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第35話 お昼時は相棒と

    二


 水曜日の昼前。天神と合流した俺は、昨日、悠斗と美和と話したことを共有する。『幸せを呼ぶタルト』から、悠斗と藤枝の確執とは言わないまでも、こじれた関係の話まで。


「『幸せを呼ぶタルト』なら、少し前に僕も聞いたことがあるよ。でも最近だと、『願いが叶うパフェ』の方が有名だと思うけどね」

「なんだそれ」

「おや、知らないのかい? ならば、君の友人に聞いてみると良い。正式名は忘れてしまったけれども、電子機器を使いこなしている彼なら、調べられるだろうさ」


 彼は綺麗な箸の持ち方で卵焼きを掴み、口に入れる。

 電子機器を使いこなせない割に、天神が情報通なのは、もう不思議に思いもしない。彼の言動に、そろそろ驚かなくなってきている自分が怖い。これが適応力というやつなのか。 

 目の前の重箱を見つめながら、そんなことをぼんやりと思う。


 天神の昼食は、今日もどこかかいだった。

 二段重ねの重箱の上段、右半分には日の丸が。もう左半分には、三種の卵焼きが規則正しく並んでいた。

 砂糖、だし巻き、じゃこ。「貴重な、たんぱく質だからね」と一つ、分けてもらったが思いのほか、美味しくてびっくりした。


「りんごを詰まらせてしまった愛犬、か。なるほどね」

「性別は分からないけど、なんかアダムみたいだよな」

「では、藤枝穂乃香はイブということになるね」


 俺は目を丸くした。

 天神でも冗談を言うのかと。もっとも、当の本人は何食わぬ顔で箸を進めている。


「きっと、悠斗が笑ったのもこんな感じだったんだろうな。あいつは、享楽きょうらく主義ではあるけど、悪意を持って誰かに接するタイプじゃない」

「そうだね。けれども、ペットを家族だと思って人間は大勢いる。彼女もその一人だったのだろう。覚えているかい? 三ツ橋理桜(りお)や雨宮くん。二人の口から、藤枝穂乃香が飼っていた犬についての発言があったのを」

「そう言えば、そうだったか?」


 首を傾げていると、トントンと天神が自分の口の横を叩いた。「付いているよ」と言われ、口に付いたコッペパンのカスをぬぐう。最後の一切れとなった卵焼きにハチミツを掛けて食べる天神は、幸せそうだ。


「それで、呪いについては何か分かったのか?」

「さて、どうだろうね」

「随分と曖昧あいまいな返答だな」

「事実、曖昧なのさ。くうに論じるにも、決め手に欠ける。どうにも、彼女が掛かっている呪いは、複数あるようにしか思えなくてね」

「複数? いや、その前に、藤枝さんに呪いが掛けられているのは分かったのか?」

「なんとなくだけれどもね」

「誰が呪いを? そもそもどうやって」

「まあ、落ち着きたまえよ、早川。大切なコッペパンが潰れてしまうよ」


 天神にいさめられ、俺はグッとこらえる。

 西暦二千年も十数年過ぎた、この現代社会。呪いなんてものは過去のもの、所詮作り話。だが、どんなにそう思い込んでも、やっぱり見えないものは怖い。

 だから、そんなものはないと思いたい俺からしてみれば、天神の言葉を聞き逃すことは出来なかった。

 最後の一口となったコッペパンを口に入れるタイミングで、天神は重箱の上段を持ち上げた。また、おはぎだろうと思っていた俺は硬直する。


 撤回しよう。舌の根も乾かぬうちと揶揄やゆされるかも知れないが、驚愕きょうがくするものはするのだ。大丈夫。まだ自分は正常だった。

 俺は深呼吸をして、平静を装ってから口を開く。


「それ、なんだ?」

「これかい? もちろん、ゼリーだよ!」

「ゼリー……」

「おや、ゼリーは苦手かい?」

「いや……」

「では、早川も一緒に食べようじゃないか! ちょっと待っていたまえ」


 颯爽さっそうと立ち上がった天神は、あっという間に眼前から消える。

 残されたのは、ひたすらに透明な物体が一面に広がる重箱と俺。重箱の中が黒いせいで、とても不気味だ。


ゼリー……」

 具のないパスタというのは聞いたことがある。否、何度も作ったことがある。仲間と言っても過言でない。

 だが、まさかその亜種があるとは思いもしなかった。


 睨めっこをしていると、段々と深淵しんえんを覗いているような気持ちになってくる。このまま、吸い込まれてしまうのではないだろうか。

 意識がゼリーに囚われつつある頃、俺は浮き足立つ声によって、無事にサルベージされた。


「すまない、待たせたね! スプーンと容器を借りてきた。さあ、召し上がれ!」


 コトンと小さく音を立てて置かれる、乳白色のプラスチック。山盛りになった、少しだけ黄色みがかった透明の物体。切削せっさく面の荒さが光の乱反射を招き、かえってそれを美しく見せていた。


「……いただきます」


 よほどのゲテモノではない限り、出されたものは完食するのが信念。

 銀のスプーンを強く握り、弾力のある物体すくい上げる。水っぽい味だろうと構えた味覚は、裏切られた。


「ちょっと甘酸っぱい? 水じゃない? レモン、か?」

「良い味覚じゃないか、早川! 水ゼリーには違いないけれども、瀬戸内のレモン果汁を少し混ぜているのさ! ハチミツを掛けるのもオススメだよ」


 トンと目の前に置かれた、小学校の給食で見るようなスティックには、とろりと琥珀色が充填されている。上をちぎって傾ければ、ねっとりとした液体がランダムに水ゼリーの山壁を下った。


「……意外と美味いな」

「口に合ったようで何よりだ! また、作ってこよう」


 ほくほくと天神は笑うが、俺は耳を疑った。今、彼は作ってくると言ったのか?


「もしかして、天神が弁当を作っているのか?」

「もちろんだよ! なんせ、僕は一人で暮らしているからね。身の回りのことは、全て自分でしているとも!」


 そのスリーピースの洗濯も、パリッとしたシャツやハンカチのアイロンも、いつもピカピカに輝く靴の手入れまで。全部一人でしているのかと考えて、戦慄せんりつした。


「凄いな……」

「そうかい? 君だって、一人暮らしなのだろう?」

「まあ」


 どうして俺が一人暮らしだと分かったのかは不明だが、わざわざ尋ねはしない。彼の観察眼なら、ある程度のことは聞くまでもなく分かるのだろう。


「しかし、実りの秋と言うだけあって、どうにも食欲が増してしまうね。美味しいものとの出会いが多くて困ってしまうよ」

「同感だ。生協の売店では、焼きたてのパンを売り始めたらしいし、誘惑を振り切るのが大変だった」

「ああ、あの甘いバターのような香りだね? 僕も気になって、ここに来る前に寄ってきたよ。残念ながら焼きたてパンなんて販売していなかったけれどもね」

「そうなのか? でも、美味しそうなパンの写真が何枚か飾ってあっただろう?」

「たしかに、今日はパンの写真だった。でも、昨日はカレーの写真が掲示板に貼られていたのだよ」

「カレー?」

「そうさ。ペパーミントの香りと一緒にね」

「ペパーミントって、トイレの芳香ほうこう剤の?」

「……出来れば、『歯磨き粉の』と言って欲しかったところだけれども、まあ、そうだね」

「なんで?」

「さてね」


 天神の口の中へ、水ゼリーがするりと消えていくのを見ながら、ふと一昨日の記憶が想起された。


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