3 邂逅の日
一ヵ月後……。
コアンは蛇人族の都の宿屋に来ていた。色々と苦労は、した。
怪しまれながらも、関所は偽造通行券と袖の下で突破。
人間である事を理由に、いろいろなところで疑われたりした。
同じように、人だから、とレストランで門前払いを喰らい、ご飯も食べられない日があった。宿屋も然り。
この、蛇人族の地では、人間差別が深く根付いている。
しかしコアンは、どんな逆境にも負けない自身があった。どんな仕事もやり遂げるプライドが会った。初めての仕事を成功させようとする気迫があった。
そして何より、あの虚無の眼をした子供を救い出したかった。
色々と聞き込みをし、計画を練る。そしてコアンは、今夜決行と言う所までこぎつけた。
しかし……。
「どういうことだったんだ、ありゃあ。」
宿のベッドに寝っ転がるコアンは、三つ編みにまとめた髪をいじくって、口に手を当てた。
あの夫婦は言った。
『あの子を救い出したら、しばらく外の街を見せてやって欲しいのです。』
『あの子はまだ外の世界を見たことがない。だから・・・・・・。私たちにも逢わさなくて良い。二人で旅に出てあげてくれませんか?』
『もちろんお金は払います!蛇人の村には戻さないでください!』
いつまでの旅になるか分からないと言うので、せっかくのレパードなんでも相談所も引き払い、旅支度も整えてここまで来たが、彼らの台詞のうち、一部分が気になった。
『私たちに逢わさなくてよい。』
一体……。
一刻も早く逢いたいからコアンに依頼をするのではないのか。
それを、逢わさなくてよいとは……。
コアンはしばらく考えにふけったが、あまりいい考えは浮かばなかった。
「ま、いいか。」
寝転んでいたベッドから腹筋の力で立ち上がり、コアンは身体の関節をコキコキと鳴らした。骨には悪いのだが、こうしないとやる気が出てこないのだ。
「よっしゃ。盗賊コアン様復活!」
わけのわからない気合い文句を発し、彼は宿屋を後にする。
少年はとろりとした目で……いや、ぼうっとしているのではない。なんの感情も、光すら返さない眼で檻の外を見た。
「オオ……オオオ……なんと美しい。この子こそ、私が長年捜し求めていた『無の天使』だ……。」
先の丸まった八の字ひげに、ベレー帽と言ういでたちの、なんとも解りやすい画が、檻の中に居る少年を頬に手を当て、宝石でも見ているような眼で見つめている。
その横で、神官がいつもの様に揉み手をしていた。
(先ほどから、何か、おかしなものが騒いでいる。)
そういった事実を確認すると、少年はふっと目を逸らした。
「いいねえ、良いねえ、美しいねえ。ぜひとも私の絵の題材にさせていただきたいねえ。」
「いいでしょう、いいでしょう。この少年こそ我ら蛇人族の生んだ奇跡、ナーガの血を色濃く受け継ぐ子、ですよ。」
「この子を描くんだったら、私の絵の値段も鰻上りだねえ。何せこの無表情!ここまでの ものを造るのにはどれだけの年数がかかったことか。でもおかげで高い絵が描けるねえ!」
「ええ、ええ。そして利益は……。」
―――山分けにしよう。
絵描きと神官、二人の大の男、しかも良い年したおっさんがダンスを始めたが(BGM・ヴィバルディの春)、少年の目にそれは映っていない。
十ヶ月前から、ずっとこういう生活をしていた。
朝から晩まで窓のない地下室の檻に入れられたままですごす。明かりは油のよく切れるランプひとつ。看守すら居ない地下牢で一人ぼっち。
ふるさとに居るころからあった無表情は、ここに来てついに完全なものになった。
何かに興味を示すこともせず、食事や排泄などの生きるために必要なこと意外は何もしない。感情なんて期待するだけ無駄だ。その瞳にはもはや絶望すら映っては居ない。
ただひたすらな無表情は、ある意味とても神々しくて、思わず見とれる程だったと言う。
そしてたまに今のように、檻越しに神官と芸術家が訪れ、彼の表情を使って優れた芸術作品を創って行った。
絵画、彫刻、版画、小説、写真……。
その少年を始めて見た様々な芸術家たちは、口をそろえてこう呟いたという。
「美しい。」
と。
「言う」のではない。「呟く」事しか出来なかったのだ。
しかも、ありふれた賞賛の言葉だけを。
いろいろと回りくどい表現方法を持っているはずの小説家たちでさえ、彼を見た瞬間に表せる言葉は持ち合わせていなかった。
声を出すことも憚られるほど、その少年に圧倒されていたのだ。
しかし誰が檻の外におり、何を言おうと、少年の虚ろな目は動く事無くぼんやりとよどみ凍りつき、光を返すことはなかった。
そう。それは今日も同じ。
夢中で筆を動かす画家と、ホクホク顔でそれを見つめる神官。
描かれていることを自覚しているのか居ないのか。少年はピクリとも動かずただ地面を凝視していた。
途中から自分を見る画家の眼が変わったのにも、気付かないで。
数時間がたち、ようやく絵が完成した。
「いやあ、すばらしいねえ。この少年の名前は何と言うのかね?」
「聞くだけ無駄ですよう。こやつは何せ呪われたナーガの血を持った子供ですからね。」
「それもそうだねえ。わっはははははははは……」
「ははははっはははっはははは」
神官たちの声が遠ざかる。
少年のいる地下牢の階段を上りきり、そこで画家は再び口を開いた。
そこは屋外で、もうすっかり暗くなっており、神官の位置から画家の顔は見えない。
「そうだ。ところで君、あの少年を私に預けてみないかね。」
それ来た!神官は思った。
神官は特別な術によって防いでいるのだが、あの少年には出会ったものの殺意をあおる力がある。だが、その誘惑に任せて彼を殺してしまうと、今度は怒り狂う蛇神が出てきて、 強力なしっぺ返しを食らうことになる。
そのことは、彼の故郷から送られてきた文書で知っていた。
保身には一生懸命な人だから、神官は、常に体力を消費しながら、自分自身に神術を掛け続けている。
だが、さしもの神官もそれほど信仰心が強い方ではないので、新術の力も弱く、自分以外に術はかけられない。
したがって少年に出会う芸術家たちは、少年の能力から護られていない。そのため、この男のように、自分のものにして後でじっくり殺そうとたくらむものが後を絶たないのだ。
しかし、少年にそうおいそれと人殺しをしてもらっては困る。
芸術家が化け物に殺されて、しかもその化け物が前、神殿にいたなんて噂が広まったら……。
「いやぁ……、あの子は化け物とはいえ、私たちの大切な資金源でしてねえ。そう簡単に手放すわけには……。」
画家は渋る神官の言動を少し取り違えた。
金さえ出せばいくらでもどうぞ、と。
「じゃあ、これでどうだね。」
画家の差し出した小切手を見て、神官は歩みを止めた。その脳裏を、札束の鳥が縦横無尽に駆け巡った。ごくり。知らず知らずのうちに喉が鳴る。
神官は、職務にはある程度忠実な人間だったが、自分の金集めにも一生懸命になれる人物だった。
(仕方ない。上には逃げられたとでも言っておこう。)
「ならば……」
一瞬の思考。神官が返事をしようとしたときに、おおいかぶさる声があった。
それは、恐れおののく兵士たちの声だった。
「侵入者だ……っ!!!」