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「メリアちゃん! 大丈夫だった? 」
「何があったかは知らんが、あまり気にしない方が良い」
「その……無理すんなよ」
「所詮馬鹿の戯言だ。気にするだけ時間の無駄だな」
生徒会室に入ったら、皆そう言ってメリアを信じてくれた。
温かい言葉に胸がいっぱいになって、皆には見えない所で少しだけ泣いてしまったのは内緒だ。
「あの、ハラン様……」
隣に座っているヤナギに遠慮がちに声をかけると、ヤナギはいつもと変わらない様子で「何でしょうか? 」と言った。
「今日、皆が噂してたことなんだけど……」
「噂ですか? 」
そもそも、噂について知らないようだったヤナギは、首を傾げて聞き返してきた。
知らないならいいかと、メリアは「ううん。何でもありません」と言って誤魔化した。
「メリアちゃん、送っていこうか? 」
噂のことが心配なのか、シードがそう申し出てくれるが、それに笑顔で首を横に振る。
「大丈夫です。1人で帰れます」
「そう。気をつけてね」
「はい。皆さん、お疲れ様でした」
そう言って、生徒会室を出る。
生徒会室で過ごす時間は、何をしている時よりも楽しいな。そんなことを、思いながら。
階段を下り、3階から2階、2階から1階へ行く。
寮へと続く廊下を歩いていた。
今日は、早く寝よう。
そして明日は早く起きて、お昼には生徒会室へ行こう。
例え誰かに何か言われても、メリアは独りじゃないんだから。
だから大丈夫。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
『みっともない。あんな平民がこんな素晴らしい学園にいるなんて、場違いにも程があるわね』
大丈夫。
『可哀想ね』
大丈夫。
『調子にのってるんじゃないわよ』
大丈夫。
『早く消えてくださらない!? 目障りなんですの! 』
大丈夫。
大丈夫。大丈夫。
何を言われても、メリアはもう――
「見ました? あの様子」
ハッキリ聞こえた、誰かを嘲笑するような声。
それは聞きなれた、あまり聞きたくない女性の、甲高い声だった。
続けて、複数の笑い声が聞こえてくる。
「ミア様? 」
ミアの声と、後は誰だろう。
いや、わざわざ確認なんてしても、何の意味もない。
「よくまぁ簡単に騙されて……。さすが平民、といったところでしょうか」
「ですがよくあんなのにお近づきになりましたわね? 相当苦労なさったでしょう? 」
そのまま通り過ぎようとしていたメリアの足が、ぴたりと止まる。
騙す。お近づきになる。その2つのキーワードが、メリアの心に揺さぶりをかけた。
平民という言葉が聞こえてきたので、それが誰に対して言われているものなのかは、もう既に分かっている。
「苦労したわよ本当に。ですが、騙しがいはありましたわ。あの子、授業で隣に座らなかっただけで、ずっと私のこと前から見てくるんですのよ? 」
その言葉が、その声が、引き金となった。
怖いもの見たさ、というやつだろうか。
もう声の主が誰かなんて分かっているのに、足が勝手にそこへと引き寄せられていく。
寮へと向かっていた足は、そことは反対方向の食堂脇に設置されているテラス席へと向かっていた。
ふらふらとおぼつかない足取りで、近くの草陰へと身を隠した。
「今日も、授業はずっとアイビー様のお隣で受けていたんですのよ? 」
「あらそうですの? 学習しないのね。お可愛そうに」
「でも、これであの女はこの学園から消えますわ。ね? ヨナ様」
その名前に、分かりきっていた彼女の名前と共に、メリアは勢いよく顔をテラス席へ向けた。
そこには、楽しそうに笑っているミアといつもの取り巻き達、そして、ヨナの姿があった。
「授業の席も昼食も休み時間も移動も、全て私にベッタリで……。鬱陶しいにも程がありましたわ」
「ですが、そのおかげで良い方向にいったではありませんか」
「そうですわね。まさかあちらからヤナギ様のことについて話をふってくるとは。想定外でしたわ」
それは、昨日最後の授業が終わった時、教室に戻る途中でメリアとヨナが交わした会話だった。
「本当に。運が良かっただけなのか、それともあの子が馬鹿なだけなのか」
「あら。おそらく後者なのではなくて? 」
「ええ。きっとそうね」
そうして、「オホホホホ」と甲高い笑い声を響かせる。
ヨナは、メリアを騙していた。
ずっと、メリアを、陥れようとしていた。
「ヤナギ様の話題をメリアとしていた時、実は、周りの者達に会話を聞かれていましたの」
「えぇ!? それ、不味いんじゃ……」
「いいえ。私が虐められているメリアを心配するような素振りを見せたら、ヨナ様は優しいと賞賛する声が沢山集まりましたのよ? 」
可愛くて性格の良い優等生なヨナがヤナギの悪口なんて言うはずがないと、聞いている人だったら思うのは当然だろう。
そこで多くの人から信頼されているヨナが「メリアがヤナギの悪口を言っていた」と少し噂を流せば、皆信じるに決まっている。
あの時廊下にいた人は、極小数だった。
その中で、メリアとヨナの会話を真剣に聞いていた人なんていない。
皆歩いていて、精々小耳に挟む程度だった。
それでも、それだけでもヨナにとっては十分だったのだ。
メリアのことを噂で流して、「そういえば……」と更に話を広げてくれる人が現れることによって、より話の信憑性を高める。
ヨナがヤナギは嫌いだと言ったことを聞いていた人がいたとしても、「それは違う。それはメリアが言ったものだ」とヨナが言えば勝手に脳内でそうなんだなと解釈される。
何の理由も、根拠もないのに。
ただ、ヨナは周りから信頼されている人だから。それだけの理由で。
「あちらはまだ友達だと思っているのでしょうか? 」
「さぁ? でも馬鹿ですから、そうかもしれませんわね」
ヨナが高い声で嘲笑う。
薄々勘づいてはいたことだ。
だがいざ現実を目の当たりにすると、心は絶望の縁へと追いやられる。
友達だと、思っていたのに。
信じて、いたかったのに……。
「なんで……」
思わず、そう呟いてしまう。
それほど大きな声ではなかったが、テラスにいたヨナ達は一斉に声のした方……メリアがいる草陰に視線を向けた。
「誰かいるの? 」
少し焦ったようにそう言って、ミアがこちらへと近づいてくる。
逃げてしまおうかとも思ったが、あっさりと見つかってしまった。
ニタリと嫌な笑みを浮かべるミアの顔が至近距離で映る。
「誰でしたの? 」
ヨナの声に、ミアはゆっくりと振り返って「メリア・アルストロですわ」と口にした。
すると、ヨナとミアの取り巻き達の足音がすぐ側で聞こえ、数秒と経たないうちに目が合う。
「あらメリアさん、ごきげんよう。今日はどうしたのかしら? 」
それは、いつもと変わらない笑みを浮かべるヨナだった。
少し前ならその笑みに酷く安心していたが、今では恐怖しか感じない。
「嘘……ですよね? 」
ヨナが、ミア達とグルだったなんて。
「嘘ですよね?だって……」
何か違うと、嘘だといえる所を挙げなければ。
でも、言葉はでてこなかった。
「嘘じゃないわよ」
大きく見開いた目でヨナを見ると、見た事のない笑みと視線がぶつかる。
嘲笑するような目付き。
その目を見ただけで、メリアは全てを思い知った。
あれは嘘じゃない。全部本当のことなのだと……。
「もう分かった? あなたがこれ以上どんなに弁明をしようと無駄なの。だって、立場を考えたら皆あなたより私を信じるのは当然でしょう? 後はあなたがこの学園から出ていくだけ。違う? 」
今まで聞いた事のない冷たい口調でそう言われ、メリアは何も言えずに黙るしかなかった。
衝撃と、絶望。
同時に食べたその味に慣れるためには、随分な時間が必要だった。
「……んで、なんで!? だって、だってヨナ様は、一緒にいてくれたじゃない! 私とお昼を食べてくれたり……。そ、そうだっ! 悪口を言われてる私に、気にしなくて良いとも言ってくれた! だからっ……」
パンッ! と、今日2度目のビンタが頬を直撃した。
今度は左頬だった。
「あなたっ! 立場を弁えなさい! 誰に向かってそんな口を聞いているの! 私には敬語を使いなさいと、あれほど言ったでしょう!? 」
「っ……! ごめん、なさ……」
声が震える。
視界に薄い膜が貼られて、輪郭がぼやけて映った。
「泣けば誰かが助けてくれると思ってるの!? 」
「またアイビー様に頼るのでしょう!? 」
「……ちがい、ます」
泣くな。
いつものことだ、こんなの。
虐められるのなんて、慣れたこと。
今回はちょっと、度が過ぎているだけ。
大丈夫。大丈夫大丈夫大丈夫。
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
「早くこの学園を出ていきなさい! 」
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
「ここはあなたがいて良い所じゃないの! 」
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
「1人だと何もできないのでしょう!? いつもアイビー様に頼ってばかりで、みっともない! 」
大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫。
大丈夫。大丈夫だから。
こんなの、堪えればすぐに、終わるから。
「大丈夫、だから……」
必死に言い聞かせて、自分を奮い立たせようとする。
大丈夫だと、心の中で呪文のように唱えていると大丈夫な気がしていた。
「ちょっと! 黙っていないで何とか言ったらどうなの!? 」
「大丈夫」
「何よ!? 聞こえないんだけど!? 」
「大丈夫」
「鬱陶しいのよ! 」
「大丈夫。大丈夫、だよ……」
「大丈夫ですか? 」
メリアの声に答えるようにそう言った言葉は、メリアの俯いていた顔を上げるのには十分だった。
「大丈夫ですか? 」
もう一度、ヤナギはメリアにそう聞いた。
「ヤナギ様っ! どうしてここに……!? 」
「寮に戻る途中、この子が私のドレスの裾を引っ張って、案内してくれたのです」
「この子……? 」
メリアが目を向けた先には、ヤナギの足元にくっついて「にゃあ」と声をあげる、黒猫ゴマの姿があった。
ゴマはメリアと目が合うと、自分の役目は果たした言わんばかりに反対方向を向いて走って行ってしまった。
「あ、ゴマ……」
走って行くゴマを追いかける気力もなく、メリアはただ手を伸ばすだけになる。
ゴマが、メリアを見つけてくれて、ヤナギを呼んできてくれた?
「アルストロ様、大丈夫ですか? 」
「え? あ……」
「ヤナギ様! 騙されてはいけません! 」
メリアが答えるより先に、ミアがヤナギの正面に立った。
「メリアはヤナギ様を、冒涜したのです! 」
「冒涜? 」
「はい! メリアはヤナギ様に対して、悪口を言ったのです! 平民風情が、ヤナギ様に対して……」
「違う! 私は……」
「お黙りなさい! 」
一喝されて、何も言えなくなってしまう。
このままでは、ヤナギに嫌われてしまう。
そんなの嫌だ。
「あ、の……」
「アルストロ様、大丈夫ですか? 」
再度、ヤナギはメリアにそう問いかけた。
正面にいるミアを避ける形で、メリアの前に来てくれる。
「え? あ、あの! ヤナギ様!? 」
その行為にミアが慌ててヤナギを呼ぶと、ヤナギは変わらない無表情で振り向いた。
「何でしょうか? 」
「何でしょうか、ではございませんわ! この女は、ヤナギ様の評判を悪くしたのですよ! 」
「だから何なのですか? 」
「え……。お、お怒りになったりとかは……? 」
「何故、怒らなければならないのですか? 」
ヤナギの返答に、その場にいた全員がポカンと口を開けて固まった。
「わ、悪口を、言われていたのですよ……? 」
「? 悪口を言われていたとしても、私はどうも思いません」
まさかの返答である。
その冷静な口調と態度を見れば、無理をしているとか、強がっているとか、そんなものは一切見られない。
本当に、悪口なんて気にしていないことが伺える。
「し、正気ですの……? 」
つい漏らしたヨナの本音に、この時ばかりはメリアも同意した。
「はい。悪口も罵声も、慣れておりますので」
「そんな……」
「して、アルストロ様は大丈夫なのですか? 」
「あ、えと……大丈夫、ですよ! 」
無理に笑顔を作って言うも、ヤナギは納得しなかった。
「ですが、大丈夫に見えません。顔も白いですし、身体も少し震えているように見えました。本当に、大丈夫だと言えるのですか? 」
「だ、大丈夫ですよ! ほら、私、笑顔ですし! 」
「笑顔には見えませんが……? 」
「え……? 」
いつも通りの笑顔を浮かべたつもりだったが、上手く笑えていないことに気がつく。
大丈夫。そう信じていた予防線が、ペリペリと剥がれていくのを感じた。
「ヤナギ様! メリアは大丈夫ですわ! 」
「は……? 」
「そうです! メリアさんはもう大丈夫ですから、ヤナギ様はもうお戻りになってください! 」
ミアとヨナが、口を揃えてそう言った。
大丈夫かどうかなんて、メリアが決めることだ。
なのに、なんで勝手に決めるのだろう。
大丈夫かなんて……。
「ね! 大丈夫ですわよね? メリアさん。私達、友達ですわよね? 」
ヨナが笑顔で、でも瞳の奥はけしてそう思っていないことを伝えてくる。
「友達……? 」
「はい! 友達でしょう? 」
「大丈夫……? 」
「ええ! 大丈夫でしょう? 」
大丈夫かなんて、知らないくせに。
メリアのことなんて、何一つ分からないくせに。
大丈夫だと、そう信じてきた。
そう、思い込ませていた。
でも……それももう、限界だ。
「嫌い」
ボソリと、低い声で呟いた。
「大っ嫌い! 」
今度は、大きな声でそう叫んだ。




