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第3話 藤枝穂乃果の依頼

   三


「初めまして。私は、人文じんぶん学部心理学科二年の藤枝ふじえだ穂乃香ほのかと申します。この度は、貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます。天神さんは、優秀な探偵とお伺いしております。どうぞよろしくお願い申し上げます」


 落ち着いた、透明感のある声。

 異様なまでに堅苦しい文言とともに、丁重に頭を下げて微笑む彼女に、天神は自分の左胸に右手を当てて快活に応えた。


「僕は人文学部二年の天神一という。そして、彼は早川だ!」

「……理工学部二年の早川翔太です。よろしくお願いします」


 俺はペコリとお辞儀をして、使い慣れた笑みを浮かべる。初対面の相手が敬語だと、ついつられて敬語になってしまう。癖とはなかなか抜けないものだ。


「あの失礼ですが、早川さんは……」


 微笑んだまま、彼女は口ごもる。

 どうして、呼んでもいない人間がここにいるのか、不思議なのだろう。藤枝の細い首がわずかに傾き、はらりと髪が揺れた。


 ごもっともな反応だ。

 だが、俺もなんと言って良いのか分からない。むしろ、なぜ呼ばれたのか。俺が知りたいくらいだった。


 不自然な沈黙。

 破ったのは、凛としたよく通る声。


「早川は、僕の相棒さ!」


 初耳だった。

 一体、いつから俺は天神の相棒になったのだろう。知人か、精々友人だと思っていたところを一足飛びされた気持ちになる。


「それは、大変失礼いたしました。早川さんも、どうぞよろしくお願い申し上げます」


 深々と頭が下げられ、俺は慌てて「気にしないでください」と作り笑顔で手を横に振った。むしろ、気にされた方がいたたまれない。


 天神は、ゆったりと紅茶を飲んでいる。

 サックスの響く店内。

 彼女はどんな依頼をするのか。


 失礼に当たらない程度に見ていると、柔らかなペールピンクの唇が開いた。


「雨が、見えるのです」

「雨?」


 思わず聞き返した俺に、藤枝はやわらかく答えてくれる。


「はい。部屋の中でも左目だけ、視界の隅に雨が見えるのです」

「それは、」


 病院に行くべき案件なのではと言おうとして、言葉を飲み込む。

 提案よりも同調を。なによりも、相談を受けているのは俺ではない。

 髪に隠れた左目を凝視すると、藤枝に微笑まれた。


 再びの沈黙。

 天神は喋らない。ただカップを揺らし、液面をのんびりと眺めている。

 このまま、俺が質問しろということなのか。人任せにも程がある。だが、この自由電子よりも自由フリーダムな男に文句を言っても時間の無駄と言うもの。

 俺は薄い胸を膨らまし、深く息を吸って吐いた。


「雨が見えるようになったのは、いつからですか?」

「昨日の朝からだったと思います。最初は、うっすらと見えるくらいでしたが、緩徐にはっきりと見えるようになりました」

「その雨は、今も見えているんですか?」

「はい」

「きっかけに心当たりは?」


 藤枝はまぶたを閉じる。何かを考えているのだろう。長い睫毛が色白の頬に影を落とした。


「金曜日の四時半頃に、雨が少しだけ降ったのを覚えていらっしゃいますか?」

「雨? あの日は晴れじゃ、」

「彼女の言うとおり、たしかに雨はパラパラと降っていたよ。もちろん、早川が言っていることも、正しいのだけれどね」

「天気雨か」


 天神は鷹揚おうようにうなずく。だが、理解出来ない。天気雨を見たから何だというのか。俺の心を読んだように、彼女は口を開く。


「天気雨は、本当にきっかけだったのです。天神さんと早川さんは、『狐の窓』というものをご存じですか?」

「『狐の窓』?」

「早川、見ていたまえ」


 ハテナを飛ばす俺に、天神は両手で狐を作って見せる。左の狐を下向きに、右の狐を下に。耳同士をくっつけて、狐の口を解放すれば、真ん中に大きな四角い空間が出来た。


「これのことで、あっているかな?」

「はい、そうです」


 ぽっかりと歪に空いた指の隙間を、窓と言われれば納得できなくもない。

 俺も『狐の窓』をつくってみる。何か見えるのだろうか、と目に近付けたところで、天神に腕をつかまれた。


「なんだよ」

「君が異界を見たいのなら、止めはしないけどね」

「イカイ?」

「『狐の窓』とは、魔物や化けた狐を見破る、まじないなのだよ」

「何だそれ、馬鹿馬鹿しい」

「おや? 君は、存外つまらない反応をするね?」


 驚いたように目を丸くさせた天神は、スッと俺の前に右手を上げて見せた。そのまま、親指と中指を勢いよく擦り合わせる。マジシャンのような動き。パチンと軽快な音が鳴り、俺の肩が無意識にビクリと跳ねた。

 天神は、愉快そうに笑っている。


「これは『弾指だんし』と言って、災いを払う呪術の一つだよ。否定できる根拠なく、否定するのは君らしくない。そうだろう、早川? それとも、もしかして君は怖がりなのかな?」


 見透かしたような言い様。

 明らかな挑発。

 下手な発言は、飛んで火に入る夏の虫。


 無言を貫くのが最適解と判断した俺は、黙ってコーヒーカップに砂糖を入れる。ティースプーンでぐるりと混ぜても、底にあるザラリとした不快な感触は拭えない。ぬるくなり、溶解限度が下がっているせいだろう。仕方なく、苦いままのコーヒーを口に含んだ。


「お二人は、とても仲良しなのですね」


 どこか羨ましそうにも聞こえる声に、俺は盛大にむせた。気管支に入った液体を出そうとする生体の条件反射で、言葉も出せない。

 どこか嬉しそうな天神は、手を挙げて店主を呼ぶ。「彼に水をお願いします」とだけ伝えると、藤枝に向き直った。


「それで、貴女きじょは『狐の窓』で、何を見たのかな?」


 初めて、藤枝の微笑みに陰りがさした。

 やや重たい沈黙。だが、それすらも、彼女の雰囲気によく似合っていた。

 ふるりと頭を振る藤枝。柔らかな髪が、ゆらゆらと揺れる。


「……分からないのです。何かが、私を見ていたようにも思うのですが」


 天神は目を閉じ、精悍せいかんな顎に指を当てて黙った。

 俺は店主が置いてくれた水を飲み、少しだけ楽になった呼吸を整えて、尋ねる。


「あの、藤枝さんがそれを見たのはどこですか? もし歩道だとすれば、誰かと目が合っていたのかも、」

「いいえ。人ではないと思います。私が見たのは、裏門を出たところにある雑木林でしたから」


 藤枝は柔らかな笑みを浮かべたまま言い切った。

 大学裏門の雑木林と言ったら、狸や狐と言った野生動物が隠れていても驚かないような場所だ。少し鬱蒼うっそうとした不気味なところなので、俺は夜遅くには通らないようにしている。

 人間が好んで立ち入る場所ではないとはいえ、誰も隠れていなかったという証拠もない。


「誰かが隠れていたのを見た可能性もありませんか?」

「それも、ないかと思います。狐の窓を外したら消えてしまいましたから。でも、それからなのです。左目に雨が見えるようになったのは」


 藤枝は姿勢正しく微笑む。

 脳裏に浮かぶのは、『幽霊』という単語。熱くも寒くもない店内で、ぞわりと背筋が寒くなる。店内には店主と俺たちしかいないのに、誰かに見られているような。居るはずのないものに体が強張る。


 BGMがやけに歪んで聞こえ、手足が冷たくなる頃。凜とした涼やかな声が、店内に響いた。


「それで、貴女の依頼は、雨を止めることなのかな?」

「いいえ」


 天神と藤枝の視線が交わる。


「私の依頼は、一つです。私に掛けられた呪いを教えてくださいませんか?」


 予想をはるかに超えた依頼内容に、思わず俺の口はあんぐりと開いた。

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