8
あんなに虐めて、悪口を言ってきたくせに。
メリアを騙して、楽しんでいたくせに。
友達? 何を言っているのだろう。
ずっと、我慢してきた。
大丈夫だと思い込ませて、自分は強いとそう思いたかった。
悪口くらい堪えてみせて何でもないように振る舞うことが、メリアにとっての強さだった。
強く在りたかった。
「大嫌い」
だが、発せられた言葉はそれらの想いとは真逆だった。
「嫌い嫌い嫌い、大嫌い! 」
何度も何度も、そう叫ぶ。
「メリアさん? 嫌いって何……」
ヨナが困惑した様子でメリアを宥めようとするより先に、メリアはヨナを強く睨みつけた。
今まで人に、こんな目を向けたことはなかった。
メリアの鋭い眼光に、ヨナとミア達が一瞬たじろぐ。
「大っ嫌いだ! 」
もう一度、同じ言葉を繰り返す。
「メリアさん、落ち着いて……」
「嫌い大嫌いみっともない馬鹿だドジだ相応しくない可哀想見たくもない鬱陶しい調子にのるな1人じゃ何もできないいつも誰かに頼ってばかり弱い何様のつもりだ立場を考えろいい加減にして汚いどういうつもり気を惹きたいだけ無礼地味哀れ無様恥を知れお前みたいな奴が場違い目障り黙れ喋るな」
「メリアさ……」
「平民のくせに立場を弁えろお前がいて良い場所じゃないいなくなれ失礼何でできないのあの子だけ違ういい気になるなおまえにはお似合いだ一緒にいる人が可哀想ゴミ触るな生意気関わらない方が良いいなくなれば良いのに存在が邪魔だ消えろ! 」
「メリアさん……」
「全部覚えてるよ!? 」
睨んでいた目から、ついに涙がこぼれ落ちた。
ずっと我慢していたそれは、止まることなくどんどん溢れ出てくる。
「全部っ、全部覚えてる! あなた達に言われたこと、一言一句違わず、全部っ……!! 」
本当はもっとある。
沢山、数え切れない程ある。
どのくらい言われたかは覚えていないのに、不思議と言葉だけは覚えていた。
「平民だから何が悪いの!? 私だってこの学園に入るために、頑張って勉強したんだよ!? 私の家はあんた達貴族と違って家計が苦しいんだよ! お父さんは過労で死んじゃって、お母さんが私と弟を育ててくれてたの! でも、ずっとそうしてるわけにはいかないじゃん! この学園は、授業料もいらないし食べ物だって国から支給されてる! だから私はここに来た! 助けたかったの! お母さんと弟を……なのに、なのに何で毎日虐められなきゃいけないの!? 平民だから良いと思ったの!? そう思うならあんた達は私よりよっぽど馬鹿だよ! 」
今でも思い出す。
母は、「ごめんね、メリア……」と泣きながら謝っている姿を。
弟の、「姉ちゃん行っちゃうの……? 」と言う寂しそうな顔を。
だからメリアは決めたのだ。
この顔を、笑顔に変えてみせると。
学園に行くことで、家の負担も軽くなるはずだから。
この学園を、必ず卒業することを誓った。
「あなたっ……! 口の利き方がなってないわよ! あれほど言ったでしょう!? 貴族に対しては敬語を……」
侮辱されたことに怒って、ヨナが今日1番の怒りを見せてきたが、もうその目には怯まなかった。
「敬語!? あんたみたいな馬鹿貴族に敬語を使う意味が分からないよ! それに何!? 友達? 友達じゃないよねずっと騙してたよね!? 大丈夫? 大丈夫かどうかなんてあんたにだけは分かられたくない! 大丈夫かなんて、私だって分からないのに! 勝手なこと言わないでよ! 」
「っ……! 違うんですヤナギ様。私達、本当に友達で……」
「私はハラン様の悪口なんて言ってない! ていうか、ハラン様のこと嫌いなのはヨナ様ですよね!? 言ってたじゃないですか、昨日! ハッキリと! 嫌いって、言ってたじゃないですか! 」
『そうね。正直なところ、あまり好きではないわね』
ハッキリと、そう言ったはずだ。
ヨナもその言葉を思い出したような顔を一瞬したが、すぐに違うと否定する。
「は、はぁ……!? あなた、何言って……」
「ハラン様があなたより高貴な存在だから、本当のことを言えないんでしょう!? 怖がり! 私よりみっともないくせに! 言いたいことがあるなら言えよ! ハラン様には言えなくて私には言うとか、意味分かんないんだよ!! 」
「なっ……! だって、だってヤナギ様は、私を超えた! 私より綺麗で、私より淑女としてのマナーがなっていた! 何故ですの!? この前までは、そんなことありませんでしたのに……! 一体何故……」
怖がり、という言葉に反応して、ヨナが自身の想いを吐露する。
綺麗で、淑女として完璧で、頭も良い。
そんな完璧なヨナを、ヤナギは軽々と超えていった。
それがとても悔しくて妬んでいた、ということだろう。
「だから、だからぁ! 」
「だったらそう言ってよ! 身分で言う言わないを決めないでよ! 陰でグチグチ言われる方が、よっぽど腹立つんだよぉ! 」
これは、メリアの想いでもあった。
ミア達のように、直接害を加えてくる人もいるが、ほとんどの人はそうじゃない。
関わりたくないからと、メリアのいないところで悪口を言ったり、逆にメリアにわざと聞こえるように声を大きくして言ってくる人がいるのだ。
それが、本当に大嫌いだった。
ミア達に何かされても、助けてくれる人なんていない。
皆、メリアのことが嫌い。
その事実が、真正面から突き刺さってくるようだったから。
「やめてよ……いい加減にしてよ! 嫌いなら嫌いって言わないでよ! 心の中でだけ思っててよ……。お願いだから! 」
もう傷つきたくなくて、メリアは必死に懇願した。
後半はほとんど鼻声になっていたが、それでもしっかりと届いたはずだ。
ヨナとミアは顔を見合わせた後、ヤナギに視線を映した。
「ヤナギ様、あの……」
「先程ヨナ様が私のことを嫌いだと仰ったことであれば、私は気にしていません」
「え……。そう、ですか……」
「ヨナ様、もう……」
ミアがヨナの手を引っ張って、もう良いと首を横に振る。
ミアは、メリアの気迫に圧倒されているようだった。
そんなミアを見たヨナも、「そうですわね……。ヤナギ様もいますし」と言って、メリアに背を向けた。
取り巻き達も一切喋ることなく、会釈だけして帰っていく。
テラス席には、ヤナギとメリアしかいなくなった。
もう日は大分傾いている。
早く寮に戻らないといけないのに、メリアは動けなかった。
涙はまだ、止まる気配がない。
ただ、言いたいことは言ったのでスッキリしていた。
鼻を啜っていると、コツコツと足音が聞こえた。
ヤナギはメリアの正面で止まると、頭を綺麗に下げてきた。
「申し訳ありませんでした」
急な謝罪に一瞬ポカンとしてしまい、メリアの口から「へ……? 」と間抜けな音が出る。
「私も、アルストロ様のことを、平民のくせにと言ったことがありますので。傷つけてしまって、本当に、申し訳ありませんでした」
「ハラン様……」
そういえば、そんなことも言われた気がする。
でも、正直悪口なんて言われすぎているせいで、誰に言われたかとかはあまり覚えていなかった。
「謝ってくれたので、もう良いです……。それに、なんというか、私も、すみませんでした」
「え……? 」
「私も、ヨナ様がヤナギ様のこと悪く言ってる時、何も言えずにただ聞いてることしかできなくて……。本当は止めれば良かったのに……」
思い返してみると、自分にも少し非があったのかもしれないと思い始めてくる。
そのことについてメリアも頭を下げると、ヤナギは「大丈夫です。気にしていません」と返してきた。
さっきまでヨナ達が座っていたテラス席には、食べかけのクッキーと高価なカップに入った紅色の紅茶が置かれている。
それらに視線を逸らしながら、メリアは呟いた。
「私、強くなくなっちゃいました」
「強く……? 」
「はい。虐められてもずっと、大丈夫だって思ってきてて……そうやって我慢してる私は強いんだって、思うことができたんです。でも、今日……」
我慢ができなくなってしまった。
大丈夫だと思っていた心の壁が、崩壊した。
「私、弱いんです。弱くて、みっともなくて……。貴族の方々が、私達みたいな平民を馬鹿にしてるってこと、分かってて……分かってて学園に来たのに……。何言われるか、すごく不安で……。でも、
何されても堪えようって、頑張ろうって、笑って、家族と離れて……なのに、できなかった……」
ミアとヨナにあんなことを言って、明日からどうなるだろうと、怯えている自分がいる。
「私、弱くて、情けない……。1人じゃ何も、できない……」
誰かに頼ってばっかりだ。
紅茶に映ったメリアの顔は、酷く歪んでいた。
「人を、傷つけてはいけません」
唐突に、ヤナギはそう言ってきた。
「え……? 」
意味が分からず、愕然とする。
人を傷つけてはいけない?
何故、メリアにそんなことを言うのだろうか。
ミアとヨナに言ったことは失礼だから、2人を傷つけてしまったから、謝れというのだろうか。
確かに、謝れば解決しそうな問題ではあるだろう。
頭を垂れて許しをこえば、2人はきっと良い笑顔で許してくれるはずだ。
でも、そうはしたくなかった。
メリアは、明日からのことを怖がってはいるが、今日言ったことを後悔はしていない。
「私が、あの2人を傷つけたって言うんですか!? ミア様もヨナ様も、そんな素振りなんて全く……」
「人を、傷つけてはいけません」
再度そう言うヤナギに、落ち着きかけていた怒りが戻ってくる。
「だからっ……」
「アルストロ様も、人です」
だが、その怒りは1秒と経たず消えてしまった。
発せられたヤナギの言葉に、メリアの目が大きく見開かれる。
「人を、傷つけてはいけません」
「あ……わ、私、は……」
人を傷つけてはいけない。
その言葉の真意が、ようやく見えてくる。
「私は、1人でずっと堪えていたアルストロ様を、1人では何もできないとは、思いません」
メリアを肯定してくれる声に、堪えていた何かが切れる。
「私は……っ! う、うわあああああああん!! 」
もう流れる涙はないと思っていたのに……。
泣いて泣いて泣いて、それでも涙が枯れることはなくて。
平民だからと、人と同じように扱われていなかった。
皆と違う。たったそれだけの理由で。
でも、ヤナギはそんなメリアを、周りと同じ人間だと、そう言った。
そのことが、嬉しかった。
「私は、私はただっ! 皆と、仲良く……ひっ、うわあああああああ!」
それからメリアはずっと、辺りが真っ暗になるまで泣き続けていた。
「ひっく、ひっ……」
ようやく泣き止んだメリアの目は、真っ赤っかに染まっていた。
「大丈夫ですか? 」
ヤナギの問いかけに、メリアはしゃくりあげながらも「大丈夫……」と答える。
「本当に大丈夫ですか? まだ泣いているように見えますが……」
「いや、本当に、大丈夫だから……」
鼻をずずっと啜り深呼吸をすると、やっと普通に喋れるようになってきた。
もう暗くなった空を見上げると、星がちかちかと瞬いている。
メリアが地面にゴロリと寝転がりそれらを眺めると、ヤナギも同じようにゴロリとメリアの横に寝そべった。
「綺麗……ですね」
「はい。綺麗です」
今日は天気が良いから、星も随分と沢山ある。
「……ハラン様」
「何でしょうか」
「友達に、なってくれませんか? 」
ヤナギはメリアを虐めていた人の1人だ。
でも、お話したり、文化祭委員として一緒に仕事をしたりしているうちに、メリアはヤナギと過ごす時間がとても楽しいものであるということに気づいた。
「変、ですよね。虐められてたのに……。でも、そんなの今は、どうでも良くて……。ただ、ハラン様と友達になりたい、そう思うんです」
星空に向けていた目を、ヤナギへと移す。
綺麗な横顔が視界に映った。
「駄目、でしょうか……? 」
友達が欲しかった。
そしてその相手は、ヤナギが良いと思った。
一緒にいると楽しいから。それ以外には、理由なんて特にない。
ただ、ヤナギと友達になりたかった。
「……駄目では、ありません」
少し迷った後、ヤナギはそう口にした。
「アルストロ様がそう望むのであれば、私は拒みません。ただ……」
「ただ? 」
「私はこれからも、アルストロ様を虐めます。それでも、良いのでしたら」
メリアを虐める。
それは、今もずっとヤナギがメリアにしていることだ。
「ふっ、ふふっ、あはははははは! 」
まさかの返事に、つい笑い転げてしまう。
「アルストロ様? 」
笑っているメリアをどう思ったのか、ヤナギの顔がメリアに向けられる。
「ご、ごめんなさ……。友達なのに虐めるっていうのが、おかしくって……ふふっ! 」
「平民のくせに、という言葉は、もう使いません。後、虐める時の日程ですが……」
「あはははははははは! 」
「アルストロ様? 」
ヤナギの言葉が面白くて、さっきまで流していた涙なんて吹き飛ぶくらい、メリアは笑顔になっていた。
「あははっ! うん、いいよ。それで。友達に、なろう? 」
笑って、自身の手をヤナギの手と重ね合わせる。
風に晒されて冷たかったが、ぬくもりを感じた。
「アルストロ様、あの……」
「やめて」
「え? 」
「メリア、でいいよ」
「メ、メリア……」
「あと……お願いが、あるんですけど」
「何でしょうか」
「……私も、ハラン様のこと、ヤナギちゃんって、呼んでいい? それと、敬語も、なしで……」
友達になったのだから、もっと親しくなりたい。
そう思ってお願いしてみたが、さすがに貴族相手にこんなお願い通るはずないかと思い直す。
だが、返ってきたのは予想とは違っていた。
「いいですよ」
「え……? いいの? 」
「はい」
まさかの答えに、嬉しさが込み上げてくる。
「じゃあ、これから宜しくね! ヤナギちゃん! 」
「はい。宜しくお願いしま……」
「あ、駄目だよ? 私に対しても、敬語は禁止! 」
まるで子供に叱るようにそう言うと、ヤナギは若干躊躇っう様子を見せた後、こくりと小さく頷いた。
「……これから宜しくね、メリア」
あまり言い慣れていないのか、たどたどしくヤナギは言った。
「宜しくね! ヤナギちゃん! 」
笑って、ヤナギの手をギュッと握った。
次の日。
ドキドキしながら教室に入ると、誰もメリアに視線を向けてこなかった。
てっきり昨日より酷いことになっていると予想していたのに。
ミアと一瞬だけ目が合ったが、すぐにぷいっと逸らされてしまう。
ヨナも、気まずそうに目を逸らしていた。
「どうして……」
「おはよう、メリア」
戸惑うメリアに挨拶をしたのは、アイビーだった。
「あ、あの、これどういう……」
挨拶も返さずメリアがこの状況に指をさして言うと、アイビーは「ちょっといろいろ言っておいた」とだけ言った。
「いろいろって……」
「メリアちゃーん」
いろいろについて頭を悩ませているところに、内緒話でもするような小さな声が耳を通った。
「シード様。どうしたんですか? 」
扉からちょいちょいと手招きされ廊下に出ると、シードは教室にいるアイビーに「うげぇっ」と嫌そうな顔をした。
「昨日のアイビー様、すごかったんだよ? 」
「すごかった? 」
「うん。メリアちゃんが帰るなり、凄い怖い顔になってさ。何かいろんな人に聞き込みとかして、メリアちゃんの噂について調べてたみたい」
「え……」
「それで問題は今朝、だよ。僕、たまたまアイビー様と会ったんだけど……。アイビー様、ミア様とヨナ様と一緒にいてさ。何て言ってたと思う? 」
「何て、言ってたんですか? 」
ゴクリと唾を飲み込むと、シードはわざとらしく背筋を震わせた。
「根も葉もない噂って怖いよなぁ。流された方も、流した方も……だってさ」
「……そ、それで……? 」
「そっからは聞いてない。あの時のアイビー様、怖すぎて……。知らないフリして通り過ぎちゃったよ」
シードの気持ちは大いに分かる。
きっとその時のアイビーは、見たことも無いほど怖かったのだろう。
王子の威厳、というやつだろうか。
考えただけでも恐ろしい。
「でもまぁとりあえず、アイビー様にはお礼言っといた方が良いと思うよ? 」
「あ、はい。そうします」
何はどうあれ、お礼は言わなければならない。
「うん。じゃ、またお昼にねー」
「はーい」
去っていくシードを見送って、メリアは教室に戻った。
アイビーにお礼を言ったところで、授業が始まる鐘が鳴る。
先生が教室に入ってくると同時に、皆も一斉に席に着きだした。
メリアも席に着こうと、歩きだす。
後ろの方は埋まってしまったから、今日も前に座るしかなさそうだ。
「隣、良いかな? 」
「良いわよ」
了承を得て、ヤナギの隣に腰を下ろす。
「それではまず、前回の復習から……」
今日も、 1日が始まる。




