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言おうとした言葉は、結局何だったのだろうか。自分は、何を言いたかったのだろうか。
答え合わせをしたかったのか、それとも、もっと別の、他のことを言おうとしていたようにも思う。
でも別に、別れ際に言わなくたって良い。寧ろ、これから受験を控えた人間に変なことを言って混乱させるわけにはいかない。よって、言わなくて正解だったのだと思う。
受験が終わってからで良い。全部終わってひと段落ついたとき、言いたかった何かを言えば良い。
全部終わって、ひと段落ついて……言いたいことは、言えるのだろうか。
結局言えないまま、何を言いたいのかもわからないまま、別れるのではないだろうか。
卒業して、パーティーとかそんなのでちょっと顔を合わせるくらいになって、雑談とか談笑とか、そんなのはなくなって、ただ、挨拶するだけの関係になって……そうなった時、アイビーは、どんな気持ちでいるのだろうか。
「いないっ!? 」
一歩こちらに詰め寄るイザリアは、驚愕と苛立ちの入り交じった瞳でアイビーを見つめ声を挙げる。
首元に巻いた暖かそうなピンクのマフラーと、ベージュのコート。更には赤色の手袋と耳あてまで付けたイザリアは、それでもまだ寒いのか頬をほんのり赤くして、また一歩、アイビーに詰め寄った。
「どうしていないんですの!? このイザリア様がわざわざ来てあげたと言うのに! 」
「い、いやだから、ヤナギは今受験に行ってて……」
「受験!? 」
一際大きな声で叫ぶように言うと、後ろにいたリンがため息を吐いてイザリアに言う。
「どうやら、間に合わなかったようですわね……」
「なんでよ!? なんで間に合わないのよ!? 」
「イザリア様が寝坊したからでしょう? まったく、せっかく朝から来たというのに……」
ぶつぶつ言うリンに、イザリアは「なによ! 」と言い返す。が、続きは言いにくそうに口をもごもごさせているところから、自分が悪かったことは自覚しているようだ。
リンの隣で同じようにため息を吐いていたテリナは、眠そうに欠伸を漏らす。朝8時、確かに土曜の休日だともう少し眠っていてもおかしくない時間帯である。
ヤナギが出ていったのはもう一時間も前になるが、それでも来てくれたということは、ヤナギを想っての行為なのだろう。
苦笑して、イザリアに尋ねた。
「えーと、ヤナギに用があったんだよな? 」
リンの間に合わなかったという言葉からして、おそらく受験本番前に何かしてあげるつもりだったのだろう。
そう思い聞くと、イザリアはふふんと自慢げに胸を張って答えた。
「激励、ですわ! 」
「げき、れい……? 」
言われて暫しポカンとしてしまうが、イザリアは後ろでため息を吐く2人など気にもせずに、話を始める。
「ええ! 受験を控えるヤナギ様に、激励の歌を送ろうと思いまして! 私、歌はけっこう得意ですから! お聞きになって? いきますわよ、ヴォァァー……」
「イっ、イザリア様!? ここにヤナギ様はいらっしゃいませんので、今歌う必要はありませんわよ!?
」
なんか物凄くドスの効いた声が聞こえてきたと思ったら、慌ててテリナがイザリアの口を掌で抑える。
もごもごと暴れるイザリアを他所に、リンが耳元で囁くようにして言った。
「私達は止めたのですが、イザリア様がどうしてもと言うものですから……」
「ああ……うん」
良かった、ヤナギが出発した後で。イザリアには悪いが、もし歌声を聞いてから受験会場に向かったことを想像するとゾッとする。
胸を撫で下ろしていると、テリナから離れたイザリアが、怒ったような目をアイビーに向けてきた。
なんだと思い見返すと、ふっと息を吐き目を伏せる。
「仕方ありませんわ。帰ります」
「え、いや、そんな、せっかく来てくれたんだから、お茶でも……」
「良いですわ、寒いですし。……ていうかあなた、何をしているんですの? こんなところで」
「え……」
不意に聞かれ、口元が固まる。不器用に上げられた口角を上手くコントロールすることができず、間抜けな顔のまま突っ立っていた。
イザリアは呆れた、とでもいうようにため息を吐くと、視線をじっとこちらに向ける。
「今日は授業もないのでしょう? 寒いところを彷徨ってないで、とっとと部屋に戻ったらどうですの? 風邪をひきますわよ」
「イザリア様。アイビー様に向かってそんな言い方……」
「うっ……。わ、悪かったわよ、リン……」
「私じゃなくてアイビー様に……」
「いや、良いんだ」
こういうのには、慣れている。良い意味でも、悪い意味でも。好感を持って親しく接してくれる人もいれば、舐めた態度で接してくる人もいる。どちらも、もう慣れたことだ。それに、自分はこのままでも良いと思っている。王子として、次期国王として、このままにしておくのは良くないと、そうもわかっていながら……。
「散歩。散歩、してたんだ。ほら、暇だし……」
気まずい空気になるのを回避するため、イザリアの質問に答える。本当は全然暇じゃない。仕事はまだ山のように溜まっているのに、つい、そんな嘘を吐いてしまった。
が、イザリアには見抜かれてしまったようで、疑いの目を向けられてしまう。それにどう返そうか悩んでいるうちに、イザリアの方から先に、口に開いた。
「噂になっていますわよ。次期国王様は、まだ婚約者がいらっしゃらないようだって。まぁ、随分前から言われていることですけれど」
「そう、だな……」
耳の痛い話だ。父と母は何も言わずアイビーを待ってくれているが、世間はそうもいかない。自力で婚約者を見つけてこないアイビーに、不安を感じているのだろう。当然だ。自分のことながら、本当に情けない話だ。
「どうするんですか? またお見合いでも? したところで、私は絶対に行きませんが」
「お見合い……」
「アイビー様の望んだお相手は、来るのかしら? 」
「…………」
「まぁ、もし来なかったとしても、他にお相手なんていくらでもいますものね。ここだけの話、ご令嬢方は皆さん狙っていましてよ。皆さんとは言っても、アイビー様と同い年くらいの方でしたらごく一部、ですが。ほとんどの方は、相手はもう決まっておりますから」
届く声は、トゲトゲしい。ついでに視線も、睨んでいるとまではいかないが、どこか冷めた瞳をしていた。
リンとテリナは心配そうに見守るも、口を出すことはない。
頬に、冷たい汗が流れた。
「皆さんご自分で、お相手はお決めになっているようで。勿論、私も」
「そう、ですか……」
「はい。ですのでアイビー様も、ご自分から進まれることをオススメいたしますわ」
「……え? 」
上手く意味が掴めず尋ねると、笑殺される。
「ご自分に、正直になったらいかがでしょう? 」
それだけ言って、イザリア達は、校門前から姿を消した。
今日は一段と寒かった。一日一日重ねる度に今年で一番寒いんじゃないかと思っている今日この頃だが、今日も今日とて今年一番の寒さをアイビーの中で更新している。
窓をビシバシ叩きつける風に肩をぶるぶる震わせながら、机上に積まれた書類のうち一枚を手に取る。
震える指先で何とかサインを書くと、一旦机に突っ伏した。
時計の短針は4を指している。ヤナギは今頃、面接が終わった頃合か……いや、それともまだ、面接の途中か……。いずれにせよ、筆記試験は終わったはず。彼女なら大丈夫だと思うが、自分の全力を出せただろうか……。
「……っ」
帰ってくるまで、まだ全然時間はある。今から待っていたところで、ヤナギはまだ帰ってこない。
わかっていても、足は動いていた。待ちきれず、外に飛び出す。
今日何度回ったかわからない校舎をまたぐるぐる回って、校門前にたどり着く。校門前に、人気はない。今朝みたいにイザリア達が尋ねてくることもなければ、外に出かけていた生徒が帰ってくる気配もない。
寒い。とにかく寒かった。今日は、本当にさむ……
「…………え? 」
目の前に、白いものがちらほら落ちる。
落ちては地面に溶けて消え、また落ちてきては溶けて消え。
まさかと思い空を見上げると、雪が、灰色の空から降っていた。
一際冷たい風が吹くと、雪も一緒に降ってくる。
さっき降ってきたばかりだというのに、一瞬にして雪は勢いを増してくる。
「嘘だろ……」
どおりで寒いわけだ。間違いない。今日は、今年で一番寒い日だろう。
「アイビー様! 」
アイビーの声と重ねるようにして呼ばれた声は、ヤナギのものではない。
声のした方を振り向くと、そこにはメリアを初めとしたいつもの面々が顔を揃えてこちらに駆けてきていた。
いったいどうしたのだろうと思い見ると、メリアは息も切れ切れに口を開く。
「はぁっ……えっと……。今雪、降ってて……」
「ん? ああ、降ってるな。それが……」
「そのせいで今、馬車が止まっちゃってるんですよ! 」
「……え」
聞いた瞬間、ヤナギの顔が頭に浮かぶ。嫌な汗が額に滲んだが、それを振り切るようにして笑みを作った。
「止まってるってそんな、さっき降ってきたばかりなのに」
言うと、シードが暗い顔をして言った。
「ここら辺はそうですよ。でも、ヤナギ様が行った教育校……アイリス町、でしたよね? そこら辺はもう大雪らしいって……」
「でも雪だからって、何も運休にしなくても……」
すると、ブレイブが頭を振って言った。
「昼間、足を滑らせた子供と馬車の衝突事故があったんです。雪も勢いを増すばかりですから、念の為今日一日はってことになって……」
事故。嫌な言葉だ。冬休み前のことが思い出され、思わず下唇を強く噛んだ。
ヤナギは傘を持っていただろうか。いや、きっと持っていない。行きは馬車だったのだから、帰りは困っているはずだ。こっちより激しく降っていると聞くし、そもそも帰ってこられるのか? もし、雪道で事故になんかあったりしたら……。
「アイビー」
「なん……うわっ!? 」
カルミアに返事をすると同時に、一本の傘が、目の前に降ってくる。
慌てて受け取りカルミアを見ると、彼は、こちらは見ずに上を見上げて、ただ一言こう言った。
「おまえが迎えに行ってやれ」
「え、なん……」
「なんで、とは言わせないぞ。おまえが行け、アイビー。俺では、ヤナギを守ってやれん」
「は? どういう……」
「すまんな、メリア」
何故かアイビーではなくメリアに話を振ったカルミアは、今も尚、空を見上げたままでいる。
メリアは突然謝られたことに一瞬キョトンとしつつも、すぐになんの事か理解した様子で笑みを零した。
「ま、私も人のこと言えませんから良いですよ。ヤナギちゃんを守れる人は、たった一人しかいませんからね。カルミア様は、正直で宜しい! 」
「ははっ、なら良かった。これ以上見栄を張ったところで、俺ではどうにもならないのはわかっているからな」
「待ってくれ2人とも、さっきから何を……」
「行ってくださいアイビー様」
言い終わらないうちに、ブレイブからそう言われてしまう。ブレイブは、アイビーの手にある傘を見つめて、静かに笑んで言った。
「その役割は、その職務は、アイビー様にしか全うできませんから」
「ブレイブ……? 」
「大切なもの、守ってきてくださいね」
間髪入れずそう言ったのは、顔に絆創膏を貼り付けたシードだ。シードもまた、笑んで言った。
「後悔のないよう、どうぞお幸せにってことで」
「シード……」
「さっさと行ってきてくださいよっ……」
またも、間髪入れずに声がかかる。シードのものではない。喉から絞り出すように、苦しいものを吐き出すようにそう言ったのは、目元を赤くしたセルフだった。その視線はこの間のように、アイビーを睨んでいる。
「セルフ……? どうし……」
「さっさと行けよっ!! 」
声がまた、一段と大きくなる。
ブレイブが背中を撫でて窘めるも、セルフは怒ったように、悲しいように、切ないように、言葉を発する。
「皆っ、おまえのために今、こうやって、言ってるんだぞ……!? おまえしかいないから……おまえがっ、選ばれたからっ……」
「選ばれた……? どういう……」
「アイビーおまえっ、ヤナギが好きだろ!? 」
「っ……」
突然の問いに、言葉に詰まる。心の方ではとっくに答えなんて出ているというのに、口にしては言えなかった。
何も言えずに俯くと、セルフは怒りの度合いをますます強くして、更に尖った声をアイビーにぶつけてくる。
「遠慮すんなよ! なんでおまえはそうやって……」
「する、だろ……遠慮くらい。だってあいつは、好きな人がいて……」
「だからなんだよ!? 俺は……俺達は、おまえに聞いてんだぞ!? 」
「なんでっ……」
「向き合えよ!! 」
その言葉に、ハッとした。
「向き合えよ、ヤナギと! 何も気にせず、自分の想いに素直になれ! 俺達にできなかったこと、おまえにしかできないことがあんだろ!? おまえだけの、職務が!! 」
「俺だけの、職務……」
「ちゃんと向き合え! ヤナギに言えよ、全部! 思ってること、思ったこと、全部言えっ! 何も気にせず思ったまま、全部伝えてこい! じゃねぇと、俺達のヤナギに失礼だろぉっ!? 」
セルフは、泣いていた。半泣きで、それでも前を向いていた。
傘を持つ手に力がこもる。雪は段々と勢いを増していて、柔らかいはずなのに、背中に叩きつけられているようで、酷く痛かった。
「俺は……」
「それはヤナギに言うもんだろ!? 」
さっきの質問に答えようと口を開くも、聞いてきた本人から口を閉ざされてしまう。でも、その通りだった。言うべき相手は、ここにいる皆じゃない。
何が遠慮だ。何が諦めなければならないだ。結局はそうやって逃げ道を探して、仕方がないで終わらせたがって、怖がっていただけじゃないか。
ここにいる皆は、もうとっくに踏み出している。
踏み出して、叶いそうな人もいれば、叶わなかった人もいる。新たな「大切」を手に入れた人だっている。
皆踏み出しているというのに、アイビーだけ怖がって、逃げようとして……。
ヤナギには好きな人がいる。そんなことはもう知っている。わかっている。でも、アイビーだってそれと同じだ。アイビーだって……
「さっさとヤナギのとこに行け! 行って、二度と戻ってくんじゃねぇぞぉっ!!! 」
それが、合図だった。
傘を握りしめ、セルフ達に背を向ける。
校門を飛び出すと、白に染まっていく世界を一気に駆け抜けた。




