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第4話 現場検証

 四


 大学の裏門からすぐの雑木林。

 真夏には、けたたましく鳴いていたせみは消え、今はひっそりと不気味な静寂を伴っている。

 ビニール傘で視界はひらけているとはいえ、周囲は明るいとは言い難く、日没まで二時間近くも猶予ゆうよがあるとは到底思えない薄暗さだった。


 眼前には鬱蒼うっそうと茂る常緑樹。プラス、白いフリルの傘を持つスリーピースの男、天神。がっしりとした体躯たいくの彼は楽しそうに上を見上げて、細長い葉に触れている。

 依頼内容を聞き終えた俺たちは、藤枝が何かを見たというところに来ていた。


「おまえ、よくその中に入っていけるな……」

「観察と検分は、基本だからね。それよりも、早川。君は、いつまでそこにいるつもりなのかい?」

「……ここから見える景色も重要だろう?」


 舌打ちしそうになるのを抑え、顔を横に向けた。

 不本意ながら、依頼人に『天神の相棒』として飲み物をおごられてしまった手前、帰るとも言い難く。されども、入らない理由を答えたくもない俺は、もっともらしい言い訳で誤魔化ごまかす。


「たしかに、僕の身長では彼女の視界を知ることは出来ない」

「バカにしてるのか?」

「まさか! 事実を述べたまでさ」


 無実だと言わんばかりに、天神は両手を肩まで上げる。そのさまに、俺は追い打ちを掛けられた気持ちになった。


 事実。

 天神の言うとおり、それは純然たる事実だった。


 立ち上がった藤枝穂乃香は、驚くべきことに、俺とそんなに目線が変わらなかった。

 彼女が五センチメートル以上ものヒールのある靴を履いていたことは留意りゅういすべき点ではあるが、それを差し引いても、彼女の身長は女の平均よりもやや高かった。


「そこからは何が見えるのか、教えてもらえるかい?」

「木と雑草」


 つっけんどんな言い方になるのは、致し方ないと思う。


「どうやら、僕の聞き方が悪かったようだ。訂正しよう。樹木のどの辺が見えるかい?」

「どの辺って。その幹の、」

「早川。見てのとおり、樹木は沢山あってね。僕にはどの幹か分からないのだよ。出来れば、こちらに来て、教えてくれると有り難いのだけれど」


 うやうやしく頭を軽く下げて、男は微笑む。謙虚な要望の体を取った、うるわしき誘導。自分のあやまちに気が付いた頃には、もう遅く。

 ヘーゼルアイが真っ直ぐに俺を捕らえる。

 絡め取られるような視線から逃れたくて、俺は目をらした。


「そっちに行けば良いんだろ、行けば」

「お化けは見当たらないから、安心したまえ」

「別に、幽霊が怖いわけじゃない」

「おや、そうなのかい?」

「……虫が苦手なんだよ」


 嘘ではない。虫も苦手だ。嫌いだと言っても過言ではない。「男なのに」と妹からは揶揄やゆされるが、苦手なものに性別は関係ないというのが俺の持論だ。


 境界線にも見える、ひび割れたアスファルトを超えて、ちょんちょんと生える雑草を踏む。植物だとしても、生き物を踏むのはただでさえ抵抗があるというのに、柔らかく不安定な足場。べちょっと濡れる感触に、平静は簡単に揺らいだ。

 唯一癒されるのは、かくれんぼするようにコロコロと転がっている、どんぐりのみ。


「ようこそ、こちら側へ。さて、どの辺りが見えたのか、教えてもらえるかな?」

「やめろ、変な言い方をするな」


 天神を無視して、俺は上下左右、ぐるりと首を回す。

 枝と枝がぶつかるのではないかと思うほどに、密に植えられた木々。ツヤツヤとした細長い葉は一様に垂れ下がり、濡れている。

 やや歪に生える幹は所々が深緑に染まる。ゴツゴツと固そうなのに、細かな擦り傷のようなものが数多く横方向に波打っていた。


 俺は先程までいた自分の位置を確認し、こぶのある一本の樹木を指さす。


「裏門からだと、この瘤がよく見えた」

「ふむ」


 天神が近くに寄り、そっと幹に触れる。優しく撫でる手つきは、いつくしんでいるようにも見えた。

 瘤のある幹の周りを一周すると、彼は近くの木にも手を当てていく。一本ずつ、一本ずつ。まるで医者が患者をるように、慎重で丁寧に。

 その動きが突如として、ピタリと止まった。


「天神?」


 返答はない。

 彼はジャケットの裾が汚れるのもいとわず、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

 木の根元に、なにかあるのだろうか。

 だが、天神の白傘が邪魔で見えない。


 仕方なく回り込んで見ると、火傷のように痛々しい傷を負った樹木の表面が目に飛び込んできた。近くには、やけに色の濃い細かな鰹節かつおぶしに似たものも落ちている。


「これはなんだ? 鰹節、のわけがないよな?」

「おがくずではないかな」

「おがくず? 木を削ったときに出来るやつか?」

「そうだね」

「なんで、こんなところに?」


 俺の疑問を無視して、天神の人差し指が俺の膝下約十センチ、地面から三十センチメートル辺りに伸びる。


「見たまえ、早川」


 示されたのは、幹に出来た穴。直径は、おおよそ二センチメートルくらいだろうか。それが三カ所ほど、冬の大三角形の如く点在していた。


「誰かが、この木に細工でもしたのか? もしかして、藤枝さんはそれを見ていた?」

「いや、彼女は誰も居なかったと言っていた。もしも君の仮説が正しいとすれば、狐の窓に関係なく、人間を見たとは思わないかい?」

「それもそうだな」

「もっとも、それが人間以外の行為によるもの。たとえば魔のものだとすれば、話は別だけれどもね」


 にこりと笑う天神は狐の窓を作って見せる。俺は間違っても、その窓を覗かないように顔を背けた。


「一体誰が、なんのために、こんな穴を」

「さあね」


 天神は歌うように相槌あいづちを打つ。

 その顔は楽しそうで、けれども、どこか悲しそうで。

 おもむろに、ジャケットの内側に手を突っ込んだ男は、少し変わった形状のペンケースを取り出した。

 牛革製か。ワインレッドのそれは、艶があるのにくったりとしていて、男の手によく馴染なじんでいる。


「ペンケースか? 良いな」

「ありがとう。祖母からの贈り物でね、ツールロールというのさ」


 クルクルと紐を解けば、ボールペンや銀に光るピンセット、小さなルーペにチャックの付いたビニール小袋などなど。

 何に使うのか、一目見ただけでは分からないものたちが、整然と収められていた。


「何をするんだ?」

「気になったものは、収集する性分でね」


 ピンセットと小袋に、天神はおがくずを摘まんで丁寧に入れていく。別の袋には、どんぐりを。六本ほどの横筋模様の入った帽子を被った木の実は、ピカピカと光って、どこか憧憬どうけいを誘う。


「綺麗だな」

「全くもって同感だよ。本当に、生き物とは素晴らしい。言語を持つ、持たないに関わらず、彼らは彼らの『普通』を知っている。そうして、新しい命を得て繋いでいく。なんて美しくて、かなしいのだろう」


 袋に入ったどんぐりを手に、あがめるように天を仰ぐ男。その姿は異様としか言い様がないというのに。どうしてか、少しだけ羨ましいと思った。


「……なんか、良いな」


 ぽつりとこぼれた言葉は雨と流れ、幸いにも天神の耳には届かなかったらしい。

 陽光は見えずとも、太陽高度は着々と落ちる。『秋の日はつるべ落とし』とは、まさしくこのこと。


「もう暗くなるぞ。まだ検分するのか?」

「いいや、ここは十分だよ。ああでも、写真は撮っておきたいかな」


 ジャケットからスマートフォンを取り出した天神は、不器用そうにいじくり、木の幹に向ける。相変わらず、ケースも何もない裸体。パシャッと何度か、ランダムに音が鳴る。


「撮れたか?」

「うーん……」

「どうしたんだよ」


 珍しく、眉尻を下げた表情。

 手元を覗き込んでみれば、酷くブレた写真が見えた。


「どうにも僕は、こういう未来のものとは相性が悪いようでね」


 未来じゃなくて、現実だ。と、言いそうになって飲み込む。しかし、二十一世紀になって、十数年は経っているというのに、驚きの反応。手ぶれ補正が付いて、この有様では、技術者も報われないだろう。


「俺が撮ろうか?」

「ぜひ、お願いしたい! 穴以外にも、おかくずのある場所も撮影してもらえるかい?」


 にこにこと手渡された黒い機体は、相変わらずノーロック。危機管理がまるでない。暗証番号の入れ方を教えたほうが良いのだろうか。そんな余計な老婆心ろうばしんが顔を出しそうになる。

 幹に向かって照準を合わせて、明るさを調整。ボタンを押せば、それなりの写真が画面に収まる。


「ほら、撮れたぞ」

「ありがとう、早川!」


 満足そうに、写真を確認する天神は思い出したように言葉を続けた。


「ああ、そうだ。君のご友人に、今からレトロ・アヴェに来てもらえるか、連絡してもらえないだろうか?」

「今から?」

「彼は今日の夕方までは、暇だと言っていただろう?」


 俺の答えも俺自身をも置き去りに、天神は足取り軽く歩道へ出る。こんなところに取り残されるなんてまっぴらな俺は、慌てて天神の後を追う。


 踏みしめる歩道のアスファルトは固い。現実に戻ってきたようで、安心する。

 雨がビニール傘を濡らす音は、メトロノーム。

 平静を取り戻すのには、丁度良かった。

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