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【短編小説】A Slight Detour

作者: 聡市朗
掲載日:2026/02/12

日曜日の午後四時。


液晶のブルーライトで目の奥が重い。


カーテンを閉め切ったワンルームで、

パジャマのままスマホの画面をスクロールし続ける。


マッチングアプリの通知は

「マッチングが成立しました」という、

おめでたいような言葉を届けてくれるが、

プロフィールを眺めても、心は躍らない。


−顔がタイプじゃない

−浮気しそう

−飲み会好きそう


勝手に相手の嫌なところを作り出す。


深いため息を吐き、スマホを伏せると、

部屋は驚くほど静かだった。


薄暗く、散らかっていないのにどこか殺風景な部屋。


休日はいつもこうして終わる。

何かをした記憶もなく、寂しさだけが残る。


お腹が減ったな、と唐突に思った。


ベッドからゆっくりと体を起こし、

休日の定番化したワンピースに着替え、

帽子を深めに被れば、準備は整う。


ドアを開けると、西日が眩しかった。

思わず目を細める。

部屋の中に溜まっていた空気とは違う、

アスファルトが焼ける匂いがした。


むせ返るような暑さから逃げるように

すぐ近所の中華料理店に入った。


今日の店内は思ったより混んでいる。


「相席でもよろしいですか」


申し訳なさそうな店員の声に、

私は少しだけ間を開けて、「はい」と返事をする。


向かいに座っていたのは、同じ年くらいの男性。

シンプルな白のTシャツから伸びる腕は少し日に焼けていた。


特別に目を引くわけではないのに、なぜか意識が向く。


メニューを眺めていると、彼がポツリと言った。


「ここの餃子、めちゃくちゃ好きなんですよね」


急に話し出す彼に驚きながら、何故か笑ってしまった。


「そんなにですか」


「ええ。わざわざ来るくらいには」


それだけの会話なのに、空気がわずかに柔らぐ。


料理が来るまでの間、ぽつぽつと話す。


餃子につけるタレの種類。

店内で流れているテレビ番組。

肩こりに効く体操。


食べ終わる頃、店の外は夕暮れに変わっていた。

彼は会計を済ませてから、ふと外を見て言った。


「いい時間帯ですね」


柔らかなオレンジ色の光が、道をなぞるように伸びている。


いつもと変わらない景色なのに、どこか違って見えた。



別れ際に連絡先を交換してから、

数日が過ぎたが彼からメッセージは届かなかった。


仕事の帰り道、あの中華料理店の前を通る。

黄色の看板に、油の匂い。


−餃子、めちゃくちゃ好きなんですよね。


立ち止まりかけて、そのまま通り過ぎた。



ある夜、彼からメッセージが届いた。


「この前の店、今日は餃子のタレを

 おすすめしてもらった酢と胡椒にしてみました。 

 さらに美味しかったです。」


それだけの文章なのに、少し笑ってしまう。


「気に入ってもらえてよかったです。 

 私はまだ行けてません。」と返した。


しばらくして、また通知が鳴る。


「今度、タイミング合えば一緒に」


期限も、確約もない言葉。


「ぜひ」


そう返して、スマホを伏せた。



彼から食事の誘いがあった。

この前の中華料理店とは別のお店。


最寄りの駅から一本離れた通りにある、小さなお蕎麦屋さん。 


「このお店、前から気になっていたんです。」


彼はそう言って、扉を開けてくれた。


老舗らしさを残しつつ、手入れの行き届いた店内。


席に着いてから、彼がメニューを見て言った。

鴨せいろとだし巻きが評判らしい。


運ばれてきた鴨せいろは、

熱々で少し辛めのつゆの中に、

柔らかくしっとりとした鴨肉。

焼き目のついたネギが贅沢に入っている。


柚子の香りがほのかに立ち、

細打ちの二八そばも喉越しがよく、箸が進む。


「…美味しい」思わず声が出た。


「良かったです。 この辺りは美味しいお店が多いですよね」


彼は嬉しそうに笑った。


それから少し間を空けて


「食べるのも好きなんですけど、 

 綺麗な景色をみることも好きで…」


「ここから車で一時間くらいのところに、

 紅葉がすごくきれいな公園があるんです。 

 次の土曜日、一緒に行きませんか」



次の約束をしてから毎日ではないが、

定期的に電話やメッセージのやりとりをするようになった。


今までで一番美味しかったタルトのお店の話。

高校の頃、繰り返し聴いていた音楽。

お気に入りのYouTube。


彼とは何でもない話を自然に話せた。



金曜日、有給を取ってデパートへ買い物に来た。


たくさんの人が行き交う中、

流行りの服やコスメを見ながら楽しんでいると

聞き覚えのある声がした。


「ナオ?」


全身の血の気が引いていく。

声の方を見ると2年前に別れた男が立っていた。


嘘つきのクズ。思い出したくもない。


私は声を掛けられたことに気付かないフリをして、

足早にその場を去った。


何かが追ってくる気配はしたが、気にせず歩き続ける。


最悪だ。最悪、最悪、最悪。


あの男は平然と息を吐くように嘘をついていた。

私の家族にも友人にも。


あの男は、既婚者だった。

家族と歩いているあの男の姿がフラッシュバックする。


怒りと震えが止まらない。

立ち止まり、涙が出そうになったとき、

無意識に彼からの最後のメッセージを開いた。


「今日、京都出張で美味しい大福が買えました!

 明日一緒に食べましょう!」


冷えた指先にゆっくりと体温が戻る。


深く息を吸い、また歩き出した。


いつもの帰り道の脇に坂道があり、ふと足を進めてみた。

坂の上には見晴らしの良い公園があった。


街の音が少し遅れて届く。


公園の柵の向こうに広がる景色を

私はしばらく見つめていた。


ときおり頬をかすめる風は気持ちよかった。



何度目かの夜。別れ際に、彼が足を止めた。


いつもなら笑顔で別れの挨拶をしてくれる彼が真剣な顔で私を見つめている。


「…もう少し散歩してもいいですか」


何もない住宅街をゆっくりと歩く。沈黙が長く感じた。


しばらく歩いたあと、また彼が足を止めて話し出した。


「ナオさんといると幸せな気持ちになるんです。     

 …僕もナオさんのこと幸せにできたらなって…」


「付き合ってもらえませんか…?」


少しだけ声が震えていた。


過去がよぎり、一瞬だけ心が冷え込む。

けど、彼がいたら乗り越えられる気がした。


「はい」


笑顔で返事をすると、彼は、ほっとしたように息を吐く。


私は彼の手を取り、


「少し、遠回りをしませんか」


高台の公園には夜景が広がっていた。


「特別な景色ではないけど、一緒に見たかったんです」


彼は少し照れたように優しく「ありがとう」と言った。


握った手のあたたかさが、胸の奥へ静かに染みていった。

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