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03 『悩みの種は朝食の後で』

 テレジア家の朝は早い。


 起床時間は大体五時あたり。目を覚ますのはいつも小窓にとまった小鳥の大合唱だ。悪魔に睡眠は必要ないのだが、人間の時の習慣が染みついている為スノーが眠るとオレも一緒に寝るようになった。


 そして朝起きて始まるのは軽い準備運動だ。これはオレが人間の時にいつでも動けるようにとやっていた事なのだが、スノーがそれに興味を持ち、毎日一緒に身体を動かすことになった。


 準備運動が終われば、次はご飯の時間になるまで服装、髪を整える時間だ。最初の二年はロングヘア―だったのだが、最近は週単位で髪型を変えている。女性のメイクは長いと聞いたことがあるが、スノーは元が良いことを本人も分かっているのか、顔よりも髪に掛ける時間が長い。しかしそれも三十分程度で終わるので普通よりも早い方なのだと思う。


 「じゃーん! アストラ、似合う?」


 「おう、似合うぞ。ポニテのスノーも全然可愛いと思うぜ」


 化粧室の扉がおもむろに開かれ、雪の妖精ともいえる笑顔が飛び出した。オレの契約者であるスノーだ。いつも通りの輝かしい嬉しそうな顔は契約当初の病的雰囲気をこれっぽっちも感じさせない。


 「まぁでもオレの前ではしゃぎすぎるなよ。オレ、他の人には見えないし。痛いやつ扱いされるぞ」


 「分かってますよぉーだ! てへぺろ!」


 「へいへい可愛い可愛い」


 オレは契約者以外の人には見えないらしく、傍から見るとスノーが虚空に向かって一人で喋っている様子になる。オレが悪魔という存在であるからというのが一番有力な説だが、そもそもこの世界じゃ悪魔は抹殺対象なので見えないことに越したことはない。しかしスノーはあまり周囲の目を気にせずにオレに話しかけてくるため、いつかバレるかもと若干ヒヤヒヤしているのは内緒だ。


 「とりあえず朝ごはんまであと一時間あるみたいだが、どうする?」


 「昨日の勉強の復習をしましょう!」


 「おぉ、優等生だな・・・」


 スノーはテレジア家の三女だ。テレジア家自体が貴族なので多少のダンスや所作や知見を得ることが義務付けられている側面、知識の大体は悪魔と人類の戦いの歴史だったりこの国の歴史だったり世界史的な暗記科目で面白みに欠ける。しかしどうにもスノーはかなりの知りたがり屋の様で、


 「魔法学と薬学、あとカエルの臓器位置!」


 なんというか、・・・いろんな分野のことについて知ろうとしているのだ。多分生前のオレの趣味の影響を受けてか、スノーもオカルト方面の勉学をしている気さえする。


 「早く行こうよ! アストラ、聞いてる?」


 「あー、はいはい。聞いてるよ。すぐ行くから」


 スノーがオレの名を呼ぶ。生前の名前は縁起悪いので捨てたのだが、残念ながらオレ自身ネーミングセンスが死ぬほど無いので自身につけられる名もなく、しゃーなしとスノーに名づけをしてもらった結果「アストラ」という名前になった。こっちの世界では「星を拾う者」や「見下ろす者」という意味があるらしい。スノーは「潔白」や「清廉」の意味があるとのこと。


 「ぶっちゃけ、名前に含まれた意味なんていじられない限りどうでもいいと思うんだけどな」


 ぼそっと口の中で呟き、自室へと駆けていくスノーの後を追った。




 ☆★☆ ☆★☆ ☆★☆ 




 この世界において、魔法はスノーのような一般人には無縁の代物だ。人の中に存在する魔力を専用の呪文や呪具を媒介に外へと吐き出す魔法は、精霊や天使との契約が必然である。精霊や天使には呪文を魔力を媒介できる器にする力が備わっており、一般人が呪文を覚え、発しても魔法という現象は生まれない。


 だがスノーはそれでも呪文を覚えていた。


 「世界を構成する灼熱の赤よ。その息吹は生命を生み、その熱は生命を滅す。今一度その光を以て生命の敵を裁き給え。―――どうかな?」


 「おう、合ってるぞ」


 「やったー! ほめてほめて!」


 「へいへい、偉い偉い」


 元気よく差し出される頭を撫でるこの光景も日常の一つとなった。爪の付いた竜のような掌は撫でるには適さないのだが、どうにも意識的に爪を引っ込めることが出来るようで、日常的に爪を出す機会がほとんどなくなった。


 「スノーは聖女にでもなるつもりか? 呪文覚えてもあまり意味ないだろ?」


 「そういうアストラだって悪魔なのに「なうまくさんまんだばざらだん~」とかいう独特な天神様の真言言ってるじゃん」


 「不動明王は天神じゃねぇっての」


 この世界には“神様”という存在を「天神様」という常識がある。「神様」でも通じないことはないらしいが、一般的には「天神様」らしい。ちなみに日本のような八百万神ではなく、「天神様」のみという唯一神教なので無暗に変な神様の名前を出すと、周囲から冷ややかな目で見られるようだ。ま、オレ見えないんだがな。


 それはそうと今ではすっかり習慣になったスノーの勉学だが、最近は聖女に関することについてばかり学ぶようになった。この魔法を発するための呪文の暗記はその一環でもあるが、それだけでなく聖女の所作や悪魔が出現する条件等に関する参考書が部屋の本棚に並ぶようになった。


 「まるで学者の部屋だな。オレにとっちゃ異質この上ない」


 「そうかな? お姉ちゃんは学者じゃないけど部屋に沢山本あるじゃん」


 「オレは勉強が楽しいとは思わなかったからな。あと、お前の姉ちゃんの部屋にある本は小説だ。図鑑とか参考書は一冊もない」


 話の中に出てきたのはスノーの姉、正確には次女だ。テレジア家は長女が教会でシスターをやっており、次女は家の後継ぎ、三女がスノーとなっている。他にも長男次男がいるらしいが、長男は他国で働いており、次男は音信不通なのでスノーもオレも会ったことがない。


 そんな兄弟姉妹の多いテレジア家だが、母親は驚くほど若い。御歳五十歳らしいが見た目が完全に売り出し中のアイドルのそれだ。父親に至っては髭すら生えていない。成長速度がゆっくりなのだろうか、スノーも数年経ったが多少身体のハリが良くなった以外に変化が見えない。


 勉強机に向かい、楽しそうに「聖女の使う魔法呪文大全」なるものを読むスノーを見る。さらさらの白銀の髪に、空から落ちてきた水滴のように蒼い瞳、華奢な身体に合わず胸部の服を押し上げるデカいメロン(何がとは言わぬ)。三年前の出会いからは想像もできないほどの元気がそこにはあった。


 「なに、じっと見て。もしかして見とれてた?」


 「おう、見とれてた」


 「えへへへ」


 何に見とれていたかは言わないでおこう、と目の保養になったそれから目を放して彼女の頭を撫でる。嬉しそうにのどを鳴らす様は美少女というより猫に近い。可愛い。


 こんな彼女の元気を与えた魔法だが、どうやらオレが使える魔法は「代償の魔法」だけではないらしい。


 というのも、悪魔は光属性以外の全ての属性の魔法を使えると最新版の「悪魔学」の本に書かれてあった。「悪魔学」の本曰く、「悪魔は光以外の基礎の全属性(火、水、風、土、回復)魔法を使用する事が出来、これらの威力は悪魔個人の力に比例するが、天使もしくは精霊の力を介して人が発する魔法の威力よりも基準値が高い...p129」とある。「悪魔学」の本はこのカーリア聖国で長年発刊されてきたものな為、小説とは違って信頼に値する。


 「まぁ、オレは魔法の出し方分かんねぇんだけどな」


 「聖女とか祓い師の使う魔法が使えないのは納得できるんだけど、悪魔の魔法も使えないってどういうこと?」


 「オレが聞きたいんですがそれは・・・」


 げんなりと肩を落とすオレは不思議なことに魔法を使えない。否、「使えない」ではなく、「知らない」という言葉が正しい。悪魔は無詠唱で魔法が使えると本に書いてあるが、オレは残念ながらその型にはまらず、無詠唱でも魔法の火も出てこない。おそらく魔法を使うということを経験したことが無い為に身体が「魔法を使う」という状態にならないのだろう。


 その基礎の属性魔法は使えない割に「代償の魔法」という特殊な魔法を使えるから全くもって悪魔という存在は謎に満ちている。


 「いずれ分かるといいな。オレが魔法使えない理由」


 「ほぼ他人任せじゃん・・・」


 「魔法無くても一応戦えるからな。これでもオレはギャングを体術だけで追い返したことがある」


 思い出したのは生前の武勇伝の一つだ。スラム街にあるというカルト教団の跡地に赴いた際、そこに屯していたムキムキのギャンググループに鉢合わせし、全員背負い投げして追い出したことだ。全員筋骨隆々で銃も持ってたけど、なんとか撃たれなかったのは奇跡と言っていい。


 この世界の人間と地球人の身体の頑丈さはおそらく違うだろうが、オレはそれでも大丈夫だと胸を張る。


 しかしスノーの反応はいささか薄い。ジト目である。


 「アストラは悪魔なんだから、普通の人に勝てて当たり前だよね?」


 「でもムキムキだったんだぜ。普通の人と鍛え方が違う」


 「じゃぁその人達はみんな最低でも馬車を片手で担げるんだ?」


 「いや、無理だと・・・無理でしょ」


 「でしょ? ただの人がどれだけ鍛えても悪魔との力差は歴然。勝って当たり前だから自慢するのは痛々しいよ? そういうアストラも好きだけどギャップが激しくてちょっと耐えられないっていうか・・・」


 「うぐっ」


 ちょっと頬を染めながらも武勇伝が「痛々しい」と言われた瞬間、オレの胸に言葉の槍が突き刺さり変な息が漏れる。血を吐きそうになったが、出てくるのは苦汁だけだ。どれだけ身体の鍛え方が違っても言葉のダメージは生物の壁を軽々と越えてくる。


 「そ、そうか・・・」


 なんとか絞り出した返答はオレの残りメンタルが少ないことを表している。人としての感性が残っているが故に美少女からの暴言は胸にくるものがある。


 一応この世界の人々は男女関係なく地球人と比べて明らかに力が強い。力というよりかは頑丈さと身体能力が高いと言うべきか。現にスノーも月に一回体力測定を行うのだが、平気で五十メートル近くの距離を七秒台で駆け抜けていくし、目にもとまらぬ速さで反復横跳びをする。


 あの時のギャングとこの世界の人を比べるのは酷というものだが、「痛々しい」と言われてしまった以上地球の「○○の人に勝った」武勇伝はやめようと思う。


 どんどん人だった時の思い出を消していった先にはいったい何になるというのか。


 そんなことを想いながらオレはアストラとしてスノーがチェックしていくノートを見る。


 綺麗に線引かれたノートには縦に並んだ文字が見える。スノーのペンの扱いが良いのか、それともオレが書く字が象形文字だったのか定かではないが、そこにはまるで教科書のような丁寧さが目立つ文字の羅列がある。その隣のページには四角のチェック欄がある。


 一週間ごとに分けられた七日分のチェック欄。今日は水天使の日(日本でいう水曜日)なのでそこまでのチェック欄には印が入っている。


 「今更だけどすげぇ努力するよな。オレは三日どころか二日坊主だったから、そういう毎日暗記科目の復習なんてことできねぇや」


 「でも私は知識が欠けてるから・・・、沢山学ばなきゃいけないんだよ」


 「地球的基準で見たら大体中学二、三年生か高一くらいだろうにいろんなこと考えるよなお前。オレはそん時大体日本の心霊スポットは見て回ってたわ」


 厳密には日本にある悪魔崇拝をするカルト宗教施設跡だったり、外国からやってきた呪具、邪神をまつる祠だったり日本古来の呪具を祀る祠だったりだが。


 スノーは「それだ!」と手を叩いてオレを見る。


 「時々アストラが言ってる「二ホン」とか「チキュウ」とかについての文献が無かったんだよ! 魔界には未開域がまだまだあるっていうのは知ってるけど、大体は名前だけ、ざっくりとどんなところなのかとかだけ書いてるから、魔界に関してはある程度全体像が把握できるんだ」


 「おぉ・・・最近の技術はすげぇな。そこまで分かってるのか・・・!」


 悪魔が出てくるところ、悪魔が住む世界を魔界と呼び、今ではかなり調査が入っているうえ、昔魔界に行ったという人が手掛けた日記も合わせて魔界全体がどういうところなのかというのが分かりつつある。


 しかしスノーが言いたいことはそうではないようで、


 「でも、アストラが時々言う「チキュウ」とか「二ホン」とか「チューゴク」って場所、どの文献にも載ってないんだよ! それに嘘っていうにはすごく現実味のある歴史とか悪魔の名前とか言うから無理があるし、そこにあるっていう呪具もそれらしい効果と材料だから流石にどれかの名前くらい載ってるでしょーって思ったけど、全然載ってない! これはすごいことだよ!」


 「えぇ・・・そう・・・・」


 迫りくる顔面を手で制し、乙女さながら興奮するスノーに「どうどう」と声を掛ける。


 ここまでスノーが熱くなるのは、人類にとって悪魔が未知なる部分の多い存在であるからだ。


 勿論前述したように魔界に存在する地名やらがほぼ明らかになっているだけでなく、ある程度悪魔がどれほどの数いるのか、どれほどの強さを誇るのかということも公的に知れる訳だが、如何せん魔界にある歴史やら悪魔の名前、そこにある特産品等に関する知識はほとんどない。


 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉があるように、「悪魔絶殺」を目標とする人類にとって悪魔を知ることは重要性がある。生態系を知れば、歴史を知れば、名前を知れば、魔界にある武器やらを知れば、事前に人類側の被害を少なくし、魔界に致命的なダメージも与えることが出来る。


 しかしオレの持つ情報にそこまでの価値はない。


 何故ならオレの持つ情報はその全ては地球のものであり、中国も日本も魔界にはない。オレの前世の話だからだ。


 スノーはオレが元人間の悪魔ということは知られていない。異世界転生とか言っても信じてもらえそうにないし、これと言って心霊スポットや危険区域に行けなかった未練以外に思い残すこともないから前世のことは一種の笑い話程度の認識だ。スノーがオレが人間だと信じてくれてもそれでオレがどうにかなるわけでもない。


 「つっても、オレ自身結構へんぴなところから来てるから魔界でも全然知られてないぞ? そんなに悪魔のこと知って、悪魔全滅させる気か?」


 地球と魔界が別世界のことだとは言わず、それっぽくはぐらかしながらオレはスノーに問う。スノー自身、聖女にでもなるつもりなのかと思うレベルで悪魔のことを知りたがっているし、今暗記している呪文だって悪魔を討ち祓う聖女の魔法だ。


 スノーはしばし沈黙して腕を組む。組んだ腕がたゆんたゆんした柔らかいものに埋まる様が視界に入る。それほど大きいのだと思うが、ずっと見ている訳にもいかんのでそっと目を逸らす。朝日によって服の陰陽がはっきりしている為余計その大きさが視界の中で主張してくるのだ。


 「いったい何食べたらこんなによく育つのか・・・、むしろ栄養のほとんどがそこに吸い取られているのか・・・?」


 「どうしたの、急に独り言言って?」


 「あぁいや、なんでもないぞ!」


 慌てて否定する。危うくオレが変態だと思われるところだった。いやむしろ男子としては普通ではなかろうか。これで人の男のマッターホルンが悪魔になってもあるとしたら正直に生命の力強さを見せつけ、無事スノーから変態認定を受けるところだろう。


 スノーは「まぁいいや」と息を吐き、こちらを見る。


 「悪魔が敵なのはそうなんだけど、実際アストラみたいな珍妙な悪魔もいるわけで・・・、これを一概に悪いって判断するのは愚かな選択というか、先人の残した観点を過信しているというか・・・。私は私の見たものを信じたいからそれを上手く正当化できる知恵を今得ようとしてると思うんだよね」


 「珍妙て・・・」


 まるで人を秘境の奥地に生息する珍獣みたいな言い方だが、スノーの考えていることには素直に感心した。


 「ま、悪魔は大体悪いと思うからアストラ以外は滅んでもいいかなって」


 「おう、それだとオレ魔界帰ってもひとりぼっちじゃねぇか」


 「大丈夫! その時は私のところに来ればいいよ。私の余生くらいならあげるとも」


 「くそ! 何も大丈夫じゃねぇ!」


 人間であればそのまま同棲して結婚するまである。こんなに可愛い子に誘われたら一緒に暮らすのもやむなしだ。しかし残念ながらオレは悪魔なのでいつかは絶対一人になるし、いまいち人の残り寿命の吸い取り方も使い道も分からん。なんならスノーは人なのでオレとは根本的に身体のつくりが違う。


 スノーのやさしさには心安らぐが、オレは悪魔なのでこの冗句にも最後まで付き合うし、現実との折り合いもつけるつもりだ。


久々に人だった頃が懐かしいなと感慨深く感じていると、ふと扉の向こうから人の気配がした。カツカツと響く音は扉の前で止まり、軽く扉を小突く。


 「スノー様、いらっしゃいますか?」


 使用人の声にスノーが反応する。


 「いるよ」


 ベッド横の時計を確認するともう三十秒もすれば八時。――朝ご飯の時間だ。


 朝食に来るように言いに来たのかと思ったが、使用人の台詞は想像を少し超えた。


 「お父様がお呼びです。至急、伝えたいことがあるとのことですので食堂にいらしてください」


 「は~い」


 間の抜けたスノーの返事に遠のいていく足音。カツカツとヒールの鳴らす音は遠のくと共に強く反響していく。


 「至急、だってよ。何したんだお前」


 「何もしてないよ」


 「オレと話してるとこ見られて、ついにおかしくなったと思われたんじゃねぇの?」


 「流石にそれはな・・・・、いや既に数回見られてるね・・・」


 「アァウトッ!!」


 悪魔のオレはスノー以外の人に見られないため、基本的にオレが話しているところを他人が見ればスノーが虚空に向かって話しかけているように見える。過去にそんな奇妙な情景を使用人やスノーパパ含めて十回以上見られており、今では屋敷内での軽い噂になっている。


 「と、とりあえず行ってみよう・・・」


 「精神病院に隔離されることになったらそん時はそん時だ」


 「怖いこと言わないでよ! お父さんはそんなことしないと思うけど・・・」


 若干恐怖に震えるスノーの後を、小動物を見るような感覚になりながらオレはついて行った。


 

 

 ☆★☆ ☆★☆ ☆★☆ 




 スノー家の屋敷はとにかくデカい。元々は洪水をせき止めるための要塞だったらしく、屋敷全体が石やらコンクリートで出来ており、見てくれは「堤防の上に城が建っている」だ。近くの大河が埋め立てられ、要塞の意味をなさなくなった辺りで数代前のテレジア家当主が外見を砦から家っぽく変えたとのこと。スノーと出会ったばかりの頃に居た高台の部屋も後から建てられたものらしい。


 山間部に位置するこの屋敷の近くには元々大河だった村があり、屋敷の下にある元水門から出入りできるようになっている。そのため屋敷からの光景はタワマンから見るビル街によく似ている。


 そんな景色が良く見える部屋の内の一つが食堂だ。


 大理石で作られた床にレンガが積み立てられ塗装された壁、シャングリラが吊るされた食堂には長い食卓がある。白い布だけでどれほどの値段なのか、想像するだけで背筋に嫌な汗が伝う。


 入った瞬間、既に食卓についていた厳かな雰囲気を漂わせる男性が口を開いた。


 「来たか。スノー、そこに掛けなさい」


 「「は、はい」」


 威厳に溢れる怖さに思わずオレも反応してしまう。スノーも「ひぇぇ」と声を漏らしている。


 白い髭を鋭く剃り、白髪を半々に分けた髪型と渋い顔を持つその男性は今日も相変わらずの黒い礼服を着こなし、服の上からも分かる猛々しい筋肉を見せつけている。


 彼こそがスノーの父親、エルディオ=レイムス=テレジア。もといスノーパパだ。


 最初は超凄腕のエクソシストとして悪魔祓いを生業とし、その次に悪魔学を教える有名学校の教授として教鞭を取り、その次に他国で傭兵業をし、帰国してからは食品生産会社・建築会社を経営し、最終的に現在に至るという異色の経歴を持つ彼はその身から発せられる只者でないオーラをそっとしまう。


 「あまり気を張る必要はない。が、中途半端な心構えでもいてほしくないんだ」


 「は、はい・・・」


 おじさんというか、初老の男性という印象さえ抱くその若々しい声は相変わらずオレを驚かせる。本当に四十代前半なのかト違和感を抱かせる正体は未だ分からずじまいだが、明らかに家系図のどこかにエルフか人魚肉食ったやつがいると思う。


 スノーパパはほっと息を吐くと、懐から城の封筒を取り出した。


 ――奇妙な樹のイラストが彫られたハンコで封を押されたそれは、ただの紙切れであるにも関わらず、何故かオレの背中を冷気で撫でた。


 オレの若干引く言動に感化されたか、スノーもこころなしか身を強張らせた。


 「そこまで構える必要はない。これはローレンス聖女学院からの手紙だ」


 「ローレンス聖女学院って、あの大聖女様が初代理事長っていう聖女養成学校のこと!?」


 「私も昔教鞭を取ったところだ。そこからスノー宛てに手紙が来ている」


 「どうしてまた私に・・・・?」


 手渡された手紙の封を開け、中にある数枚の折りたたまれた紙を引っ張り出す。オレが触るとシンプルにポルターガイストなのでスノーの後ろから覗き込む形になっているが、「合格証明書」の文字が目を過り、思わず「え」と声を漏らす。


 「スノー=テレジア殿。この度はローレンス聖女学院の入学審査を通過したこと誠に幸いでございます。本学に入学を希望であれば、折り返し別途付属の「入学希望書」に記載をしていただき以下記載されている期限までにローレンス聖女学院総務課にお送りください・・・・」


 初めに書かれていた文章を読み、スノーが顔を上げる。視線の先にはスノーパパがいる。


 「どゆこと?」


 「何も、見た通りだ。もしもスノーが此処に通いたいと言うのなら学費や寮費、生活費を出そう。通いたくないのであれば私が学校にかけあって断っておこう」


 「いやそうではなくッ!!?」


 食卓を叩き、スノーが半ギレで眼前のスノーパパを睨みつける。


 「いつの間に私合格してたの!? 試験受けた覚えもないんだけど!!?」


 「筆記試験や面接ではなく、書類審査だ。過去どんなことをしたのか、どんな賞を取ったのか、その人の経歴を審査する。勿論私の子という点もあるが、スノーの持つ知見を学校側が認めたというのもある」


 実の娘に詰められてなお平然と受け答えをしているこの男、中々のやり手だ。ここまで斜め上の回答を用意してくるのは異色の経歴を持ったからか、それとも元々彼がそういう思考回路だからなのか。


 うむうむと頷くスノーパパにスノーは「知見・・・?」と首をかしげる。

 

 その疑問には「ふむ」と顎に手を当てたスノーパパが答えた。


 「過去にスノーが書いた「呪具の形と人類の文化形態の変化について」という紙束があっただろう? スノーがまだ十二歳の時、・・・丁度二年前か。スノーの私室を訪れた際、部屋の隅っこに埃を被った本の下敷きになっていた紙束があってね、そこで見つけたのさ」


 「あぁ・・・、確か「呪具の形が土偶から人形に変わっていって・・・」とか書いたやつだっけ?」


 「書式ガン無視や誤字の多さに最初は妄想本かと思っていたが、読み進めるとこれがどうも「そうなんじゃないか?」と思ってね。書式や誤字脱字を直して学会に提出したら大反響を呼んでね。それが学院のお偉いさんの目にとまったみたいでしつこく私に連絡をしてきたのさ。「席を用意するから特待生として来ないか」って」


 「まさかそれでハンコ押したの?」


 震える目でスノーが問うと、スノーパパは「いいや」と首を横に振る。


 「スノーは極端に目立つことは避ける方だろう? 特待生なんてありもしない噂が立つ元だし、過度な期待を向けられる的だ。しかし学校の設備や講師の質はどこよりも良いからね。考えあぐねていた。そして今の時期に書類審査の入学制度が始まったから応募してみたんだ」


 スノーパパはまるで悪気もなく、淡々と事の詳細を話す。


 「・・・・お父さんは私に学院に行ってほしいの?」


 最後まで語られ、対するスノーの言葉は疑問に満ちていた。年頃の娘だと思うのだが、スノーは拒絶心は表さず、ただただ自身が学校に行ってほしいとする理由を聞いていた。


 オレの感覚では、思春期女子は特に父親から構おうとすると強い拒絶を示すのだが、どうにもスノーの精神はオレの想定以上に大人びているようだった。


 単純な質問。しかし、その問いにスノーパパは少し沈黙した。表情からは読み取れないが、何かを言いあぐねているようにも考えられる。


 しばらくして、スノーパパは静寂を取り払い、スノーを見据える。


 「私は考えていたんだ。スノーには生まれたときから苦しい思いをさせてきた。屋上の部屋に押し込めて、毎日衰弱していくスノーから目を逸らしていた。元気になった後も、こうした事務的なこと以外では「仕事」と言い訳して滅多に会おうともしなかった」


 「・・・」


 「気づけばスノーは私の知らない間に沢山の本を読んで、研究をしていた。時々外で運動しているのも見ていたよ。それに、」


 「それに?」


 「スノーは時々、何もないところに向かって話しかけているだろう? 「今日の髪型はどうだ」とか「お出かけするならどんな服が似合う?」とか」


 「「ぶっっっっ!!!!???」」


 想定外のカミングアウトにオレとスノーが吹き出す。あのやり取りが見られていたのは確かに恥ずかしいが、この感じ良いように受け取られていることにより驚きを隠せない。


 スノーパパは「見られていないとでも思ったか?」と少し満足そうに顎を引く。


 「古き時代から、「未契約であるにもかかわらず、天使を目し意思疎通が出来る人間を『天縁がある』」という。天使と縁のあるスノーをずっとテレジア家(ここ)に閉じ込めておくのは申し訳ないし、学校に通ってスノーには自分の将来の道を広げてほしいんだ」


 どうやらいいように捉えられていたのはオレの方だったようだ。


 天使を実際に見たことはないが、悪魔なオレは他から見たら天使だったみたいだ。これでは『天縁がある』ではなく『悪縁がある』というのではなかろうか。


 スノーは半信半疑ながらも横に居るオレとスノーパパを見比べる。


 「お父さんは、・・・見えるの?」


 「まさか。私はもうずっと前に天使とは契約を切った。だからスノーといる天使は見えないよ。ただ、なんとなく長年天使といたときの勘が告げているんだ。スノーには天使がついてるって。しかもかなり友好的なようだ。そういった縁は大事にするといい」


 天使との契約は中々難しいというのはかなり有名な話で、スノーの部屋の本棚にも「天使と円満な契約を結ぶ方法」や、「天使との距離の繋げ方」という本がある。聖女やエクソシストでも数年間ずっと同じ天使と契約している例は少なく、かなり頻繁に天使が入れ替わるようで、相性が良くとも続いて二、三年らしい。地球のように守護霊だの守護天使だのという存在が無いので永続的に家に憑くのはいないのだそう。


 「ま、オレ悪魔なんだけどな」


 多分悪魔と天使じゃここら辺は違うのだろう。オレは契約上離れられないし、スノーが可愛いから離れる気もない。離れたとしても大体山の中での害獣被害を抑えに物理的に離れる程度だ。


 オレの声はスノーパパには聞こえないし、見えない。独り言をつぶやいたとしても、聞こえるのはスノーだけだ。オレの反応にスノーは軽くオレの腿を肘で小突く。


 そんな不自然な光景を眺めていたスノーパパが「おや」と声を上げてスノーを見る。


 「ん? もしかして今までの会話も聞かれていたかい?」


 「うん。隣にいるよ」


 「そうか。もう見えないからなんとなくでしか分からないが、かなり格の高い天使だな?」


 「そうなの?」


 「いや分かんねぇなそれは・・・」


 スノーがオレに聞き返すが、オレは首を横に振る。悪魔方面で言えば固有魔法を使える時点でかなり力のある悪魔らしいが、それ以外で何ができるかと言われたら「何ができるのか分からない」と答えるのが精いっぱいだろう。


 「分かんないんだって」


 「そうか。ではなぜスノーについているんだ? 天使は自ら現世に顔を出して特定の人間の傍に長時間いる事は中々ないことだ。そういったことが起こる時は決まって何か重大なことが起こる前触れだったりする」


 スノーパパの突然の真剣さに若干オレの腰が引く。気分は娘を貰う彼氏のそれだ。「貴様に娘はやらん!」とか言ってちゃぶ台ひっくり返しそうな雰囲気が漂い始めている。あっちからは見えなくともこちらからは見える以上、どうしてもその身に漂う鬼気が逆立っているように感じる。


 しかしまぁ、オレが出せる答えは、だ。


 「やぁまぁ、でぇれぇ可愛いから、かな。契約で命貰うからとは口が裂けても言えないし、これで通しといてスノー」


 「一生を見たくなるくらい可愛いからだそうです。俗世に捕らわれているのが惜しいくらい可愛いとのことです」


 「あれ!? 解釈違い!?」

 

 「・・・・ふむ」


 「いや「ふむ」ではなく!」


 まるで何か造詣の深い詩でも読んだか、顎に手を当てて目を閉じるスノーパパ。そんな軽い理由でも通じるのはスノーパパが親馬鹿なのか、はたまた何かこれと言って無い真意でも見つけたのか。


 「―――。――――なるほど。それなら安心だな」


 「何、今の間。普通に怖いんだけど」


 軽くスノーの周囲を見渡し、そっと口を開いたスノーパパの台詞に愕然と恐怖するオレ。一体何の間だったのかと少し構えるオレの意図を察してくれたのか、スノーがスノーパパに尋ねる。


 「何か考えてたの?」


 「いや、ちょっとした考え事だ。スノーの可愛さは先々代の祖母に似てるから、もしかしたら隔世遺伝かもしれないとな」


 少しはぐらかされた気がしたが、流石に問い詰める勇気も胆力もないのでその場で追及はやめる。とりあえずはそれで納得しておこうと思う。


 スノーパパの「可愛い」発言にほんのりと頬が赤くなるスノーに張り詰めた空気が緩和するのを感じていると、スノーパパは軽く咳払いをして身だしなみを整える。


 「話が逸れたな。スノー、学校に行ってみるかい?」


 「・・・・・」


 「まだ期限はある。今は決められなくとも、何かのきっかけで運命の天秤は容易に傾く。――まぁ、ゆっくり考えてみるといい。傍に居る天使に助言を求めるのも悪くはないだろう」


 「オレ悪魔なんだよなぁ・・・」


 オレの声は届かず、スノーパパは食卓を立つ。スノーの目の前には例の手紙が置かれてある。


 「今日は朝食は私の部屋に運んでくれ」


 扉を開け、入れ替わりに食事を運んできた使用人に耳打ちする。使用人の一礼を受けた後、スノーパパは足音と共に去っていった。


 「こちら失礼しますね」


 運ばれ、並べられていく食事はどれも暖かく、出来立ての香りが漂っていた。手紙を懐に仕舞うスノーはなんとも言えない複雑な表情をしながらオレを見る。


 「どうしよっか・・・」


 「食ってから考えようぜ。とりま飯だ」


 「はーい」


 悩みは一旦置いておく。その場で決めてもあまりいいことはない。


 さっきまで思いあぐねていたスノーの目は食事に釘付けになっていた。



 

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