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24 『予兆』

 学院の街を見て回り、オレは颯爽と屋上と屋根を駆け抜け、総合体育の授業が終わったスノー達のもとへと飛び降りた。


 体育の授業はスノーにはほとんど不必要で、これと言ってオレも学ぶ必要のない科目だ。スノーは非常に活発で、最初の授業である身体能力測定では気を抜いてやったところ全クラス中一番の成績を収めている。何故気を抜いたかは本人曰く「お淑やかさを忘れてはいけない」とのこと。砂埃を上げながら百メートルを疾走している時点でお淑やかさは置き去りにしたと思うが。


 なんにせよ、そんなこんなで野生の半分を解放しているスノーにとって体育競技は全て朝飯前。代り映えの無い体育授業をオレがずっと観察する意味はないに等しい。


 なのでオレはこの時間は学外へと駆り出している。屋根上を疾走し、あらゆる場所に赴いて聖女達を観察して帰っている。


 「ただいま」


 音もなく飛び降り、身軽さとパルクール技術が衰えていないことを感じつつ、靴箱で上履きに履き替えているスノーに声を掛ける。


 ふわふわした綿毛のような白銀の髪の毛に雪女を想起させるような白い肌。わずかながら朱を帯びているのは血管が通っている証拠だ。汗一つ掻いていないのを見るに、準備運動にすらならなかったのだろう。


 「あ、アストラ。おかえり、今日はどこまで?」


 「あぁ、ちょっと北の方にな・・・・、おや」


 天使のような声音に笑顔がオレを照らす。ガラス細工のような芸術品を思わせるスノーの顔のパーツに癒されながら、今日の収穫を話そうとしたところで、である。


 スノーに隠れて見えなかったが、スノーの隣にあからさまに元気の無くなってる顔が一つあることに気が付いた。


 「エルソーか。どうしたそんな網にひっかかった挙句港に捨てられた魚みたいな顔面晒して・・・」


 「も、もぅ嫌でせぅ・・・。アストラ様ぁ、体育という科目を滅ぼしてくださぁい・・・」


 眼鏡を曇らせ、壊れた加湿器のような声を出すのはスノーの友人であるエルソーだ。こちらは体力がなく、体育の授業の後はいつもオレに泣きついてくる。


 スノーとペアを組まされることもあるのか、その時は物言わぬ屍になるのだ。可哀そうに。


 「次ある時はオレが支えになってやるよ」


 「ありがとうございましゅぅ・・・・はぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・」


 今にも溶けそうな勢いでオレに感謝するとエルソーはふらふらと更衣室へと戻っていった。それを見つけて支えるルノーがこちらに振り返る。ぐっと親指を立てる彼女からは「任せろ」という男気が出ている。

 

 「ルノーっていい奴だな」


 「そうだね。ルーちゃんは強い子だよ。困ってる人が居たら手を差し伸べるから陰ながら人気があるんだ」


 「なるほど分かる」


 ルノーはいわゆる努力型だ。そして社交的かつポジティヴ思考の為、周囲を支えるし、周囲から支えられやすいという点がある。


 「あぁ言うのは自分自身ではどうにもならない危険に遭遇しても、必ず彼女に助けられた仲間が傍に居て力を貸してくれる。勇者みたいな女性だ。スノーも見習え」


 「あれッ!? 友達のこと褒められて嬉しいはずなのになんか今後ろから刺された気分なんだけど!?」


 オレの賞賛にスノーが目を見開いてオレを見る。


 オレの中で聖女と言えばどんな人物像があるかと言えば、ほぼ間違いなくルノーみたいな性格をした女性と答えるだろう。スノーは文武両道の化身みたいで万能すぎるのでこれと言って、人に助けられるような経験はほぼない。なのでスノーにはもっと人助けをしてもらいたいものだ。


 「今の内に人に恩を売っておけよスノー。裏切られることが大半を占めるが、親切心とは違って恩は脅しにも交渉材料にもなる」


 「うわなんか暗いこと言い出したよこの悪魔。悪魔だから正しいけど、アストラが言うと説得力が違い過ぎる・・・」


 スノーが大きなため息を吐いた。何かまずいことを言っただろうか。


 げんなりと肩を落とすスノーにオレは首をかしげることしかできない。スノーはそんなオレを一瞥し、ぺたぺたと更衣室に向かって歩き出す。大理石の床はスノーの後ろ姿をしっかりと映し出しており、流水の音と爽やかな風によってその姿にわずかながらの神聖さを感じていると、


 「――――?」


 「キャ――――――ッッ!!!」


 一瞬誰かの苦痛が耳を打ち、辺りを見回す。その直後、一つ前の靴箱棚から叫び声がオレの鼓膜に叩きつけられた。


 ざわつく周囲にスノーも足を止めて靴箱の方を振り返る。誰しもが声の主へと注意を向ける中、オレは別の違和感を嗅ぎ取った。


 「・・・・似てるな」


 翼の中に入れておいたあるものを取り出す。―――アルから貰ったビー玉だ。


 人の感情を抽出した固形物。普通の人には見えない謎の物質で作られた精霊のご飯。それが放つ存在感が、今オレが感じたものによく似ている。


 不快感はなく、むしろオレの興味をそそらせるもの。猫にマタタビ、否、これはむしろ豚にトリュフと言ったほうが適切だと言える。


 「どうしたの?」


 叫び声に乗じて発生した気配の正体を考えていると、戻ってきたスノーに腰を突かれた。


 「いや、それはオレにも分からんというか、向こうの靴箱だな」


 「見に行く?」

 

 「いやぁ、なんか今の声どっかで聞いたことあるんだが・・・・」


 あまりいい思い出ではなかった気がするので、トラブル回避の為にもオレだけ見学と行くかと考えていた矢先だ。


 再びついさっきの叫びと同じ声で、怒号に近い台詞を吐いた。それに被さるように他の聖女の声もする。


 「誰よ! こんなひどい悪戯・・・!」


 「キャー!! 血が、血が!」


 「画鋲を奥に張り付けるなんて・・・・」


 「サリーさんになんてことを・・・・、許されざる行為ですわ!!」


 声の主は思い出せないが、大方状況は把握できた。


 誰かが聖女の上履きに画鋲を仕込んだのだ。そしてそれに気づかずサリーと呼ばれる聖女が履き、見事引っ掛かったというわけだ。


 「ひとまず医療室に行きましょう!」


 「いったい誰がこんなことを・・・」


 騒然とする周囲をさしひき、靴箱から聖女達が聖女を守るように出ていき、医療室のある方向へと向かって行った。見てわかったが、あいつだ。入学時、スノーをあからさまにのけ者にした金魚のフンの取りまとめ、言わば嫌味系お嬢様筆頭と言ったところか。プライドだけ一軍の烏合の衆は伊達じゃない。


 スノーも見て気づいたらしい。


 サリーと呼ばれる彼女は痛む足に顔を苦痛に歪めてこちらを見やる野次馬達を睨みつける。憐憫の眼差しは彼女にとっては悪意の塊りでしかないというのか。


 改めて性格終わってる奴は価値観も終わってると再確認したこの頃。周囲の聖女はひそひそと何かを噂しだしている。中には念入りに履いた上履きを脱ぎ、中を確かめている人もいる。血塗れた画鋲と被害者の立場の意味はある意味大きかったようだ。


 「いつか起きるだろうなぁとは思っていたが、まさかスノーではない奴が先に罠にかかるとは・・・」


 「え、なんで私?」


 まだまだ精神年齢の低い人間の集う場所だ。意見の食い違う相手を粛正する方法は限られてくる。主に無視という方法は既に執行されており、クラスメイト数人がハブっている。だが、スノーは特段気にした様子もない。


 いじめられている人間が気づいていなければ、その苛烈さは通常のいじめよりも増す傾向にある。


 まだ階段から突き落とされたり箒で叩かれたりはないが、そろそろ陰湿さと加害性が高くなっていくと予測していたところで今回の事件だ。


 やはりというか、なんというか、スノーは何故自分が標的となるのか全く分かっていない様子だった。


 普段関わらないコミュニティから無視されても、これと言って被害が出ないということもあるが、一番大きいのはあからさまでもない限り、ほとんどが天然思考で受け流しているからでもある。


 しかし不思議なこともあるものだ。


 「オレの把握している限りだと、スノー以外でクラスの中では特に浮き出た奴はいない。無視も基本は鈍ちんなスノーが標的だ。やるならスノーだっただろ? ・・・まさか靴箱を間違えたとか。いやあり得ない。靴箱の場所がそもそも違うんだ悪意を以てスノーとは別のやあぶらんちぇッ!!?」


 悪意の裏を読もうと思考していたところ、脇腹にすさまじい激痛が走った。


 不意の一撃に膝から崩れ落ち、奇声と共に地べたに倒れ伏す。視線を向けると、そこには拳を握り、不穏な笑顔を醸し出すスノーがいた。


 「誰が”鈍ちん”ですって?」


 「あ、いえ・・・」


 これでスノーと答えていたらオレの命日は今日になっていただろう。


 追撃がないことを確認しつつゆっくりと立ち上がり、痛む脇腹をさする。スノーはふと笑顔を取りやめ、そそくさとオレに耳打ちする。


 「ねね、しゃがんで」


 「お、おう、なんだ?」


 「あの画鋲取って来てほしいんだけど」


 「あん? もしかして画鋲仕込んだのスノーなのか?」


 それならスノーの名誉の為にも取ってくるかと思ったが、スノーは首を横に振る。


 「そうじゃなくて」と、スノーの腕に力が入り、オレの姿勢を崩しかけさせる。


 生暖かい風が耳たぶを撫で、妙なこそばゆさが耳の奥へと入って行く。もうすでに唇が当たりそうな距離の近さにオレの心音が踊り始める。いったい何を言われるのかとドキドキして―――、


 「もしかしたら、呪いかも」


 「え」


 「前にアストラが教えてくれたじゃん。人の血や髪の毛を使った、長期的な呪術について」


 「―――――。―――あれか。藁人形と丑の刻参り」


 残念に思う気持ちと勝手にうきうきした自分への恥ずかしさ、それらをぐっと噛み締めて、オレはスノーの言う呪術に関する記憶を掘り起こす。


 そして出された結果にオレは思考する。


 藁人形の中に相手の髪の毛を入れるか、はたまたそれに関するものを取り入れる。もしくは顔写真を貼り付けて神社の木に打ち付ける典型的な呪術だ。文化や伝統、周囲への普及に伴ってその形は様々なものに変容したが、その一部はこの世界でも通用するものらしい。


 人の血を媒介に対象に呪いを与える呪術はこの世界においても沢山ある。しかし微量の血で為す術となると途端にその数を減らし、画鋲に付着した量ほどでは藁人形のような時間や他材料が多いものが上がってくる。


 「サリーとかいう、あの親も碌でもなさそうなプライド皇族級の節穴聖女なら誰から怒りを買われても不思議じゃない。それに一般的な聖女で出来る呪術と言えば藁人形のような遠隔でやるものになるな」


 「流石にクラスメイトが死んだら夢見悪いよ。あんまり喋ったことないし、名前も知らないけどね」


 「優しいこった。オレなら放っておくのに」


 少し悩みながら、スノーは懸命に答えを捻りだした。最後に少し困り顔を造りはにかむのを見て、こちらの裁量を求めてきた。


 こちらが断るわけなど、なにのに。


 オレは軽くスノーの頭を撫で、透過して靴箱をすり抜けてその場に無造作に置いて行かれた片方の上履きを見る。乱雑ではあるがハスの花の刺繍が施されており、勝手に上履きに縫い付けたのだろうとその品と常識の無さを窺う。構わず、オレはその中から画鋲をむしり取る。そして再度透過で戻ってきた。


 「取ってきたぞー」


 「うわ、本当だ。・・・しばらく持ってて?」

 

 「もしかしなくても血に触れるのが嫌でオレに取らせたッ!?」


 画鋲の先が赤く色めいているのを見てやや引き気味になるスノーの言葉に、オレは目を剥く。差し出した掌を押し付けられるようにひっこめ、渋々羽の中に一緒に入れた。


 「他にいるものとかあるか?」

 

 「うぅん。ひとまずはこれでいいかな」


 「よし、じゃぁさっさと離れるか。変に野次っても面倒が増えるだけだ」


 「そうだね。・・・・ありがとう」


 「いいってこと。オレも面倒事は避けたいしな」


 お礼を言うスノーを更衣室に送り出した後、オレは少し考え、ひとまずは様子見とすることにした。現段階では情報量が少なく、単なる嫌がらせにしても呪殺にしても、実行犯がまるで分からない。


 「これが事件の未然防止となるか、証拠隠滅と見られるか、どっちにしろ面倒なことに変わりはない」


 未来起こるだろうことに長々とため息を吐く。人の憎悪が入り混じる事件は、オレの中では知らなきゃよかったと言える例の一つとして数えることができる。

 

 「頼むぜ。安らかな人生を送らせてくれよ・・・」


 叶わないであろう、叶ってほしい願いを口ずさみながら、オレは靴箱から離れ、次の授業教室へと足を向かわせた。


 

 

 ☆★☆ ☆★☆ ☆★☆




 面倒なことになった。


 事件と言うまでではないが、確実にそこに発展しそうな面倒ごとだ。


 画鋲入り上履きの事件。それから三日ほど経った。オレもスノーもそのことはほとんど記憶に残っておらず、習慣化したエルソーとの勉強会を開いていた最中である。


 部屋の扉が蹴破るように開かれ、額に汗をにじませたルノーが入ってきた。この時間帯はルノーは商店街の店でバイト中のはずだが、その尋常ではない焦りっぷりからオレは直観的に面倒ごとだと確信した。


 「どうしたのルーちゃん。部屋間違えた?」


 「んなわけねぇだろ。あんな鬼気迫った顔でこっち見てんだから」


 「ルノーさんの部屋は真反対ですから、流石に私達に用があったと思うのが普通ですよ・・・」


 気の抜けたスノーの問いにエルソーが疲れたように補助をする。ついさっきまでオレも会話に参加していたのに、外部者が来ると途端にオレの存在が無視されるようになったことに、一抹の悲しさを覚える。


 それはそうと、ルノーはスノーを見やると息を整え、「ごめんね」と言って部屋の中にあがり、スノーのところにまで近づく。


 「どうしたのルーちゃん?」


 「私の勘違いだったら本当にごめんだし、友達を疑うことはよくないって思ってるんだ。だけど・・・」


 「どうしたんですかルノーさん。何か問題が・・・」


 きょとんと首をかしげるスノーにルノーは一瞬言葉に詰まり、苦虫を噛み潰したように眉を顰める。口を開きかけ、すぐに閉じる。適切な言葉を探しているらしい。


 やがて、ゆっくりと、ぽつりぽつりと言葉を発する。


 「今さっきまで勤務してたんだ。そしたら勤務先の友達から「スノーと付き合うのはやめた方が良い」って・・・」


 「最初は「どうして~」って、軽い感じだったの。でも、他の同級生の友人とか、よく買い物してくれる友人とか、同室の友達からも同じことを言われて・・・」


 「聞いてみたら、みんなほとんど同じことを言ってて、・・・・「スノーちゃんがいじめをしている」とか、「スノーちゃんが嫌な子にいじめをしている」、「スノーちゃんは報復をやりすぎた」、「スノーちゃんは猟奇的」とか、・・・本当にみんなが言ってるの」


 ルノーの交友関係はかなり広く、ほぼ毎日学校終わりはバイトか友人と遊ぶかのどちらかで習慣化しており、友人の数は百を裕に超えている。しかも他クラスだけに飽き足らず他学年にも友人をつくっている。


 基本的に「みんな言ってるよ」の「みんな」は大体がほんの数人程度であり、全体の一割にも満たない。ぶっちゃけ信じるに値しない。事例が少なすぎて研究論文だったら書けないレベルだ。だが、ルノーの言う「みんな」は大量におり、その友人達も別々のコミュニティがある。つまり、十分に参考になるということだ。


 ルノーはゆっくりと深呼吸をし、胸を撫でる。そして、


 「教えてほしいの。スノーは、誰かをいじめたりとか、いじめてなくても画鋲とか入れる悪戯とか、・・・したことないし、しないよね?」


 「――――!」


 ルノーの声でオレの記憶が呼び起された。あの画鋲入り上履き事件のことを。


 まさかとは思うが、サリーが怪我した理由をスノーに押し付けてきたというのか。


 こんなところまで行き届いたデマを流す元凶、あのプライド一軍の腰巾着の横顔を思い出しうんざりする。


 そんなオレの反応に対してスノーは未だにピンと来ていないらしく、


 「嫌な子が居たら、その子の目の前で嫌なところを指摘して、それで手を出すなら正当防衛でぶっ飛ばすよね? わざわざ陰湿な方法をする意味ないじゃん」


 根本は合っているが聖女としては間違っている回答が出てきた。なんだよぶっ飛ばすって。それは最早過剰防衛にしか聞こえないというのに、握りこぶしをつくり突き出すスノーのかわいらしさに思わず苦笑してしまった。


 「アス、あぁいえ。・・・スノーさんは裏からネチネチ攻撃するようには思えませんよね」


 「聖女にしては暴の者過ぎて、「スノーならこんなことしないよな」という信頼感があるのは、オレとしては喜んでいいのか・・・」


 スノーは決して馬鹿でも阿呆でもない。好奇心から危険な道に突っ走る傾向があるが、基本的に頭の回りは良い。しかし未知の問題や感情的な話を前には「押してダメならもっと押せ!」の価値観で行く為、インテリ感は少なめである。


 エルソーの援護射撃にルノーは脱力し、強張った顔を緩める。


 「そうだよね。万一にもあるかもなと思ったけど、スノーならそうだよね・・・」


 「あれ、弁明したはずなのに私に問題があるみたいな顔された!?」


 「これは・・・言及されていたことなので・・・、日ごろの行動を振り返ってみてください」


 「エルちゃんも!? 背中から刺された気分だよ・・・」


 「私が何をしたー!」と目を剥くスノーをちらちらと視界に映しながら、ルノーは指を顎に当ててうむむと唸る。自身に噂を吹き込んだ友人を思い出し、スノーとの共通点を探っているのだろう。だがこれと言ってスノーとの因縁がなかった為、軽く、長いため息を吐いて頭を振る。


 「みんなしてどうして本人に確認とかしないんだろう・・・。スノーは別にみんなが思う程悪い子じゃないのに・・・」


 ぼそっと呟き、形の良い眉を顰める彼女は化粧棚前の椅子を引っ張りそれに座る。


 「それに不思議、ですよね・・・。スノーさんがあまり他人と関わらないのは、そうですが、私もその噂は初めて知りました」


 エルソーがおずおずと手を上げて、こちらをちらりと見ながら言葉遣いを丁寧にしていく。別にかしこまる必要はないのだが、エルソーのこの人見知りは困ったものだ。それはさておき、エルソーのコメントはもっともであった。


 「思えばオレもその噂、聞いたことないなぁ」


 引きこもりスノーとは違って、オレはこれでも外に出るタイプだ。暇があると街中や森の中を歩き回っているオレだが、ルノーの言った噂は今が初めて耳にしたことだ。


 とすれば、噂はかなり最近広まったもので、かつ限定的なものだろう。ルノーの友人から聞いたものだとすれば、情報源の範囲は広いが内容次第である程度までは絞れそうだ。


 「ルノーに警告した奴が又聞きした線もあるが、そいつらの接点。―――共通の友人が発したものである可能性もあるな」


 悪意に塗れた第三者がスノーと実際起きた事件を結び付けて、周囲に流布していると予測できる。


 オレの意見を聞いたエルソーははっとした顔でルノーに問い掛ける。


 「ルノーさんに警告した友人はどうか分からないけど、その人たちの共通の友人か知人で、スノーさん嫌いの人はいますか?」


 「んー、どうかなぁ・・・。みんな基本的に話す内容は服とか流行りとか占いとか、あれが美味しい、これが苦いみたいな。今回みたいな誰かを標的にしたような噂を聞くのは初めてで・・・」


 ルノーの発言をまとめると、つまりはよく分からない。そういうことだ。


 今の今までそういう特定の人物を攻撃して団結力を高めるコミュニティではない。そこは素直に評価できる点だが、今の状況では役立たない。


 「ごめんね?」と笑顔をつくるルノーに「そうだよね」と、再びうむむと唸るエルソー。スノーは特段困ってなさそうだが、周囲に合わせて唸っている。


 いじめにいい思い出はない。社会的生物にあるまじき排除思考の犯罪をマイルドに言い換えているだけだ。そしてその序章たる無視やゴシップの流布は解決が難解だ。しかし放っておくのはまずいだろう。


 そう思い、最悪の事態を避ける戦略を組もうとすると、ぱっと顔を上げて目を開いたルノーがぐっと拳を握る。


 「私、スノーが悪い子じゃないってみんなに言ってくる!」


 「「それは駄目です!!」」


 決心したルノーの発言にエルソーとオレの声が重なる。


 一瞬震えたエルソーがこちらを見るが、オレが「どうぞ」と手を向けると、一息つき、


 「今下手に動き回るべきじゃないです。今、ルノーさんが声を大にしてスノーさんの汚名を晴らそうとしたら、今度はルノーさんが標的になりますよ。信じる人は少なからずいるとは思いますが、人は、根が良い人は少ないですからね・・・」


 「でも・・・」


 「ルーちゃんは良い子だよ。そして人の良心を信じている。でも大半の人は「自分じゃない誰かの黒い噂」が大好きなの」


 「スノーまで・・・」


 二人の意見はルノーとは反対、しかし根本は同じとするものだった。スノーはオレの英才教育故でもあるが、エルソーがここまで悟った人間だとは思ってもみなかった。ともすれば、エルソーの人見知りや臆病は人を信じる事が苦手の裏返し、ということだろうか。


 だがこれでは話は平行線。事態の解決にはまだ遠い。


 なのでここでオレは助け舟を出すことにした。


 「ひとまず、オレが探りを入れてみようと思う。人は人の見えないところで悪い部分が出るからな。エルソーにも少しだけ協力してほしい」


 ルノーには聞こえない、悪魔のささやきをスノーとエルソーに届ける。


 スノーは軽く頷き、エルソーは少し思案気に目を伏せ、ルノーに言う。


 「とりあえず、私が探りを入れてみます。友人を悪く言われて腹が立つのは私も同じですが、無暗に動くと状況は悪化しかねないですからね。スノーさんは、怪しい人を見つけても脅迫したり殴り飛ばさないでください、ね?」


 「・・・・うん、私もできることがあるなら、手伝うから」


 「なんか私だけ念を押されたような言い方!? そんな暴力でねじ伏せようとする人に見える?」


 握った拳を胸に収め頷くルノー、想定外の協力の仕方を求められ驚くスノー、二者二様の反応を見せる。エルソーはそっとオレの方へと視線を向ける。そこには「お願いします」と強い信頼感の片鱗を覗かせていた。


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