2話
仲間と話すだけです。
「時に小僧、信念は持っているか」
世間話のように向けられた話題に、幼いアーシュは怪訝な表情を浮かべる。
「持ってないけど……」
「そりゃあいかんな!何かいい感じの信念は持っとけよ」
適当極まるアドバイスに、眉間に寄せた皺が更に深くなる。
この男はいつもそうだ。
人を気まぐれで拾い上げて、気が向いた時に訳の分からない助言を投げてくる。
意図を理解できないでいると、なら忘れろと簡単に話を切り上げるような奴だ。
どうせ今回も同じだろうと溜息をつくアーシュに、男が続けて語り掛ける。
「…単純なのはやめとけ。いざという時に融通が利かなくなるからな」
「あと優し過ぎるのもやめとけ。マヌケなお前じゃ、隙が増えるだけだからな」
意外な反応に、空色を宿す目を僅かに見開く。
柄にもなく語ったことは自覚していたようで、男は照れくさそうにガシガシと頭を掻いて誤魔化した。
師匠と認めた彼の態度に何かを感じ取ったアーシュは、暫くしてぽつりと呟く。
「………決めた」
「おう、言ってみな」
「俺は─────」
真っ直ぐと前を向く少年の宣言を聞いた男は、満足そうに頷いた。
◆
眩しさに耐えかねて、微睡みの快楽を投げ捨てる。
カーテンの隙間から落ちる柔らかな朝の光と、遠くに聞こえる商人の叫び声が、睡眠不足のアーシュの神経を逆撫でた。
昨晩は、腕の痛みが引くまで満足に休むことすらできなかった。
僅かな睡眠時間で回復した体力も、そんな気を知らずに緑葉を揺らす風に攫われていった。
左肩から先に意識を移すと、蝕むような激痛が消えていることに気付く。
まだ痛みは残るが、今ならばこの窮屈なベッドの上から脱出することも容易い。
─────ここから出て、何がある
一瞬湧き上がった後ろ向きの思考を捻じ伏せ、着替えに手間取りながらもどうにか扉を開けた。
何の変哲もない木造の廊下を数歩進むと、聞きなれた声が鼓膜を震わせる。
真横にある扉から漏れ出てくる声は、殊更に大きい訳ではない。
ただ、彼の常に研ぎ済まされた聴覚で捉えられぬ程の囁きでもなかったというだけだ。
「おはよっす」
扉を開け放つと同時に、いつもの調子で声をかける。
部屋の内装は、ベッドと1つのテーブルを囲む4つの椅子が置かれているだけの簡素なものだった。
予想に違わず、中にいたのは見慣れた3人の男女達だ。
元気だなアス坊、と一番に返答したのは、荒々しい髭と衣類の下からでも分かる強健な肉体を持つ男。
名をオディゴーと云うドワーフは、その出自からは想像できない程の巨体を左の椅子に降ろした。
パーティ唯一の年上らしく、アーシュの強がりを見抜いて合わせてくれたことに内心で感謝しながら、その瞳は青ざめた表情のまま固まっている少女に向けられた。
「返事くらいしてくれよな、イリン」
回復魔道師のイリン。
アーシュ、クロマと同じ人間であり、回復魔法の腕前は文句なしの最高峰と言えるものだ。
アーシュのそれよりも薄く艶やかに流れる金髪が、青ざめて尚美しい彼女の白い肌をより一層際立てている。
しかし、視線を受けて気まずそうに目を伏せる姿は、如何なる大事に直面しても清廉さを崩さない普段の彼女には似つかわしくなかった。
「も、申し訳ありません」
一体何に対しての謝罪なのか分からない返事をしながら、彼女は静かに手前の椅子を引いた。
どうやらアーシュに着席を促しているようで、先の一件に関する後ろめたさがこれでもかと現れている。
召使いかよとぼやきながら着席した正面には、クロマが腰を下ろす。
起こす手間が省けたと笑う親友の顔には、微かな罪悪感が残っていた。
「では、今後の方針を話そう」
緩んだ顔を引き締めたクロマによる宣言は、既にアーシュの脱退が決定していることを再認識させるものだった。
それでいいと頷いたアーシュは、動かない左腕を忘れて机に上半身を乗り出す。
彼が参加する最後の会議だ。最後の会議ぐらいは真面目にやってやろうという気概があった。
新メンバーの役割と合流する方法の確認、更には装備の点検・整備から次の町に到着するまでの備えなど、議論は数時間の内に目まぐるしく交わされていった。
会議が終結したのは、昼時を過ぎようという頃になってのことだった。
ふうと嘆息をひとつ零したクロマは、オディゴーと共に結論をまとめ直す。
「オレ達は明後日の早朝に出発する。途中一晩は野宿せざるを得ないだろうから、それまでにここで可能な限りの準備はしておく」
「アス坊、お前さんの抜けた穴は王都から派遣される魔導師に埋めてもらう。明日までにはここに着くらしいが…会っておくか?」
「顔と性格次第だな」
オディゴーに尋ねられて少々粗雑な冗句を飛ばすものの、清貧を善しとするイリンからの反応は無かった。
見れば、酷く叱られた幼子のように目を伏せて縮こまっている。
旅の中で何度か窘められてから、アーシュは彼女の前で酷い軽口を叩かないように努めてきた。
その禁を破ったのは、イリンが以前のように説教に気を取られて立ち直っていることを期待したからだった。
しかし、実際に得られた成果は芳しいものではない。
靴の左右を間違えたような苛立たしさを、コツコツと机を叩く指の動きに変換する。
生来の面倒臭がりを発揮したアーシュの選択肢は、ただ1つだった。
「イリン、2人で腹割って話そう」
即ち、2人だけになれば話しやすいだろう作戦。
「アーシュ…」
「アス坊ォ…」
昨日のクロマに見られた気の回しようもなく、部屋から追い出す仲間達への根回しすら放り出した判断に、男2人が天を仰ぐ。
しかし、イリンの反応は常識人達の懸念とは異なっていた。
「…分かりました」
「申し訳ありません、お二人とも退室していただけますか」
覚悟が決まったのか、あるいは退路を断たれたと悟ったのか、彼女はアーシュを真っ直ぐに見据えながら答えてみせた。
紅一点の変容に驚きつつも二人が退室すると、同様に目を丸くしていたアーシュは仲間の成長に優しく微笑んだ。
「意外だな。もう少し黙ったままかと思ってた」
「沈黙は罪の清算にはなりませんので」
そういうつもりじゃないんだけどなと頭を掻く彼に対し、イリンが口を開く。
しかし、紡ぎ出される言葉よりも、アーシュの口が動く方が早かった。
「私のせいで」
「ヨルムガルドだっけ。あのデカいのから戦利品回収できなかったのは残念だったな」
「えぇ、それも私の働きが」
「オディゴーの股に蛇が嚙みついたこともあったし、やっぱ俺ら蛇と相性良くないのかな」
「いえ、貴方のそれは私の」
「そういやお前最近は杖で魔獣ぶったたいたりし」
「アーシュ」
「はい黙ります」
次なる策であった『立て続けに話して謝罪する隙を与えない作戦』は、イリンの威圧により失敗した。
相も変わらず自分に頭が上がらないアーシュを見て、彼女の心中は幾分か和んだようだ。
彼女にとって、何かと騒がしいアーシュは手のかかる弟分だった。
だからこそ、猛毒に蝕まれる彼の姿が脳裏を焦がしていた。
自身に課した回復師としての使命と愛する弟分、どちらも守り切れなかった事実に打ちのめされたのだ。
その迷いが今、他ならぬ彼自身によって否定された。
彼女には、その優しさが無性に嬉しくて仕方がなかったようだ。
「アーシュ、使命を持った私達は一所に留まる訳にはいきません。それは分かりますね」
「おっそうだな」
「アーシュ」
平静を取り戻したイリンは、いつもの如くあやすような口調で語りかける。
最後まで斯くあろうとしてくれる彼女の親愛に満たされつつ、それらしい相槌を打つ。
説教をするイリンと、適当な返事をするアーシュ。今まで何度も繰り広げられた光景だ。
別れを惜しむように、互いの未来を願うように、彼らの語らいは長く続いた。
◆
「……いちゃついとるのう」
「……女将さんに昼飯頼みに行こうか」
廊下に放り出されたままの男共は、扉から漏れ出る甘い空気から逃げるように、そそくさと階段を降りていった。
お買い得と叫ぶ商人の声が、誰もいなくなった宿屋の廊下に虚しく響き渡っていた。
Q.ヨルムガルドめっちゃ強いじゃん。何で魔王は使役しないの?
A.だってあいつら基本的に超ビビりだし、あんなの手元に置いてこっち(魔獣側)攻撃されたらたまったもんじゃないし…
未だ勉強不足の身ですので、この展開〇〇先生の作品で見たぞテメェ!という方がいらっしゃいましたら、それとなく遠回しにご指摘して頂けると幸いです。