地面近くに生きるひと
物心ついたときには、砂と土とともにあった。ミズキちゃんと遊ぶ時も、プリンカップや牛乳パックがあれば、その中に砂を入れたり湿らせた土を入れたりして遊べた。
「ケイちゃん、はい、これ」
ミズキちゃんがプリンカップに泥を入れて私に渡す。ケイは黙って、泥の状態を見極めて水が多ければ乾いた土を入れて固まるようにゆっくりかき回す。ミズキちゃんはその間、プリンカップに泥を入れる。泥がなくなれば、近くの花壇から土を掘りだしてバケツの中に入れる。どっさり入れても水道の水をジャーと入れれば、手元にひんやり柔らかい感触を楽しめる。ミズキちゃんはその役割を喜んで担う。
代わりにケイはミズキちゃんが入れてくれたプリンカップの泥の状態をチェックする。ひっくり返してしっかりプリンの形が残るような硬さに調整する。本当はもっといいやり方があるのだろうが、二人はその作業を変えない。
ミズキちゃんが立ち上がるときは花壇まで歩いて土を入れたり、水を入れたりするときだ。ケイはしばらく座ったままで作業する。折り曲げた脚と踏ん張る足元、足首、クルリと丸くなる背をお天道様に見せながら、小さい体の影を手元に作る。外の世界と内の世界がこうして作られる。空気も光も風も遮断されない、この空間がケイの心の置き場所なのだ。
「ケイちゃん、はい、これ」
ミズキちゃんが二個目のプリンカップを渡す。この作業をずっと繰り返すのが、二人の遊び。1時間も続けていれば、数えきれないほどのプリンが規則正しく庭の隅に並んでいる。
「ケイちゃん、今日はいくつプリン作ったかな」
そういうとミズキちゃんは一つ、二つと数え始める。泥がついた手を洗うこともせずに、時折汗をぬぐうから、顔のあちこちに灰色の点々が付いている。途中で数えるのをやめてしまうと、最初から数えなきゃ気が済まなくなるから、ミズキちゃんは目をしばしばさせながら、数え続ける。
でも途中で「わかんなくなっちゃった」と大きな声を出したかと思うと、ミズキちゃんはそのまま向うにいってしまった。ケイはその声に反応することなく、ミズキちゃんが残していったプリンカップ2つを手に取り、そのまま自分の足元にポンとひっくり返した。
「ケイちゃん!ケイちゃん!大変、来て来て」
ミズキちゃんの声が向うで響いた。ケイがパッと振り返ると泥が付いた顔のまま駆けてくるのが見える。ミズキちゃんの手に引っ張られて脚がカクカクとなったけど、ちょっと引きずられながら、その場所に行った。
ランドセルじゃないから中学生だろう、二人よりも大きなお姉ちゃんが泣いていた。道路脇の電信柱とケイのうちのブロック塀の間に隠れるようにして。最初はかくれんぼしてるのかと思ったけど、泣いているから違う。ミズキちゃんがそのお姉さんに声をかけた。
「ね、どうしたの?ないてるの?」
ケイは後ろで黙って見ている。初夏の日差しがまぶしくてお姉ちゃんの顔はわからなかったけど、持っているバッグからぶら下がっているクマのマスコットが目に入った。
「だい、じょうぶ、ありがとう」
お姉ちゃんはそういうと顔を上げて二人のほうを見た。本当はもっと泣きたかったんだろうけど、小さい二人が心配してくれるのを知って少しだけ強さを取り戻そうとしている。
「ちょっとね、今日ね、学校行ったんだけど、やっぱりこうなったの」
お姉ちゃんの顔がちらりと見えた。眉毛とかまつ毛が長くて、色白の肌によく映えている。ケイにとってどきっとするような表情のお姉ちゃんは、ゆっくり立ち上がるとスカートと膝とぽんぽんと叩いて砂を払った。顔はまだ伏せたままだったが、二人に顔を見せられるようにポケットから引っ張り出したハンカチで目元をぬぐった。
ミズキちゃんはお姉ちゃんに執拗に質問している。思っていることを所かまわず発するミズキちゃんにケイは「黙」の一文字で対処するのだが、お姉ちゃんは自分のキモチを整理するように順番に応えてくれた。
「どうしたの?いやなことあったの?」
「うん、ちょっとね、あ、ちょっと恥ずかしいんだけど、トイレで嫌なことされたの」
「どういうの?」
「う~ん、水かけられたりとか、服脱がされそうになるとか」
「え~、そんなのダメじゃん、いけないことだよ」
「うん、でもね、そういうの、あるのよ、しょうがないのよ」
「ダメだよ、ね、ケイちゃん、お姉ちゃんかわいそうだよね」
ケイは黙ってミズキちゃんとお姉ちゃんの話を聞いていた。そうして、ケイはミズキちゃんのシャツを引っ張り、「あっち」のジェスチャーを伝えた。
「うん?なに?ケイちゃん、あ、わかった!プリンね」
ケイちゃんがお姉ちゃんの手を引く。ミズキちゃんの手に付いていた泥が乾いて砂のようにサラサラと落ちてゆく。中学生のお姉ちゃんが「え?」というのもお構いなく、こっちこっちとプリンが並ぶ場所に連れて行った。
「ねえ、お姉ちゃん、食べてみて」
ミズキちゃんはそういうと、一番光っている、形の良いプリンを指さした。ケイはさっきまで座っていた場所に戻って、ケイが指さしたプリンをブルーのプラスチック皿にそうっと乗せた。そのときおしりに湿った泥が付いてしまった感覚があったけど、気にしてられない。ママが育てているバジルとマリーゴールドの花もちょっと拝借してプリンの上に飾ってみた。
ケイからミズキちゃんに渡されたプリンを、中学生のお姉ちゃんは笑顔で受け取った。ママのように上手に食べる真似をしてゆっくり味わっている。
「おいしいね、ありがとう」
そういうと、ケイと同じように背中を丸くして座った。
「私も、こうやって、よく遊んでいたなあ」
「いいよ、いつでも遊ぼうよ」
ミズキちゃんがそういうと、お姉ちゃんは笑顔になった。
「ケイちゃん、よかったね、お友達、一人増えたよ」
ケイがお姉ちゃんに手で何かのメッセージを送る。
中学生のお姉ちゃんは、それが手話だと思ったのだが、そのメッセージを受け取れない。
「あ、ケイちゃんね、やだ、ケイちゃん、お姉ちゃんに伝えていいの?」
ミズキちゃんがケイに確かめている。ケイが、うん、と大きく頷くとミズキちゃんがお姉ちゃんにこう伝えた。
「友達だから、その人たちやっつけてあげるって」
中学生のお姉ちゃんは、最初びっくりしたような顔をしたが、すぐに笑顔になり「ありがとう」と軽やかに答えた。丸くなったケイとお姉ちゃんの背が初夏の青空にぐんと伸びたとき、ミズキちゃんの声がちょうちょのように舞った。
「ともだちだもんね!」