第6話:毒の霧に沈む谷──滅びた聖地と聖女の決断
旅に出て三日目の朝、ノエリアの案内で私たちは“霧の谷”と呼ばれる場所へと辿り着いた。
かつて癒しの聖女たちが住まい、神託を受けたというこの谷は、今や濃い毒霧に覆われ、命の気配すらない。
「ここが……あなたの故郷……?」
「はい……あの霧の奥に、“聖なる泉”があります。……でも、今は誰も近づけません」
ノエリアの声は震えていた。
谷の中から漂う霧は、目に見えるほど濃く、どろりとした気配を放っていた。
「これは……魔素と毒素が混じっている。自然の霧じゃない」
レヴァルトが眉をひそめ、霧の匂いをかぐ。
私は腰のポーチから、薬草と粉末を取り出し、霧のサンプルに魔法で反応を与える。
「……これは“破界草”の毒ですね。人の神経を麻痺させ、精神を蝕む毒……。でも、自然界ではもう絶滅したはずの草……」
その言葉に、ノエリアが息を呑んだ。
「……それ……私の一族が、かつて封印した毒草です」
「封印……が破られた?」
レヴァルトが顔をしかめる。
「もしかして……“誰かが意図的に封印を解いた”可能性もある。霧の密度も、自然のものとは思えない」
私はゆっくりと立ち上がる。胸の奥が、じりじりと警告を鳴らしていた。
その夜、谷の外れにある廃寺で私たちは野営をとった。
ノエリアは焚き火の光の中、静かに語り出した。
「……私の母も、かつて“聖女”と呼ばれていました。でも、霧が現れたとき、村人たちは彼女を責めました。“お前の力が足りないから、災厄を呼んだ”と……」
「……その後、母は一人で泉に入って……戻ってきませんでした」
ノエリアの手が震える。
彼女はずっと、自分を責めていた。
癒せなかったことも、村を守れなかったことも、母を救えなかったことも──。
「あなたのせいじゃない」
私はそっと、彼女の手を握った。
「癒す力は、誰かを救うためにあるもので、自分を責めるためにあるんじゃない」
「でも……私には、癒す力が弱すぎて……」
「それでもいい。私は、あなたと一緒に“癒し”たいと思っているの」
ノエリアの瞳に、ぽつりと涙がこぼれる。
翌朝、私たちは毒霧の谷へと足を踏み入れた。
薄い魔法結界を張りながら、私は道を切り拓いていく。
そして、谷の奥にたどり着いたとき──
そこには、異様な光景が広がっていた。
中央にそびえる“聖なる泉”が、真っ黒な泥のように濁っている。
そして、そのほとりに立つひとりの影。黒衣を纏い、顔を隠した人物。
「……ようやく来たか、“偽りの聖女”よ」
その声は低く、しかしどこか懐かしい響きがあった。
私は一歩、前に出る。
「あなたは……?」
「私は、“本物”の聖女の血を継ぐ者。そして、真なる癒しを“歪められた”側の者だ」
彼女の袖から溢れた瘴気が、泉にさらに毒を加えていく。
その姿は、もはや聖女ではなかった。
──そう、“堕ちた聖女”だった。