02 『払われた代価』
”悪魔”という存在はかなり古くから知られている。
書物にはあまり詳しくない為あまりでしゃばったことは言えないが、奥義書や悪魔の偽王国という書物には多くの種類の悪魔について描かれている。
そのどれもが、今のオレのような、漫画やアニメでよく見るタイプの悪魔とは大きく違った様相を為していた。例えば悪魔バアルは蜘蛛の身体に王冠を被ったおっさんの頭の付いた悪魔だとか、バルバトスは見た目ただの狩人だとか、ベルゼブブは巨大な蠅だとか・・・。少なくとも今のオレの見てくれは西洋ではあるもののどちらかというと日本の”鬼”というイメージが強い。
そう思い返すと導き出されるのはこの世界の”悪魔”と地球の持つ”悪魔”のイメージというものはかなり違うということだ。
「転生前も鍛えてたけど腹筋割れてなかったし、なんなら外殻とか爪とか角とか、悪魔というよりは悪竜と呼ばれる方があっている気がする・・・」
手鏡に映るオレの姿はどうにも悪魔と呼ぶには色々間違っている。なんなら五感らしい五感もあり、羽が生えてる以外ではめちゃめちゃムキムキなコスプレをした男に見える。
「・・・・・・・」
現実だと思いたくなかったが、残念ながら現実だ。
手鏡を少女のいるベッドの横に鎮座している机に置く。そして息を吸って吐く。
・・・・現状を少し理解した。
紛争地区にある心霊スポットに行く途中に紛争に巻き込まれて死亡。その後悪魔に転生したというところか。
「ふむなるほど、全然分からん」
転生と言ったら天上に居る死にぞこない爺さんかでぇれぇ美人な金髪お姉さんが「間違って殺しちゃったから特典にチート能力与えちゃう」みたいなノリで俺TUEEE!な力渡されて貴族や王族に転生するってのが普通だろう。ましてやオレはそんな神様にも出会っていなければ、チート能力を与えられた覚えもない。
「転生ってもっとキラキラぱやぱやしたものじゃなかったのか・・・!?」
転生はロマンでありもう一つの人生でもある。もっと華やかな誕生を迎えても誰も怒らないと思うのだが。
「筋肉あるし、顔もまぁまぁ良い。だけど羽が邪魔過ぎる。なんならこの角とかトゲトゲした指なんて日常生活に支障をきたすレベルに要らない。絶対寝返り打つ時に引っ掛かる」
そもそも悪魔の日常生活に寝食があるのか? という話は無しだ。こちとら上空に転生されてから悪魔に転生していると気づくまで急展開過ぎて、人間の時の価値観を引きずっているのだから。
というか、もっと問題として認識すべきなのはこの世界での悪魔の立ち位置だ。
悪魔という存在はその生まれ方には様々あるが、一番ポピュラーなのは神からその玉座を奪う為に大多数の天使と神に戦争を蜂起した元天使というもの。最終的に神の神罰が下り、玉座を望んだ天使たちは地獄に落とされ堕天使、後の悪魔となったわけだが、現代的視点から見ても悪魔は人類の敵とする考え方がある。勿論スマホゲーム等で出てくる悪魔キャラの人気はその限りではないが。
しかし悪魔はその醜悪な見た目や、他者を操ろうと考える精神性から敵として見られる事は往々にしてある。この世界ではどうかは分からないがあまりいい予感はしない。
オレは少し息を飲んでベッドに座る少女に話しかける。
「なぁ、嬢ちゃん。この世界では悪魔ってどういう立ち位置なんだ?」
「立ち位置・・・?」
「悪魔は人にとってどういう存在なのか? って話だ」
「悪魔は、・・・人類の敵。滅すべき存在で、数千年前から人間の世界を侵略しようとしてきた異界の住人」
「うーん、ダメですねこれは!」
一気にこの世界でオレが生存できる確率が減った。
いや人類の敵てwww。
これはオレ、殺られる結末になるのではなかろうか。
しかも数千年前からの対立関係には流石に反論の余地もない。
「人類と悪魔の戦争か・・・。今は人類が勝ってるみたいだけど、そんなにオレ達って勝負とか戦争に弱いのか?」
この格好で勝負事に弱いとか考えられないが、現実に悪魔は侵略できていないようだ。これには人類には卓越した科学技術があるのではないだろうかとオレは考えてみる。多少なりともその人類の力強さの理由を知る事さえできれば、今のオレでも少しは長生きができるだろう。
オレの問いに少女はこてりと首を傾けて不思議そうな表情でオレを見る。
「悪魔さんなのに知らないの?」
「うぐっ、・・・オレ、初めてこの世界に来たばかりだから外の事情とかよく分からなくて・・・」
なんというか、少女は純真無垢にその問いを投げているのは分かるんだが、どうにもオレがあまりの常識知らずのように感じてしまう。恥じることなどないというのに、オレの頬は紅潮し、目を逸らしながら精一杯の言い訳を述べて見せた。
少女は軽く咳をした後、まるで妹か弟にでも読み聞かせをするように優しい口調で理由を話した。
「私達は悪魔には勝てない。悪魔は力がすごく強いし、私達は魔法を使えないから、悪魔にとって私達はとても美味しいご飯なの。でも聖女様やエクソシスト様達は天使様や精霊様と契約しているから魔法を使える。天使様や精霊様は悪魔よりもずっと強い力を持っているから、その加護を受けた魔法や結界が悪魔にとっての苦手になるの。そうして数千年前にあったって言われてる大戦争で人類が勝ってから、ずっと今の平和が続いてるの」
区切って話しているとはいえ、少女は最後に口元に手を当てて咳き込んだ。苦しそうになりながらもオレに丁寧に説明してくれているあたり、とても良い子なのだろう。
少女の話を聞き、オレは少し思考する。
この世界には天使、悪魔、精霊というような神秘的な存在がおり、悪魔に対抗する職業として「聖女」と「エクソシスト」というものがある。これらは天使や精霊と契約して魔法を使い、悪魔を撃退したり、結界を貼ったりすることが出来る。そしてこれらの魔法や結界には悪魔にとっての弱点となるものだと言う。だが、悪魔は天使や精霊と契約していない人間にはかなり強く、人間は契約していないと魔法を使うことが出来ないといったところか。
「魔法とか結界とか、気になるものは色々あるけど・・・」
「ごめんね、私、生まれてからずっと身体が弱くて外に出たことなくって・・・」
ちらっと少女に期待するような眼差しを向けてしまったが、少女の反応はとても悲しかった。質問した相手が悪かった、ではなく質問した奴が悪かった。そう、オレの不躾な質問が悪かったのだ。
「ご、ごめん! オレが悪かった。こういう質問はするべきじゃなかった。嬢ちゃんの身体の具合に配慮してなかった・・・」
「ううん! 気にしないで。私も、この身体が嫌いだから・・・」
「・・・・」
しりすぼみになっていく少女の声にオレはただ黙る事しかできなかった。身体の不自由さに慰めの言葉をかけるのは違うと思ったからだ。それに、それは彼女が一番望んでいない事だろう。
ならばこの埋め合わせは別のことで返すべきか。
オレは絨毯の上にどっかりと腰を置き、胡坐をかきながら少女を見る。
「・・・病気か。治るのか・・・?」
なんと話しかけるべきか迷ったが、言葉はすんなりと出た。しかし少女は首を横に振る。
「私がまだ赤ちゃんだったころに流行った病で、本当は私もお母さんのおなかの中で死ぬはずだった。だけど私は奇跡的に死なないで生まれた。でも・・・」
「でも、病気は治ってなかったんだな・・・」
少女は大きく頷く。少女を取り巻く部屋の調度品、照明、家の外見からしておそらくこの国は中世フランスのような時代だろう。現代地球ようにまだ疫病に対する有効打が見つかっておらず、間違った医療方法や信仰がまかり通っていた時代だ。
この世界の医学概念がどうなっているのか知らないが、どこぞの外国では医学者の手は神聖なものだからとかいう意味わからん理論で手洗いをしなかったところもある。一緒にするつもりはないがそんな風習があって妊婦の赤子に病気が伝染していてもおかしくはないだろう。
「お医者様が言うには、原因不明で治らない。普通はみんなおなかの中で死んじゃうから、生きて産まれたのが珍しいんだって。でも、私もおなかの中で死んだら良かった・・・」
「それは・・・っ!」
言ってはいけない、そう言おうとしてもそれは禁忌だ。痛みを知らぬ者が、痛みを知る者に生の意味を説くことがどれほど愚かなことか。
「毎日苦しいんだ。咳が止まらなくて眠れないし、急に口から血が出てくるんだ。暑くもないのに汗が出るし、寒くもないのに体が震える。それに、・・・」
少女は一度言葉を飲み込み、シーツを握る手に力が入る。肩が震え、背中を少し丸める。
「それに、・・・私を心配してくれるお姉ちゃんやお母さんがどんどん元気がなくなっていって、お母さんも寝込むことが多くなった・・・。本当に、本当に死にたい。この身体が憎くて、憎くて・・・」
少女の心の慟哭。その心意は病の痛みに恐れるものではなく、痛みに苦しむ自分を憐れむ姉と母親の体調を心配する事であった。何よりも苦しく、誰にも言えないその心音はきっと吐き出し口を求めて今まで彷徨ってきたのだろう。
「そうか・・・」
何かをしてあげたくても何かができるわけでもない。悪魔となれどオレはそういう現状にはどこまでも無力であった。
話を聞き、その心象の毒素を吐き出してもらい少し気が楽になってくれればいいなと考えていたが、その考えが甘かった。少女の自己嫌悪の根源的な部分が病の痛みではなく、その周囲への心配なのは想定外過ぎる。
どう反応すべきか分からず、相槌を打ったもののその視線は少女を向いていなかった。絨毯の感触を掌で感じながら、オレは顔を俯かせたまま硬直する。
だが少女はまだ続きがあるのか、「――だから」と言葉を紡いだ。
それはどこか縋るように、まるでなけなしの願いを聞いてもらうかのように、蚊のようにか細く、しかしその願いに宿る手はしっかりとオレの耳を掴んで離さない。
聞いてはいけない。そう思っても耳を塞ぐよりも先に少女の言葉が炸裂した。
「どうか、私の命と引き換えに家族に元気をください」
☆★☆ ☆★☆ ☆★☆
「私が病気になったから家族は元気がなくなったんです。私の、せいなんです。だから私の命を代償に、家族に元気をください。この身体も魂も捧げますから」
少女のか細い声には確かに芯が宿っており、しかし絶対に首を縦に振ってはいけない願いであった。
「悪魔に願いを聞いてもらうには代価を支払わなければならない。私が払うのは私のこの身、この魂。願いは家族の元気」
「えぇ・・・」
まっすぐと見つめる視線にオレの視線がかち合う。
どうやらこの世界にも悪魔を召喚、使役する際には贄が必要だという認識があるらしい。勿論、それが“生贄”的な意味合いであることも共通認識のようだ。
だが問題がある。
オレは何を隠そう転生してからまだ一日も経っていない悪魔だ。ぎりぎり飛べられないことくらいしかオレは自身の能力を理解していない。それなのにどうして願いを叶える力があると、それを為すことが出来るというのか。
「・・・無理だな」
顔を背け、オレは無慈悲にも少女の願いを切り捨てる。
ステータスプレートもなければ、レベル表示も属性表示もない。転生お約束の湧き出る力も底知れぬ自信もない。ないない尽くしのオレが出せる答えは「拒否」であった。
「・・・・なんで・・・?」
無論、彼女が納得するはずがない。人の命という重い代価に対して得られるものは彼女の家族の元気だ。代償は十分なはずだ。そう考えているのだろう。
これに対する返答は、・・・用意していない。
まず転生者と言っても信じられないし、オレの出来る力には限りがあるかもしれない。それに、どうにもこの身体に残った人間性がそれをすることをとても嫌がるのだ。
――「人を犠牲にするなんて、そんなことできない」と。
「どうしてって・・・」
その言葉はオレを問う為に出た。
どうして彼女を助けてやれないのか。どうして彼女の願いを叶えられないのか。どうして一つしか選べないのか。
「そんなの決まっている・・・!!」
少女が死ぬことが、死ぬことを選択してしまうことが、それが許せないのだ。
オレの意思がはっきりし、オレは少女を見る。少女は怒りと悲しみに苛まれ、それでもオレの言葉の続きを待っている。ほんの数分程度の仲だと言うのにこんなことを言うのは人生を諦めている人に対して失礼かもだが、オレは構わず口を開く。
―――突如だった。
『我はこの力のみを残し、摩耗するその全てを糧として我は眠ることにする』
頭に響く声。その声は意識が奈落に落ちている最中に聞いた幾千もの声の中にあった一つだ。まるで大昔に残された声。しかしそれが今オレの耳に稲妻を走らせた。
「―――ッ!?」
声が止んだかと思えばオレの頭の中には一つの『選択肢』があった。まるで元からそこにあったかのように、その手札は自らが選ばれることを静かに待っている。その切り札の名は――、
「『代償の魔法』・・・?」
混乱する脳を押さえつけ、オレはその言葉を頭の中で反芻させる。不思議と繰り返した謎の言葉には違和感がなく、オレが今まで忘れていたかのように、それはその力の使い方さえも脳に溶け込んでいる。
「あれ? そんな、いいのか。これ・・・?」
魔法への理解。それは切り札の使い方を理解する事と同義であり、この状況を打開する最善手を発見することである。
それがこんな生き地獄の状況をひっくり返す程の切り札であるなら猶更だ。
オレは藁にも縋る思いでその魔法を信じることにした。それが、こうして生前のオレのような気持ちを抱える少女が救われるのであれば、その魔法を信じる価値が十分にある。
オレは少女を見据える。
自らを悪魔と自覚し、魔法を思い出し、そして人間の心を持っているのならば為すべきことは自身の生き様が知っている。
「決まっている。――それじゃ、割に合わない」
「・・・・・え?」
少女の目が大きく開かれる。それからすぐに慌てた表情でオレにもう一度同じことを口にする。
「ひ、人の命は悪魔の生贄でも最も適切だって、家族の元気を命で支払うことは悪魔さんにとっても都合が良いし、ら、楽なことじゃないの?」
「ま、普通に考えればそうだね。人間的に言えばそれが当てはまると思うけど、オレはそう思わないし、そう思ってほしくない」
オレは立ち上がり、少女に近づく。そしてそのやつれた身体、その心臓部位を軽く押す。本当に軽く押しただけなのに、少女は軽く押し倒されてしまった。
「いくら人の命が高級品だからと言って、もうすぐ死にそうな人の命にはこれっぽっちの価値もないのさ。それと家族の元気じゃ、―――身体を貰っても割に合わない」
「そ、そんな・・・」
「不治の病、なんだろ? だったら命の消耗は必然さ。オレは悪魔だからどうせなら若い子が良い。ボンキュッボンなお姉さんとかなら特に。だから駄目だよ。そういう願いは受け付けない」
「そんな・・・・っ!」
突き放し、少女の願いはオレを動かさないと告げる。この絶望は必要なことだ。
しかしそこに救済措置を残すことも必要なことだ。
オレは片目を瞑り、人差し指を立てる。
「だから契約をしよう。君の願いを叶える為の契約を」
「けい、やく・・・?」
どうやら興味を持ってくれたようだ。
「君はオレに家族の元気を求めた。でも代償となるものは用意されていない。その命はその価値に値しないから、君とオレの契約は成立しない。――だから、こうしよう」
オレはベッドに倒れた少女を持ち上げ、腕に抱える。少女は白いワンピースに身を包んでおり、しかし病的なまでに軽かったことにオレの心が寂しい音を立てる。それを隠すように、顔は笑顔を見せながら。
「君の病気を治し、君の人生に彩を与えよう。その代わり君はオレと契約するんだ。君の最も輝かしき人生を歩んだ時、再びその意思を問う契約を」
「家族を元気にすること、叶えてくれるの?」
「あぁ、良き人生を歩んだ経験はその人の魂の中で永遠に生きる。その人の魂にはどれほどの高い価値があるかオレでも計り知れないが、君の願いを叶える代償としては十分だ」
「でもそんな代価は・・・」
「持っていない。そうだね。でも君は今後がある。オレの生きた世界は出世払いという単語があるように、君が輝かしき未来を送ればその代価を十分に支払うことが出来るだろう。勿論、その途中でいろんな目標ができるだろうけど、それを叶えることも契約の中に入っている。一人じゃ成し遂げられなかったらオレも手伝おう。変に見捨てて中途半端な代価を支払われては困る。契約が果たされるまでオレは君と一緒に居よう」
少女の掌を握り、その顔を見る。
「どうだろうか? 嫌なら今の話はなかったことにするけど」
「・・・・・」
刹那不安が見え隠れした頬はすぐさま垂れた前髪によって隠される。
自分でもこの契約はかなりずるいと思っている。この契約を結んでしまえばきっと最初の願いは意味を失くしてしまう。しかし少女は今すぐにも家族が元気になることを望んでいる。だけど、オレがそうであったようにこの少女に同じ道を歩ませてはいけない。
きっと数々の苦悩があったのだろう、数十秒静寂が訪れたが少女は顔を上げる。
その瞳には驚くことに今さっきまでの鬱屈とした表情はなく、
「お願いします」
「・・・うぇ?」
「だから、契約します。悪魔さんが一緒に私の願いを叶えてくれるんですよね? 代価を払うのは私なのに、払えるように手伝ってくれるんですよね?」
「ま、まぁ・・・そうだな」
あまりの朗らかな笑顔とずいと近づいてくる声にオレは引き気味で答える。
「悪魔はみんな代価を支払わせるとき、何が何でも代わりのものでも代価分を奪っていくってお母さんがよく言ってました。それなのに、悪魔さんはすごく私に甘い。かなり変わってると思います」
「あ、そうなの!? 悪魔ってなんというか闇金に似てんな・・・」
この世界の中の常識に比べると、オレの出した契約内容は契約相手側に寄り添っている。「契約」をするということは相手と自分がそれぞれに同じだけの損得があることで成り立つものだと考えている。
悪魔は超常的な力を使い、人はその対価として命を差し出す。ウィンウィンな「契約」はこの世界でも同じだと思っていたが、どうやら悪魔と人の取引は悪魔側が無いところから更に奪っていくものらしい。
「そりゃ悪魔も人類とは分かり合えんよな」と心の中で納得しながら、オレは少女をベッドに戻す。少女漫画のような天使のふわふわではなく、完全に栄養不足で体調不良のふわふわの触感にオレは哀愁を感じながらもその掌を取る。
細く、白い指は肉がついておらず、骨と皮の骨格標本のようだった。
「それじゃぁ、契約だ。オレは君の願いを叶える為に。君はオレの願いを叶えてもらう為に。――この契約を結ぼう」
「――――はい」
少しの間、しかし出された答えは凛としてオレの目を見据えていた。
答えを聞き、覚悟の決まった彼女に応える為にオレは目を閉じる。
――魔法を発動する事。やり方も知らないし現実でも見たことはないが、オレの記憶に残された経験がおのずと意識を自身の内側に向けるように仕向けてくる。己の奥にある、すべてを見てきた根源に。
描き出すのは触れ合った掌を管として、根源から糸を伸ばす想像だ。その糸は彼女の身体を通り、あらゆる神経、血管に繋がっていく。
『代償の魔法』。その魔法の効果は等価交換に類似したもの。何かを犠牲に、それほとんど同等の結果を招く魔法だ。一見して地味な能力だと思われるが、その真価は”同等”とするものの範囲がおおざっぱであることにある。
例えばゲームのスコアが九十九点の時、それを百点にするということが出来るが、逆にマイナス九十九点の時でも百点にすることが出来る。プラスチックの使い捨てスプーンを純金のスプーンに変えることも可能だ。
何故『代償』と呼ばれるのかは分からないが、大体似てるのならプラスマイナスを超越した事象も叶えてしまうチート魔法だ。
そしてその魔法が為すのは少女の病を、同じくらいの元気に変える事。
「きっと、君に世界の恩寵があらんことを」
光が彼女の掌に集約され、それが彼女の全身を満遍なく包む。同時に少しずつだが、彼女の顔から苦痛が消えて目の下の隈が薄くなっていることに気が付いた。瘦せこけた肌はまだ不健康的だが、病的に白い肌はこころなしか桃色に熱を帯び始めている。
十数秒が経過し、彼女の身体に光が吸い込まれ、魔法の発動が完全に終了したとの手応えがあった。
掌には冷たさが無く、人間としての温かさを感じる。部屋全体が少し肌寒いことも相まって、彼女に走る熱は確かにその存在感を強く主張していた。
オレは確信した。
今この瞬間から、彼女は元気になったのだと。
「悪魔さん」
ふと名前を呼ばれ、オレは彼女の瞳を見る。清涼な蒼の眼がオレを見ていた。瘦せているとは言え、彼女が作る笑顔は何よりもオレの記憶に深く刻まれた。
そして―――、
「ありがとう。これからよろしくお願いします」
「・・・・・・ッ」
朗らかに、明るく笑う彼女の声にオレは何か感慨深くなる。理由は分からない。というか、分からないことだらけだ。この世界に悪魔として転生された時からずっと。
しかし一つ、分かったことがある。
「―――あぁ。よろしく」
この声を掛ける相手を、彼女の願いを叶える為に、オレは此処に居るのだと。
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