第27話 中学時代の彼女
「中学二年生と三年生の二年間。私は穂乃香ちゃんと同じクラスだったの。
彼女は運動も勉強も出来て、皆から一目置かれている存在だったわ。もちろん、先生からの信頼も厚くて。それなのに、誰に対しても平等に親切で優しかった。
三年間、学級委員長も務めて、最高学年のときは生徒会長もしていたよ」
憧れを眺めるように、彼女は遠くを見る。
「その時から、彼女は薄ら笑いをしている人形のような人だったのかな?」
「まさか! 全然違うわ。たしかに穂乃香ちゃんは大人びていて、感情豊かな方ではなかったけれど。でも、運動会で負けたら悔しがっていたし、誰かが内緒で持ってきた漫画を一緒に読んで笑うことだってあったわ」
あの藤枝が悔しがって、漫画で笑う?
正直に言って、あまり想像出来なかった。
「今とは随分、印象が違うようだね。貴女は、彼女の愛犬の話を聞いたことは?」
「もちろん、あるわ。
ルティーのことでしょう? お散歩を一人で行っていることや、小学校の時から寝るときはいつも一緒とか。とても賢くて優しい子なのよ、って、よくお話をしてくれたわ。
彼女と話しているのは、すごく楽しかった。
あの頃の私は髪が短くて。背も今と変わらないから、男女とか、三ツ橋三兄弟とか。くだらないことで、からかわれることも多かったのだけど、穂乃香ちゃんが一緒に居てくれるようになってから声も次第に止んでいったの。
最初に声を掛けてくれたときから、彼女は私のことを三ツ橋の誰かじゃなくて、三ツ橋理桜として接してくれたのよ」
彼女はそっと胸に両手を置く。まるで、大切な宝物に触れているようだった。
「おまえ、昔は野生児だったもんな。その変な言葉遣いも藤枝の影響だったのか」
「失礼ね! 一体、誰の所為だと思っているのよ」
「は? 自分の所為だろ?」
あけすけのない言い様をする咲工を睨み付けた理桜は、しかし、すぐに愛しさと寂しさを混濁させた顔で目を伏せた。
「どうでも良いのよ、そんなことは。ただ私が穂乃香ちゃんを大切で、彼女に救われていたことは事実なんだから。だからこそ高校が別になって、連絡を取らなくなってしまったのは悲しいし、悔いているわ」
「連絡を取らなくなった? それは、どうして?」
「自然消滅みたいなものね。高校一年生の春までは連絡を取っていたんだけど……。新しい学生生活が始まって、目の前のことしか見えなくなって。気が付いたら、どうやって連絡すれば良いのかも分からなくなっていたの……」
自然消滅。
その言葉は、よく理解出来た。
中学どころか高校の友人すら、ほとんど連絡を取っていない俺からすれば、それは当たり前のことだった。悪い思い出があると言うよりも、特別な思い出がない。
旧友と連絡を取りたいとすら思わない俺には、彼女が眩しく見えた。
「そう言えば、藤枝って第一志望の高校に落ちたんだよな? そもそも、なんで推薦をもらわなかったんだ、あいつ?」
思い出したように口を挟んだ咲工に、理桜はキッと目をつり上げる。
「推薦は他の子にって、穂乃香ちゃんが辞退したのよ! それに、第一志望に行けなかったのは彼女が風邪を引いただけであって、県内で二番目の公立高校には合格しているのよ? 咲工よりは遥かに頭が良いんだから!」
「ほぉー。まあ、でも、今は俺と同じ大学ですけどねぇ」
自分で尋ねたはずなのに、さして興味がないのか。どうでも良いと言わんばかりに、咲工は頭の後ろで手を組む。
「本当に、腹立たしい態度ね。大体、なんであなたがそんなことを知っているのよ⁈」
「だって、結構噂になってたぜ? 学校一の才女が不合格になったって。なあ、楓貴?」
「まあ、そうだね。今思えば、残酷な話だけど」
楓貴は少し顔を歪め、申し訳なさそうに同意した。
「でも、藤枝の姉貴って伝説級に凄いらしいじゃん? その妹だからってことで、先生たちもかなり期待してたんだろうよ」
「ちょっと待って。何よ、それ。そんな話、初めて知ったわ?」
「まあ、だろうな」
アイシャドウに彩られた目を見開き、理桜は固まった。
咲工は肩をすくめ、楓貴を見る。楓貴は、ただ黙って首を横に振るだけだった。
「質問をしても良いかな?」
「……え、ええ」
「彼女の家族について、聞いたことは?」
理桜は口元に手を当てて、しばし考え込んでいた。躊躇いがちに開くアプリコットの唇からは、自信のない声が漏れ出る。
「……ご家族の話は、あまり聞いた覚えがないの。授業参観や運動会にも、ご両親がいらしていたかどうか。お手伝いさんがいるらしいのは、話の流れで耳にしたことがあったけれど」
「では、藤枝穂乃香の姉が伝説級という話については?」
理桜は髪を揺らして、首を振る。代わりに答えたのは、彼女の隣に座る楓貴だった。
「その話なら、僕たちが知っています。ね、咲工?」
「俺は知ってるってほどでも、ねぇけどな」
「なんで、あなたたちは知っているの? 穂乃香ちゃんのお姉さんって、うちの卒業生じゃないでしょう?」
咲工はニヒルに、楓貴は困ったように笑う。
「男には男の情報網ってやつがあるんだよ。大体、噂なんてのは、どっかから漏れ出るもんだしな」
「理桜ちゃんも聞いたことはない? 都内の名門私立、中高一貫校に首席で入学、卒業。中学の成績は三年間、オールA。美人で品行方正。三年生時には生徒会長を務め、高校には都内の国立大付属に進学。ちなみに部活ではインターハイまで行って、県の新聞にも載ったことがある女子生徒」
「それって、私たちが中学の頃に話題になっていた話じゃない?」
「そうそう。あれ、藤枝さんのお姉さんのことらしいよ」
「え?」
「なんかもう、化け物って感じだよなぁ。出来過ぎて、気味が悪ぃわ」
咲工はわざとらしく、自分の二の腕をさすった。
「待って。つまり、その妹だから穂乃香ちゃんも期待されていたということなの? 穂乃香ちゃんは、穂乃香ちゃんなのに? じゃあ、先生たちに頼られていたのも?」
「あれは頼られてたっていうか、雑用を押しつけられてたって感じじゃねーの? なあ、楓貴?」
「うーん。そこは、僕にはなんとも」
「そんな、嘘でしょう……?」
「おまえが嘘だと思いたければ、それでも良いんじゃねーの」
「そんなのって、ないわ……! 酷すぎる……!」
驚愕で見開かれた目の焦点は定まらない。
「彼女は私を助けてくれたのに、私は恩を返せなかったなんて……最低よ!」
と叫んで、理桜は顔を覆った。がっくりと力なく、重力に沿って華奢な肩が急降下する。
「ごめんなさい。ごめんなさい、穂乃果ちゃん……」
鼻を啜る音に懺悔の言葉が混じる。
咲工は気まずそうにそっぽを向き、楓貴は彼女の背をしばらく撫でていた。
じわじわと酸素濃度が薄くなっていくような、息苦しさ。
アスファルトの上に投げ出された小魚のような、どうしようもない辛さと無力感。
誰も口を開かない。否、開けなかった。理桜の傷心具合を見ては。
救いが欲しくて、俺は天神を見る。
彼は目を瞑り、組んだ両手をおでこに当てて何かを考えているようだった。両手に隠れて、表情は窺い知れない。それなのに、何かを嘆き苦悶しているように、俺には見えた。そう見たかった。
スッと偉丈夫は立ち上がる。いつもと変わらない、好青年の笑みを携えて。
「感謝するよ、三ツ橋理桜くん! これにて僕が受けた全ての依頼は解決し、報酬も得た! 三ツ橋楓貴くんにはご面倒をお掛けするが、僕たちをレトロ・アヴェまで送っていってもらえないだろうか?」
「え? あ、うん。そうだね。じゃあ、僕たちは帰るよ、咲工」
「お、おう」
「理桜ちゃんも、一緒に帰るので良いよね?」
理桜のコクンと細い首が縦に振れる。彼女の目は赤く、心はここにあらずといった風で、返事もぼんやりとしていた。
お通夜の帰りかと思うような足取りで、玄関へと向かう理桜と楓貴の背に咲工が言葉を投げる。
「なあ! じじいが退院したら、また集まろうぜ。そんで、ちゃんと箱を開けよう」
「……開けようも何も、あなたが拒否をしていたのよ」
「悪かったって。でも、やっぱり願掛けを有耶無耶にはしたくねぇんだよ」
「僕は、それでも良いよ」
理桜はまだ背中を向けていた。
「おい、理桜!」
「……来週の土曜日なら良いわ。その頃には、お祖父様も退院しているはずよ」
「分かった、土曜日だな。楓貴はいけるか?」
「うん、大丈夫だよ」
咲工が俺たちの方を見る。
「箱を開けるのに、天神たちも立ち会ってくれねぇか?」
「それは、依頼かな?」
「依頼だ。報酬は、」
「ああ、報酬は当日に受け取ろう。金銭の要求をするつもりはないから、安心してくれたまえ。それと、早川。君の予定はどうだい?」
そう言われるだろうと思って、俺はスマートフォンのカレンダーを表示していた。
「来週の土曜日は十七時の入りだな。それまでなら、付き合える」
「じゃあ、土曜日の昼十二時に今日の喫茶店、レトロ・アヴェだったか? それで、良いか?」
天神が俺を見る。俺が「ああ」と承諾すると、天神も大きくうなずいた。
「構わないよ」
「助かるわ。ありがとな」
安堵する咲工に別れを告げ、俺たちは楓貴たちと共に彼のアパートを後にする。車を降りるまで、終始俯いて沈黙し続ける理桜が気にはなったが、結局俺は何も言わなかった。




