんだ」
と新荷先輩は運んできた本を(ただし新荷先輩は一冊も運んでいない)指さして、
「三人で新入り本(あの子たち)にビニールかけて目録に入れないといけないんだよ」
三人? 新荷先輩に、部長と小沼さん?
「部長、『馬』はどうしたんですか。お休みですか?」
皮肉をきかせて言うが、新荷先輩はどこ吹く風で平然と
「私はいいのだよ。邪魔などしない。ただ『見学』させてもらうだけさ。さぁ、行った行った」
うわ納得いかない。
「二人だけじゃ新入り本整理は大変だろうし、三人ぐらいで丁度良いんだよ」
「……はいはい、分かりました」
結局押し切られる形で、僕は部室を後にして図書室に向かった。
受付係の仕事は、主に用紙管理である。
貸し出し希望者に用紙を渡し、書名・著者名・分類番号および氏名・年組番号など必要事項を書き込んでもらう。部員はそこに貸し出し年月日と返却期限を書き込んで、ハンコを押す。二枚あるので一方を本人に、もう一方を図書館側が管理する、というわけだ。
これが結構面倒くさい。一枚だけならまだしも、一人につき二枚書かなくてはならない。一日平均して二十人程度が一人当たり二冊程度ずつ借りるからだいたい八十枚の作業だ。その上、その手続きがない時も、山積みになっている未返却用紙をチェックして、返却期限の過ぎたものがあれば集めておいて、後日、本人に対して放送しなければならない。
「センパイ、センパイ」
「はい、貸し出しですか……って、都筑」
ぼーっとしていた所に声をかけられて、僕はあわてて顔を上げたが、目の前にいたのは『サムライ君』こと都筑仙人だった。都筑は、
「どもっス」
と、きっちり頭を下げてから、小声で続ける。
「カウンター代わりにやっていただいて、どうも迷惑かけました。すいませんっした」
「いや、いいよ、これくらい。でも都筑、準備だったんじゃなかったのか? 早かったけど、済んだのか?」
尋ねると、「っス」と頭だけでうなずき、(にしても、相変わらず都筑は、動作も言葉遣いも、武士というか体育会系みたいだけど、黒ぶち眼鏡に全然似合わない…)
「椅子を並べるだけでしたので。 で、センパイ。その準備のことで、火急の知らせっス」
「なに?」
「シショの先生が来るらしいっス」
「秘書?」
僕の脳内に、メガネに超ミニスーツに髪を上げた女性の姿が浮かぶ。
「シショです、シショ。シカの『シ』っス。図書の司書の先生っスよ」
「え、司書? マジで?!」
僕は思わず叫んで立ち上がった。
「セ、センパイ……! 座ってください、皆見てますっ」
図書館中の注目を浴びていた。
僕はあわてて座りなおす。
「ごめん。 で、えっと、司書って、マジで?」
小声で改めて聞くと、都筑は大真面目な顔で深くうなずくと、
「マジです」
とうけおった。
「どうしてそれを? いや、どこでだれから聞いたの?」
「俺、会場準備手伝いをしてたんスけど、その会場っていうのが、新任司書の歓迎会の準備だって先生が言ってたんス」
あぁ、なるほど。
「センパイ、カウンター替わります。部長たちに伝えてください」
「オーケー」
僕は都筑にカウンターの席を譲って、再度部室へ向かう。
司書:図書館理の業務に就く職員。
図書館の業務は今、図書部が行っている。しかし、資格を持った職員が正式に就けば図書部はお払い箱になってしまうだろう。
そもそも入部の動機が早竜寺先輩だったのだ。先輩をあきらめている今となっては愛着はさほどない。と思っていたのだが、いざ存続の危機となるとあわててしまうところをみると、僕も案外、図書部員としてそれなりに無意識に自覚を持っていたということだろうか。
扉を開けると、タタキに新荷先輩が座っていた。
「…………なにしてるんですか、新荷先輩」
新荷先輩はうつむいたままで、
「図書整理カード制作中。見て分からないかい?」
と手も止めない。
良く見れば、膝の上に下敷きをのせて、その上でカードにペンを走らせている。
「何でこんなトコロで」
「中、今、すごいことになっているから、不用意に入る人がいないように。関所の番人」
……すごいことって。
「ダイガク君、カウンターは?」
「都筑が戻ってきたんで、替わったんです。 あの、それで知らせがあるんですけど」
「何? 中には後で私が伝えておくよ」
と新荷先輩はやっとここで顔を上げ、口の端を「にやり」という風に釣り上げた。
……「にこり」のつもりである可能性は否定できない。
「聞いて驚かないで下さいよ。 なんと、司書が来るらしいです」
「ふーん」
…………。あれ?
「ふーんって……驚かないんですか?」
「驚くなと言ったのは君だよ」
いけしゃあしゃあとそんなことを答える新荷先輩。
と不意に新荷先輩の背後のふすまがカラリ、と開いた。
「新荷冬芽先輩、誰かいるんですか? ――あれ、カナメ君」
ふすまの向こうからは、小沼さんが出てきた。小沼さんは、僕の姿に気がついて、僕のあだ名を呼ぶ。
「小、沼、さん。……え。何で出て」
「え? なあに? 私が出てきたら、何か不都合があるの?」
小沼さんはきょとんと僕を見返す。
「今、えっと、……ナニかしてたんじゃ」
僕がかろうじてそう言うと、小沼さん、ますますきょとんとして、
「? 新入本の整理をしていたんだけど」
大きなはてなマークを浮かべている。
……えーと……??
「――あっはっは、ナニって何だい、ダイガク君。 ナニを想像してたんだか。くっくっく……」
「……新荷先輩、ハメましたね?」
「何のことかな?」
ニヤニヤ笑いで(これはニヤニヤで合っているに違いない)とぼける新荷先輩。
「ねー。何の話をしてるの、カナメ君、新荷冬芽先輩」
「いやなに、ちょいと、ダイガク君が健全かどうかをね…」
「新・荷・先・輩ッ」
「怒鳴らないでよ、大人げない。ねぇ、小沼ちゃん」
「はぁ……」
新荷先輩が同意を求めるのに、小沼さんは困惑顔で、うなずいてしまう。よく分かっていない様子。小沼さんは言う。
「えっと、つまり、…カナメ君は健康なのよね?」
本当に分かっていない様子の小沼さんに、僕は安心したやらがっくりきたやらで頭を抱える。
「あらあら。 何を騒いでいるのかと思ったら」
含み笑いを浮かべ、部屋の奥から部長が顔を出した。
「やあねえ、イチ君。 学校で貴方が考えているようなことはしないわよ? ね、修子ちゃん」
と、小沼さんを後ろから抱き締める。
見ないフリ。
……っていうか、“学校”でなければしそうな言い方。
「蛍さん、ちょっと、やだ、やめてくださいよ。くすぐったい~」
小沼さんの声。
「フフ……いいじゃない。これくらい」
部長の声。
「……しないんじゃなかったんですか、部長」
さすがに止めるべきだと判断して、そう声をかける。
「してないわよ。これはスキンシップよ。これ以上は、今はしないわ。修子ちゃんが困っちゃうもの」
――『今は』?
気になるセリフに、しかし僕は賢明にも突っ込み入れず、話を進めた。
「そうそう、話があるんですよ。都筑から聞いたんですけど、至急の知らせです」
「え、なぁに?」
小沼さんが部長の腕の中で顔を上げる。
「司書が来るそうだ」
――新荷先輩にセリフを取られた。ひどい。
「えっ、秘書?」
「それは僕がもうやったよ、小沼さん。 司書だよ、司書。図書館の司書さん。図書館業務につく職員のこと」
「あらあら、それはずいぶんと急な話ね? どうして都筑君がそれを?」
「今日の会場準備手伝いっていうのが、その司書の歓迎会の会場だったそうで」
「じゃあ確かね。そうなると、図書部の業務はどうなるのかしら」
部長は小沼さんの後ろ頭に頬をスリスリさせながら、言う。
「お役御免ってことになるかもしれないな」
新荷先輩は部長と小沼さんの様子を眺めながら言う。
「にしても図書部に真っ先に話が来ないというのはそれこそ変な話だ」
そうよねぇ、と部長。あまり真面目に見えないのは気のせいだろう。
新荷先輩、続けて
「そうでないと、現時点での図書館業務をしている図書部に対して、筋が通らないってもんだ。……あるいは」
そこで新荷先輩はたっぷり間を持たせ、(この先輩、いつも大仰だ。)
「なにか、図書部に隠しているか」
「何言ってるんですか……」
僕は呆れ声で新荷先輩に突っ込んだ。
しかし部長の反応は逆で、
「一理あるわね」
と重々しくうなずいた。
「えっ」
「今日歓迎会の準備をしたということは、明日か明後日にはその歓迎会は開かれるということよ。つまり会がある日には少なくとも就任しているということ。それが今日の今でも未だに連絡がないなんて。隠している云々はともかくにしても、何らかの理由があるとは考えられるわ」
部長は真面目な顔。ただしその腕は小沼さんの体に回されたままだ。
「理由……忘れられてるとか?」
僕は冗談めかして言う。
「ありうる事だ。我が部はどうも、認知度の低い部のようだし。教職員の先生方でさえ、記憶の彼方ってね」
新荷先輩は軽口をたたく。
「ところで」
と小沼さんが口をはさんだ。部長に頬ずりされながら、控えめな声である。
「その司書さんって、どーいう人なのかな? 女の人だといいな♪ 名前とか、年とか、分かる?」
「あー」言われて初めて気がついた。司書本人のことについては全く聞いていない。
「ごめん、僕は何も聞いていないんだ」
「きっと女だ」
僕のセリフに割り込む形で新荷先輩はきっぱりと言い切った。
「司書と言う名前の響きからして女だろうよ。静かな館内、カウンターに座る事務服にやぼったいメガネの女性。絵になるだろ」
絵になるかどうかが問題なのか。
「女の人だったら、仲良くなりたいなぁ」
小沼さんは嬉しそうに言う。
「修子ちゃん?」
部長は頬ずりをやめて、小沼さんの顔を覗き込んだ。その表情は、僕からは見えないけれど。
「あ・モチロン私の一番は蛍さんですよ♪ 蛍さんはいつでも特別ですから♪」
「修子ちゃん……」
部長は感極まった声を上げ、その手を
――僕は真っ先に退室した。
見ていて気持ちのいいものではない。
……新荷先輩は残っている。“見学”をしていることだろう。僕はもはや何も言えず、ただ天井を振り仰ぐしかない。「なんでやねん」という心の底からの突っ込みを、しかし声にする元気もない。
気苦労が多すぎる。否、大きすぎる。どうして図書部(我が部)はこんなにも、変な人ばっかりなのだろう。まともな人が欲しい……。
※
翌日。
僕はその司書さんと会った。
司書さんは男性で(新荷先輩、大外れ!)年齢は三十前くらいだろうか。思ったよりも若い。
会ったのは偶然ではない。司書さんは早速、自分の仕事場を見に来たのだ。その時僕は整理の終わった分の新入本を館内に運んでいる最中だった。ちなみに男では僕だけだからという理由で(ちなみに都筑は金曜日なので剣道部に行っている)当たり前のように力仕事を任された。丸投げともいう。女性陣は部室でカード整理中だ。天地の差を感じる。……小沼さんは手伝ってくれようとしたけれど、その途中で部長が遅れて登場したので手のひらを返した。いまごろ『よろしく』やっていることだろう。新荷先輩には元より期待すべくもない。
そんなわけでまだ開館時間前の図書館の中にいたのは、僕と、その男性だけだった。司書さんは僕の姿を見つけるなり、声をかけてきた。にこやかな笑顔。眼鏡もない。新荷先輩の描く司書像からすればありとあらゆる面で反対である。
「君、図書委員か何かかい?」
「えっと、委員じゃなくて、図書部です」
僕はつい、そう主張してしまう。弱小部に属する人はえてしてこう言うところにこだわりたがるものだ。それに気がついて、一応「まあ、似たようなものですけどね」とフォローを入れておく。
男性は、
「いや、これは失礼。間違えてしまった。図書部、だね? 僕は似鳥。今度ここの司書を務めることになったんでね。図書館の管理者に挨拶をしようと思ったんだけど。ここの司書さんはどちらにいらっしゃるか、知ってる?」
けっこう気さくな口調。物腰も穏やかで、好青年な印象。好感が持てる。
司書か。……ん、司書?
「えっ?! じゃ、新しく来る司書って」
「多分僕だね」
と司書さんはうなずき、そしてふと首を傾げる。
「うん? でもよく知ってるね。生徒への通知は明日の学校集会でって聞いたんだけど。……まあとにかく、正解だよ。それで、僕は挨拶に来たんだけど、前任の方はどちらにいらっしゃるか知っているかい」
「えっと、前任者っていうか、図書館の管理は一応、僕たち図書部がやっています」
「おや、そうだったのか。 図書部って君以外に何人いるの」
「えっと、女子が三人で、男子が二人です」
「なるほど」と司書似鳥氏は笑い「力仕事を押しつけられてるんだ。大変だね」
良く分かっていらっしゃる。
「手伝おうか?」
「いえ、ここに置くだけなんです」とカウンター横の机の上に抱えていた本をどさっと置いて、そこで思いついて、「部室の方、来ますか?」と誘う。
「うん? ……ああ、頼もうかな。前任者さんに挨拶しに来たわけだし」
と司書さんは笑った。
僕が自己紹介すると、司書さんは改めて「似鳥素直」と名乗った。道すがら聞いていると、以前は小学校で教鞭をとっていた、とか。でもそこで色々あって、教師は止めて、司書の資格を取ったそうだ。若いのに(と僕が言うと変な感じだけど)苦労しているなあ、というのが僕の感想。落ち着いた物腰はそのためだろうか。
「――部長、小沼さん、新荷先輩。 お客さんです。――入りますよ?」
部室の前で中に声をかけると、
「OK、どうぞ?」
と部長の声。ふすまを開けて似鳥氏を中に招く。
部室には、予想に反して、小沼さんの姿はなかった。部長と、新荷先輩の二人だけで、部長は「客」を迎えるために立ち上がったところで、新荷先輩は、手元の本に視線を落したまま、上げようともしなかった。
「――あら、どなたですか?」
部長は似鳥氏をみてきょとんとしている。見慣れない顔だから当たり前だが。
「この人が例の司書さんです、部長」
僕が紹介すると、似鳥氏は頭を下げ、にこやかに、
「はじめまして、似鳥素直です。司書の仕事は初めてだから、是非ともご教授願いますよ、部長さん」
と冗談ぽく言う。
部長は似鳥氏を見、そして笑顔を浮かべ
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ、司書さん。私は高校二年の早竜寺です」
と優雅な感じに(様になってるなあ、相変わらず。)お辞儀をする。
そして間。
全員の視線がこの場にいる最後の一人に集まった。――左の本棚にもたれかかり、本こそ置いたものの、その場から動かないままでこちらを眺めている新荷先輩に。
「――ん?」
視線に気がついて、新荷先輩は「あぁ、私か」と立ち上がった。今の今まで見てたのに、話の流れに気が付いていなかったらしい。実は鈍感なんじゃなかろうか。
新荷先輩は、数歩だけ近づいて、ニヤニヤと笑いながら、
「私の名前は新荷冬芽という。よろしく、ヤキトリさん」
がくりとなる一同。そんな名前があるものか。あだ名にしてもひどすぎる。
「似鳥です」
引きつった笑顔で訂正する似鳥氏。ここは怒ってもいい場面だと思うけれど。……いい人だ。
新荷先輩は、「えっ?」と間抜けな声を出す。それから、にやりと(にこりと?)笑って
「ニックネームがヤキトリさん、と言うのは?」
「先輩」
僕はニラむ。今、あからさまにごまかそうとしていたな。
「――冗談でス。失礼しました。――似鳥さん」
へらへらと訂正する新荷先輩。まったく反省している様子はない。相変わらず、この人は。
「中々……面白い子だね。――よろしく、新荷さん」
「冬芽ちゃん、と呼んでくれると嬉しい」
「――魅力的なお誘いだけど、遠慮させてもらうよ」
似鳥氏の引きつった笑顔が印象的だった。先輩の空気はたとえ先生が相手でもさほど変わらないのは、周知の事実なので、僕らは特に何も言うことはなかった。言ったとしても無駄なことはよく分かっていたからだ。
まあとにかく、とりあえずはこれでここにいる図書部は自己紹介が終わったから、あとは、小沼さんと、都筑だけど……。
「あと、都筑っていう中一の男子は剣道部との兼部なので今はそっちに行っていますけど……部長、小沼さんは?」
さっきまでいたはずなんだけどな。そう思って部長に聞くと、部長は「えっ」と僕を見返し、
「修子ちゃんなら、新入本を手伝うって言って出て行ったけど。会わなかったの?」
「いえ、見なかったですけど」
「――ごめんなさい、司書さん。また明日からよろしくお願いしますね。それでは。皆、私は修子ちゃんを探しに行くから、後よろしくね」
あっという間に飛び出して行ってしまった。早。さすが、小沼さんがからむと違うなあ。
似鳥氏はポカン、と部長の出て行った方を見ている。
「あの、似鳥先生、すみません、騒がしくて」
と一応謝っておく。すると似鳥氏は「あぁ、いや」と頭をかき、
「もう一人の女の子は小沼修子さんっていうんだね」
とそれだけ言った。いろいろ言いたいことはあるだろうに、それを抑えるあたり、大人だなあと妙な所に感心してしまう。
「はい、中二の女子です。今はいないみたいですけど。どこに行ったのかな。すぐ見つかると思いますけど」
「いや、ぼくはもう行くよ。あいさつ回りをしなくっちゃ。小沼さんにはまた会うだろうし。 じゃ、図書部の皆、これからよろしくね」
似鳥氏はそう言って、部室を立ち去った。
「――ダイガク君。変だと思わなかったのかな?」
似鳥氏が立ち去るや否や、新荷先輩がそんなことを言ってきた。意味深な態度だが、この人の場合、意味のないことでも意味深に言う癖がある。
「何がですか」
「今の人だよ。ヤキトリ氏」
「ニトリさんですよ。わざとですよね、先輩」
「わざとだよ。ああ怒るなちょっとした冗談じゃないか。単に、ニックネーム化を謀っただけだ」
この人と話をすると疲れる。どの『ハカった』かを聞くのは泥沼だろと思ってスルーすることにした。僕はため息をつく。
「怒っていませんよ。……何か変でしたか? いい先生みたいでよかったですけど」
どうせ口からの出まかせだとは思うが、一応そう訪ねておく。
「いや、気付かなかったのならいいさ」
新荷先輩はニヤニヤ笑い肩をすくめてそう言って、意外にもあっさり引き下がった。
「そんなことよりダイガク君。今日は何曜日だっけ」
さっさと話題を変える新荷先輩。実に刹那的な人だと改めて思った。
「今日ですか?」
「今日はダイガク君の担当の日じゃなかったかな。図書館は開けてきたかい? もう開館時間だけども」
――あ。
司書さんが赴任してきたとしても、図書部の仕事は終わりだ、とはだれにも言われていない以上、いつもの通り業務はこなす。だから今日は図書部の仕事があるのだった。実際のところ、新荷先輩の先ほどの言葉は間違いで、今日は金曜日だから今日の業務は小沼さんの担当だ。とはいえ、その小沼さんが行方不明の今、誰か他の人が開ける必要がある。人員としては僕しかいないので僕が代わりに行かなければならないという結論だった。
大慌てで図書館のカギを開けた。幸い、開館を待っていたのは顔なじみの常連さんが一人だけだったので、遅れたことについては「ごめん」で済んだ。
開館作業を手早く済ませ、利用者を館内に入れると、急いで受付に座った。連続二日目。
小沼さん、どこへ行ったんだろう。
そんなことを考えながら業務をこなしていると、そのうちに利用者も増えてきた。館内がにぎやかになってくる。もちろん、図書館なので皆静かなものだが、雰囲気という物は自然と出てくる。そうして、ポツポツと利用者が増えてきた頃。
「カナメ君、カナメ君」
と小声で呼ばれ、顔を上げた。カナメ君、と独特のあだ名で呼ぶ人は一人しかいない。
「あ、小沼さん」
「ごめんね、遅れちゃって。替わるよ」
小沼さんは左手を謝罪の形で顔の前に立てて、片目をつぶり、ぺろっと小さく舌を出した。
……こういう仕草が嫌味なく似合ってしまうあたり、やっぱり小沼さんは素で『可愛い』ということなのだろう。
「小沼さん、どこ行ってたの? 部長が探しに行ってたけど。会えた?」
受付の席を替わりながら気になっていることを尋ねると、小沼さんは困ったように小さく笑い、
「うん……ちょっと、ね…」
と言葉を濁した。
(……?)
僕がその様子に首を傾げていると、小沼さんは続けてにっこりと笑顔を見せ、
「蛍さんにはさっき会ったよ」
と答えた。
そして直後に貸し出しの人が来て、話は中断した。僕は話すのをやめて、廃棄検討本の整理を始めることにして、受付の奥に引っ込んだ。
僕はその時、さほど察しのいい方ではなかった。だから気付くことはできなかった。小沼さんの顔に今の一瞬浮かんだ表情に。
思えば不審に思うべきだったのだ。
小沼さんは部長に会った。ということは、司書が来たというニュースを受け取っているはずなのだ。なのに小沼さんはその話題を全く出そうとはしなかったという不自然さに。
A面とB面で全くストーリー展開が変わりますのでご注意ください。
A面の主人公は「カナメ君/ダイガク君」です。