英雄参上?
僕は、逃げるしかなかった。
……いや、違う。
それは言い訳だ。
いつか、ミーナさんや天才殿に並べると思っていた。
時間さえあれば。努力さえすれば。
でも――現実は違った。
青髪の魔剣士が、ミーナさんと剣を交えているのを見たとき。
僕はただ震えて、立ち尽くすことしかできなかった。
情けない。
それでも、英雄殿を探さなきゃいけない。
そうしなければ、ミーナさんが殺される。
直感した。
あの青髪は、ライナと同等――いや、それ以上だと。
「英雄殿は……どこだ……」
声に出していた。
天才殿も僕のせいで巻き込まれた。
僕は全員に迷惑をかけている。
ただ生まれがいいだけの、足手まとい。
悔しい。
何が貴族だ。
何ひとつ、できていないじゃないか。
――っ。
前を見ていなかった。
誰かにぶつかり、倒れる。
「……僕を誰だと思って――」
言いかけた言葉が、喉で止まった。
顔を上げると、二人の男が僕を見下ろしていた。
金髪の男。
そして、濃い緑の長髪の男。
身体が震え出し、腰が抜ける。
金髪の男が僕の首を掴み、そのまま持ち上げた。
「……ライナ……」
声がかすれる。息が苦しい。
間近で見る金髪の男は、僕の知る“七英雄”そのものだった。
「おい。どういうことだ」
低い声が落ちてくる。
「なぜ来たのが――赤髪のガキなんだ」
ライナが叫ぶ。
僕の唇は、勝手に震え始めた。
「ライナ、ここではやめろ。誰か来たらどうする」
緑髪の男――ドルジが言う。
「……ちっ。そうだな」
僕は乱暴に地面へ降ろされ、命じられた。
「歩け。路地へ行く」
「……は、はい……」
ドルジは僕の背後に回り、逃げられない位置を取る。
振り返ることもできなかった。
怖い。
帰りたい。
殺される。
誰か、助けて――。
ミーナさんは?
英雄殿は?
天才殿は、どうなった?
……聞かなければ。
「て、天才殿は……ど、どこですか……」
返事は淡々としていた。
「天才殿? あの赤髪のことか」
ライナの声。
「ああ。あいつなら、アヴァンが相手してる」
――アヴァン。
頬に鎌の入れ墨を入れた魔道士。
僕と同世代くらい。話したことはない。
でも、死んでいないことは分かった
(天才殿は……まだ、生きているかもしれない)
その希望が胸に灯った瞬間、ドルジが苛立たしげに言った。
「ライナ。情報をやるな。いつも言っているはずだ」
「……あ、そうだな」
二人の会話から分かった。
僕はまったく警戒されていない。
“どうせ逃げられない”と思われている。
――路地裏に着く。
「ここで止まれ」
ドンッ。
次の瞬間、ドルジの蹴りが腹に突き刺さり、壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
痛い。
こんな痛み、初めてだ。
僕は実戦を知らない。
貴族だから、誰かが戦ってくれると思っていた。
でも――ミーナさんを見て、思い知った。
貴族だから守られるわけじゃない。
貴族でも、人を守ろうとする人はいる。
それなのに僕は――守られてばかりだ。
才能を知るのが怖くて、特訓から逃げた。
比べられるのが怖かった。
天才殿やミーナさんと。
後悔しかない。
「なんだ、その目は」
ドンッ。
また腹を蹴られる。
胃がひっくり返り、夕食を吐き出した。
涙があふれた。
英雄殿たちが来てから、僕は何回泣いたんだろう。
僕は、弱虫だ。
「おい、やめろドルジ。死ぬぞ」
ライナが、焦ったように止めた。
ドルジは冷たく言い放つ。
「愚図が死んで、誰が困る」
「は? 俺たちが殺すのはバスタルだけだろ」
「予定が狂うのが一番嫌いだ。こいつは俺を苛つかせた」
「殺す」
……ああ。
殺される。
そのときだった。
足音が近づく。
ざあっ。
僕と二人の間に、滑り込むように現れたのは――
ローブを羽織った金髪の女性。右手に剣。
「……ミーナさん」
声が漏れた。
情けない。
女に守られる男でしかない。
それでも今は――縋るしかない。
ミーナさんが、怒りを抑えて言う。
「あなたたち……許せません。……ライナさん」
ライナが目を細めた。
「ミーナ・スコット……ワンダの妹か」
二人は、知り合いだった。
「英雄が、こんなことをして……!」
ミーナさんが言いかけると、ライナは笑う。
「英雄だから、か。便利な言葉だな」
そして宣言する。
「俺はこの世界の英雄を否定し、新しい英雄になる」
「な、何を言って――」
その瞬間。
ライナの背後で、ドルジの右手に雷が集まった。
――ズガン!
黄色い光。爆音。
ミーナさんは僕を抱き寄せ、回転しながら避けた。
雷は壁を貫いている。
受けていたら、死んでいた。
「おい、ドルジ! 何やってる!」
ライナが怒鳴る。
「お前こそ、何をしてる」
ドルジは淡々と返す。
「どうせ殺す。話す意味がないだろ」
「俺が殺すのはバスタルだけだ! 関係ないやつを巻き込むな!」
ドルジが嘲るように笑う。
「……ふん。お前の覚悟はその程度か」
「英雄を変えるなら、これから何人も殺すだろ」
「バスタルが終わったあと、お前は誰も殺さないのか?」
ライナが、言葉を失う。
沈黙。
ドルジは追い打ちをかけた。
「それで世界が変わるとは思えないがな」
「選べ、ライナ。何を捨てるべきかを」
ライナは苦しそうに、叫んだ。
「……ああ。お前の言う通りだ」
「俺は英雄を変える」
「そのために……ガキどもを殺す!」
「そうしなきゃ……世界は変わらない!」
ドルジの口角が上がる。
「それでいい。……見届けてやる」
ライナが覚悟を決めた顔で剣を構えた。
同時に、ミーナさんも剣を構える。
僕は――
立ち上がれず、ただ見ていることしかできなかった。
ガキン、ガキン
ミーナさんとライナの打ち合いが始まっていた。
互角とは言えない。
ミーナさんは喰らいついている。
けれど、何度も転ばされる。
剣の鋭さは、見ているだけで分かる。
ミーナさんの刃は、ライナとそう変わらない。
でも――剣以外。
足運び。体重の乗せ方。呼吸。間合い。
身体の使い方のすべてで、ライナが上だった。
ミーナさんが倒され、蹴り飛ばされる。
脇腹を押さえた指の隙間から、赤がにじむ。
それでも僕は、立ち上がれない。
何度倒されても立ち上がるミーナさんを、ただ見ているだけだ。
「まだまだです。ライナさん」
ミーナさんが、初めて怒鳴った気がした。
「さっき――アズールさんから言われました」
「魔法は二流だって。分かってますよ」
それでも、と。
「それでも戦うのが私が知っている
英雄なんです!」
ライナが舌打ちする。
「アズール?……ちっ。あの気まぐれ野郎が」
そして、ミーナさんが構えを変えた。
右手を引き、目を閉じる。
黄色い魔力が、右腕に集まっていく。
空気が重くなる。
「はぁぁ――!」
踏み込み。突き。
同時に、剣が巨大化した。
(すごい……)
これなら、いける。
僕は本気でそう思った。
だがライナは、ただ横薙ぎに構える。
――振った。
それだけだった。
粉砕音。
巨大な剣が、砕け散った。
ミーナさんが、唖然とする。
ライナは冷たく言う。
「ミーナ。ワンダの真似事か」
「それで俺に勝てると思ってるなら、舐めるなよ」
そして、踏み込む言葉。
「ワンダは弱いから死んだ」
「英雄にもなれず、名も上がらず――意味のない死だ」
ミーナさんの顔が、みるみる赤くなる。
「あんたに……姉さんの何が分かる!」
怒りのままに突っ込む。
結果は、見えた通りだった。
ミーナさんの剣は流され、ライナの前に倒れる。
顔を、靴で踏みつけられる。
それを目の前でみてるのに
僕は――やっぱり立てない。
ライナが吐き捨てる。
「弱いな、ミーナ」
「バスタルはお前に何も教えないのか」
ドンッ。
また蹴られ、壁へ叩きつけられる。
服が裂け、骨が軋む音がした気がした。
それでもミーナさんは、諦めない。
体が動かないなら、口で戦う。
涙を流しながら、言う。
「バスタル様が来れば……あなたは負けます」
その顔は、泣いているのに。
信じ切っている目だった。
ライナが笑う。
そして、吐き出すように言った。
「バスタルが、英雄をおかしくした」
「奴は死ぬべきだ。俺は奴を否定する」
「姉さんが今のあなたを見たら……怒りますよ」
ライナは、ほんの一瞬だけ黙った。
「……ワンダが今の俺を見たら、確かに怒るだろうな」
でも、と。
「死人は語らねぇだろ」
剣を持ち上げ、告げる。
「先にお前がワンダに伝えてくれ」
「世界を変えたあと――お前のところに行くってな」
剣が振り下ろされる。
ミーナさんが、目を閉じた。
そのとき――
「待て!」
ライナは動きが止まり、声のほうを向いた
黒いローブの赤目の男、、
英雄殿が立っていた。
……これが本物の英雄。
一番いいタイミングで現れる。
かっこいいなぁ、僕が憧れた英雄そのものだ。
憧れたのに、、ここまで、違うのかぁ
僕はカッコ悪い
「俺の仲間に手を出したら、分かってるな」
英雄殿はライナと短く言葉を交わしたあと、建物の裏へ走り出した。
逃げた?
そんなわけはない。
僕には分かる。
――英雄は、勝つために“動く”。
だから僕も。
守られているだけじゃ、終われない。
僕は歯を食いしばり、震える膝に力を込めた。
少しでも役にたたないと




