黒猫のみる夢
落ちていく
落ちていく
落ちていく
落ちていく
落ちていく
ただ、ひたすらに、風を切って。流れていくのは幾多のビルディング。暗い素材。ガラスのような、いしのような。ひねくれて、捻じ曲がって、螺子型。よく倒れないものだ。
足元に広がるのは星のない夜空。
傍らを、自分を追いかける蝙蝠の羽を生やした目玉がまばたきして、どこかからか聞こえてくるにぎやかな不気味なひとつのまとまりのないフレーズ。
そして空を覆いつくさんとする
月
まるで自分を見下ろしているかのように、ずっと、じっと、たたずむ、ひとつの
……かげ?
しっぽのない、人の形をした猫が、にかっと。鳥肌が立つ。
過ぎ去っていく。
それらはすべて、落ちていく
落ちていく
落ちていく
落ちていく
そして
着水
顔を水面に出すのと同時に目が覚めた。
時計は4時を指している。変に目が冴えて、眠れず
視線を感じて傍らのカーテンを見つめる。
二つの満月が瞬きをして、三日月がわらった。ような気がした。
キノセイだ。
ともかく眠ろう。
明日もまた
出会いたくもない
明日が待っているから
――堕ちていく――
最近、人のいなくなる事件が多い。
ニュースでは、子供の家庭離れ、学級崩壊。つまりは教育不足が取りざたされているけれど、その実はきっと、間違いなく、そんなこと、ない。
『向こう側』の世界。
RPGのように、悪魔と共存し、使役するなんかのゲームのように、「こちら側」と似た、ここではない並行的な世界で、ケモノやマモノに襲われて、人知れず死んだり「向こう側」のさらに向こう側。あるかどうかもわからないそこへいったと
みんな、そうおもっている。いやむしろ「向こう側」に永住する人だっているのだから。
でもこの学園の、この一角。
普通科商業科体育科特進科芸能科芸術家その他もろもろに幼等部から大学部まで全25の棟をもつ広大な学園の
私立高天学園中等部普通科第2学年においては、ニュースも、風評も、都市伝説も無意味で、だからこそうわさされている一つの怪談がある。
白き異人
それは放課後、夕方すぎ、学園内で一人でいるとやってきて、人をさらっていくという。
全身真っ白で、目だけがルビーのように赤いそいつは、壁を天井を蜘蛛男のヒーローよろしく這い回り不気味な声を立てる。
その姿をみたものは、いない。
みたものがいないのに、なぜ知っているのかといえばそんなことは知らない。
みんなそううわさしているし、だからきっとそうなんだと、そういうことだ。
自分の同一思考に気がめいる。
ともかく、そいつ。白き異人は「都市での人攫い=三つ目のガーゴイル」と並んで「学園内の人攫い」として有名で、他の学園にも出るという。
メイワクな話だ。イヤな話だ。べつに白き異人が現れる前にだって、行方不明はごろごろいたのに。
会田、挟間、透間に境加えて奏の五つの市において、行方不明だなんて、日常茶飯事なんだ。
そんなことを考えながら、ぼうっと黒板にかかれたものを書き写していく。
隣同士でのひそひそ話し。携帯を開いて遠くの彼とのやり取り。新しい魔法の検索、ダウンロード。みんな、授業を気にしてもいない。
時折声を掛けてくる友達は、でも真に友達と呼べるほど親しいともおもえず、悪意しか感じ取れない。
教師は諦め放置放任。そんなもの教師失格じゃないのか。
生理がこなくなったとわらってしゃべる女の子。ナイフを堂々と見せ付ける男の子。みんな、凄く……
ああ、気分が悪い。
いらない、必要のない、今日。
ほしくもない明日。
思い出したくもない昨日。
いるのは今だけでいい。
ただ自分が生きていると思える、穏やかで普遍で不変で不偏な今が続く、そんなものがほしい。ダレだってそうだろう。
楽しいことが一番なはずだ。痛いものなんて、つらいものなんて、いらない。
何も、楽しいもの以外、いらない。
ああ、眠い。
目蓋が重くて、顔が机に沈んでいく。
頭痛と、腹痛。どこかそれを心地よいと感じながら、ゆっくりと息を吐く。
誰かが呼んでいる。
友達と呼べない、友達の声。効きたくもない。認識したくもない他人。
だから、心に覆いをかぶせてゆっくりと眠ろう。
意識を手放す前に、黒猫が目の前を横切った。
「おきた?」
「……はい?」
「貧血よ。授業終了と一緒に倒れたって。朝ごはんちゃんと食べてきた?」
「ええ、まあ」
「そう……ホラ、これ薬。のんどきなさい」
「……」
「無茶しちゃダメよ。つらいときはいいなさい。手助けはできるとおもうから」
「ありがとう、ございます」
「もう大丈夫ね。一人で返れる?家の人、よぼうか?」
「いえ、一人で帰れます」
「そう。じゃ、気をつけてね」
「……失礼しました」
保健室のドアをしめて、ため息をつく。
貧血
ここ最近おきたことが無かったから、すっかり忘れていた。
ああ、そう。だから自分の体は正常で、どこか壊れていたいと願って生きている以上、あんまりうれしいとは思えない。
ため息をつく。
そして歩き出す。
夕方、一般の生徒はとっくに下校していて、ふと外に目をやればグラウンドで部活をしている野球部がいる。
それとも野球をしている部活といったほうがいいのか。
あんまり気にする必要もない。
だから昇降口へと向かう。と、ナニカの気配を感じた。
自分の真後ろをさっと何かが横切るかのような。
振り向いて、じっと見つめていても動くものはいなくて、だからまた歩き出す。
するとまた気配。
すぐに振り向いたら、人がいた。
誰だろう
ダレだっけ
思い出せない
ちがう
この人は
夢境先生
そうだ。産休の先生の代わりにはいってきた先生で、無口で、無愛想だけど、クラスの女子に何気に人気のあるひとだ。
受け持ちは国語。
でも話を聞いていると眠くなる。
あの、とても退屈になる時間をドウシテみんなは起きていられるのだろう。
彼は、じっと自分を見つめてくる。
何かをいいたそうで、だから目をそらして、別れの言葉だけを残して、きびすを返して、昇降口へ。
靴を履き替えているときに一つの落胆。
そう、落胆したのだ。
最初に、気配を感じて、確認をしたときに、その気配は、あの、白き異人のものではないかと、密かな期待をしたのだ。
このつまらない今の連続から助け出してくれる存在。攫っていってくれる存在。
たとえ人で無くたって、そうしてくれるのなら三つ目のガーゴイルでも構わない。
密かな望みがかなわなくて、またため息をつく。
ともかく、帰ろう。
かえって、宿題を放り出して、ひたすら眠れば。少なくともこの退屈な世界を感じないですむのだから。
そう。だからグラウンドの外を早足で移動していたのに、校門のところで、つかまった。
人に。
友達と呼べない友達。
別の言い方をすれば、クラスメイト。
そんなやつが声を掛けてくる。
「大丈夫?」
「別に」
「送っていこうか」
「いらない」
「……そう」
明らかに気を落としている
「これ」
「なに?」
「倒れてからの授業のノートのコピー。とっておいた」
「そう」
「いらねえの?」
「別に、教科書読んでれば大体わかる」
うそ。ただ早く離れたいだけ。
「その……迷惑だった?」
「……べつに」
困惑。困った顔。続く無言。
ため息をつく自分の、少し後ろをついてくる人間。
友達と呼べない友達。
クラスの、他の誰かよりも少しだけ多く会話をするというだけ。
それだけで信用してもらおうだなんて、信用なんて、できない。
人は、すぐに、裏切る。
「……たい」
「え?」
「ん?」
「今、何か言った?」
いったのかもしれない。攫われたいと。
「白き異人に、つれていってもらいたい」
「あの、それは……」
「じゃ、道、こっちだから」
困惑の顔。意図をよめないといったような。
掛けようとした声はでも、届くことも無く、分かれて、家路を、歩き出す。
足元をみながら歩けば、影が横切って、期待をして上をみればそれはカラス。
三つ目のガーゴイルは目撃こそされていても、見つけることは難しい。
白き異人がムリならば、「それ」でも構わないのに。
電車にのって、流れていく景色。
街中を飛び回る怪盗。時々、ドラゴンの幻。向こう側がたまに透けて見えてくる。
死ぬ思いをしてまで、リアルなゲームをやりたい気持ち。
それがわからず、だからみてるだけ。
望むものは、ないこと、ない
望むものは、ここには、ない
無くしたものは、無くなったまま
失くしたいものは、失くならない
目を閉じて、ゆれに任せて、舟をこぐ。
周囲の喧騒。笑い声。話し声。新聞をめくる音。携帯の着信音。ゲームのBGM。ものの落ちる音。
子供の叫び声酔っ払いのいびき中年の大声変人の奇声レールに揺れる車輪きしむ車両
だんだんと遠ざかって、記憶に残らずに、白?黒?三つ目のガーゴイルに攫われて白き異人に捕らえられ食い殺される。
バラバラの体は白き異人が自らの体で張ったアミにつつまれていて、取り戻すこともできない。
首だけになって赤い目見つめあい乱杭歯から漏れる息をかいで背筋が凍る思いをして口が開いて歯だらけの空洞飲み込まれてぜんしんをきざまれてさいぼうのひとつぶすらもうしなった
目が覚めた。
夢
ただの
ある意味、望んだ。
思いもしなかった、一つの……
水の音?
気がつくと全身水びたしで、みたこともない、街中の、噴水の中でしりもちをついていた。
捻じ曲がった、コンクリートのようなガラスのようなビルはよくも倒れないもので、中で何かが踊りを踊って上をみているから釣られてみると
一面の
月
空を覆いつくさんとする、むしろ空の割合が小さくて、いくつかのビルに溶け込んでいている目がまばたきをしてまわっている。
赤いタワシが持つ槍のあたまにナニカの頭骨カタカタとわらって、捨てられた人形が奇声をあげ、サルみたいだと思ったタワシ、奇声に引かれて、小さな何かが群がり、クマとアリクイが混ざったもの、のっそりとやってくる巨人。アリクイが何かを食べて巨人がてにした本を振り回し奇声をあげる老人にしかられた子供がアリクイに乗る。
「ヤア。いい夢を、持っているね」
声。
首をまわせば夜の影の中に小さな満月が二つ。時々点滅してまばたきのようでそのうち人の影へ。
猫のように三角の耳をもった、擬人化された猫へ、変化。
影と同化している、それ。
「どこにでもありそうでマイナスに向かっているはずなのに希望を忘れちゃいない。おもしろいね、それ」
小首をかしげる無邪気さに裏はなさそうで、でも信用してはいけない。
子供のような声でも口調は大人びていて
伸ばされた手は手として見えず、感じる。
「オイラにくれないかな?その夢。喰べてみたい」
その顔の、二つの満月のような目の下に三日月のような口。アコーディオンのように、ニカリと、チェシャ猫のよう。
口が動かず、声だけはして、腹話術でもないみたいで。
踊る。ステップ&ターン。距離をはなして、お辞儀。
三日月が消えたとおもったら、指し示すように片足をトントンと、かかとだけ地面に打ち付ける。
「こいつはジョニー。おいらの分身にしてオイラの影。同一たるちぎれたしっぽ。そして……」
両腕を広げる
「オイラはトニー。どこにでもあふれているケットシー。夢が大好物の……」
下弦の月が
「ただの黒猫の夢魔さ」
生まれる。
ニヤリと。ちがう、ニカリと。
ああ、そう、これは夢であるからこそユメではナイ。ダカラオカシナコトナドナイ。ソラカラフンスイニオチテクウカンガマバタキヘンナイキモノガカイワヲシテセイカツシテイルコレラハゼンブユメナンダ
ユメデハナイカラオカシナコトガナイコトガオカシイコトニナルカラオカシナコトモナイ
ソウココハ
「ナイトメアシティ。夢とユメと夢魔の巣食う街だよ?」
みんなを代表して
「ヨウコソ」
息を吸って、覚醒。
ということは、あれは夢であったようだ。
だって、今、ベッドの中にいる。
でもどうやって家に帰ったのか。
電車に乗ったあたりから記憶がない。
でもそれは別に構わなくて、なぜなら昨日の夕食だってしょっちゅう忘れるから。
でも、夢の中でトニーと名乗ったあの猫のことは、自分を夢魔とわざわざ言う影猫のことは、とても強く覚えている。
それだけでなく、あの、夢でしかありえないかのような街並みも。
茫然から立ち直って、着替え。
ズボンとベスト。
ニュースは再び行方不明。
またうちの学校の生徒。
別に当たり前のこと、よくあること。
だってこの近辺の学生は二人に一人は、三人に二人は、四人に三人は高天学園に通っている。
それだけの数の人が、学園に通っている。
だから町を歩けば学園の生徒にあえるし、事件が起これば大半が学園と関係する。
もっとも、制服はあっても学ラン、セーラー、ベストにズボンとスカート、これらが夏と冬。
自由に、男女の別なく、着てかまわないし、私服も許可されている。
だから街行く人をみて、これが高天学園の生徒だなんていいきれない。
でも、ああ、いなくなったその人はきっと白き異人に攫われていったのだ。
うらやましい。
早く違う日常を感じたい。
そのとき
ふと、ぞっとする視線。
じっと獲物を狙う、ケモノのような、黒猫?
頭痛と、腹痛。親の言葉を聞き流して飛び出るようにして家を出る。
重たいカバン、きつい電車、疲れる足。怠惰なホームルーム、同じ授業。
毎日毎日繰り返してよくだれも飽きないものだ。
むしろ「向こう側」なんてあるもんだから飽きていないんじゃないかとおもったりもする。
求めることは刺激のある毎日ではあるけれど、楽しく過ごせる毎日ではあるけれど、今現在そんなことも望めそうにない。
「……ですからこの意味は」「アイツウザクね」「よし、イフリートDL」「あ~金たんね~」「路地裏にできた……」「めっちゃかわいいこ。ヤローが3人ついてるけどな」「ホントだって。こう、ぶわって燃え出して」「おネエタマって呼びたい」「付き合い始めたの。ホントだよ」「る~ら~ら~る~」「じゃあ32ページを」「いい加減寝ろ」「ここのさあ、攻略法…」「まじ?そんなところに?」
騒がしい。
静かなら静かで眠くなるけれど騒がしいなら騒がしいで集中できない。気分が悪くなる、
チャイムの音。号令。授業のスキマ
「ね、ちょっといい?」
誰だろう。
思い出せない。
違う、おぼえていないクラスメート
「次の授業さ、当たるんだよね。ゴメ、ノート見せて」
だったら最初から自分でやればいいのに。
でも断る知友も無く、無言でノートを渡す
「ありがと。昼飯おごるわ」
いつからかは覚えていないけれど、誰かに頼まれてノートを貸してからというものの、いつのまにか利用されるようになった。
報酬は大抵その日の昼食。
食事代が浮くのはうれしい。それでもあまりお金は使わないけれど。
男女構わず、頼りにくる時は頼りにきて、それはつまりクラスメート、仲間としてみられているということなのか。
そんなものいらない。
仲間だからって、なにかの刺激を与えてくれるわけでもなし。
顔を伏せて、眠ろうとする。
すると、そこに人の気配。
顔だけをあげてみれば、そこには友達と呼べない友達。
「何?」
「機嫌悪そうだなとおもって」
「そう」
「相変らずだな。もう少し丸くなればいいのに」
「あのさ、なんて呼ばれてるか知ってる?」
「なにが?」
「ふたりして」
「さあ」
「できてる」
「ん?」
「女子のあいだでもっぱらのうわさ」
「いいたいやつには言わせておけばいいさ」
「心外。迷惑」
「そうか。なら言ってきてやるが」
「それこそめんどくさい」
「お前ならそういうとおもったよ」
「席、つかないの?」
「あ?」
「次、授業」
「自習」
「知ってる」
「誰も自習なんてしないって」
「……だろうね。だから邪魔しないで」
「なにを?」
「ねる」
そういいながらも、席を立つ。
「寝るんじゃないのか?」
「トイレ」
「ついていかなくてもいいかー?」
……立ち止まり、振り返る。
きっと絶妙のタイミング。
「キモチワルイ」
他の人よりも、多少会話をするからって、ずいぶんとなれなれしい。
手を洗って、外に出て、静かな廊下を見渡す。
どこかからか聞こえてくる英語。唱和の声。
この学園はあまりにも広いから、各学年、各年代、各年ごとに必ず2,3人の迷子が出るとか何とか。
そのまま異次元に迷い込めるのなら、迷ってみたい。
きっと、妖精が惑わしているのだから、妖精にあえるだろう。
妖精といえば、この学園には魔導部とかいうものがあったっけ。
何をやっているかは知らないけれど、存在しない教室で活動しているとか。
そこへ行けば、もしかしたらこの現実から救い出してくれるのかもしれない。
ふと、窓をみる。
そこにうつっている、自分の顔。一番キライな顔。
ため息をついたときに、背筋が凍った。
あわてて後ろを振り向く。けれど、なにもない。
でも、トイレの奥の窓にひびが……さっきは入っていた?
わからない。覚えていない。トイレの窓なんてダレも見ない。
なんだろう。とても怖い。
これが白き異人によるものだとしたら、願ってもいないことのはずなのに。
体が震えている。
息が荒くなって、めまいがして、ともかくここから出ないといけない
出ないと襲われるから。
なにに?
何かに。
気配が強くなった。
全身を包まれる。
うずくまって ヒタヒタ 自分の体を抱いて 足音 視界の端に
影
黒猫?
つまりあの夢魔がやっているのか。夢魔は悪夢を見せるものと決まって……
「おい」
「……っ」
よばれて、肩をつかまれて、心臓がとまるかとおもった。
「あ……と、夢境先生?」
「授業中だぞ」
さっきの気配が消えている。
白き異人は、校内に一人でいないとでないという。
こんなことなら、あいつに来てもらえばよかったかもしれない
「スミマセン。戻ります」
形だけの返事。
そしてもどった教室。
適当に向けられては外れていく視線。
机に座ってしゃべりたくる女子達。
成人向けの本を囲んで読んでいる男子達。
それらのあいだを縫って自分の席へ。
何か本を読もうとおもって引っ張り出したけど、読む気になれなくて、机の上に突っ伏した。
黒猫の姿が脳裏をちらつく。
夢魔はアクムを見せて人の夢を食べる。
一般的なものは黒い馬で、バクの正反対のような存在。
黒猫。魔女の使い魔。目の前を横切ると不幸が訪れる。
手足やしっぽの先が白かったり、長靴を履いていたりしたらケットシー。
かわいいけれどいいイメージはない。
猫。
気まぐれ。
自分勝手。
なついてきたり、すぐに逃げ出したり。
群れているかと思えば孤独でいたりとずいぶんと一定しない。
ため息
うつらうつらとして、目蓋が落ちかけたときにチャイムが鳴った。
そんなに時間がたっていたとは思わなかった。
『向こう側』という世界。
わたし達の住む世界と隣り合った世界。
平行空間。
犬や猫やライオンに似たケモノがいるかとおもえば、ドラゴン、グリフォンといったファンタジーな生物も。
種類によってケモノだのマモノだのバケモノだのに分かれるらしいけれども詳しくはしらない。
気にはなるけれどいこうとはおもわない。
無くても生きていけるのだから。
魔法も、冒険も。
むしろ死ぬ確率が高くなるからいくだけ損だ。
なぜみんなはそんなところ平行とおもうのだろう。
遠京のように、逢坂のように、向こう側に行くことができない土地ならばただのゲームで済んでいるというのに。
そういうものだから仕方がないとでも言うのか。
でも、ケモノやマモノはこちら側にでてくることは、まず、ない。
まずないということはたまにはあるということで、それが白き異人や三つ目のガーゴイルだったりする。のかもしれないという話しがある。
けれど、どこに出てくるのかも知らないから、どこぞの秘密組織が頑張って対応しているのだそうだ。
でも、白き異人なら学校と、三つ目のガーゴイルなら市街地と、わかっているのだから、そこを張っていればいいのに。
学校の屋上で、フェンス越しにグラウンドをみる昼休み。
いつも、この時間は教室で寝ているのだけど、なぜか今日はそんな気がおきず、気の向くまま、思いついたままに、ここに着てみた。
地面を動く人影が、まるでゴミのようにとは誰の言葉だったろうか。
わからないこともないけど、どちらかといえば蟻のよう。それも、触角を失った。
ちょこまかとあちこちをいったりきたりしていてつかれないのか。
疲れるから午後の授業を寝て過ごしているのだろう。彼らは。
ため息をつく。
ドアの開く音。
他にここに人はいないというわけではないけれど、下と比べれば静かだったから、ドアの音がやけに大きく響いた。
なんとなく気になってそっちに目を向ける。
知らない女の子。
友達らしき人に駆け寄って何かをしゃべり始める。
目を戻して、蟻たちの観察を再開する。
観察というよりは、眺めているだけ。
甲高い声が耳に触る。ウルサイ。
どうでもいいことをしゃべりたくっている。
きになる男子の話。昨日みたテレビ番組。この後の授業。よくわからない内容。
どうしてそこまで話題が出てくるのか、わからない。
ただ、ともかくうるさくて、だから屋上を出る。
教室に入る。
チャイムの音。教師の入室。いつものように始まる授業
でも、どこか違和感
「先生、――がいません」
「ん、ああ、そうみたいだな。誰か知らないか」
「昇降口までは一緒だったけど」
「トイレいってくるといってました」
「あとみたやついるか?」
「さあ?」
不安。
予感がする。
休みの生徒を入れて、今教室にいないのは二人。
やけに気になって、授業に集中できず、次の授業にうつったことにも気付かなかった。
その授業でもいなくなった生徒はもどってきていない。
不安希望焦燥憧れ
白き異人が現れたのだきっと。
そう、あの黒猫を踏み倒して、悪夢を振り払って、非日常を届けにきてくれた。
わくわくする。
楽しくて、楽しくて
高笑い。
階段を飛び降りグラウンドを踊りながらわたる。
車の間を縫って進み横断歩道でステップを刻む
はやくこいこい、白き異人。非日常へとつれてってくれ。
そんな願いをこめて、街を歩く。
進んで、進んで、階段を上った先の壁。垂直を通り越したそこを歩む人々は白くて透けてるとは言いがたいけれど、それを黒液体が絡めとっている。
きっとあれが黒猫の正体。
潮が引いたように白い人影は消えていたけれど、それを乗り越えるようにしてシルクハットをかぶった老人が向かってきて不気味な笑い声を上げながら挨拶
「はろぅぼぉい?はろぅがぁる?」
空間がまばたきをして、一緒に羽ばたいていって、見送った先にいたゴブリンが何かを打ち付けて地面がへこむ。頭の見えない巨人は月の光に隠れて足元を見えない小人が人形がかけていってふみつぶすふみつぶされるふくらむ風船ただよって怪鳥にのまれて落ちてきたのは羽の形の刃空を切り裂いてまばたきがそれを避ける。
摩天楼を上ってともかく上へ。傾いた壁に立って歩き階段をさかさまに上りドアをくぐると部屋の変わりにジャングル火山海の底図書館飛行機終わりがないところの終わり。
月は見上げても大きさは変わらず足元の町はミニチュア
不思議の国のアリス、みたいに。
手を伸ばすと
体が、傾いて、落ちていく。
落ちていく
落ちていく
落ちていく
落ちていく
後ろに車。周囲に大人。
自分はランドセルを背負っていて、動けずにいた。
伸ばされた腕。
嫌がる体。
彼らは大人などではなく、高校生だったけれども
自分にとっては大人も同然だった。
思い出したくもない。
いつもと同じ、夕方前の風景。
「先生、さようなら」
皆が皆声をそろえてのんびりまったりと、10歳にもなっていう。
「一緒に帰ろう?」
と、呼びかけてくる彼らに対して
「ゴメン」
とことわって、一人家路に着く。
新しい自転車がやっと家に来るから。
それがうれしくて、早くみたくて、一人で先に家に帰った。
過去に「もし」はない
過去に「たら」はない
過去にやり直しは効かない
でも、もし、あんなやつらがいなければ、なにもおきなかったというのに。
近所で人攫いの話なんかきいたことは無くて、殺人事件の犯人が逃げ出しただなんて話題も無く、いつもどおりの平和な日常。
毎日知らないところで人が死んで、知らないところで人が生まれて、でも自分の周りだけが世界のすべて。
走っていると躓いて、転んでカバンの蓋がいたずらであいていて、中身が飛び散った。
ノート、強化書、筆箱、飛び散ったものを拾って集めて詰め込んで。
キーホルダーが一つなくなっていることに気がついて、側溝、塀の隙間、電柱の影、いろんなところを覗き込む。
みつからず
「これかな?」
差し出された手に乗ってるのは、まったく関係のない500円玉。
その手を見上げると知らない男の人。
首をふって、違うと伝えると
「一緒に探してあげる」
勝手に手伝い始める。
思い出す。
つれられて、おしこめられて、囲まれて、コトが及ぶ直前にやっと……
それ以来、他人は信用しないと心にきめた。
気がつくと、ベッドの上で目を覚ましていて、つまりは朝。
昨日と同じように、記憶がない。
着替え。ズボン。ベスト。食事。猫の影。
おもわず牛乳をぶっ掛けて何もなかったことに腹が立つ。
頭痛は治ったのに腹痛は残っていて気分が悪い。
体がだるい。薬を飲んで、学校へ。
予鈴。本鈴。号令。着席。
先生の伝達。
「――は昨日家に戻っていないそうだ」
そのほかに無断欠席が5人。
行方不明の先生が二人。
背筋に走った悪寒。脳裏をかすめる黒猫の影。
絶対そうだ。
白き異人は無差別に人をさらわない。
頻繁にあらわれない。
よし
黒猫を、黒猫を、黒猫を、退治しよう。
「大丈夫か?」
掛けられた声
「体調、少しはよくなったか?」
だれだったか。
ああ、友達ではない友達。
「休んでるやつらどうしたんだろうな」
知るわけがない。きっと黒猫にさらわれたんだ。
でもほんの何人かだけは白き異人に。
よし、黒猫をたおしにいこう。
「あー…放課後あいてるか?」
白き異人に会いに行こう。
「ごめん、用事あるんだ」
わくわくする。
その日の授業が終わったときには、生徒の数が五分の一になっていた。
かすれた声がのどから上がる。
人気のない廊下。夕日の差し込む窓。絶対の好条件。
わざと、ゆったりと、足音を立てて、見つかりやすいように、歩いて、泳ぐように、声を上げる。
「さあ」
両手を広げて、ぐるりと回って
「でてきてよ」
適当な教室を空けて
「でてこいよ」
引き返して
4回の廊下。オレンジ路に染まった廊下。
その先にうずくまる、何か。
黒いそれ。
にゃあと声を上げた黒猫。
顔が笑みに支配される。
「邪魔はさせない。黒猫の夢魔。白き異人にあうんだ。夢を、食べられて、たまるものか」
哄笑をあげる。
猫が一歩を踏み出す。体が膨れた?
釣られるように一歩を退く。
背中に、何か、当たった。
夢境先生。
なぜ
なぜなぜ
なぜなぜなぜ
なぜなぜなぜなぜ
「先生、が?」
尋ねる言葉にこたえる言葉無く、代わりに覆いかぶさってきて、溶ける。影となる。
影となったその体の上を白い何かが奔って、背後、黒猫のいたその向こうまで亀裂が奔る。
視線の先には、白い何か。
出会えた。喜び。白き、異人。
一歩を踏み出して、近寄ろうと…
「ソレはキミの望むモノではナイよ」
どこかで聞いたことのある、夢魔の声。
振り向くと黒猫の変わりに影猫がいた。
夢境先生は、いなくなっている
違う。
傍らにいる。影猫の。
「先生もグル?」
「そんな言いかたはひどいよ。夢魔だからって、夢魔だからこそ、できることは決まってるんだ。必要以上に手出しできないんだから」
トントンと、影猫が片足を鳴らすと、夢境先生が溶けて、影になった。
「ジョニーをつかって君を守るしかなかったんだよ」
うなずくように、影猫の影がゆれる。
「邪魔をしないで。そうやって他の人達も…」
「攫うわけないじゃないか」
クスクスと、二つの満月を浮かべたままそれは笑う
「さらわれてもないよ」
クククと、それは嗤う。
そして、二つの満月の下に浮かび上がる三日月。チェシャ猫のように。ゆれず、言葉がつむがれる。
「消したのはキミ。彼らはここにいる。みてないだけ。見えてないだけ。なぜだかわかる?」
猫の影が伸びて、私の後ろへ。
つられてみれば、白いモノが影に、空中で縫いとめられていた。
わからない
「キミの願い。人のいない世界。一人きりの世界。自分を攫い、でも自分を殺すかどうかわからないバケモノ。そういったものを、望んでいなかったかい?」
そう、それが、どうしたというのか。いつもおもっていたことで、何をいまさら。
「そして体調不良。その理由の、拒絶と不安。そして白き異人というモノのうわさを重ねて、キミは呼び出してしまった」
何を
「閉じこもってしまった」
どこへ
「バケモノを、自分の中へ」
白いモノがもがいて、影に叩きつけられ打ちのめされ影猫の元へと運ばれた。
影猫はクククとわらって、枝のように、細く、長く、するどい指で、白いモノをなでまわす。
「いいかんじに熟してるね。もうちょっとかかるともおもってたけど。彼がもっと関わってきていたら…もっとおいしくなってたかなぁ」
彼?ダレ?
「ほっときすぎるのもさ、悪化するだけだからこっちに呼んだってのに、意味なかったし」
三日月を消して、すねたようにいう。
なにを、いっているのか。
「でも、ま、そろそろ覚きる時間だよ。おいらも待ちすぎた。腹ペコだよ」
おきる?
「そう。全部夢オチ。キミがみた白昼夢」
「そんな」
なら、夢境先生は?
「……結構気付かないもんだよね。夢ノ境ノ幻也で夢境幻也っていう駄洒落なのに」
わらえない
「彼と話してごらんよ。キミの望むものをきっとくれるから。その後のことは保障しないけどね」
彼?
「そう、彼。心当たり、あるよね?」
ああ、あいつか
「…うん。いいかんじになった。それじゃあ
イタダキマス」
一瞬で、白いモノが丸くなって、影猫の口に、口らしきところに消えていった。
「で、いったいなんだったの、あんたは」
「…もー少し丸い言い方ないかなぁ。嫌われるヨ?」
もう遅い。余計なおせっかい。
「うん。そうだね。で…」
クルリと、ターン。
おどけたように、踊るように、身を翻して距離をあける。
そしてトントンとその片足を鳴らした。
「こいつはジョニー。おいらの分身にして影。同一たるもの。ちぎれた尻尾。そして…」
両腕を広げる
「オイラはトニー。どこにでもいるケットシー。夢が好物なだけの…」
満月の片方が消えた。ウィンク?
「ただの夢魔さ」
そして、トニーが消えた。
後に残ったのは自分自身とオレンジ色に染まった廊下。グラウンドから聞こえてくる声。
ああ、目覚めたのか
ただいま。どうでもいい日常。
とは思えなくなった。
「付き合うことになったんだって?」
「おめでとー」
あの日、あの後、校門にいた彼から告白を受けて、私は次の日からズボンをスカートに替えた。
腹痛は生理が原因だったようで、飲んでいた薬は無意味になった。
級友たちも、教員も、行方不明になんてなっていなくて、はっきりどこからどこまでが夢で現実だったのか今でもわからない。でも、確かにいなくなっている人はいた。
彼とは元から距離が近かったこともあって、前よりは会話をするようになったけれども、さすがにまだぎこちない。
友達ではない友達は恋人へ。
そして、昨日を、今日を、明日を楽しめるように…
視線
「どうした?」
隣を歩く彼が聞いてくる。
「…なんでもない」
何か、白いモノがよぎったような気がして、でもそれはただのビニール袋だとしって安堵する。
気付かなかったのだけど
通り過ぎた塀の上で、二つの満月を持つ猫が眠たそうに大あくびをしていた。