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終わりの予兆

『今日は友達とランチした~』

『へえ、ええやん』

 私は今日も短く返されたLINEのメッセージを見てスマホを放り出した。

 楽しかったか、とも、どんな友達と、とも聞かれない。

 ―切られる。

 それは高確率で実現するであろう予感だった。

 どうすべきか悩む。

 縋りついてみるべきか。白黒はっきりさせろと詰め寄るべきか。それともこのまま彼の企みに乗って身を引くべきか。


 薄く開けた窓から、金木犀の甘やかな香りが真っ暗な部屋に流れ込んでくる。

 その香りに私は顔をしかめた。

 この香りに、秋口になるたびにこの恋を思い出して翻弄されるのは、彼であるはずだったのに。

 ()()()()()()という言葉が頭に浮かぶ。その言葉が持つ何通りもの意味に気づいて自嘲した。


「だ、か、らぁ…、嫌だって言ったじゃん…」

 不器用な私は、体と心のつながりを区別することができない。

 カラオケの安っぽいシートの感触が、自分の嬌声とともに背中によみがえる。

 なんでそれを許したんだっけ。ああ、そうだった。彼が執拗に聞くから。

『ホンマに嫌?』

 少し高い、けれど酒とタバコでかすれたその声は私の耳元で、私が首を縦に振るまで同じ言葉とキスを繰り返した。

『好きやで、×××』

「…うそばっか。クソ男」


 彼には生憎なことに、その日の一軒目の居酒屋はスマホ注文するタイプの店だった。

 彼がメニューを開いてくれて私に差し出してくれた、そのタイミングで彼のスマホが鳴る。

 女性からメッセージが届いたというその通知を、私は見たくなくても見ざるを得なかった。

『お前がおるんやから別の女なんていらんやん。そんな奴いたらこんな毎日電話できひんやろ』

 会う前日に聞いたその言葉は信じない、と決めたはずなのに。


 スマホの左上に表示された時間を確認する。

 22時。

 …いつも彼からの電話があった時間。

 毎日あった電話は、もう、3日も途切れていた。

 こんばんわ、と、少し照れながら優しく言うその声が聞きたい。

 …聞きたい。


 彼と知り合ってからわずか2週間程度。

 数少ない思い出を惜しむようになぞりなおす。


 ・・・


『大阪に帰るなら、仲良くなりたくない』

『ええ、なんで?』

『だって、仲良くなっちゃったら、後で寂しくなる』

『なんでやねん。まだ半年以上先の話やん。それに、大阪におっても、俺、ボチボチ東京来んで』

『でもやだ』

『ええー…じゃあ、電話、切る?』

『…今日は、…もう、話しちゃったからいい』

『なんやねんそれ。…でも、有難う』

 ―有難う、って言ってくれたじゃん。


『東京来て、どっか行った?東京タワーとか、スカイツリーとか?』

『スカイツリー行ったで。めっちゃ凄いな』

『ねー、綺麗だよね。上登った?』

『…俺、行けへんねん』

『ええ?』

『高いとこ無理やねんマジで』

『…まじ?私も』

『ホンマ?!ああよかった、馬鹿にされるか思たわ。気ぃ合うな』

 ―気が合うって先に言ったのもあんたじゃん。


『…××さん、…こん、ばんわぁ…』

『どしたん、酔うとる?』

『…んぅ…酔うとる…めちゃくちゃ、飲んだ、ぁ…』

『大丈夫なん?』

『ん、もう、家…ベッドおるから、だいじょぶ…はぁ…』

『…なんか、×××、エロない?』

『…エロくない、酔ってんの、酔ってんだけ』

『へえ?…お酒好き?』

『ん…、好き』

『…ねえ、もう一回好きって言うてみ?』

『…?好き』

『俺も、好き』

 ―好きって言わせたのもあんたじゃん。好きって、言ったじゃん。


 あぁ。でも。

 そっか。

 ごめんね。

 先に嵌めたのは私だった。


「…ねぇ、家来て飲みなおさない?」

 明け方カラオケを出てから、私はおずおずと彼を見上げて尋ねた。

「…無理やろ。旦那帰ってきたらどーすんねん」

「え、私そんな話した」

「…したよ。…まぁた記憶飛ばしてんの」

「…ごめん」

「…別に」

 そのまま私たちは、新宿駅で別れた。

 それで終わるんだと思ってた。


 次の日、友人と飲んで気をよくした私はつい彼に連絡をしてしまった。

『女子会!』

『おー、ええやん。楽しんでな』

 すぐに既読がついて、そう返事が返ってきた。

 それで、終わらないのかもしれないと期待をしてしまった。

 その期待が怖くて、私はいつもの悪癖を発揮して、そのあと合流した友人の夫だけが写った写真を彼に送り付けた。さあ、どうぞ、嫌いになって。嫌いになれるなら、嫌いになってみて。

『誰やねん』

 そのメッセージに、終わったな。と思った。

 良かった。まだ、始まる前に終わらせることができた。

 私は何もかもを忘れたくて、無茶苦茶に酒を体に流し込んだ。


 次の日、ブー、というスマホのバイブ音に、まだ酒にとっぷりと使っている体と頭のまま何も考えずにそのコールに出た。

『…もしもし』

『…何しとん』

『…××さん?』

『俺のことも忘れたん』

『忘れて、無いよ』

『昨日の、何なん』

『昨日の?』

『まぁた記憶無くしてんの。男の写真』

 言われて、かすかな記憶がよみがえってくる。

『…ああ、友達の旦那』

『え、ホンマ』

『ん、ホンマぁ…。ごめん、酔っぱらって、わけわかんなくなってた。てか、今も酔うとる』

『…』

『気、悪くしたよね、ごめん』

『…関西弁うつっとるやん』

『うつるよ。いっぱい喋って()()()から。関西弁、好きだし』

『…好き?』

『ん、好き、だよ…。…っ!ったぁ…』

 体を起こそうとした私は、自分の体中から鈍い痛みがすることに気づいた。

『どないしたん?』

『ちょ、っとまって、肋骨がめちゃくちゃ痛ったい…いき、できない』

『え、何したん?!』

『…ええと?…んー…?…あー…。3軒目のカラオケで、たぶん、友達夫婦が夫婦げんかした。それの仲裁に入ろうとして、確か、吹っ飛ばされてテーブルに肋骨ぶつけたわ』

『はああ?!なんそれ?!』

『旦那、悪い人じゃないんだけど、酒入るとたまにヤバくなる人で…』

 言いながら私は痛みに耐えてぎこちなく体を起こすと自分の全身を検分した。うわあ、やばぁ…と思わず声が漏れる。

『どしたん?!』

『服、全身血だらけだわ…』

『…?!×××はだいじょぶなん?!』

『私、は…。ちょっと待って』

 私は一度スマホを置くと、服をすべて脱ぎ自分の体をよくよく確認する。

『大丈夫っぽい。切り傷は指先だけだった。…でも、全身あざだらけだわ…やっばぁ。あと、頭にたんこぶが何個かあるっぽい』

『…………は?』

『あー…これはやりすぎだわ…』

『いや、その男、会わせて』

『なんで』

『大事な女傷つけられて、放っておけないやろ』

 その言葉は酒に浸りきった私の頭と体の隅々まで、スポーツドリンクのように染み渡っていった。

『大丈夫だから』

『いや、大丈夫やないやろ。実際怪我しとるやないか』

『…××さん、心配してくれるの』

『心配するよ、そりゃ』

『優しいね、ありがとう』


 電話を切ったしばらく後で、彼からメッセージが送られてきた。

『旦那は×××がケガさせられてなんも言わんの』

 そのメッセージを私は鼻で嗤ってしまった。

『なんも。飲み過ぎた私が悪い、旦那が来るの分かってて自衛しなかった私が悪い、肋骨はどうしようもないからしばらく我慢しろ、だって』

『マジで?離婚案件やん』

『ねえ?笑』

 私が送ったメッセージは真実そのままだった。

 主人は送ったままのセリフを、その鉄面皮のまま私に告げた。


 だから、私は、もう駄目だと思ってしまった。

 始まってしまった、と、諦めたくなってしまった。


 ・・・


部屋の中でひざを抱えてうずくまっていた私は、もう一度スマホの時刻を確認した。

22:34。

今日は一通もメッセージも来ていない。

これまでは、夜になれば友人と飲んでいるらしき写真が送られてきていたのに。


私は諦めてイヤホンを外す。


この恋は、死んだ。


彼の幸せを祈りたいと思ったけれど、まだ、そんな気持ちにはなれなかった。

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