第9話:偽りの癒しと、黒き聖女の正体
王都に戻ってきたのは、ちょうど夕暮れ時だった。
かつてアメリアが追放された神殿前には、異様な静けさが満ちていた。
人々の姿はあるのに、誰も声を発さない。
まるで“感情”というものを奪われたかのように、顔から光が消えていた。
その中心に立つのは、一人の女。
黒のローブをまとい、瞳は琥珀のように輝いている。
だがその眼差しは冷たく、癒しとは正反対の“支配”を宿していた。
「……久しいわね、アメリア」
その女はゆっくりと振り返る。
「聖女リオナ。かつて“補欠”と呼ばれたあなたが、今では英雄気取りとは」
アメリアの目が見開かれる。
「……あなた、リオナ……? 王都神殿で、わたしの補佐官をしていた……」
「そう、私はずっとあなたの後ろにいた。なのに、どれだけ努力しても“才能”という言葉ひとつで比べられて……
癒すことしかできないあなただけが“本物の聖女”と呼ばれた」
リオナの足元に、黒い花が咲く。
それは《反癒》──人の痛みを抑え込む代わりに、心を支配する“癒しの模倣”。
「あなたの癒しは、優しすぎる。
人はそんなものでは従わない。
だから私は、“痛みを忘れさせる癒し”を作ったのよ」
その瞬間、神殿の石壁がうねり、空気が黒く染まり始める。
操られた神官たちが無言で歩み寄ってくる。
「リオナ……あなたの癒しは“止血”じゃない。
ただ、傷に布をかぶせて、痛みを感じなくしてるだけ……
それじゃ、本当に傷が癒えたことにはならないのよ」
アメリアはそっと手を掲げ、胸元の“涙の結晶”に触れる。
――それは、リュシエナが最後に残した祈り。
苦しみを受け止めた者だけが宿す、“本物の癒し”の証。
神殿の空がふたつに割れ、光と闇が衝突する。
リオナの《黒い癒し》が神官たちを操り、アメリアに向けて襲いかかる。
「皆さん、わたしの声が聞こえますか……? もう無理しなくていいんです」
アメリアの《神癒》が光を放ち、人々の足が止まる。
「あなたの痛みを、わたしが受け止めます。どうか、そのままでいてください」
その言葉に、神官たちの目から涙が零れ落ちた。
「痛いの……こわいの……でも、それでも、生きていたい……」
彼らの心が少しずつ戻り始める。
「やめなさい!」
リオナが叫び、魔力を爆発させる。
だが、その黒い炎はアメリアの光の中で静かに消えていく。
「……あなたの苦しみも、わたしは否定しません」
「でもね、それを他人にぶつけることで癒されることは、きっとないの」
アメリアの言葉に、リオナの魔力が急激に乱れる。
「私だって……癒されたかった……!
誰かに、認められたかっただけなのにっ……!」
その叫びと共に、リオナの足元が崩れ、倒れ込む。
彼女の手から《黒い癒し》の源――毒の宝石が転がり落ちる。
アメリアはそれを拾い、静かに祈りを込めて封じた。
「もう、大丈夫。……あなたも、わたしも」
リオナは、まるで悪夢から目覚めたように、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
こうして、“偽りの癒し”は終わった。
王都の人々は再び感情を取り戻し、神殿には本来の“祈り”が戻ってくる。
「アメリア様、あなたこそ本物の……」
人々がひざまずこうとしたそのとき、アメリアは首を横に振った。
「わたしはただ、癒しの一端を知っているだけです。
“聖女”であることが大切なのではなくて──“癒したい”という気持ちが、すべての始まりなんです」