3話
町でちょっと事件に巻き込まれるだけの話です。
「この世界の摂理として、魔法及びそれを追求する魔導を支えているのが魔力であることは知っているね」
「五感が揃っているように、或いは思うままに振るえる四肢を持つように、大小の差はあれどヒトは魔力を備えていることが普通なのだ」
「だが、それは全ての者に分け隔てなく与えられるものではない」
「抱いた我が子へ親身に話しかけなければ、子供は言葉を饒舌に紡げない。かいがいしく表に出して遊ばせてやらねば、子供は野山を駆ける強さを得られない」
「然るに、成長過程における魔力獲得にも同様のことが言えるとされている」
「しかし、具体的にどのような仕組みで魔力が備わるのかについては、未だ謎が多く残ったままだ」
「これまでの研究では、君のように誰にも育てられることなく生き延びた孤児や浮浪者は魔力を持たず、初歩的な魔法さえも行使できないことが分かっている」
「だが最近になって、生誕直後の赤子には魔力を感知する能力があり、周囲の大人が無意識の内に発する僅かな魔力を感じ取っているという説が浮上し始めた」
「未だ仮説の域を出ないが、研究が進めば魔力の獲得が如何にして行われるかが判明するだけでなく、魔導の極致や世界の成り立ちなども解明できるようになるのではないかと期待されているのだよ」
「…ええい、聞いているのかねアーシュ君!」
旅の途中で立ち寄った異界構築型魔導図書館の主は、数時間にも及ぶ強制特別講義の中で、独り教室の最前列に座らされたアーシュに滔々と語っていた。
しかし、話にあるように魔法が使えない彼は興味を持たなかったため、約8割以上の内容は完全に聞き流されていたという。
◆
「王都より参上しました、ナディコスと申します」
町の端に王都からの馬車が到着したのは、朝日が顔を覗かせるより少し前のことだった。
馬車の荷台から降り立ったのは、すらりとした長身を持つ魔導師・ナディコスである。
平均的な身長のアーシュ程もある杖と赤みを帯びた茶髪から覗く長耳は、彼女が魔法を得意とするエルフであることを示していた。
しかし余程荒い道のりを来たようで、挨拶も早々に宿屋の便所へと突撃していく。
「ヴォロロロロロロロロロロロロロロロ」
聞き耳を立てるつもりもなかったアーシュだが、その音は扉を超えてなお容赦なく彼の耳へ侵入してきた。
隣を見ればオディゴーも同じようで、その表情からは一切の感情が失われていた。
やがて扉が開け放たれると、異音の主とは思えない程に美しい容姿のエルフは何事も無かったかのように微笑んでみせた。
「大変失礼いたしました。改めまして、ナディコスと申します」
以後お見知りおきを、と目を細める姿に、生返事を返す男二人。
自分達が迎えとして来たこと、残り二人が宿で待機していることを伝えたオディゴーは、先導するように街道を進んでいく。
その後ろを並んで歩くアーシュは、パーティが翌日に控えていることや己が如何にして脱退に至ったのかを聞かせてみた。彼女の性格が悪質ではないかを見極める目的だったが、特に問題はないようだった。
「まあ、この通り腕はくっついたままなのは幸いだな」
「…危うく命を落とすところだったのですから、笑いごとではありません」
「…悪かった。心配してくれるんだな」
「当然です」
前任の醜態を嗤うことなく真剣に受け止める彼女の姿は、アーシュにもうひとりの魔導師を連想させた。
過去の経験から下衆特有の薄笑いを隠した発言ではないことを理解したアーシュは、謝意を述べてから前を歩くオディゴーに近付いた。
意図を察した彼は、ナディコスに聞かれぬように潜めたアーシュの声に耳を傾ける。
「顔と性格には問題なさげだな」
「……まあ後は腕次第か」
「魔法以外に問題は無いな、うん」
悲惨な記憶から目を背けた彼らに残る懸念は、魔法の腕前のみだった。
◆
宿屋で待機していたクロマ達と合流した後、一行は新人の実力を測るために町の外へと出かけていった。
「…さて、どうすっかな」
残されたアーシュは、独り町をぶらつきながら今後の展望に思考を巡らせる。
元より帰るあてもない身だ。
いっそあの薄汚い裏路地に戻るか、などと思案していると、小さな影が視界の端で動いたことに気付く。
そこにあったのは、薬屋の移動販売店だった。
移動用の車輪を付けた屋台を広場の脇に停め、通行人に呼び掛けている。
見れば、店の薬をチラチラと見ている子供がいた。
目深に被ったフードで顔は見えないが、僅かな身体の動きから薬が入った小さな袋に意識が集中しているのはすぐに分かった。
何食わぬ顔で店の周りをうろついているが、薬屋の青年は見向きもしていない。
呼び止めようかとも考えたアーシュだが、何か事情があるのだと思い直して見守っていると、薬瓶が入った袋が一瞬の内にして子供の懐に吸い込まれていった。
一部始終を見たアーシュは、この移動販売店が決まった時間に町中を回っていることや、駆け寄る人々の数に機嫌をよくする薬屋の隙を見抜いた観察眼に関心していた。
盗みを働く浮浪児は多く、町の暗がりに暮らす者には必須ともいえる技術である。
しかし、その大半は店主に気付かれた後の逃げ方ばかりに気を取られる傾向にある。
同じ『盗み』の技術を目の当たりにしたアーシュは、自然とその後を追っていた。
初めて訪れた町であっても、天然の巨大洞窟程に入り組んでいない裏道を辿るのは彼にとって造作も無いことだった。
追跡者の気配に気付かず裏道を疾走する小さな影は、やがてある家へと消えていく。
壁の一部が剝げ落ち、割れて碌に機能していない窓が見える一軒家からは、子供1人以外の気配を感じられない。
折角の機会とばかりに2階の窓から侵入した彼の耳に、先程の子供と思しき声が聞こえてきた。
「おかあさん、もうだいじょうぶだからね!」
すぐによくなるよ、と話し続ける声を辿ると、寝室らしき部屋を見つけた。
部屋の中は彼が泊る宿屋よりも質素であり、狭い室内にベッドが1つ置かれているだけだった。
侵入者にようやく気付いた子供が振り返ると、フードに隠されていた顔が露わになる。
銀色になびく髪と蝋の如く白い肌は、幼い少女の険しい表情とは裏腹に彼女を死人のように見せていた。
一方、彼女をそのまま大人にしたような女性は、痩せこけた体をベッドの上から動かせないようだった。
ベッドの上だけが行動範囲の彼女に親近感を感じていた彼の前に、少女が小さな体で立ちはだかる。
「おかあさんにちかづくな!」
ここまで見せられれば、流石のアーシュにも理解できた。
病床の母と献身的な娘。散々目にしてきた光景に、彼の顔から力が抜けていった。
「またこれかよ……」
思わず零れた彼のボヤキに、少女の怒りが燃え上がる。
「かんけーないでしょ!なんなのよあんた!」
「あんたじゃねえ、お前の盗みをばっちり見てたカッコイイお兄さんだ」
「……っ!」
侵入者の返答から己の過ちを悟った少女は、絶望したように目を見開いた。
そんな彼女を脇目にげんなりと肩を落とすアーシュに、母親が呼び掛ける。
「あの…」
「あーはいはい、何でしょうかね」
「この子を責めないであげて下さい。責任は私が…」
「おかあさん!」
子の責任は親の責任と言うように娘を庇う母に対し、少女から悲鳴の声が上がる。
おおかた窃盗の罪で摘発されると考えているのだろうと察したアーシュは、心底面倒臭いという表情を隠しもせず吐き捨てる。
「別にあんたらに興味なんてないよ。いや、無くなったというべきか」
「え?で、では何故ここへ…」
「暇だったもんで、つい」
あっさりとした答えに面食らったのか、親子はそっくりな顔を固まらせて呆気に取られていた。
硬直したままの彼女達に構うこともなく、アーシュは更なる事実を突きつける。
「そういや奥さん、あんたじきに死ぬけどどうする?」
「な、何を言って…」
「いや、あんたが手に持ってるその薬のことだよ」
「まさか…!」
「そう、娘さんが盗んだ薬だよ」
「薬の種類はあってるんだが、一瓶まるまる飲み干すのはまずかったな」
アーシュの瞳は、ベッドの傍らに落ちたままの小さな袋と、母親が握っている空の薬瓶を見逃さなかった。
少女が盗んだ袋に入っていた薬。
それはコップ一杯の水に数滴だけ加えて飲むもので、間違っても1回で使い切るような代物ではない。
盗みの腕前から、少女が己と同様に碌な教育も受けず育ってきたことは予測できていた。
何より、アーシュは以前に薬屋が使用容量を説明していたのを耳にしている。
それを飲む前に警告しなかったのは、彼の信念だった。
『他人の後ろめたい事情には、向こうから乞われない限り手を貸さない』
それは、王都の暗部で育ったアーシュが定めた世界の線引きでもある。
人には各々の問題や困難があり、それら全てを解決するなどというのは神を以てしても不可能である。
まして聖者すらも格好の餌にしかならない暗部ともなれば、お節介で手を貸してくる者は最後の一滴まで絞り取られて無残に捨てられるのが当たり前だ。
平凡で善良な人々がいるならば、悪質で卑劣な者も同じようにいる筈である。
そう考えたアーシュの導き出した答えが、救いを求める者までを助けるというある種の妥協であった。
仮に、目の前の少女が薬の扱いを尋ねてくるようなことがあれば、この上なく丁寧に教えた後に服用の瞬間まで付き合う腹積もりでいた。
無論、薬屋から盗人を捕まえるように頼まれても同じことだ。
「嗚呼、そんな……」
「うそ!そんなのうそだ…!」
「俺も詳しくはないが、多分あと数時間ってところだ。あの薬屋なら対処法も知ってるかもしれないが、もうあそこにはいないだろうよ」
絶望に襲われる母子を眺めながら、アーシュはついでとばかりに残された時間を呟く。
想像を絶する裏事情もなく、只々愚かな少女とその母親しかいないこの場所に、彼が留まる理由はない。
それでも立ち去らなかったのは、哀れな親子への最後の慈悲だった。
「ねえ……おねがい………」
やがて微かに聞こえてきた声に耳を傾ける。
「おかあさんを、たすけて………」
最後の希望を求めるようにアーシュへと手を伸ばす少女は、確かにそう言った。
「いいぜ、絶対に助けてやる」
親子に背を向けたアーシュは、侵入して開け放しのままにしていた窓に突進する。
右手で屋根の端を掴むと、逆上がりの要領で家々を見下ろす光景が広がる屋根の上へと踊り出る。
馬鹿正直に道を駆け回るよりも、こちらの方が彼の性に合っていた。
まずは先程まで屋台が停まっていた広場に向かうものの、案の定そこには影も形もない。
ならばと更に前方の屋根へと跳び移る。
不安定な足場を猫のように走りながら、この数日間の記憶を総動員し、空を見上げる。
太陽はほぼ真上、加えて新入り魔導師を迎えたのが早朝であることを考慮すると、まだまだ昼飯時と言っていい。
目指す方向に屋台が見つからなかった場合に備えて巡らせていた思考を、記憶に残されていた声が掻き消した。
お買い得だよと張り上げた男の声を、彼は確かに聞いている。
それも丁度、今のような昼時に。
イリンと和解した昨日の昼、窓の外から聞こえていたあの声だ。
強引に身体をよじり、目当ての方向へと跳ぶ。
急な圧力に、左腕の痛みが再び鎌首をもたげた。
たった1つの動作に、生温い汗が全身から吹き出し、頭で火花が弾け飛んでいる。
全身から発せられる警告を振り切るように駆けていた彼の足が、遂に止まった。
記憶の真偽は、眼下に通る宿屋前の道を見れば分かる。
微かに上がる口角を抑え切れないアーシュは、流れる汗を拭き取りその身を宙に投げ出した。
◆
アーシュが文字通り家を飛び出してから数刻、少女は母の手を固く握り続けていた。
不用意に薬を与えた自らの愚かさと、息も絶え絶えの母に何もしてやれない無力感が、その小さな体を徐々に押し潰していた。
「おかあさん…しなないで……!」
不安に壊されそうになる心を、辛うじて絞り出した母への言葉に込める。
その言葉に応えたのは、目の前に横たわる母ではなかった。
「お待たせ」
小さな背中に力強く響く声。
その声には先程聞いたような冷たさは無く、朝の日差しのように暖かかった。
少女が振り向いた先に見たものは─────
「言ったろ。絶対助けるってよ」
─────薬屋の青年を引き連れ、確信に満ちた笑みを浮かべるアーシュの姿だった。
Q.ナディコスの身分証明とかどうしたの?ゲロ吐いた偽物だったらどうすんのよ
A.一応、証明書を持って来た設定です。書かなかっただけで私の脳内にはありました(物書きの屑)
Q.左腕動かないんじゃなかったの?
A.割と回復していますが、手先の器用さが失われて時折痛みが走るという状態です。冒険では素早く的確に動かなければならないため、やはり勇者達についていくのは難しいままです。
まだまだ勉強中の身ですので、さては〇〇先生の作品から展開パクったんと違うかワレェ!という方がおられましたら、やんわりとご指摘して頂けると幸いです。