9コアンとリーク
「コアン……。」
いささか不明瞭な発音だが、蛇人は普通に喋る事が出来る。
「さ、早く逃げようよ。こんな所を見つかったら、つかまるだけじゃ、済まされないよ。」
蛇人は彼に対して、初めて、流暢に話した。
「お前……、自分が何をしたか、分かってんのか?」
コアンの声は、いつもよりもトーンが低い。分かりきった事を聞くなよ、と蛇人は思い、そう言った。
「コアンが殺されそうだったから、助けただけだよ。この人、なんだか怒ってたし。」
事も無げに返ってくる返事。コアンの怒りはさらに増す。
「良いか、お前は、どういった形であれ、殺しをしたんだ。これは、絶対やっちゃ、いけない事なんだぞ?」
ふと、一陣の風、らしきものが蛇人を包んだ。波が引くように鱗が消え、元の少年が立っている。元のまま。救い上げたときと、なんら変わりはなく。
「何で、殺したらいけないの?」
少年は、問い返した。純粋な疑問だった。
「何でって……。」
予想外の質問に、コアンは戸惑いを見せた。
「そりゃ、決まってるだろ。死んじまったら、その人に待っているはずの『その先』がなくなるからだよ。辛い事も苦しい事もあるはずだ、しかし、楽しくないなんて、誰にも言い切れない。それに、生きるというのは、凄い事だろ? 命は、生まれる前にふるいに掛けられる。何億のうち、たった一つが命になる。何億分の一の確立で生まれてきたというだけで、奇跡だ。そして、生きている間も、常に様々なふるいに掛けられる。運、治安、能力、そのほかにも色々。この奇跡の結晶を、無理矢理もぎ取るのは悪い事だと、俺は思う。」
コアンの信条だった。しかし少年の反応は、予想だにしないものだった。
「そんなの、ただの幻想だよ。」
「何?」
「じゃあ、『その先』さえあれば、殺されてもかまわないの? ふるいに掛けられなければ、死んでも良いの? 奇跡でなければ、消えても仕方ないの? 悪くなければ、何をしても良いの? それが真実なら、何度も殺されてきたぼくって、何なの? ぼくは殺されてもかまわないの? ぼくは、死ぬのがどんなに痛いことか知っている。 どんなに怖い事かも、何度も思い知った。 ぼくは、死んでもまた生き返るから、『その先』はある。 でも、人生が始まったばかりで、しっかりしたふるいに掛けられた覚えはない。 『要らないもの』であるぼくの存在自体は、奇跡でもなんでもないとおもう。 それに、ぼくは殺されて当然って、何度もいわれてきた。 誰かがぼくを殺すことは、別に悪い事じゃないんだよ。 なのにコアンは、ぼくがこの人を殺すと、怒るんだね。 不公平だと思うよ、凄く。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
コアンは、ただ驚いていた。目の前の純粋そうな少年の心は、度重なるいじめや、それに伴った死によって此処まで荒んでしまっていた。見た目と現実とのギャップ。
かすれた声で、お前、と呟く。
「お前の持っている、因果応報という考えは、間違いではないのか?」
「知ってる、それ。眼には眼を、歯には歯をって奴だね。そんなの、間違ってるよ。だって、ぼくが一方的にやられるだけだもん。それで済んで行くんだから、それに越した事は無いと思うね。ただ、ぼくが我慢すれば良い。そういいたいんでしょ?」
コアンは、目の前が暗くなる思いだった。
確かに、因果応報という考えは間違いだと諭そうとした。しかし、それは、少年に対する圧力にしかなりえない。元義賊の自分の信条だった、正論。一瞬にして砕け散るほどに、脆く、薄く、軽い最後の望み。
「如何したの? コアン。顔色が悪いよ。」
少年がコアンを見つめる。コアンの表情が変わった。暗くて今まで見えなかった、その服に付いた赤い汚れ。
「お前、まさか、自分の命を自分で……。」
情報としては聞いていた。少年が死んだ後の事を。生体活動が停止すると、自動的に蛇と人が融合した姿になる事を。そして、自分が兵士たちを排除したため、殺される理由もないのに彼が蛇人になっていたという事は。
彼は、コアンを助けるためだけに、自殺という方法を取って一時的な強さを手に入れたのだ。
「案外、簡単だったよ。コアンのためだもん。」
先ほどの眼。頼られている、と感じた。それ以上に、少年はコアンに依存していた。
たった、三十分前に会ったばかりなのに。
少年は待っている。間違った事であるなどとは知らずに、コアンの口から出る次の言葉に期待をしている。
「……。」
もう何を言っても、彼の傷は治らない。精神面の傷は、直せない。しかし。
痛みを和らげる事なら、できるかもしれない。
精神面の傷と反するエネルギーである、正の精神エネルギーを与え続けたのなら、もしかしたら彼のゆがみを修正できるかもしれない。
思い切り笑う事。一途に思うこと。必死で努力する事。何かをいつくしむ事。
教えられるかもしれない。
コアンの心に一縷の望みが芽生えた。その瞬間、コアンはありのままの少年を、受け入れる決意をした。その言葉を、言う決心をした。
にかっ、と笑顔を向ける。
「有難う……。」
ポン。コアンは少年の頭に手を載せた。暖かくて、大きな手。少年は首をすくめながらも、うれしそうに頬を緩める。
「あ、今お前、笑った?」
コアンが、あわてて少年の顔を覗き込む。
自分でも出来ないと思っていたのだろう。それを聞き、信じられない、といった眼をして、少年は頬に触った。
「笑えてる……。」
もう、二度と自分に訪れないと思っていた顔。頬に添えた少年の手に、涙が伝う。
「泣けてる……。」
駄々漏れになった涙。
封印したはずの、二つの顔。傷つく原因になる、脆い顔。やっとの事で、さらせる人ができた。
「う―っ……。」
しゃくりあげ、リークはコアンの胸に抱きついた。コアンは、その小さな背中をぎゅっと抱きしめた。
と、十秒と絶たないうち、いきなり下が騒がしくなった。兵士のコスチュームが見え隠れする。それを見、盗賊は、なんとも言えない気分になった。そう、逃亡する高揚。 盗賊の快感。味わうなら、一人より二人がいい。
「逃げるぞ!!」
コアンは叫ぶ。胸元にあった、お気に入りの笛を、思い切り吹いた。辺りの空気に、音色が響く。高らかに、高らかに。
「まてっ……。」
丁度四方八方から兵士の群れが這い上がってきた。敵意をむき出す屈強な男たち。
しかし、きっとコアンには敵わない。
「なあ、お前、名前は?」
コアンは、けん制する男たちから目を離す事無く、少年に聞いた。
「リーク……。」
少年は、嗚咽の間に告げる。
「そうか、リーク。いい名前だな。走れリーク!!」
言葉と同時に、コアンは少年の背中を叩き、神殿の屋根を駆けた。その後ろを、バランスを崩し、一瞬転びかけた少年が追う。
朝日が昇りだし、それをバックに何か高速の物体が近づいていた。
「リーク、跳べっ!!」
コアンの掛け声に、二人は跳躍する。
「無茶だ!! あんなところから飛び降りれば、死ぬだけだ!!」
すっかり存在を忘れ去られていた画家が、死に物狂いで叫ぶ。影が薄い上、醜い事この上ない。二人と地面が近づくに連れ、虐待趣味の持ち主は、愉快そうな笑顔になる、しかし次の瞬間泣き顔になった。
落下中の二人を、高速の物体がさらったのだ。それは、二人を乗せたままぐんぐんと遠ざかる。
いまさらのように、兵士の間に驚愕が広まった。
「飛行装置・・・・・・・。レパード時代の秘密兵器だよーん!!」
コアンは、遠ざかり行く蛇人族たちに、あっかんベーをした。
まだ画家が叫んでいたが、その声はもう届かない。
どれほど遠ざかっただろうか。
「凄いね、これ。笛の音で呼べば来るの?」
リークがたずね、コアンは頷く。
「ああ。これはな、魔術の対極に位置する科学の結晶だ。何百年も前に滅びた術だが、地方じゃ、残ってる所もある。俺には良く判らないが、大昔の動物の油を燃料にしてるんだとよ。後ろでぐるぐる回ってるプロペラってので、空気を叩いて飛んでいる。丁度鳥と同じだな。呼べば来るのは、コンピュ…なんだっけ?とにかく、機械の脳みそに、この音のほうに飛ぶよう、覚えさせているからだ。」
「へーっ……」
暫らくの間、無言の状態が続いた。少年は、眼下を流れる景色に夢中になっている。
唐突に、元盗賊が口を開いた。
「なあ、リーク。来てもらって早々悪いが、これから暫らく、俺たちは、旅をしなきゃならんらしい。いく当てもないがな。お前、行きたい所、有るか?」
少年は首を振る。
「ううん、ない。パパやママは? 二人になら、会いたい。」
「二人には、遭えない。会えない理由があるんだとよ。あきらめろ。」
「そうか……。じゃあぼく、コアンとだったら、何処でも良いよ。」
「仕方ないな。じゃあ、大陸一周でもすっか。」
「一周?!このキルケ大陸を?広いよ?きっとできな……。」
「やる前から出来ない、っていうなよ。これは正論だが、なかなか的を得ているだろう。大丈夫だ、俺が付いてる。」
「……行く!!」
「いー度胸じゃん。じゃ、このエア・オートでも返しにいくか。」
「誰のなの?」
「それはな……。」
砂漠の世界を、真っ直ぐに切り裂く線。二人を乗せた飛行装置が遠ざかる。
少年の頬を、髪を、服を、目を、乾いた風が襲うが、それでも少年は前を見る。
何処へ行く当ても無い旅。しかし、きっと楽しい旅。『この先』というのも、中々面白い。
ふと、殺してしまった蛇にも、こんな楽しい『この先』があったのかな?と疑問がかすめた。悪い事をしてしまった。いつか本当に死んだら、天国で謝ろう。本気で、人に対して悪かったと思えた。
かりそめだった自由が、本物になった。
きっと、変われる。漠然とした期待を抱き、少年は、一つくしゃみをした。
これで、このお話はおしまいです
いかがでしたか?
例えば
今厨2の人は、ドキドキできたでしょうか
昔厨2だった人は、少し恥ずかしいけれど、精一杯輝いていたあのころの事、思い出していただけたでしょうか
少しでも、彼らの冒険が、誰かの楽しみになってくれていたら、自分としては、それほど嬉しいことがないです
また、何かしらの作品でお会いできたら光栄です