第2話:竜が泣きながら頭を下げてきた件について
翌朝の空気は澄んでいて、遠くの山から鳥の声が聞こえていた。
小屋の前に植えた薬草たちは夜露に濡れてきらきらと輝いている。
私は腰を下ろし、湯気の立つ薬草茶をすすった。
ほんのりと甘く、喉の奥をすうっと癒してくれる。
──これが私の新しい朝。静かで、穏やかで、誰にも命令されない生活。
王都では一度も感じられなかった、優しい世界だった。
だが、その平穏は突然破られた。
「……村の入口に、変なのが来てるぞ!」
「人……いや、竜か? でっけえ角が生えてる!」
村の子どもが駆け込んできて、村人たちがざわつく。
私も不思議に思って外に出ると、村の入口に……ひとりの異形の青年が立っていた。
銀色の髪に、深紅の瞳。
背中にはうっすらと鱗が浮かび、頭には立派な黒角が二本、弓なりに伸びている。
「そなたが……アメリア・ルクレールか」
そう尋ねた彼の声は低く、そして、どこか震えていた。
「お願いだ。私の……いや、我が妹を……助けてくれ」
彼は突然、地面に膝をつき、額を土につけて頭を下げた。
まるで、命乞いでもするかのように。
「我が名はレヴァルト。かつて滅びた竜王国の末裔……そして、封印を解かれた“最後の竜族”だ」
「妹が、人間に呪いをかけられ、命を削られている。どの回復魔法でも治らない……だが、“そなたの癒し”なら、もしかすれば……」
村人たちは息をのんでその様子を見ていた。
私は静かに彼に近づき、問いかける。
「あなた、私が“追放された聖女”だって知ってるんでしょ? それでも……頼るの?」
レヴァルトは顔を上げ、赤い瞳で真っ直ぐに私を見た。
「命を救える者に、種族も立場も関係ない」
──その言葉に、胸がチクリと痛んだ。
あのとき、誰かひとりでも……
私に、そう言ってくれていたなら。
「……分かりました。でも、その代わり、私はあなたの妹を“癒す”んじゃない。彼女が“癒える手伝い”をするだけです」
私はカゴを手に取り、薬草を数種摘みながら、竜の青年と並んで歩き出す。
竜族の妹・フィルメリアは、まるで眠るように小さな洞窟の中で横たわっていた。
皮膚は青白く、呼吸は浅く……確かに、何かに呪われている気配がある。
「これは……“命の根”を蝕む禁呪です。普通の回復魔法じゃ、逆効果ですね」
私はそっとフィルメリアの額に手を当て、《神癒の息吹》を発動した。
すると光が彼女を包み、徐々に呼吸が穏やかになっていく。
やがて、フィルメリアの瞳がゆっくりと開かれた。
「……お兄ちゃん……?」
レヴァルトの瞳に、初めて涙が溢れた。
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
彼は再び膝をつき、頭を下げた。
私は、手に残った淡い光を見つめながら、そっと言った。
「ねえ……レヴァルトさん。あなたの世界って、まだ“癒し”を必要としてるの?」
その問いに、彼は静かにうなずいた。
「……なら、もう少しだけ、力を貸すかもしれません」
──王都が見捨てた“役立たず”の聖女は、今、竜の命を救った。
それはまだ、始まりにすぎなかった。