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第13話 箱を探しに

「二手に分かれよう」


 その意味を俺が問うよりも早く、藤枝は応えていた。


「理工学部総合研究棟と売店ですね?」

「素晴らしい! 理工学部総合研究棟へは貴女きじょと早川に任せたいのだけれども、構わないかな?」

「はい、大丈夫です」

「あ、ああ」


 構うも何も、全く理解出来ていない。だが慣れとは怖いもので、俺はいつものように空気を読んで返事をする。


「では僕は、購買部に行ってくるよ。手に入らない可能性は低いとは思うけれども、早川は紙箱の入手の可否に関わらず、その旨の連絡をしてくれたまえ」

「……分かった」


 俺の返事を聞き終えると、天神は大きな背中を向けて大きなストロークで去っていった。

 残された俺たちがぼんやりする余裕はない。


「行きましょう、早川さん」

「あ、はい」


 聖母マリアさながらに、小鳥を大切そうに抱いて藤枝は歩く。ポニーテールが生き物のように小さく揺れる。

 だらりと肘にぶら下がるバッグは邪魔そうではあったが、見て見ぬふりをした。

 手伝いを申し出るほどの関係ではない。


 身長が五センチほどしか違わない俺たちの歩幅は、あまり変わらない。

 研究棟まで百メートルもないとはいえ、ずっと無言なのはどうにも気まずい。

 出来れば敬語ではなく、普通に話して欲しいとメールで言われたことを思い出して、俺はフレンドリーに努める。


「えっと、あれから具合はどう?」

「お気遣いいただき、ありがとうございます。問題ありません」

「変わったこととか、嫌なこととかもない?」

「ええ、全く」


 ピンと伸びた背筋。

 しっかりとした口調。

 真っ直ぐに前を見る目。

 事前に『生物学科の呪い』については話してあると言うのに、怖がっている素振り一つ見えない。自身も呪われているらしいのに、大したものだ。


「藤枝さんは、総合研究棟に紙箱はあると思う?」

「はい」


 即答。

 心理学科とは縁の薄い場所なのに、何故なのか。不可解に思っていると、藤枝は続けて口を開いた。


「理工学部総合研究棟に入ったことはないのですが、天神さんが『ある』とおっしゃっていましたから」

「いや、でも、天神も入ったことは、」


 言いかけて、俺は黙る。

 得体の知れない彼ならば、入っていても全く驚かない。否。遠野先輩と仲が良いのならば、普通に出入りしていてもおかしくない。


「早川さん?」

「あ、ごめん。そう言えば、遠野先輩がラットのって言っていたね。俺たちは、それを探してくれば良いのかな?」

「いえ、ラットの入っていた箱を頂くのは難しいかと思われます」

「そうなの?」

「はい。実験動物が入っていた箱は廃棄はいきの規定がありますので。ただ、研究棟になら輸送用の段ボールや実験器具の梱包用資材などがあると、天神さんは考えられたのではないでしょうか。

 まだ朝の早い時間ですから、ゴミの回収もされていないでしょう。ですので、各階の研究室を回れば、最適な箱を見付けることは出来るのではないかと。

 もちろん、私の憶測ではありますが」


 やわらかく微笑む藤枝と目が合う。あまり眠れていないのだろうか。この前よりも、やつれた印象を受ける顔には、化粧で誤魔化しきれないくまが出来ていた。


 しかし、さすが優秀と言われるだけはある。わずかな情報から答えまでのルートを導き出す。頭の回転スピードにただ舌を巻いた。

 俺よりもよっぽど天神の相棒らしい。豆粒ほどの自負心は一瞬にして、サラサラと砂と化して吹き飛んでいく。


「すごいね」

「……ありがとうございます」


 不自然な間。前を向いて歩く彼女の微笑みが微かに歪む。

 その横顔は美しく、何故か哀しい。

 瞬時に、防壁を張られたと気が付いた。だからといって、何とも思わない。踏み込むつもりもなければ、そうする義理もない。面倒事は関わらないに限る。

 俺は、明るい口調に切り替える。


「助かると良いよね、その小鳥」

「そうですね。どうか、助かって欲しいです」


 白壁の研究棟は、もうすぐそこだ。


「早川さん」

「はい。いや、えっと、なに?」

「理工学部総合研究棟に入るのは、理工学部の早川さんにお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、そっか。生物実験をする建物に鳥を持って入るのは良くないもんね。その鳥が入るくらいの紙箱を探してくれば良いんだよね?」

「はい」

「了解です」

「ありがとうございます」


 確認を得て了承したはずなのに、胸に広がる一抹いちまつの不安は消えない。

 無意識に一緒に探すのだと考えていたせいだろう。

 自分よりも優秀な人間がいると気後きおくれして、必要以上に頼りたくなるのは俺の悪癖と言っても過言ではない。

 分かってはいても、なかなか治るものでもない思考に、無意識でため息を吐いていた。


 いけない。

 また妹に、「幸せが逃げるよ、お兄ちゃん」と言われてしまう。俺が顔を上げると、いつの間にか藤枝を追い越していたことに気が付いた。

 研究棟の自動ドアまでは、まだ十メートルほど距離がある。

 振り返ると、数メートル離れたところで藤枝は立ち尽くしていた。どこかうつろな目。表情は抜け落ち、顔は青ざめている。


「藤枝さん?」


 応答がない。

 まさか、人ならざるものを見たのかと、心臓が強く鼓動する。だが、周囲を見渡しても、おかしなものは見当たらない。

 ただ青空は広がり、いわし雲がたなびく。

 人こそ見えないが、視界も開けて良好。鳥の鳴き声も聞こえ、幽霊の出るとは思えない状況に俺は少しだけ安堵あんどする。


「藤枝さん、大丈夫? 藤枝さん? 藤枝穂乃香さん?」


 何度目かの呼びかけで、彼女の肩がビクッと跳ねた。


「あ、申し訳ありません。少し、ぼんやりしてしまって」


 ギギギと音でも鳴りそうな首の動き。初めて見る、ぎこちない笑み。


「また、なにかを見た?」

「いいえ」

「具合が悪い?」

「大丈夫です。ご心配をお掛けして、申し訳ありません。私はここで待っておりますので、どうぞお気になさらず、箱の調達をお願いいたします」


 軽い貧血だろうか。まだ顔は白いが口調はしっかりしている。

 俺は脳内で素早く優先事項を並べ直す。


 これ以上の問答は時間の無駄だろう。

 現時点での最優先は、小鳥が回復できる状況を一刻も早く整えること。彼女から目を離すのは、長くても十数分。彼女に何かあった場合を考慮して、建物に入ったら天神に連絡だけはしておくのが安全か。


「じゃあ、急いで行ってくるよ」


 俺は駆ける。

 自動ドアが開くのと同時に体をねじ込ませた俺は、一階の部屋のドアを手当たり次第に叩いた。


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