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8 覚醒

 少年は、戦いの方角を見た。心持、焦点の定まらない瞳で。

「思い直せと言っているだろう!!」

 蛇が、凄い剣幕でコアンをどやしつけている。

「コアン……。助けないと……。」

 ふら、少年は、よろめいて、しかしその方角へ行こうとした。なぜかとても足が重い。《内なる声》との対話は、とても体力を消費するようだ。眼が痛い。くらくらする。

《そのまま行っても、あの女の尾で一閃されれば、ひとたまりも無いだろう。手立てが有る。後ろを見るが良い。》

「これ、剣……。」

 少年は言われるがままに後ろを見た。一振りの剣が落ちていた。

 先ほど逃げ出した兵士のものだ。

「剣で、どうするの?」

《そんなことは、自分で考えろ。おまえなら、そろそろ分かってもいいはずだ。》

「あ、まって、いっしょに居て……。」

 《内なる声》は、あっと言う間にフェードアウトし、消えてしまった。

 何度呼びかけても、返答が帰ってくる様子はない。ただ、声は、少年の中に、確固たる意志を残していった。

 いちいちやり方を、教えてくれる存在が、居なくなっただけで……。

「……。」

 少年は、どうしたものかと、足元の剣を眺めた。長さは、少年の胸辺りまである。幅は、少年の掌ぐらい。形状は、両刃式で、かなりの厚みがある。ナイフのように切り裂くよりも、斧やナタのように、叩き切るための刃物らしい。

 少年は、布の巻かれた柄を持ち、ゆっくりと上げてみた。……持ち上がらない。

 如何して大人は、ここまで重い武器を軽々と振り回せるんだろう。少年はため息をついた。そして、深く息を吸うと、渾身の力でそれを持ち上げる。

 後から分かった事だが、この剣は、特別に重量級で、あの剣兵の腕力に合わせたオーダーメイドだったのだ。

「うー…ん。」

 ようやく、切っ先が地面から離れた。しかし、どうやっても構える事が出来ない。

「ちっくしょー…っ。」

 頑張ったが、剣の切っ先は、地面についてしまった。

「ど、どうしよう。」

 《内なる声》は言った。《そんなことは、自分で考えろ。》何か。何かできるはずだ。この剣で……。

 ふと、少年は、その方向性に行き着いた。

 同時にその考えを切り捨てる。冗談じゃない。そんなこと、してたまるか。

 しかし。

「もう許さぬ! ここで、お前を喰らってやる!!!」

 蛇の声がして。

「ぐ、あああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!」

 コアンが叫んで。

 少年は。少年は、考えた。

 僕は、これから、これで死ねばいいのではないか……?

 コアンが死ぬのは、嫌だ。ぼくがそうなるのも、嫌だ。でも。コアンが死んだら助からないけど、ぼくがそうなって、それでコアンが助かるのなら、悪くはない。

 どうせ、何度もされてるんだ。自分でやったって、もう、何も変わらないよね。

 座り込み、握った剣の柄を、ゆっくりとあげる。

 それは、少年のいままでの経験で、最も痛みが少なく、迅速なやり口。

 地面と腕の二点。それだけが、剣の支点。そして。

「痛くありませんように。」

 呟いて、少し勢いをつけて。何のためらいも無く。


 剣の刃に、首を這わせた。


 切れる。

 入ってくる、冷たい金属。

 痛い?

 い、痛い!痛い・・・・・・・。でも。足りない。もっと、もっと深く。深く切っ先をねじ込む。

 金属の刃が冷たい。湧き出る血が熱い。冷たい。熱い。痛い。痛い。苦しい。

 でも、早く。早くしないと、あの人が、助からないから。だから僕は。

 そして、こりっ、というあっけのない音と一緒に。

 少年は、自ら頚動脈を切断した。

 突如、どくどくと音を立て、勢いよく血液が吹き出た。ホースの裂け目から溢れる水のように、突如マグマを噴出す火山のように、決壊したダムの水のように。

 辺りを染める、赤い霧。床を浸す、鉄の匂い。少年を長い間苦しめてきたそれら。

 でもいまは、正義の象徴。変身の為の後光。勇気を示す、赤。噴出し噴出し、びちゃびちゃと音を立てて、床を叩く。

 勢いをつけすぎて気管をと神経を傷つけてしまった。呼吸が上手くいかない上、訪れた痛みは少年の意識を今にも持って行きそうだ。しかし、こうしたほうが、綺麗に死ねるし、後の嫌なにおいが残らないことを、経験上少年は知っていた。

 少年は、無表情で、自らから吹き出す血を眺めている。

 腹を割けば、見た目が悪いし、内臓の潰れる匂いは、なんとも言いがたい。首を絞めると、苦しすぎるし、鬱血して変な顔になるから、好きではない。手首を切ったら、死ぬまでに時間がかかりすぎて困る。土座衛門なんて、真っ平だ。肺に入った水を吐き出すのに、少なくとも一週間はかかる。毒は、顔が変になるし、苦いし、効くのに時間差があるかもしれないし、結構怖いので嫌いだ。

 だから、首を切るのが一番良い。

 少年は、餓死と病死と凍死と老衰以外の、ほぼ全ての死因を体験していた。

 しかし、それらは皆、他人のせいで起こった死。

 しかし今は、少年の果てし無い純粋な殺意が、自らに向いた瞬間だった。

 そして、少年の意識が遠のきかけたころ、それは起こった。

 少年の身体を、淡い白い光が包む。身体の表面を覆い尽くしただけでは飽き足らず、まわりの空間にまで広がりを持ち、ついには光の円柱と化した。

 それが消えた時、そこには、「一人」の蛇人がいた。

 くすんだ金髪と、骨格と、服だけを残し。皮膚も、瞳も、爪も、舌も、牙も、何もかもが蛇。斜めに切れ上がった金の瞳。虹彩は無く、縦に走る黒い瞳孔。その下の鼻は平たく、口も耳近くまで裂けている。二本の牙と、別れた舌が特徴的である。そして、全身を走る鱗たち。どんな宝石にも、芸術作品にも負ける事はないであろう、翠の輝き。

――あの錦織の蛇すら、上回るほどに。

 先ほどの傷は、変身の過程で完治して居り、失った血液も殆ど回復されていた。

 昨日までは、忌むべき姿。しかし今日は、大切な人を守るために変身したヒーロー。

 少年は、自分をそう評した。

 少年、否、蛇人は、先ほどに自分の首を切った剣を軽々と持ち上げた。変身前とは、とんでもない力差が有る。持った本人があきれるほどに。

「五月蝿い!!死ねっ!今すぐ私の前から消えろぉっ!!」

 蛇が叫んでいる。コアンが危ない。

 蛇人は、地面を一蹴りするだけで、コアンの元へ駆けつけた。跳び立つ時、床が陥没する感触があったが、あえて無視する。責任は、あの奸臣神官が取れば良い。

 気配を消すのは、蛇が狩をするときの常識だ。同じ蛇であるはずの、コアンに巻きつく大蛇にも気取られる事は無く、背後を取る。

 蛇は、渾身の力でコアンを締め上げている。その頬が、細かく震えていた。得物をつぶす快感にでも酔っているのだろうか。やられる方は、面白くもなんとも無いのに。

 蛇の頬が震える理由を、蛇人は見ていない。蛇の涙が、見えていない。

 だから。

 蛇人は、無表情のまま、剣をかざした。コアンの身体から離れたところにあった、蛇の身体の中間地点に狙いを定める。

「さよなら。」

 口の中で呟き、彼は目標を見定めるために一度刃をあてがう。

「……ん、何だ、お前は。」

 蛇が振り返った。顔に有るのはほんの少しの疑問。

 しかし彼の姿を捉えた時、彼女の表情は一変した。

「お前は、ナーガだとっ?…まさか――っ!!」


 ザシュッ……。


 蛇人の少年は、何のためらいも無くその胴に剣を叩き下ろした。今まで幾度と無く、少年がされてきた事だった。ただ一つの違いは、少年は生き返り、蛇はもう 生き返らないという事だけ。

 先ほどの少年と同じように、蛇の身体から、血が噴出す。今度は内臓もともに切ったので、嫌なにおいが充満する。蛇がのた打ち回る。

 完全に切断する事ができなかったので、蛇人は、忌々しそうに剣を引き抜いた。

 と、最後の力を振り絞ったのだろう、蛇が、蛇人に向けて跳躍した。体中の筋肉をばねにし、痛みをこらえての最後の特攻。

 しかし、蛇人はそれを無表情に見下ろしていた。傷ついた蛇からはもう、先ほど少年が見た美しさが感じられない。神である蛇人の翡翠の鱗に比べたら。噴出す赤も、ただの吐き気を催す液体でしかなかった。

 その瞬間、蛇人は、無表情だった。神のくせに、無の『天使』の顔をしていた。ただ、このしつこい蛇を黙らせよう。それしか考えていなかった。

 蛇人は、剣を振り上げ、大蛇に刺突を見舞った。

 飛び掛る勢いも手伝い、眉間に侵入した剣は特に抵抗も無く、するりと蛇の脳を貫いた。のたうつ筋肉が急速に力を失った。それでも剣の勢いは止まらない。刃の部分が全て吸い込まれ、つばさえものめり込み、結局蛇人の持つ柄まで、勢いが死ぬ事は無かった。

 遠くで、コアンが咳き込む音が聞こえた。直後、彼は血を見たのだろう。息を飲む声も聞こえる。これしきの血で驚くなんて。蛇人の中の少年は、そう考える。全然たいした事、無いのに。

 それよりも今は、この蛇の最後を確認しなければならない。

 どれほどの時間がたっただろうか。ひくひく、と最後に痙攣し、蛇は動かなくなった。

 安心し、蛇人は蛇から、剣を抜いた。何事も無かったかのように手馴れた動作で。


「おい!!」


 次の瞬間、蛇人に怒鳴りつける声があった。

 




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