第11話 遠野馨の依頼
考察がない? という疑問を胸に抱くも、言葉には出さない。
遠野の喉仏が動き、コーヒーで濡れた唇が開く。
「テーマといい、検証方法といい。何から何まで、理系研究者の端くれとしては恥ずかしいもので申し訳も立たないんだけどねぇ。
症例対照研究にもならなくて。とりあえず、周囲の生物学科の学生に聞き込みをしたのが唯一のデータになっちゃってさぁ。せめて採集してれば、鳥類の種類分けくらいは出来たと思うんだけどなぁ」
やれやれとため息を吐き、華奢な撫で肩を落とす遠野。天神のヘーゼルアイが液晶から離れた。
「『ほぼ全て』ということは、怪我をした鳥も?」
「一羽だけ、くちばしに傷のある鳥がいたねぇ。みんなさ、見るだけ見て放置するんだよ。薄情だよねぇ。まあ、それが正解でもあるんだけどさぁ。ボクが向かった頃には、死後硬直が起きてるのがほとんどでね。だから、細かい小さな外傷の有無まではしっかり見れていないんだよねぇ」
「死体解剖は、どなたかがされたのですか?」
遠野は小さく首を横に振る。
「していないと?」
「野鳥だからねぇ。どんな病原体が付着しているか分からないのを持ち込んで、解剖するのはねぇ」
「つまりは、死因不明と言うことですね。しかし、あまりにも数が多い。市への連絡はされなかったのでしょうか?」
「一度に発見したのが五羽以上なら鳥インフルエンザの可能性を考慮して、報告義務があるんだけどさぁ。見付かってもせいぜい二羽。だから、ボクに出来たのは、鳥たちを土に埋めることぐらいだったねぇ」
日付と発見個体数が表にされているものを見ても、二は一回のみで、あとは一という文字ばかりだった。
「発見時刻の偏りと発見者たちの日常行動に、なにか関係性はありますか?」
二時間毎に区切られた棒グラフは、ほとんどが朝の時間に集中している。
「日常行動? ああ、みんな朝、ラボに来るからってこと? あんまり関係ないと思うよぉ。コアタイムの学生もいるし。ボクたちだって、なにもずぅっとラボに籠もりきりってわけじゃないからねぇ。
目に入らなかった可能性までは否定できないけど、それでも傾向を崩すほどではないと、ボクは考えるかなぁ。とは言え、外れ値もあるにはあったんだけど」
「外れ値、ですか?」
「そうそう。ああ、外れ値っていうのは、簡単に説明すると得られたデータの傾向から大きく外れた値のことね。実は七月にも鳥が一羽、今回と同じ場所で落ちてるのを見た人がいたんだよぉ。ただ、まあ、それだけなんだけど」
遠野がコーヒーカップに息を吹きかけると、丸メガネが少しだけ曇った。
「発見された場所も悪くてさぁ。おかげで、より『呪い』っていうネガティブな印象が強くなっちゃったみたい」
「場所というと、この場合は立地よりも方角でしょうか?」
「さっすが、天神くん。それもあるみたいだねぇ」
精悍な顎を包んで、考え込む天神。
楽しそうな遠野。
俺だけが取り残される。
いつもなら、このまま静かに黙って聞いているところだが、天神に誘われて来た身。多少は、口を挟んでも良いだろう。
「なあ、天神。方角と呪いになんの関係があるんだ?」
「君は、『鬼門』という言葉を知っているかい?」
「上手くいかない場所とか時刻とか、そういうのか?」
「そのとおりだね。しかし、本来は北東の方角を『鬼門』と言ってね、その真反対に当たる南西は『裏鬼門』と言われているのさ。『鬼門』は鬼の入り口、『裏鬼門』は出口。両方とも、不吉な方角とされている」
「へえ」
よくこうも情報がスラスラと出てくるものだと、俺は素直に感嘆する。
「何に怯えてるのか。いや、楽しんでるのかなぁ? どっちでも良いけどさぁ。とても理論的とは言いにくい、馬鹿げた飛躍だよぉ。全く、迷惑極まりないよねぇ」
やれやれと言わんばかりに肩をすくめ、ため息を吐いた遠野がコーヒーを啜る。天神はアイスの溶け出した緑色の液体をジッと見つめていた。
いささか居心地の悪い静寂に耐えきれなくなった俺は、口を開く。
「あの、遠野先輩。『呪われた生物学科』と言われる理由は、他にもあるんですよね?」
「へえ? 聞き逃さなかったんだぁ? えらい、えらい」
小馬鹿にされているような言葉遣い。ムッとしたが、相手は先輩。俺はやすい笑顔を浮かべて返す。
遠野は少しだけ意外そうな顔をして、にっこりと微笑んだ。
「理由は、あと二つ。一つは鳥が発見されている小講義室の噂」
「小講義室ですか?」
「うん。キミたちは『小講義室ののっぺらぼう』について、知ってるかなぁ?」
突拍子のない発言に、目が点になった。
そんな噂は聞いたことがない。天神も俺と同様に首を振った。
「ふーん。学部生と院生では情報伝達経路が違うのかなぁ? まあ、いっか。鳥の死体が発見された小講義室。夜に一人、あの近くを歩いているとねぇ……」
口元を歪に上げて、にたりと不気味に笑った先輩が声を低くする。
「顔のない人間が、こっちを見るんだってさぁ」
怪談めいた口調に鳥肌が立つ。腕をさすっていると、眼前の男がククッと喉を鳴らした。天神の知り合いだと言うから変わり者だろうと覚悟はしていたが、どうやら意地も悪い人らしい。
「それはなんとも面白いですね! その話は、いつ頃からあるのですか?」
楽しそうに身を乗り出す天神に、遠野は苦笑いをする。
「ちょうど、鳥の死体が発見された頃からだったかなぁ。やっぱり、天神くんは手強いねぇ」
「時期も一致しているのですね」
「怪談みたいでワクワクするよねぇ」
クスクスと笑う男は、楽しんでいるようだった。
天神がテーブルの上で両手指を組む。
「もう一つの理由とは何でしょう?」
「動物実験慰霊祭の遅延だよぉ。これが一番の理由だって言われてるねぇ」
「『動物実験慰霊祭』?」
珍しく天神が首を傾げた。
「人文学部だとあんまり縁がないのかぁ。名前のとおりなんだけどねぇ。研究や教育目的で犠牲になった実験動物に対して、感謝と供養の念を込めて献花するイベントがあるんだぁ、毎年。それが、今年は大雨のせいで二日ほど延期しちゃってさぁ」
「つまり、鳥が亡くなっているのは実験動物の呪いだと」
「理工学科とか動物実験しない学科が、テキトーなことを言ってくれるよねぇ。本当、嫌になっちゃうよぉ」
もったりとした喋り方と相反して、メガネの底にある目が鋭く光る。よほど、噂を許せないのだろう。遠野が腹に据えかねているのは一目瞭然だった。
天神は同調を示さずに、質問を続ける。
「考察がないようですが、これは?」
「うん、ないよぉ。だって、その考察箇所もボクの依頼だからねぇ」
にこにこと屈託のない笑顔を見せる遠野。
「は?」と漏れ出たのは、俺の声。
考察を他人に振るなんて、普通はあり得ない。感情と一緒に思考も漏れ出ていたのか。先輩のぱっちりとした目がぐるりと俺に向いた。
「この研究もどきが、新しいお金を産む可能性は限りなく低いんだよぉ。そうなると当然、お金も時間もマンパワーも投入されない。もちろん、来年には博士論文を書き上げないといけないボクは動けない。そもそも、テリトリー違いだしさぁ」
「でも、自分たちの汚名はそそぎたい。だから、天神に依頼したんですか? それで、手柄は自分のものに?」
言ってから、しまったと思った。失言に後悔しても、もう遅い。
遠野馨という人間に、鬱憤が堪っていたのは事実。だが、あまりにも身勝手な依頼だと思ったのも、また事実だった。
ただの便利屋扱いと変わりない。口振りからして、支払いもないのだろう。もっとも、天神が金銭を要求しているのを聞いたことはないが。
遠野は、目をぱちくりとさせている。
ちらりと隣に座る天神を盗み見ると、彼は幸せそうにメロンクリームソーダのアイスクリームを口に入れていた。
気が抜けるほどのマイペースぶり。
相手の出方を覗っていると、遠野は眉尻を下げて笑った。
「自業自得かぁ。ごめんね、早川くん。キミはちゃんと、天神くんの相棒だったんだねぇ」
「あ、いや、あの、すみませんでした」
言われていることがよく分からないが、とりあえず頭を下げる。
「良いよ、良いよぉ。でも訂正すべきところは、しておかないとねぇ」
「訂正」
「うん。『汚名をそそぎたい』というのは、あってるんだけどさぁ。ボクからの依頼は二つ」
先輩はカップを両手で持ったまま、器用にピースサインをする。
「一つは、その考察箇所を埋めて欲しい。万が一にも悪意によるものであれば、許されざることだからさぁ。もう一つは、これ以上、鳥が死なないようにして欲しい。ねぇ、天神くん? 受けてもらえるかなぁ?」
レンズ越しにも分かる、哀しくも慈愛に満ちた瞳。こんな表情も出来るのかと驚く俺の横で、カチンと小さく音が鳴った。
満面の笑みを浮かべる天神が、バッと両腕を開き、俺は慌てて仰け反る。
「その依頼。不肖ながら、この天神一が喜んでお受け致しましょう!」
「ありがとう、天神くん。期待してるよぉ、相棒くんもね」
遠野のにんまりとした笑みが、カラメル化する糖のように、やけに脳裏にこびりついた。




