第14話 処置
箱になるものを見つけて一階に戻る。幸いにも、藤枝は入口の自動ドアのすぐ側に立っていた。
正方形に切った段ボールの板と小さな箱を抱きかかえて、早足で外に向かう。肺が苦しい。四階まで駆け上がって降りただけで、この体たらく。自分の体力のなさを嘆きたくなる。
「具合、どう⁈」
「問題ありません。ありがとうございます」
落ち着いた返答をする藤枝。
たしかに近くで見ても、彼女の顔色は随分と良くなっていた。
ホッとするのも束の間。
肩で呼吸をするのが精一杯の俺は、それ以上喋ることが出来なかった。鼻から空気を無理矢理、肺に取り込む。
胸が痛むような、冬じゃなくて良かった。
なんとか息を整えて、「天神は?」と尋ねる。
「箱が見つかったという連絡を受けてすぐに、小講義室に向かわれました」
「わかった、行こう」
「大丈夫ですか?」
「大、丈夫」
歩いている内に、息も整うだろう。無言になるのは、この際、仕方ない。
藤枝を先導に、コンクリートの舗装された道をただただ歩く。たいした距離もないのに、遠く感じるのは疲労のせいか。もう少し体力をつけようと決心する頃、小講義室のコンクリート壁の雨染みがはっきりと見えた。
ガラガラと小さな音を立てて、高校の教室を思い出させるガラス付きのドアを開ける。暗幕カーテンが閉まっていないからだろう。思いのほか部屋は明るかった。
二枚ずつ、等間隔に配置された六枚の窓からは、日が射し込んでいる。
「やあ早川と藤枝穂乃香くん、お疲れ様! 小鳥はどうだい?」
黒板近くに立つスリーピースの偉丈夫は、鷹揚に片手を挙げる。
「今のところは、変わりありません」
「良いことだ! では早速、小鳥の寝床を整えるとしよう!」
オレンジとネイビーのチェック柄エコバッグが乗る長机に、俺は持ってきた箱を置く。
「実験器具を拭くのに使う紙が入ってた箱を重ねて、空気穴を開けてきた。蓋はなかったから、代わりに段ボールの蓋をちょっと切って持ってきた。被せればいけると思う」
「素晴らしい機転だね!」
いつものように贈られた言葉。
なのに、それを拒絶するように俺は顔を背ける。まるで、何かやましいことでもあるみたいだと、自嘲しかけて噛み殺した。
湧き上がってくる罪悪感と居心地の悪さは、天神の明るい声で、すぐに鳴りを潜める。
「さあ! ホッカイロの上に、タオルを敷いたよ! 小鳥を乗せてもらえるかな?」
白に黄緑と緑のラインがアクセントとなる箱の中は、ライトブルーのタオルハンカチで埋められている。その脇をオレンジキャップのペットボトルが二本、控えてあった。
藤枝がそっと華奢な手首ごと小鳥を箱に入れる。
黒革のショルダーバッグが手首までずり落ちて来ても、彼女の視線は鳥から離れない。動きに変化もない。ただ丁重に入れて、手だけを抜く。それが何故か、高性能なアンドロイドにも見えた。
「早川。蓋をしてもらっても?」
箱の中で横たわる小鳥は、微動だにしない。
余計な振動を与えないよう、慎重に蓋を被せる。
空色のタオルの上で羽を閉じて眠る小鳥は、どこか非現実的で。良く出来た人形を眺めている気持ちになった。
「ここで、数時間待つのか?」
「僕は、そのつもりだよ。幸いにも一限の講義はないし、二限も出席日数に問題はないから、ここで小鳥の回復を待つことに支障はない。早川たちは、安心して講義に向かうと良い」
天神は後ろ手を組み、ガラス窓越しに外を見ている。
黒板横のアナログ時計は、八時四十二分。
「今日の講義は二限からだから、残るよ」
「それは、有り難い!」
初めて聞いたように喜ぶ天神に、俺は軽く肩をすくめた。
分かってはいたが、呆れるのは致し方ないと思う。思考回路は不明だが、彼の記憶媒体はやはりどこか狂っている。否、記憶処理と言った方が正確かも知れないが。
三十分前に言ったことをもう忘れているなんて、プログラムなら間違いなく要修正と言われていることだろう。それでも、彼は自分の言ったことに責任を持たないわけじゃないから、重い。
考えることを放棄した俺は、ちらりと目玉だけ動かして藤枝を見た。口角の上がるペールピンクの唇は、キュッと引き結ばれている。長い睫毛に縁取られた目を伏せ気味にした、不思議な微笑。
「私は……」
「無理をする必要はない。学生の本分は学ぶことだ。ここには、僕と早川が残る」
「本当に申し訳ありません。三限まで必修の講義が終わりましたら、お役に立てるかと思うのですが」
眉尻を下げても、歪な微笑みは崩れない。
はっきりと悔しさが滲む口調は、責任感の強さによるものか。口先だけではない。明らかに後ろ髪を引かれている様子に、俺は密かに感心した。
「気にしないでくれたまえ。貴女の協力は必要ではあるが、この依頼を引き受けたのは僕だ。この小鳥については、追って連絡をしよう。早川がね!」
明朗快活。
凜とした声が、たった三人しか居ないこの小さな部屋に響く。
長い腕は勢いよく俺へと伸ばす様は、舞台上の役者のように大きく派手。彼女の視線が俺へと誘導されるのも当然のことだった。
悲しみと安堵。視線を交わした藤枝からは、そんな感情が見て取れた。
「心配しないで。藤枝さんは講義に行ってきて大丈夫だよ。ちゃんと連絡するから」
「……ありがとうございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
深々とされた、美しいお辞儀。
彼女は手袋を外して、肩に掛けたバッグにしまう。
「手袋は後日、購入してお返しいたします」
「構わない。気にしないでくれたまえ」
「承知いたしました。それでは大変申し訳ございませんが、私はお先に失礼いたします」
一礼。
ガラリと藤枝が扉を開けて、外の空気が流れ込む。コートの裾をはためかせ、くるりと彼女がこちらを向き、天神が腕を上げる。
「今日は、ありがとう!」
凜とした晴れやかな彼の声。
藤枝は再びお辞儀をすると、障子を閉めるように灰色のドアで彼女の姿をゆっくりと隠した。




