11 『未契約聖女』
最初に聞いたのは弾けた音だった。
シャボン玉が割れる音にマイクを当てたような崩れるように割れる音。
「あ、れ・・・?」
光の裂ける轟音も押しつぶす風の奔流も訪れない。
女教師の腑抜けた声が響き渡るも、球体の中には何も残されていなかった。
「契約、不履行・・・」
ぼそっと呟く女教師の手に握られた謎の装置。円形の石に浮かび上がった数値は『0』だった。どうやらあの石板が天使のランクを計るためのものらしい。それが今『0』と表示しているということは、だ。
「天使が契約を結ぶことを拒否して、帰ったことになるわ・・・」
「だ、大丈夫ですか?」
「五月蠅いッ!」
「!」
わなわなと震え、かたで息をする女教師に誰かが声を掛ける。しかしそれは怒声によってかき消された。
女教師はギリギリと歯を食いしばり、手元の石板を握りつぶさんとするほどに力を込める。
「もう一度、やりなさい」
「え?」
「もう一度、今さっき言った通りに天使契約の呪文を唱えて儀式を遂行させなさい。今さっきのが幻じゃないのなら今度こそ天使は契約に応じるはず」
「は、はい・・・」
いったい何にキレているのか判別もつかないが、教師の命令で再びスノーが祭壇に向き直る。目を閉じて深呼吸を繰り返すスノーにオレは警告する。
「おいスノー、あの教師ちょっとおかしいぞ。無理はするなよ」
「大丈夫だよ。無理そうだったらまた守って」
こちらに視線を向けて微笑み、また目を伏せる。そしてまた呪文を繰り返し唱えた。
「我は聖なる遺志を継ぎ、尚純潔を保つ救世の信徒にあり。此度の試練を乗り越え、そして再び世界を跨ぐ邪崇を退ける故、我の足に一足の草鞋を求めん」
完璧なまでの暗唱にオレはおぉ、と感嘆の声を漏らす。教師の異常さから来る理不尽に真っ向から対峙しているスノーに芯の強さを見たのだ。
「オレだったら絶対に暗記出来ねぇ・・・」
少なくとも反復練習したくなる。
呪文を唱え終わり、ひたすらに両手を握り祈りを捧げるスノー。しかし今度はたらいの水面すらも揺らがず、今さっき見せた光と風の球体も現れなかった。
「無理ね・・・」
これは無理じゃね?、と思った誰よりも早く匙を投げたのは女教師であった。
苛々が募っているのかかかとを踏みながら頭に手を当てる姿には怒りすら感じた。人にやらせておいて勝手に失望するとは何たることか。教師であればもっと選ぶ言葉もあっただろうに。
「出ないね・・・」
力を抜き、祈りを捧げるのをやめたスノーが困り顔で語りかけてくる。オレはその頭をゆっくりと撫でて女教師の方を向く。舌打ちとため息が入り混じり、嫌悪感が溢れる教師はスノーをじろりと睨みつける。
「こんな屈辱、初めてだわ」
「いったい何に屈辱を感じるのか」
ギリッと奥歯を噛み締め、女教師がスノーの瞳を見据える。その目つきは親を殺された憎しみに近しいものがあった。
「あ、あの・・・先生・・・」
「はぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・、もういい。スノー=テレジア。あなたの組織番付はこれで終わりです。今さっきの計測もおそらく事故でしょう」
「どういうことですか・・・?」
「何度も説明させないでください。あなたはあらゆる天使から致命的に避けられる素養があるのです。天使の誰ともあなたと契約することを拒んでいるのです。つまるところ聖女にとことん向いていないのです」
「そ、そんな・・・」
「聖女でなければ魔法を使うことは出来ないので、早々に退学届けを出した方が賢明でしょう。それに私の面子が丸つぶれですからこういう生徒は持たない方が幸せです」
「貴様、スノーになんつぅ口の利き方を! 教師何年目だ。仮にも一生徒に掛ける言葉だぞ――――!!」
ふっと脳が湧き、右腕が殺意ある拳へと変容する。目の前の教師の形を成した愚人の脳を見てやろうとありったけの力を込めてその腕を振るおうとして、――止められた。
掴まれたのは左腕。掴んだのはスノーだった。
「やめて」と暗にスノーの掴む左手に力が入る。
沸騰した脳が急速に冷めていき、腕も落ち着きを取り戻した。振り上げた腕を下ろし、舌打ち交じりに教師を睨みつける。それが意味のないことだと分かっているが。
「はぁ、全くとんだ茶番です。スノー=テレジア。あなたはもう下がりなさい。次、エルソー=エルグレンド」
「でも契約は・・・」
「何度も言わせるな! あなたの組織番付は今後二度と行いません。これで話は終わりです」
「・・・・・」
スノーは応答せず、そのまま他の新入生の中へと戻っていく。しかし他の新入生はスノーを避けてひそひそと喋り、教師に反論する生徒は一人も出てこなかった。
すれ違いに祭壇に向かう新入生もちらちらと不安そうにスノーを見つめている。
「これだから学校はクソなんだ。スノー、オレは君の意向に付いていくぞ」
「うん、ありがとうアストラ」
部屋の壁に寄りかかり、疲労で腫れた目を虚空に向ける。
「正直、アストラと契約してるから天使と契約できないとかは覚悟できてたんだ。でも、あぁいう風になじられて貶されるとは思って無くて・・・、ごめん。アストラの言うこと、もっとちゃんと聞いておけばよかった」
「いや、あれは教師が異常なだけだ。何に拘ってるのかは分かりかねるがスノーの責任じゃない。絶対に」
多くなったひそひそ声の中、スノーの声だけが良く聞こえた。まるでぽっかりと空いた空洞に響く音のように、それだけはっきりと。
新入生が天使を召喚するたびに聞こえる歓声もついさっきと比べて小さくなり、代わりに自分達と違う人間に対する猜疑の声が大きくなっている。
しだいに天使と契約していない新入生が減り始め、ついにスノー以外契約者となった。
「はい、君ら注目――!」
女教師が声を上げて祭壇の前に立つ。
「これであなた達の組織番付は終了となります。これから君らは生徒として、そして未来を担う一聖女として今後この学校で学んで貰います。しかし授業は選択と必修があるので気を付けて取り組みなさい。・・・・・・・・・返事はッ!?」
「「「「は、はい!!」」」」
テキパキと喋る教師だったが、ふいにまた眉をひそめて怒声を響かせる。それに遅れてほとんどの聖女が声を上げた。
「次の時間までに学校の体育館側に集合しなさい。体育館はこの教会をまっすぐ通り抜けた先にあるので気をつけるように。質問や意見は認めていないので各自自分で行動しなさい。それでは、解散」
パンパンと手を叩き、聖女達を置いて祭壇の片付けに入り始める。
その身からあふれ出る話しかけるなオーラに聖女達は困惑しながらも、一人、また一人と部屋を出ていく。天使も主人について行っているのを見るにまだ完全に使役できている状態ではないらしい。
「スノー・・・」
「うん。あの先生じゃ役不足すぎるし、変に怒りを買うべきじゃないよね。分かってる。行こう」
たそがれているスノーに声を掛けると、スノーは何回か頷いた後他の聖女と同じように部屋を出る。
最初の最初で思い切り躓く。これが本人の資質ではなく、悪意ある第三者、それも中途半端に声が通る存在からの罠であればその伝播性も影響力も規模が違う。
本来あり得るべきではないことが、起きてしまったのだ。
☆★☆ ☆★☆ ☆★☆
体育館にはすでに数百人の聖女と数百の天使が居た。もう少し放牧とした光景が見れると思ったが、契約者と天使は縄でつながれたように天使は主人から離れない。
これもこういう魔法なのだろうかと思いながら、オレ達は黄色札の列の最後尾に並んだ。
「ちょっと後ろに来た子って・・・」
「先生に怒られていた人ですわ」
「目線を合わせては駄目よ。呪われるわ」
ひそひそと声が聞こえる。しかし音量が低すぎるのかスノーには聞こえていないようで「?」という表情をしている。
しかし「呪われる」なんてどこから来た情報なのか。ほんの数分ではあるが、人の悪い噂には尾ひれ羽ひれつく速度が速すぎではなかろうか。
ちらりと周囲を見渡すとやはりというかなんというか、少なくとも後列の他のクラスはスノーの現状を疑問視する視線や会話が聞こえてきた。
「あの子天使いなくない?」
「本当だ。どうしたんだろ」
「遅れてきたとか?」
こそこそと聞こえていないと思っているのか、小さめではあるがオレの耳にはしっかり届く声量でスノーへの話題が持ち上がっている。非常に不愉快な気分になる。
その上更に不快なものまで現れた。
堂々とした姿見で体育館の扉から入ってきたのは今さっきの女教師だった。その教師はすぐさま近くの先生に話しかける。
「メロルロ先生、少し遅れてしまい申し訳ありません」
「おや、ロイス先生じゃないか。大丈夫ですよ、まだ始業式まで十分あります。それにしてもあなたの組は素晴らしいですね。皆自主的に体育館に来て並んでいる」
「ありがとうございます! ですが私もまだまだです」
「そんなことはないよ。勤めて早二年で星冠組を任されているんだから。その分有能な教師ということさ。近い内に主任にも成れるんじゃないかって他の先生の間では有名な話だよ」
「そんな恐れ多い・・・経験不足ですからまだまだですよ・・・」
ぺこぺこと感謝を述べる教師、ロイス先生というらしい。かなりの有能若手教師だともてはやされているが、ついさっきのスノーに投げかけた言葉をこいつらに聞かせてやりたくなる。
「ボイレコがないのが悔やまれる・・・。あのゴミの化けの皮剥がして唐辛子擦りつけてやりたい・・・」
口の端から笑みがこぼれているロイスは「それでは」と一言おいてその場からそそくさと離れる。去る時こころなしかスキップしていたように見えたのはもしかしたら見間違いではないのかもしれない。
それにしても、だ。
「スノー、星冠組って何よ?」
「クラス名だよ。秋学期から学力や魔法の出来とか過去に取った賞から優秀な生徒を選出して一つのクラスにするって感じ」
「詰まるところ特別進学クラスってことか。・・・・・・・・・・・・それで大丈夫か、あの教師。とても教師の器じゃなかったぞ」
あんなのに教育される聖女が可哀そうでしかないが、むしろそれゆえの傲慢さから来るのかもしれない。
「変に偉くなると天狗になるやつ居るけど教師がそうなるかね・・・・」
周囲の人の支え故にその立ち位置を確立したわけでもないのに、すべて自分の身の力によって成しえたと勘違いし、それ以外の全てを見下すようになる。そう思うと幾分か納得できる言動だ。それでもスノーへの扱いは納得できんが。
「スノーは天狗にはなるなよ。あんなのイタイだけだから」
「アストラがお母さんが言いそうなことを言ってる・・・ゴロゴロゴロ・・・・」
「喉元じゃないのに鳴くとは・・・」
少ししゃがみ、目線を合わせてスノーの頭を撫でて言い聞かせる。反応はどうにも保護者を見る目線だったが、撫でられることに関しては全く拒否反応を示さない。それどころか猫のように鳴く始末だ。どこからその声が出るのか知りたい気分である。
そうこうしてスノーキャットを可愛がっていると、ふと体育館の教壇から歩く音が聞こえた。スニーカーにしては高い音を出す靴を履いたその人は他の教師と同じく白い白衣を着ており、しかしその白衣から分かるほど浮き彫りになった胸筋が踊ってる。
黒色の入った茶髪を後ろで結びつつもオールバックほど額を出していない、垂れた前髪が年季の入った皺の深い顔をさらに印象強くさせる。
「だれだ」と思う前に、その男性教師は教壇に置かれた机を両手で叩いた。
鈍い電撃が走ったように空気が痺れ、雑然としていた人の声は一瞬でかき消された。
注目が教師に集まる。
「――ゴホンッ、あーあー、聞こえてるか? よし、大丈夫そうだな。こんにちは一年生。俺はスクラウト、この一年の主任教師を務める者だ」
スクラウト、そう名乗る教師はロイスとは違い親しみやすい印象を持つ。しかしどこか気だるげでやる気のなさそうな声音だ。例えるなら疲れた限界バイト生の出す声か、五徹して脳が疲弊している社畜の鳴き声だろうか。
「死んだ獣みたいな声だな」
「死んだ獣が声出しちゃダメでしょ」
冷静なスノーの突っ込みだが、本当にそうとしか思えない。某有名血狂い狩人の敵に出てきそうな、もしくは精神病院を徘徊する化け物のような声音なのだ。
・・・大丈夫なのだろうか。
大丈夫じゃない気がする。というか職場環境から知り過ぎるまである。
「どこまで自分を追い詰めたらあんなゾンビ一歩先みたいな音が肺から出てるんだ・・・」
主任教師ということはそれ相応の責任が付きまとう。若く見えるにも関わらずあそこまで疲れた姿勢を見せる彼にはどうかしっかり休んでほしいと思う。
初見にしてオレから同情と憐れみを感じさせるスクラウトは後頭部を掻き、
「本当はこういう挨拶は校長とか教頭がやるんだが、はぁ・・・。春の匂いを感じさせる季節の風と共に~とかは省くぞ。端的に言うぞ。―――入学おめでとう、諸君。個々の個性を最大限天使と共に生かして立派な聖女になってほしい。何か困りごとがあれば担当教師か俺に相談してくれ。俺は男だから分からん事も多いが善処しよう。成績がいいと秋学期からは別クラスに移転するから頑張れ。部活とか生徒主体の組織とかあるから適当に入ってくれ。この入学式が終わると必修科目と選択科目の説明を受けることになるから移動に遅れないように。――以上だ。担当の先生方、後はよろしく」
おそらく本来言うことだったろう十数枚の台本にサッとを目を通しながらスクラウトは説明をばっさりと終わらせる。
「て、適当だ・・・」
あまりの入学式終了の早さにスノーが呆気にとられる。スクラウトは軽く一礼した後、踵をかえして壇上から離れ、裏へと消えていった。
「なんか、軒並み細かく説明してくれる奴いなさすぎんか?」
少なくとも真面な情報を貰った記憶はない。ロイスといいスクラウトといい、何かに切羽詰まっていると言わんばかりに言うことが少なすぎる。ロイスはちょっと方向が違うと思うが。
そうして壇上が閉幕すると、同時に壁に寄りかかっていた先生達がぞくぞくと動き出した。
「青札の人――、早速ついてきてくださぁーい!」
「赤札の組。これから必修科目の授業説明をする為、担当教室へ向かう。講義棟は内部が複雑だからはぐれないように」
「黒組、私達は先に選択科目の教室に行く。他の組に間違えてついて行かないように」
それぞれがそれぞれの組に指示を出し、ついてくるよう言って歩き出す。
「黄色札の人ついてきなさい」
そしてこちら黄色組に来たのはにっくきゴミ教師、ロイスだった。
ロイスはこちらを一瞥すらせず、淡々と語り踵を返して体育館出口へと向かう。列の奥に居る生徒は何がなんだか分からないまま、他の黄色組生徒に流されるようについていく。
「大丈夫かこの教師・・・、いや大丈夫じゃねぇなこの教師」
口の中で呟いただけで全体に情報が回ったとでも思っているのかこの教師。皆が皆オレのように耳がいいわけじゃないのに。
空から鉄骨落ちてロイスに当たらねぇかなと考えながら、オレはスノーと共に体育館を出た。




