なぜゾンビは正確に人間を襲えるのか?
「いいか、ゾンビは音に反応する。俺たちはなるべく足音を立てずに、スーパーマーケットまで行くぞ」
リーダーの低い、石のような声が、夜の静寂を切り裂いた。
月は分厚い雲の裏に隠れ、世界は色彩を失い、ただ息を潜めている。
「ゾンビって……足音くらいでも反応するのか?」
背後の影から、誰かが喉を絞るような小声で問いを投げる。
「ああ。奴らは視覚が退化した分、聴覚が異常に発達している。地面を叩く微かな振動、空気のわずかな揺れ。それだけで群れごと寄ってくる」
「まじかよ……」
小さく吐き出されたため息が、妙に生々しく耳に響き、またすぐに静寂に吸い込まれた。
俺たちは、ひび割れ、盛り上がったアスファルトの道路を、忍者というよりも、獲物を追う猫のように、重心を低く、一歩ずつ進んでいく。
風は完全に止まり、遠くで何かが腐敗する、形容しがたい匂いすら聞こえそうな、張り詰めた沈黙。
だが、その極限の緊張の糸は、ほんの一瞬で切れた。
石につまづいた。
「っ!」
体は前へ投げ出され、膝が地面を打ちつける。
鈍い「ドンッ」という音が、まるで爆発したように夜に跳ねた。
「馬鹿! 何してんだ、やつらがくるぞ!」
リーダーの叱責と同時に、世界が錆びた歯車のように軋み始めた。
――ガラガラガラ!
近くの倉庫か。錆びついたシャッターが、耳障りな悲鳴を上げて開く音。
――ガシャン!
住宅の窓ガラスが、内側から叩き割られる音。
――ガコン!
道路のマンホールの蓋が、弾け飛んでコンクリートに当たる音。
影という影が粘つくようにざわめき、そこから無数のゾンビが這い出してくる。
古びた生ゴミのような腐肉の臭いが風に乗り、肺が収縮しそうになる。
「いわんこっちゃない! もう戦うしか――」
「すまん……俺のせいで……」
しかし、その次の瞬間、俺たちは異変に気づいた。
呻きながら、よろめきながら現れたゾンビたちは、こちらに向かってこない。
彼らは、ただ自分たちが出てきた建物の入口を行ったり来たりしている。
まるで、迷子になった子供のように。
「……あれ? なんで、俺たちを襲わない?」
「まさか――」
リーダーが、ハッと目を見開いた。
その眼に、戦慄ではなく、奇妙な確信が宿る。
「わかったぞ! 入口の騒音で、俺たちの足音を聞き逃したんだ! それだけじゃない。奴らは、自分たちが出した音にも反応している! つまり――互いの騒音に引き寄せられ、パニックを起こしているんだ!」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせる。
危機を脱したという現実が、まだ信じられない。
やがて、誰かが音を殺して、震えるように笑った。
「……運が良かった、って言うには、出来すぎた話だな」
俺たちは再び、息を詰めて足を進めた。
夜の中、ゾンビたちの混乱した喧騒が、奇妙なBGMのように遠ざかっていく。
こうして俺たちは、まるで散歩にでも出かけたかのように、無事スーパーマーケットへ辿り着いたのだった。
***
「いいか、俺たちは無事ここで食料を確保できた。 だが油断するな。ゾンビは匂いにも異常に敏感だ。 間違ってもここで飯を食べたりするなよ」
「煮たり焼いたりしなくても、袋越しの匂いまでわかるのか?」
「ああ。奴らは味覚を持たない分、嗅覚は猟犬のそれを遥かに超える。 異常な匂いを感知した瞬間、集団で襲ってくるぞ」
「まじかよ……」
「帰るまでが遠足」という子供じみた言葉が頭をよぎったが、今は冗談ではない。
俺たちは、食料の匂いが微塵も漏れないよう、慎重に帰路についた。
だが、またしても事件は起きた。
途中でまた、俺は割れた舗装に隠れた石につまづいた。
「ぎゃっ!」
転倒と同時に、背負っていた鞄のファスナーが弾け、缶詰やレトルト食品がゴロゴロと路上に転がる。
「馬鹿野郎! 飯の匂いが漏れてるじゃねえか!」
するとまた、影という影から、腐敗した塊が湧き出てきた。
「く、今度こそ逃げ場はないのか!」
「すまん、また俺のせいで……」
しかし、今回もゾンビは互いにぶつかり合い、その場で呻いているだけで、こちらには向かってこなかった。
彼らの集団からは、さっきよりもさらに強烈な悪臭が漂ってくる。
「一体どういうことだ?」
リーダーは鼻をひくつかせ、険しい顔で状況を分析した。
「わかったぞ! ゾンビ自体が纏う臭いが、とてつもなく強烈だ! ということは、飯のわずかな匂いなんかよりも、自分たちがたまり場にしていた建物の匂いや、互いの腐臭のほうがよっぽど強い!」
「なるほど!」
「それだけじゃない。奴らは、互いに違う場所から出てきた。匂いの種類も様々だ。 ゾンビに染み付いた強烈な匂い同士で、互いにひかれあって混乱しているんだ!」
「そういうことか!」
運命の皮肉、あるいはこの世界の奇妙な摂理に感謝しながら、俺たちは散らばった食料を拾い集めた。 こうして俺たちは、ゾンビの持つ高性能な五感のおかげで、無事平穏にアジトに食料を持ち帰ることができたのだった。
ゾンビが同士討ちしないのってすごく不思議ですよね!




