第5話 『聖女の帰還と、始まりの薬草』
私は王都をあとにし、再びあの村へ戻ってきた。
馬車から降りた瞬間、鼻をくすぐる土と草の匂い。
――ああ、やっぱりこの空気が落ち着く。
「アメリアお姉ちゃん、帰ってきたー!」
「ねえ! 今度はどんな薬草育てるの!?」
駆け寄ってきた子どもたちに囲まれ、私は思わず笑ってしまった。
この笑顔こそ、私が“癒したい”と思える存在。
畑の薬草は、元気に葉を揺らしていた。
王都にいる間、世話を任せていたレヴァルトがきちんと面倒を見てくれていたらしい。
竜のくせに、意外と豆だ。
「戻ったか」
レヴァルトが鍬を手に、泥だらけの姿で現れる。
「ずいぶん板についてきましたね、その姿」
「ふん……薬草の芽が枯れかけていたら、お前に怒られそうだったからな」
私は笑いながら、畑に膝をついて手を伸ばす。
やわらかく湿った土の中、種がひとつ……芽を出しかけていた。
それは、王都を去る前に残しておいた、“始まりの薬草”――私が初めて癒した、あの種だった。
◇ ◇ ◇
その夜、焚き火を囲んで村人たちとささやかな歓迎の宴が開かれた。
採れたての野菜、薬草茶、干し肉、そして小さな花飾り。
王都の豪華さとは比べものにならないけれど、ここの温かさは何にも代えがたい。
宴の終盤、ひとりの旅人が村を訪れた。
「夜分に失礼いたします。こちらに“癒しの聖女”と呼ばれる方がいると聞きまして」
すらりとした背格好の女性だった。
布の頭巾を深くかぶり、その目元だけが月明かりに照らされている。
「……あなたが、アメリア様ですね」
私は頷いた。
その瞬間、彼女はひざを折り、頭を下げた。
「私の名はノエリア=アーク。かつて滅びた“もうひとつの聖女一族”の末裔です。
──どうか、力を貸していただけませんか。私の故郷が、いま……毒の霧に呑まれかけているのです」
その言葉に、場の空気が一変した。
“毒の霧”――それは、古代戦争で竜族すら滅ぼしかけた災厄の一端。
それが、今も残っていると……?
ノエリアは震える声で続けた。
「残された者たちの命が、少しずつ削られていっています。……でも、誰も助けに来てくれない」
「聖女の血を継いでいても、私は……癒しの力をうまく使えないんです……」
私はゆっくりと立ち上がり、彼女の手を取った。
「一緒に行きましょう。あなたの故郷へ」
「……え?」
「“癒し”は、一人で抱え込むものじゃありません。私が教えてあげます。
あなたの中にある、本当の“癒し方”を」
ノエリアの瞳に、はじめて涙が浮かんだ。
けれどそれは、毒でも絶望でもない。
――救いを信じた者だけが流せる、祈りの涙だった。
◇ ◇ ◇
夜が明ける。
私は旅支度を整え、畑の前に立って深呼吸をした。
「今度の旅は、少し長くなりそうですね」
背後から声をかけてきたのはレヴァルト。
すでに剣を背負い、同行する気満々の様子だ。
「あなたも来るんですね?」
「当然だ。毒の霧は、竜王国をも蝕んだ災厄……俺にとっても他人事ではない」
私は小さく笑って、頷いた。
そして、村を振り返る。
薬草たちは静かに葉を揺らし、まるで「いってらっしゃい」と言ってくれているようだった。
「……戻ってきたら、また土を耕します。私の癒しは、ここから始まったんですから」
──こうして、“追放された聖女”の、新たな旅が始まったのだった。