13 『眼鏡の奥』
「やぁっと終わったー!」
スノーがそう言ってベッドにダイブする。
整えられたベッドがスノーの形に凹み、あちこちに皺が出来る。それでもスノーは気にしない。必修と専門の科目説明が終わったのは午後の六時ごろ。ストレッサーな先生とおさらばしたスノーの疲れを阻む者はどこにもいない。優しく包み込むベッドはどこまでも寛大なのだ。
「にしても綺麗だな。オレが下宿した寮はこんなものじゃなかったが」
まじまじと指を顎に添えて部屋中を見渡す。
木造建築だが壁にはセメント、壁紙が貼られており、スノーの横たわったベッド以外にもタンスや机、椅子、ランプが常備されている。綺麗さと暖かさを両立した、暖炉のようななつかしさのある寮だ。
オレは思わず羨ましいなと思う。
高校に通っていたころ、オレの住んでいた寮はここまで綺麗ではなく、少なくともゴキブリの数匹は居た。壁にはシミがあったし変に掛けられた絵画の裏には札が貼られていたし窓はアルミホイルが貼られててキラキラしていた。
いったい前の入居者は何を見たのだろうか・・・。
わざわざ曰くつきの部屋を選んだもののあそこまで不健康そうな部屋だとは思わない。少なくともこの部屋くらい小綺麗でもいいと思う。
「スノー、荷物届いてるし片付けないか?」
「えー、疲れてるのにぃー」
「疲れてるやつはベッドでゴロゴロしないし、足をばたつかせない」
「うみゅみゅ・・・、仕方ないや」
ゆっくりと不服そうな顔でスノーが起き上がる。私服がずれているが直そうともしない。
「スノー、肩が出てるぞだらしない」
「・・・やーん、えっち」
「・・・・・」
「いたいけな女の子の柔肌を見ておいてその反応はないでしょその反応は! 真顔! 圧倒的真顔! 恋する乙女を路上の喧嘩みたいなノリで流すな!」
「えぇ・・・」
自ら肩を抱いて上目遣いでこちらを見てくるスノーにいつも通りの反応を返した途端、すさまじい掌返しをくらった。困惑するオレの鼻先に叩きつけられる人差し指。思わずのけぞるとお怒り様子のスノーがベッドの上に立っていた。
「全く、アストラはロマンが分かってないと思うんですよ」
「オレとしてはロマンが分かってないのお前だけどな。とりまベッドに立つな。ロマンの前に常識のない女子は顔なりスタイルなり良くても嫌われるぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
「おや素直」
ついさっきまでの怒りっぷりはどこへやら。借りてきた猫ならぬやらかした後の犬の如くシュンと項垂れる。
それからゆっくりとした所作でベッドから降り、スリッパを履いて床に積み上げられた荷物を開封し始める。たどたどしい指使いだが、本一冊一冊を丁寧に常設の棚に仕舞っていく。
スノーが荷物を片付け始めたのでオレは他に目を向ける。
二人一部屋のこの寮の一室。線対象にしたようにスノーの領域にあるものが真反対の空間にもある。ベッドの横にルームメイトのものだと思われる生徒のものがある辺り、オレが片方のベッドを使うことは出来ないようだ。
「勉強机、共用机、長椅子はいいとして、暖炉と灯りは共有か。人によっては戦争が起きかねないな。スノーは気温の変化に強いから大丈夫だとは思うが」
ここに来る前からスノーの元気っぷりには度々驚かされるものがある。
例えばスノーは気温の変化に強い。蒸気風呂を出て冷水につかっても本人は「涼しいね」で終わらせ、じめじめカビカビした地下室に行った時も「じめってるね」で終わらせる。なんなら真冬に長時間外に出ていられる強靭さもある。
少なくとも、ここの暖炉で喧嘩になることはないだろう。
「どうだスノー、どれくらい終わったんだ?」
「半分くらいかな。衣文掛けない? このワンピ皺つけたくないんだよね」
「ちょっと待ってろ」
ふとスノーの進捗を聞いてみると、ワンピースを数着持ったままタンスを漁るスノーが困った顔で聞いてきた。腕にかけられたワンピーズの中にはオレが推したものも数点ある。
おもむろにクローゼットを開き中を確認すると端の方に衣文掛けがあった。
「あったぞ。てか服を入れるんだからクローゼットにあるのは当たり前じゃね?」
「・・・・あれ? 私が見たときは何もなかったけど」
「そうか? ――――ぁ、これは確かに」
変わった模様だなと思いながら取り出した衣文掛けは透明だった。金属部位はあるがこのずしっとくる重さは間違いなくガラスだろう。
なるほどここまで透明なら光を反射して背景と同化し、見えにくくなるわけだ。
「落とさないように気を付けろよ」
「うん」
スノーに衣文掛けを手渡し、スノーがそれにワンピースを羽織らせる。硝子の衣文掛けにワンピース、色が薄いのも相まってワンピースが独立した意思を持ってクローゼットに収納されていくように見えた。一着を仕舞うとまたトランクの中から別の私服を取り出して衣文掛けにかけて吊るしていく様子を見る。そうしているとふと気になることがあった。
「にしても妙に空気が明るいよな。外はもう夕方だってのに嫌にさっぱりぽかぽかする」
そういうのも、この部屋の雰囲気は異常に明るい。確かに硝子窓から差し込む光は橙色を帯びているのにも関わらず、部屋の中はまるで朝日が昇っているかのような暖かみを感じる。天井に吊るされた灯りだけでは説明がつかないほど、部屋の隅々まで光の色が差し込んでいる。
スノーもそれに気づいたようで顎に手を当てる。
「確かに、暖かいよね。暑くも寒くもない丁度良い温度だし、それなのに不思議と体感は夜とほとんど変わらない」
「―――――それ、この学院全体に張られた魔法の影響、です」
「「―――――ッ!?」」
突然後ろから降りかかった言葉にオレ達の肩が跳ねる。
丁度ドア付近か、後ろを振り向くとそこには一人の少女が少し困った表情で、おずおずと両手を肩の高さまで上げる。
肩までかかった緑がかった白髪に眼鏡をかけている。女性らしい膨らみはスノーほどではないが中々はっきりと分かる。
「え、えと、・・・・そんなに驚かせたら、ごめんなさい。私、一応あなたのルームメイトだと思うから」
「あ、いや! こっちこそごめんね。ルームメイトがまだ来ていなと思ってたけど、あなただったのね。私はスノー=テレジア。あなたは?」
オレがルームメイトの特徴を探している隙にスノーが前に出てルームメイトに詰め寄る。目がとてもキラキラしており、まるで同類を見つけた鴉か雀のように大量の質問を投げかけていく。
「好きな食べ物は? 好きな服装は? 何の選択科目取る? お風呂に入る時はどこから先に洗う? 最近呪いたい相手とか居る? 呪具で付き合うなら何が良い?」
「え、あ、あぅ、えっと、・・・・え、呪具?」
「スノー、待ってやれ。大量の質問で相手の顔が初めて感情を理解したエチゼンクラゲみたいになっている」
目が漫画みたくぐるぐるして「あわあわ」という言葉が出てきそうなルームメイト、それに詰め寄って鼻息荒くするスノーの肩を掴んで注意する。あと「呪具で付き合う」ってなんだ。
引き剥がされ、正気に戻ったスノーがはっとした表情でルームメイトを見る。魂が入ってないオオサンショウウオのような虚無顔をするルームメイトに慌ててスノーが謝罪をした。
「ご、ごめん。友達になれそうだったからつい・・・!」
「うぇっ、だ、大丈夫です! すぐに返事できなかった私の方が・・・。わ、私はエルソー=エルグレンドです。ぜひ、友達に、・・・・いえ! 友達なんて恐れ多い、です!」
「ガーンッ!!」
ルームメイトが名乗り、是非とも友達になろうと言おうとするもすぐに撤回し、ヘドバンする勢いで頭を下げた。その掌返しにスノーがあまりのショックを言葉で表す。
「ど、どうして・・・・!?」
今度はスノーがあわあわしだした。どうやらこの二人、オレの想像以上に似た者同士なのかもしれない。
スノーの縋るような眼にエルソーは苦虫を嚙み潰したような、惜しいともいえる表情を覗かせてその視線をスノーの少し後ろ、オレの方に向ける。
「スノーさんの後ろの、て、天使からとても恐ろしい気配を感じるの、です・・・!!」
語尾が上ずり、悲鳴にも似た声を上げた直後すぐに目を逸らしてしまう。
だが、その台詞以上の衝撃があった。
それはほぼ同時―――、
「「えっ、オレが見えるの!?」」
「・・・・・はいぃ」
スノーとオレの見事なシンクロにエルソーがしがない声で肯定する。その目はオレをちらちらと見ており、己の肩を抱いて小刻みに震えている。別に取って食いはしないのに。
「・・・・エルソーはアストラが怖いの? 私は別になんともないんだけど・・・・」
「はい・・・。とても禍々しくて・・・、すごく威厳のある父親と対面してる感覚になります。スノー様は・・・アストラ様と契約関係にあるのですか?」
「様って、そんな偉い立場じゃないよ。アストラは家に憑いてる天使みたいなのでっ、私が偶然契約しちゃったって感じで・・・でも全然怖くないよ? すごく頼りになるし強いんだよ。あとちょっと変わったところあるし格好いいんだ」
「そうだ。これでも人間性にあふれかえってむしろ人間より人間してるんだぜ。そんな変な威圧感は出してる覚えはないんだが、そんな初対面でメンチ切ったりしないから安心してくれ」
スノーの紹介にあずかり、オレも胸を張って鼻を鳴らす。ジト目でスノーが見てきたがそこは敢えてスルーした。
そんな熟年夫婦のようなやり取りにエルソーは目を丸くして、
「人の言葉を喋ってる・・・・!」
オレの声が聞こえていることを暴露した。
「「・・・・・・」」
「・・・・・・」
静まり返る部屋の中、暖かく明るい空気管とは裏腹に沈黙が貫かれている。想定もしていない事態に思わず皆一様として口を噤み、次に発するべき言葉を探している。
数秒が長く感じられた、その逃げ出したい空気感を破ったのはエルソーからだった。
「ご、ごめんなさい! アストラ様は人ではないのに人語を喋れるのはとても珍しくて、・・・いえ、決して馬鹿にしているわけではありません! ただちょっと私達の想定よりずっと早かったというだけで・・・!!」
「いやいや、謝る必要はないって! そんな今にも死にそうな、追い詰められた顔する必要はない・・・。あとオレ格高いっつても自覚はねぇから様つける必要もない。気軽に”アストラ”って呼んでくれや」
「それはいくら何でも不敬過ぎます! せめて様を付けないと一族と私が許せません!」
「そんなに!!?」
ついさっきまでの生まれたての子馬みたいな震え具合から一変し、突き抜けるような真剣さに思わずこちらの身が引き締まる。
どうやらこのエルソーの一族は揃いもそろって天使に対して並々ならぬ信仰心があるようだ。
エルソーはぐっと握りこぶしをつくり、オレに「アストラ様!」とまっすぐな瞳を向けてくる。見た目が十分悪魔寄りのオレでさえ信仰心ゆえの狂気は怖すぎると引き気味な中、スノーはうんうんと唸りながら考え事をしているようだった。
「どったよスノー、なんか悩み事でも出来たのか?」
「え、あー、まー、うん」
要領を得ない返事に「とりま話してみそ」とオレはスノーに発言を促す。スノーは軽く頷き、エルソーを見やると、
「同じ黄色名札ってことは私と同じでロイス先生の組織番付受けたと思うんだけど、みんな天使が見えていたってことはアストラだって見えてたと思うんだけど、なんでエルソーさんだけ見えてるの?」
「―――――」
おそらくオレとその他の天使や人間、その差異の根源を問うた。
エルソーは一瞬、目を伏せたかと思うと「うんん・・・」と悩んで見せる。やがてゆっくりと口を開き、言葉を選びながら回答する。
「・・・断言はできないけど、生まれながらの資質が関係あるのかも、しれない」
「でも他の人が召喚した天使もアストラは見えてなかったっぽいんだよね」
「うん、だから天縁だけが関係あるとも説明がつかない。多分、私の個人的な想像でしかないけど、経験とかじゃないかなって思うの」
「経験?」
エルソーの仮説にスノーが首を傾ける。
「これは一族の代々語り継がれてることなんだけど、格の高い天使でもあまりに格が高すぎると、天使と契約関係にある人でも意思疎通したり見ることは出来ない。見ることが出来ない天使の強さはまさに別次元で、それを見るためには人もまた別次元に至るほどの経験をしなければならないって。あくまでも一説に過ぎないから全部本当だとは断じれないけど、アストラ様は文字通り別次元の存在で、スノー様もアストラ様を見れるほどには別次元の領域に足を踏み入れているのではないかなぁと思うの」
「エルソーさんも見れるってことはエルソーさんもその領域に居るってことでしょ?」
「いえ、私はスノー様と違って見たり言葉を交わすことは出来てもアストラ様の雰囲気には拒絶感がありますし、目を合わせようとすると心身がぎゅっと締め潰されるような感覚が・・・」
「そうはっきりと拒絶されると申し訳なさとオレの心にダメージが・・・」
何も告白を振られたわけでもないが胸の奥がじくりと痛む。だがエルソーの考えを聞き、ある程度オレの中では確信を得た。
エルソーの一族がどういう研究をしてきたのかとかはこの際置いておき、単純な力の差で見えないのではなく、経験の差と言えば今までのことにも納得がいく。
しかしどんな経験を積めば見えるようになるのか、それはまだ分からない。
「アストラ様ほどのお方となると相当の経験を積んできた人、もしくは―――」
「もしくは?」
エルソーが顎に指をあてて考え込み、スノーが同調する。しかしエルソーは「いいえ」と首を横に振っただけで回答を終わらせた。
「少なくとも私の一族が少し突飛なので見えているというだけで、先生や他生徒にはアストラ様の姿は見えないでしょう。・・・天縁でどうにでもなる次元じゃありませんから」
最後の言葉だけいやにはっきりと強調させて、自嘲的な笑みを浮かべるエルソー。ただの小心者と天使に対する狂気的信者というだけではないようだ。
「んんっ、まぁエルソーの言ったことは何となくわかった。でもやっぱ様付けは慣れねぇわ。アストラ呼びは駄目か?」
「―――――アストラ様」
「分かりました分かりました! だからそんな怖い視線を向けるな!」
すっと細められた目、その口元がほんのりと笑う。少しの沈黙ののちに浴びせられた「アストラ様」呼びは、「同じことを二度言わせるな」という強い意思と断固たる敬称付けの遂行が込められており、流石にオレもその圧に押されてしまった。
「じゃ、じゃぁスノーはどうだ? スノーなら別に様を付ける必要はないだろ」
「アストラ様の契約者様を呼び捨てに・・・!? そんなの許されませんよ!」
「オレは許す。スノーはどうだ?」
会話の外に置かれかけているスノーに話題を無理くり変え、彼女を無理やり話の中心に追いやる。スノーも「私!?」と驚いており、
「私は、まぁうん、スノーちゃんでもいいかな。でも友達にはなれないんでしょ。ごめんね、うちのアストラが怖がらせちゃって・・・」
「なんか言い方に悪意がないですかね? 知らんオーラを勝手にかぎ取って怖い言われてもオレとしてはどうしようもないわけで・・・」
がっくりと肩を落として答えるスノーに頭を掻いて弁明する。
「いえ! あ、あの、別に謝られることではなくて、わ、私が耐性をちゃんとつけていないというのも一要因だから! 別に友達になるのを拒絶してる、わけじゃ・・・」
それに対してエルソーはというと、何を勘違いしたのかわたわたと手を振ってスノーの謝罪に訂正を入れようと口をパクパクさせていた。初対面の時の小心者臆病者モードだ。
エルソーの発言に今度はスノーが食いつく。
「じゃぁ友達になってくれるってこと!!?」
「ひゃぁ! い、いえ、あの、えと、確かにアストラ様は怖いですが、本人はその気もなく私の考えすぎというのもあるけどっ、えと、・・・・・ちょっと考えさせてください」
「それはもう友達でいいのでは?」
朱に染まった頬を隠すように目線を逸らすエルソー。スノーの顔面が迫っているのに逃げながら、しかし友達になること自体にそこまでの遺憾はないようであからさまにスノーの抱擁を避けようという気は見られない。
思わず口から出た言葉だったが、それほどまでにエルソーはたどたどしく女々しかった。
抱擁を離さないスノーはエルソーの答えを聞いていないのか、ずずいと更に前目のりになる。エルソーとお互いの息がかかりそうになるまで接近し、お互いの弾むふくらみが圧迫されている。眼福だ。
「じゃぁじゃぁ、これからはエルって呼んでいい? 私のこともスノーでもスーでも何とでも呼んでくれていいから!」
「もうすでに友達扱い!?」
「よろしくねエル!」
「まだ了承してないのに!?」
あまりの距離の詰め方、否、距離感が少しバグっている為人とのアプローチの仕方が分からないスノーの提案にエルソーが驚愕する。眼鏡割れそうな勢いでいやいやいや!と手を振っている。
「スーなんて恐れ多いです! あ、アストラ様に消されてしまいますぃ!」
「慌てすぎて噛んでるじゃねぇか。あと別に許容範囲だから消しはしないって」
盛大に舌を噛み、痛そうに舌を出すエルソーは涙目になりながらスノーの方を見やる。
「スーちゃんと呼んでも、か、かかか、構いましぇんか?」
「そんな猛禽類を見るウサギみたいな声出して・・・、別に良いよ。スーちゃんね、スーちゃん、スーちゃん・・・」
自身を読んだあだ名を反芻し、何か満足げに微笑む。そしてにんまりと笑うと、
「じゃぁ改めてよろしくねエル!」
「ひゃぁぁぁぁ――――! だ、抱き着く必要は、あ、あああ、あるんですかぁっ!?」
少女エルソーへの抱擁、その腕に更なる力を込めてスノーがエルソーの肩に顎を乗せる。叫ぶエルソーは顔を赤くし、わたわたとその友情のハグから抜け出そうと両腕を動かす。
そんな微笑ましい空間にオレはふっと目を細めて天井を仰ぐ。
「友達作りか・・・、転生して猶更、人との溝は広がったなぁ」
一瞬、目から何かがこぼれそうになったがなんとか持ちこたえた。




